その身柄、拘束します。

端本 やこ

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第3章 混沌な煩忙

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 警察官を夢見て、どうせなら日本一の場所でと夢を追い続けて、俊樹はここまできた。夢ってやつは残酷な現実ばかりをつきつけてくる。刑事の毎日に夢なんてありはしない。追うのは事件の真相であり、犯人だ。
 こうして橙子と一緒に職場を出て歩くなんて、それこそ夢みたいだ──とまでは言わずとも、不思議な感じがする。

「わぁ! トッシー見て! すごいね」

 はしゃぐ橙子につられて視線を上げた。

「本当だ。早咲きだな」
「職場近くにこんな立派な木があるなんて贅沢だね」
「言っても桜田門ですからねぇ」
「そっか」
「花見にはまだ早いかもだけど、少し歩く?」

 夜風は冷たいが、事務仕事で凝り固まったからだを動かすのに丁度いい。橙子の道路側に立って、一つ先のコンビニまで足を延ばすことにした。

「なぁ、橙子」
「んー?」
「俺と結婚するか」
「は? 何言ってんの。するわけないじゃん」

 一瞬きょとんとした橙子だったが、ぷはっと吹き出した。まるで漫才でも聞いたかのように笑い出す。
 俊樹にふざけたつもりはない。一握りの勇気を出して、真面目に未来を賭けた告白だった。

「少しは考えろって」
「いやいや。脈絡なさすぎでしょ」
「俺、本気だよ。橙子が仕事辞めてもこっちに残る方法考えた」
「仕事を辞めるために結婚するような女だと思われてるわけ?」
「違う!」

 橙子と視線がぶつかった。
 橙子の寂しそうな目に、失敗したことを思い知らされる。

「ごめんね。心配してくれてるのはわかってる」
「そうじゃない。俺、ちゃんと橙子のこと好きだよ」
「歯科衛生士の彼女はどうしたの?」
「それは……」
「トッシー?」
「はい」
「最低」
「うっ」

 俊樹を𠮟りつけるように、急に風が吹きつけた。目を閉じなければいられないほど強く、冷たい。
 ゆっくり目を開けた先に、舞い散る桜の花びらに囲まれた橙子が立っていた。

「でも、ありがとう」

 泣きそうになるぐらい綺麗だった。
 映画のワンシーンに見間違えるほど出来過ぎた風景に、橙子が溶け込んでいる。優しく微笑みかける姿に見惚れて言葉が出てこない。

「親身になって考えてくれて。ちゃんと好きでいてくれて」

 俊樹は考えるより先に橙子を抱き寄せた。
 恋愛感情で好きと伝えたのに、橙子は学生時代と変わらない親愛で返してきた。同じ「好き」なのに、切ないぐらい遠い。捕まえて閉じ込めなければこのままどこか遠くへ消えてしまいそうで、咄嗟の行動だった。

「今日一日見ててわかった。嫌なこと全部我慢して、職場ではデキる女なんだろ。仕事だから当たり前なんてことあるか。そんなの橙子じゃない。笑える天然要素はどこいったよ? 疲れきって、お前どこで息抜きしてんだよ」

 衝動に気づいても、放すどころか、腕に力をこめた。

「今してる。気が置けない友だちとお花見散歩しながらね。謎のプロポーズと抱きしめられるオプション付き~」
「笑うとこじゃない」
「サービス過剰」

 すっと橙子が抜けて出てしまった。
 隙間に風が吹き込んで、余計に肌寒い。

「ラーメン食いてぇ」
「ホント、温まってきたいね。早く終わるといいね、今回の仕事も。そしたらまたご飯行こうね」
「そうだな」

 橙子が先に一歩を踏み出した。
 橙子に一歩遅れをとった俊樹だったが、三歩で追いついて、隣に並んだ。
 
***

 予定より遠くまで出向いたのは失敗だった。橙子が持つ袋もそれなりに重いはず。
 俊樹も両手いっぱいに買い物袋を提げ、帰りは少々足早だ。

「戻る前にはっきりさせたいんだけどさ。先輩となんかあった?」
「私が迷惑かけちゃったの知ってるでしょ」
「それとは別。俺が酔いつぶれた時のことも教えて」

 結局、俊樹は徹から何も聞き出せなかった。
 そのことかと納得した橙子から、徹に送られたことを聞かされる。

「消去法で久我島さんに行き着いたってだけよ。もう他に頼る先なかったんだから」
「マジでごめん」
「久我島さんはなんて?」
「覚えてないなら忘れとけって」
「ははっ。大人だねぇ」

