「俺の子じゃない」と言われました

ともどーも

文字の大きさ
34 / 45

三十三話 私とエドワード3

しおりを挟む
 エドワードはペンをテーブルに置き、目を輝かせた。
「子供の好きな食べ物は何なんだ?」
 四ヶ月の赤子に『好きな食べ物』なんかあるわけがない。一般的には六ヶ月くらいから離乳食を開始するのだ。赤子の成長の過程を知らないのは、それだけ関心がなかったと言っているように思えた。
 その関心のなかった子供について話してくるのは、子供に興味があるのではなく、ただ、交渉材料として子供のことを引っ張り出したと、彼の浅はかな考えが見えた。
 ソフィアが使っていたペンが目についた。
 普通のペンだ。
 でも私にはまるで、ナイフのように思えた。
 ゆっくりとペンを手に取る。
 心臓の脈打つ振動なのか、怒りで震える振動なのかわからない……。

 バカなことを考えてはダメよ。

 離婚届にサインしてもらう。
 それが重要で、彼に求めるものはサインだけ。
 衝動を理性で押し込めて、テーブル向こうの彼の横にいった。 
「それから、好んで着ているドレスの色は何色だ?あと、何か気に入っているおもちゃはないか?似たようなおもちゃを探そう。あぁ、それなら面会時に、気に入ったものを買おう。子供が喜ぶものは、何でも買って……」
 私が横に立つと、彼の言葉は尻すぼみになった。私の顔を見て、少し表情が固まっている。
「リリー……シア?」
 不安げな声だ。
 私は衝動を理性で抑える。
 ペンを振り上げたい衝動を。

 あぁ……。このペンを彼の手に突き刺したら、この怒りは消えるのだろうか……。

 心臓がドクンっ、ドクンっと大きく、嫌な音と振動を私に伝えてくる。
 冷静になるのよ。

 私は持っていたペンを、離婚届の上に静かに置いた。強く握っていたからか、ペンを持っていた手が痛いし、こんなに手が白かっただろうか?と不思議に思うほど、色が違うように思えた。

「早くサインして」
 自分の声なのに、知らない人のような低い声が出た。
「あ……」
 きっと、酷い顔をしているのだろう。
 私を見た彼の瞳に、怯えのような色を見た。
「リリー……シア……。おっ、俺は……」
「黙って。早くサインを」
「こっ……子供の将来を考えると、俺たちは」
「『俺の子じゃない』のでしょ。くだらないことを言ってないで、さっさと、誠意をもって、速やかに、私の前から消えて!!」

 絶叫した気はない。
 しかし、私の声は予想より大きな声で部屋に響き渡った。
「失礼します!」
 ソフィアの慌てた声と同時に、ドアが開いた。
 すぐさまソフィアが私を抱き締めて、エドワードとの距離を取ってくれた。

「落ち着いて。ゆっくりと息をして。もう大丈夫よ。大丈夫。よく頑張ったわね」
「ソフィア……」
 ソフィアに背中を撫でられて、自分が息をしていなかったとわかった。
「あとは私に任せて、別室に行きましょう。オーウェン。リリーシアを別室に」
「リリーシアさん。歩けますか?」
 オーウェンさんの声だ。
 心配する声、瞳、差し出された手に安堵してしまう。審議会が始まって、はじめて息をした気になった。
「はい」
 オーウェンさんの手に触れようとすると――
「リリーシア!」
――エドワードが叫んだ。
 顔色が悪く、焦った様子だ。
「あっ……」
 言葉を発したいのだろうが、口を開けては閉めてを繰り返すだけだ。
 なんとも、情けない姿だ。
「もう、よろしいでしょう。貴方の『二人で話をしたい』との申し入れに従ったのですから。伯爵夫人は別室でお休みいただきます。他に話があるのなら、弁護士の私を通して下さい。オーウェン。早く伯爵夫人を別室に案内して」
「行きましょう」
 私はオーウェンさんの手を取った。
 大きくて温かい。少しゴツゴツしていて、厚みを感じるが、とても安心する手だ。

「リリーシア!」
「ローゼンタール様」
 決別を込めて言った。
 それがわかったのか、彼が息を飲むのが見えた。
「さようなら」
「っ!」
 私は彼に背を向けて歩いた。
 背中に「リリーシア!」と呼ぶ声がしたが、私は振り向かず、扉は閉められた。

