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「そういえば、リアンはどうして異世界転移研究所で働こうと思ったんですか?」
「あー……うん。父親が所長だからな。異世界には憧れがあった」
僕が問うと、なぜかリアンは突然歯切れが悪くなって、目線も合わせずに答えた。どうして父親と一緒に暮らしていないのかとかいろいろ疑問はあったけど、聞けるような感じじゃない。
「メグは……転移してしまったこと、どう思ってる?帰りたいと思うか?」
「うーん。せっかく大学で勉強していたから、卒業できなかったのは惜しいと思ってますよ」
「そう……だよな」
「でも、帰りたいと思ったことはないです。僕、幼い頃に両親を亡くしていて、叔父夫婦の家に引き取られて。従弟が生まれてからの僕は明らかに邪魔者だったので、十八で家を出ました。ひとり暮らしだったから誰も待っていないし。奨学金で学費を払ってアルバイトで生活費を稼いでたので、奨学金の返済がなくなって家まで与えてくれるこの世界のほうがよっぽど生きやすいなーって、思うんです」
叔父の家には子どもがいなかったから息子代わりに引き取ってくれたのだが、その後しばらくして子宝に恵まれた。当然自分たちの子どもの方が可愛かったのだろう、僕の存在感は空気のように薄くなり、それからは息を殺して生きていた。
愚痴のように話すつもりなんてなかったのに、いつもより気安い雰囲気につられて、つい言葉に自嘲的な響きが混じってしまった。
転移して周囲の環境はガラリと変わってしまったけれど、温かい人たちに囲まれて、本当に来てよかったなと思っているのだ。
だけどリアンはそう受け取らなかったのか、はたまた僕に嫌な話をさせてしまったと思ったのか、俯いて唇を噛み締めている。
リアンの長く艷やかな黒髪が、肩から滑り落ちる。
「……悪い」
「あの~、来てよかったと思ってますから、本当に。二次性がある世界に戸惑いもありますけど、まだ全然実感できないし。あはは……」
周囲に人がいるから具体的なことは言わなかったが、リアンは僕がオメガだということを分かっている。
彼は俯いていた顔を上げて、抑えた声で僕に尋ねた。
「まだ……兆候はないのか。体調に少しでも変化があったら、遠慮なく休めよな」
「はい、全く。怖いから全然いいんですけどね。ありがとうございます」
エメラルドグリーンの目が僅かに細められる。その少しの変化で、リアンが僕を気遣ってくれているのがわかった。
この世界に来て、僕がオメガになって約二か月。身体は健康なのに、発情期は一向に訪れる気配もない。
自分がどうなってしまうのか、持てうる知識で想像してみたりするけど、やっぱり初めてのことだから怖い。当初はキリトと番になろうと話していたけれど、その約束はいまも有効なんだろうか。
大学で出会ったときみたいに、不安な発情期を一緒に乗り越えてくれる優しさをキリトが僕に向けてくれる。そう確信を持つことはできなかった。
レストランはリアンの家と僕の住むアパートの中間地点にあった。
食事のあと、家まですぐだからいいと言ったのに、リアンはもう遅いから送ると言って聞かない。僕だって男だし、なんなら歳上なんだけど?