 橙子はもう寂しい顔をしていない。至って通常運転の笑みをみせている。
 それが、何故かチクりと刺さる。

「大人なんだよ。あの人も、橙子も」

 日野に聞かされた言葉を、俊樹自身が口にしていた。

「トッシー?」
「誤魔化す?」

 プロポーズより数倍緊張していた。脈拍が早まって顎の関節あたりがうるさい。

「トッシーだって大人じゃん」
「橙子はもう傷つく必要ない」

 徹が刑事である以上、橙子が幸せになる道はない。刑事の性質ってやつだ。

「いやいや。さっきプロポーズしたの誰よ」
「それはそれ! 俺はちゃんと好きなんだから問題なし」
「傷を負うようなことなんてなんもないって」
「だからそれどっちなんだよ!」
「彼女のいない刑事となにかあるのと、彼女持ちの刑事と結婚するの、どっちがマシかって? 懐かしの究極の選択じゃあるまいし」
「だぁから、いい加減わかれよ!」

 多分、橙子は徹を好意的にみている。人として、男として。色んなことが邪魔をして気持ちのやり場がなくて……ほら、やっぱり傷ついてる。
 橙子の気持ちに気がついても、徹が相手では応援できない。

「トッシー、ごめん。悪意のある言い方になっちゃった」
「いや、俺も悪い」

 橙子に謝らせてしまった。
 橙子相手だと巧く立ち回れないのは昔からだ。彼女の器の大きさに甘えて本音をぶつけてしまう。橙子はいつだって受け止めてくれた。こんな風にのらりくらりとかわそうとすること自体が非常事態なのだ。

「トッシーの言う通り、付き合ってない。だからって傷ついてない。私が一方的にいいなって思ってるだけ」
「うそだろ……」

 橙子本人から聞くと、想像以上に衝撃がある。

「刑事さんでもいいの。忙しくったって、かまってくれなくったって」
「愛情表現なんて絶対できない不器用な人だぞ」
「でも紳士的で優しい」
「なワケあるか! 不愛想で素っ気なくて、四六時中難しい顔してる、ただのオッサンだ」
「そうかなぁ? あの時たま見せてくれる柔らかい笑顔に超ときめくんですけど」

 紳士?
 優しい?
 柔い笑顔?
 俊樹が頭上にクエスチョンマークを点灯させているうちに、橙子は執務室のドアを開けた。

***

 買い出しご苦労さん、と労いの声を受けつつ、橙子は空いている長机に買い物袋を置いた。

「はあああっ⁉ お前、目ぇ覚ませ!」

 俊樹の絶叫を背中で受けるが構ってはいられない。
 周囲に遅くなったことを詫びて、さっそく机の上に調達品を並べ始める。

「おい橙子っ。まだ話終わってねぇ!」
「もういいでしょ。早く食べて働きなさいよ」
「ぜんっぜんよくねぇわ! お前、頭沸いてんだろっ」

 追いついた俊樹は声のボリュームが壊れたままだ。
 橙子は露骨に顔を顰めて、適当にあしらう。そして、橙子の頭を沸かせている張本人を探す。俊樹の騒音を気に掛けず、同僚と仕事の話をする姿をみつけた。
 かっこいい。
 鼻筋の通った横顔に、開けたスーツの前から腰に手をあてる立ち姿は姿勢が良くて線もきれいだ。
 仕事人間で何が悪い。どう見ても最高じゃん。

「橙子ちゃんどうした?」
「あ、日野さーん、何とかしてくださいよ。トッシーったら小言ばっかで超うっとうしぃったらない」
「こら尾野。今日一の功労者にケチつけるこったぁないだろう」

 日野の援護を盾に、橙子はそうだそうだと非難がましい視線を俊樹に投げつける。

「トッシー、俺のお茶」
「おにぎりくれ、トッシー」
「トッシー。俺、カツサンド」
「トッシーお湯! カップ麺そのまま持って帰るヤツがあるか馬鹿」

 日野だけでなく、全員が橙子の味方に回ってくれた。わいわい騒ぐ捜査員に小うるさい俊樹を押し付けることができて、橙子は正直ほっとした。

「トッシー言うなぁぁぁ! 勝手にやれ!」

 俊樹の絶叫を聞いても無視だ。
 橙子は三人分のお弁当を抱えて山藤の席に戻った。
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