 これで終わりよ。


 ◇◇◇


 扉を閉めるまで、自分の足で立てていて良かった。扉を閉めた音を聞いて、私はその場で倒れてしまった。
「リリーシアさん!」
 オーウェンさんの慌てる声が心地よいなんて言ったら、彼に悪いわね。

 あの審議会から三ヶ月がたった。
 不甲斐ないことに、あれから熱が出て、起き上がれるまで回復するのに、一ヶ月もかかってしまった。王宮の医者には『極度のストレスが原因』と言われた。
 日常生活に戻れるまで、王宮の一室で過ごすよう、王妃様から命令されているので、お言葉に甘えさせてもらった。
 ゆっくり療養できたお陰で、今では王宮の庭を散歩できるまで回復できた。

「リリーシアさん。風が出てきましたから、そろそろ」
 オーウェンさんはブランケットを私の肩にかけた。ブランケットの温かさを感じる。知らぬ間に体が少し冷えていたようだ。
「えぇ。明日の出発に差し支えがあってはいけないものね。オーウェンさん、ありがとう」
「いえ」
 私が微笑むと、彼も微笑みを返してくれた。
 王都を離れれば、きっとオーウェンさんには会えなくなるだろう。
 彼は今回の功績で、王妃様直属の部下になったのだ。セラス教会に勤めるシスター・ハンナと同じような立場らしいが、詳しくは知らない。

 そして、私は離婚した。
 エドワードは最後まで抵抗していたらしいが、ソフィアに『離婚届にサインしないのなら、離婚裁判をおこす』と詰め寄られたそうだ。
 審議会で出した証拠品や、イモージェンと不倫して子供を作ったことが公になれば、伯爵家の評判は駄々下がりするし、離婚裁判でエドワードが勝てる要素はどこにもない。恥をさらすより、潔く離婚するのが自分のためだと追い込むと、震えながらサインしたと聞いた。
 
 養育費もアリアが成人する十八歳まで、不自由なく生活できる金額を出してくれることになった。しかも、アリアが貴族学院に進学したいのなら、すべての費用、学費、生活費は別途支払うと覚書も書いてくれたのだった。
 慰謝料についても、こちらの言い分通り支払ってくれることになった。
 ソフィアの話では、リーガル公爵様がエドワードに何やら助言したそうで、金銭の件はスムーズだったそうだ。
 
 そして、面会交流の件……。
 これは最後まで難航した。
 当初、エドワードから毎週二回は会いたいと申し入れがあったが、頻度が多すぎると突っぱねた。その後も毎週一回、十日に一回と、できる限り会えるように申し入れがあった。
 それからプレゼントを毎日贈りたいとの話もあったが、迷惑だと切り捨てた。
 何度かそういった申し入れが続いたが、ある日突然、面会交流は娘が五歳の誕生日以降からで良い。頻度も一ヶ月に一回で良い。ただ、毎年娘の誕生日に贈り物をさせてほしいと変えてきた。
 どうやら、これもリーガル公爵様の口添えがあったらしい。おそらく、しつこく言い寄ると、復縁の望みを自分で潰すぞとか、言われたのだろう。復縁なんて、考えることもないだろうが、煩わしいやり取りが終わって、晴れて離婚が成立した。

 ようやく、私は自由になったのだ。
しおりを挟む
感想 220

あなたにおすすめの小説

お姉様、今度は貴方の恋人をもらいますわ。何でも奪っていく妹はそう言っていますが、その方は私の恋人ではありませんよ?

柚木ゆず
恋愛
「すでに気付いているんですのよ。わたくしやお父様やお母様に隠れて、交際を行っていることに」 「ダーファルズ伯爵家のエドモン様は、雄々しく素敵な御方。お顔も財力も最上級な方で、興味を持ちましたの。好きに、なってしまいましたの」  私のものを何でも欲しがる、妹のニネット。今度は物ではなく人を欲しがり始め、エドモン様をもらうと言い出しました。  確かに私は、家族に隠れて交際を行っているのですが――。その方は、私にしつこく言い寄ってきていた人。恋人はエドモン様ではなく、エズラル侯爵家のフレデリク様なのです。  どうやらニネットは大きな勘違いをしているらしく、自身を溺愛するお父様とお母様の力を借りて、そんなエドモン様にアプローチをしてゆくみたいです。

皆さん、覚悟してくださいね?