「この辺はわりと治安いいけど、オメガを狙った犯罪もたまにあるんだ。夜はひとりで出歩かないほうがいい」
「そっか……ありがとうございます。でも、帰りはリアンもバスを使ってくださいね?」
ネックガードが見えづらいから、オメガはひと目ではわからない。でもスパ・スポールなどのオメガ専用施設に通う姿を見られれば、オメガと判断するのは容易だ。
僕を狙う人がいるなんて思えないけど、犯罪者の考えなんて普通の人には読めない。体格的にはかなり小さめだし、気をつけるに越したことはないだろう。
リアンは正直過ぎるところが玉に瑕だが、若いのに紳士なところがけっこうある。育ちがいいんだろうなぁ。
研究所の給料は多い方ではないらしい。しかし、現所長であるお父さんがかつて異世界転移に関する画期的な発見をしたことで、ノーベル賞のような大きな褒章を国からもらったことがあるそうだ。
そのお陰で実家はお金持ちで、いま住んでいる家も別荘のような扱いだ。家にお金がかからず、リアンも趣味などにお金を使うタイプではないから、僕が仕事を得られたわけだ。そこは本当にありがたい。
……そういえばお母さんの話を聞いたことがないけど、お父さんと一緒に住んでいるのかな。
「あー……うん。父親が所長だからな。異世界には憧れがあった」
僕が問うと、なぜかリアンは突然歯切れが悪くなって、目線も合わせずに答えた。どうして父親と一緒に暮らしていないのかとかいろいろ疑問はあったけど、聞けるような感じじゃない。
「メグは……転移してしまったこと、どう思ってる?帰りたいと思うか?」
「うーん。せっかく大学で勉強していたから、卒業できなかったのは惜しいと思ってますよ」
「そう……だよな」
「でも、帰りたいと思ったことはないです。僕、幼い頃に両親を亡くしていて、叔父夫婦の家に引き取られて。従弟が生まれてからの僕は明らかに邪魔者だったので、十八で家を出ました。ひとり暮らしだったから誰も待っていないし。奨学金で学費を払ってアルバイトで生活費を稼いでたので、奨学金の返済がなくなって家まで与えてくれるこの世界のほうがよっぽど生きやすいなーって、思うんです」
叔父の家には子どもがいなかったから息子代わりに引き取ってくれたのだが、その後しばらくして子宝に恵まれた。当然自分たちの子どもの方が可愛かったのだろう、僕の存在感は空気のように薄くなり、それからは息を殺して生きていた。
愚痴のように話すつもりなんてなかったのに、いつもより気安い雰囲気につられて、つい言葉に自嘲的な響きが混じってしまった。
転移して周囲の環境はガラリと変わってしまったけれど、温かい人たちに囲まれて、本当に来てよかったなと思っているのだ。
だけどリアンはそう受け取らなかったのか、はたまた僕に嫌な話をさせてしまったと思ったのか、俯いて唇を噛み締めている。
リアンの長く艷やかな黒髪が、肩から滑り落ちる。
「……悪い」
「あの~、来てよかったと思ってますから、本当に。二次性がある世界に戸惑いもありますけど、まだ全然実感できないし。あはは……」
周囲に人がいるから具体的なことは言わなかったが、リアンは僕がオメガだということを分かっている。
彼は俯いていた顔を上げて、抑えた声で僕に尋ねた。
「まだ……兆候はないのか。体調に少しでも変化があったら、遠慮なく休めよな」
「はい、全く。怖いから全然いいんですけどね。ありがとうございます」
エメラルドグリーンの目が僅かに細められる。その少しの変化で、リアンが僕を気遣ってくれているのがわかった。
この世界に来て、僕がオメガになって約二か月。身体は健康なのに、発情期は一向に訪れる気配もない。
自分がどうなってしまうのか、持てうる知識で想像してみたりするけど、やっぱり初めてのことだから怖い。当初はキリトと番になろうと話していたけれど、その約束はいまも有効なんだろうか。
大学で出会ったときみたいに、不安な発情期を一緒に乗り越えてくれる優しさをキリトが僕に向けてくれる。そう確信を持つことはできなかった。
レストランはリアンの家と僕の住むアパートの中間地点にあった。
食事のあと、家まですぐだからいいと言ったのに、リアンはもう遅いから送ると言って聞かない。僕だって男だし、なんなら歳上なんだけど?
「この辺はわりと治安いいけど、オメガを狙った犯罪もたまにあるんだ。夜はひとりで出歩かないほうがいい」
「そっか……ありがとうございます。でも、帰りはリアンもバスを使ってくださいね?」
ネックガードが見えづらいから、オメガはひと目ではわからない。でもスパ・スポールなどのオメガ専用施設に通う姿を見られれば、オメガと判断するのは容易だ。
僕を狙う人がいるなんて思えないけど、犯罪者の考えなんて普通の人には読めない。体格的にはかなり小さめだし、気をつけるに越したことはないだろう。
リアンは正直過ぎるところが玉に瑕だが、若いのに紳士なところがけっこうある。育ちがいいんだろうなぁ。
研究所の給料は多い方ではないらしい。しかし、現所長であるお父さんがかつて異世界転移に関する画期的な発見をしたことで、ノーベル賞のような大きな褒章を国からもらったことがあるそうだ。
そのお陰で実家はお金持ちで、いま住んでいる家も別荘のような扱いだ。家にお金がかからず、リアンも趣味などにお金を使うタイプではないから、僕が仕事を得られたわけだ。そこは本当にありがたい。
……そういえばお母さんの話を聞いたことがないけど、お父さんと一緒に住んでいるのかな。
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