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三月

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3月にある大きなイベントはホワイトデーの他にもう一つある。
それは、送別会だ。
真司、千晶が勤める会社にも当然異動がある。
二人は今回、異動にはならなかった。
(もしなったらどうするか相談し合った二人である)

だが、真司の同期の社員、田中が違う支社に異動になったのである。
最近、田中は結婚していた。
真司と千晶も式に出席したのは記憶に新しい。

「月末、田中の送別会だな」

夕飯を食べながら真司が言うと、千晶が頷いた。

「田中先輩が居ないと寂しいですね」

「まぁ異動先はあいつの実家に近いみたいだし、これからのことを思えばな」

「なるほど」

千晶が神妙な顔で頷いている。

「ま、あいつのことだからどこに行っても上手くやるだろ」

「俺、今からクッキー焼きます」

「ん?」

「田中先輩にあげたいんです。真司さんも食べますよね?」

「おう、俺も食べる」

夕飯を食べ終えた後、千晶はクッキーを作り始めた。真司も粉を計ったり、少しだが手伝う。

「真司さんが手伝ってくれて助かります。嫌じゃありませんか?」

「いや、面白いよ。千晶、手際いいしパティシエみたいだよな」

それに顔を赤くする千晶である。

「ぱ、パティシエなんてそんな…」

「千晶自慢のオーブンも使えるしな」

ぽんぽんと真司がオーブンを撫でると千晶が頷いた。

「だんだんこの子のこと、分かってきました。美味しいクッキーにしてみせます」

生地から型を抜き、千晶はオーブンに生地を入れた。これで焼き上がるまで待つだけである。

「きっと田中も喜ぶな!」

「だといいんですが…」

焼き上がったばかりのクッキーを真司は試食させてもらった。バターの香りがふわりとする。

「美味いぞ、千晶」

「良かった」

千晶がにっこり笑う。
千晶はクッキーを袋に詰めてリボンで封をした。

「ん?なんで2つなんだ?」

「奥様の分です」

「あぁ、なるほどな」

(さすが千晶だな)

思わず感心してしまった真司である。

「送別会はどこでするんでしたっけ?」

「あぁ、確か少し高めの店でやるとかなんとか」

真司がスマートフォンで、社内のグループメッセージを確認すると詳細が書いてある。千晶も自分のスマートフォンでそれを確認しているようだ。

「わ、なんだかお洒落なお店ですね」

「昼間はイタリアンのレストランらしいな」

真司の言葉にぴくり、と千晶の気配が変わる。

「ち、千晶?」

「行ってみたい」

目をキラキラと輝かせている千晶に、真司は苦笑いした。

「週末、二人で行ってみようか?」

「はい!」

ーーー

その次の日の夜、千晶はご機嫌だった。
鼻唄を歌いながら楽しそうに夕飯を作っている。
週末にレストランに行くのがよほど楽しみなのだろう。
真司はその店について、色々調べていた。

そこで千晶の目的が分かったのである。
千晶はその店のスイーツ(ドルチェ)が食べたいのだと。口コミを見ると評価もそれなりのようだ。

しかも今はイタリアの、マリトッツオというお菓子が流行っているらしい。
千晶がコンビニを巡って、何種類ものマリトッツオを買ってきたのは最近のことだっただろうか。
真司は思わず笑った。

(千晶はこうやって笑っていてくれるのが一番だな)

この前、不安で泣いていた千晶を思い出す。

(俺も、もっと気を付けてやらないと)

真司は改めて決意していた。
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