柚木ゆず
恋愛
 わたしをイジメて、泣く姿を愉しんでいた皆さんへ。  さきほど偶然前世の記憶が蘇り、何もできずに怯えているわたしは居なくなったんですよ。  ……覚悟してね? これから『あたし』がたっぷり、お礼をさせてもらうから。  ※体調不良の影響でお返事ができないため、日曜日ごろ(24日ごろ)まで感想欄を閉じております。

婚約者と妹が運命的な恋をしたそうなので、お望み通り2人で過ごせるように別れることにしました

柚木ゆず
恋愛
※4月3日、本編完結いたしました。4月5日(恐らく夕方ごろ)より、番外編の投稿を始めさせていただきます。 「ヴィクトリア。君との婚約を白紙にしたい」 「おねぇちゃん。実はオスカーさんの運命の人だった、妹のメリッサです……っ」  私の婚約者オスカーは真に愛すべき人を見つけたそうなので、妹のメリッサと結婚できるように婚約を解消してあげることにしました。  そうして2人は呆れる私の前でイチャイチャしたあと、同棲を宣言。幸せな毎日になると喜びながら、仲良く去っていきました。  でも――。そんな毎日になるとは、思わない。  2人はとある理由で、いずれ婚約を解消することになる。  私は破局を確信しながら、元婚約者と妹が乗る馬車を眺めたのでした。

婚約者が妹と婚約したいと言い出しましたが、わたしに妹はいないのですが?

柚木ゆず
恋愛
婚約者であるアスユト子爵家の嫡男マティウス様が、わたしとの関係を解消して妹のルナと婚約をしたいと言い出しました。 わたしには、妹なんていないのに。  

お姉様。ずっと隠していたことをお伝えしますね ~私は不幸ではなく幸せですよ~

柚木ゆず
恋愛
 今日は私が、ラファオール伯爵家に嫁ぐ日。ついにハーオット子爵邸を出られる時が訪れましたので、これまで隠していたことをお伝えします。  お姉様たちは私を苦しめるために、私が苦手にしていたクロード様と政略結婚をさせましたよね?  ですがそれは大きな間違いで、私はずっとクロード様のことが――

格上の言うことには、従わなければならないのですか? でしたら、わたしの言うことに従っていただきましょう

柚木ゆず
恋愛
「アルマ・レンザ―、光栄に思え。次期侯爵様は、お前をいたく気に入っているんだ。大人しく僕のものになれ。いいな?」  最初は柔らかな物腰で交際を提案されていた、リエズン侯爵家の嫡男・バチスタ様。ですがご自身の思い通りにならないと分かるや、その態度は一変しました。  ……そうなのですね。格下は格上の命令に従わないといけない、そんなルールがあると仰るのですね。  分かりました。  ではそのルールに則り、わたしの命令に従っていただきましょう。

婚約者と家族に裏切られたので小さな反撃をしたら、大変なことになったみたいです

柚木ゆず
恋愛
 コストール子爵令嬢マドゥレーヌ。彼女はある日、実父、継母、腹違いの妹、そして婚約者に裏切られ、コストール家を追放されることとなってしまいました。  ですがその際にマドゥレーヌが咄嗟に口にした『ある言葉』によって、マドゥレーヌが去ったあとのコストール家では大変なことが起きるのでした――。

隣にある古い空き家に引っ越してきた人達は、10年前に縁を切った家族でした

柚木ゆず
恋愛
 10年前――まだわたしが男爵令嬢リーリスだった頃のこと。お父様、お母様、妹は自分達が散財した穴埋めのため、当時住み込みで働いていた旧友の忘れ形見・オルズくんを悪趣味な貴族に高値で売ろうとしていました。  偶然それを知ったわたしはオルズくんを連れてお屋敷を去り、ジュリエットとガスパールと名を変え新たな人生を歩み始めたのでした。  そんなわたし達はその後ガスパールくんの努力のおかげで充実した日々を過ごしており、今日は新生活が10年目を迎えたお祝いをしていたのですが――その最中にお隣に引っ越してこられた人達が挨拶に来てくださり、そこで信じられない再会を果たすこととなるのでした。 「まだ気付かないのか!? 我々はお前の父であり母であり妹だ!!」  初対面だと思っていた方々は、かつてわたしの家族だった人達だったのです。  しかもそんな3人は、わたし達が気付けない程に老けてやつれてしまっていて――

処理中です...