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「う」の人物を追え
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暗い。目を開けても、視界にぼんやりとした影がただようだけ。ここはどこだろう。どうして僕はこんな場所にいるんだ。
体がふわふわして、すごく温かい。こうしていると心地よい。
そうやって考えているうちに、だんだんと意識がはっきりしてきた。暗さにも目が慣れてくる。気づけば、僕はベッドで寝かされていた。ここは——隠花亭だ。僕に割り当てられた部屋のベッドだ。
頭が混乱する。なぜここにいる? そうだ、思い出した。姫代と一緒に池の氷の上を歩いていて——突然、氷が割れて水に落ちたんだ。
電気をつけようとベッドから出る。急に寒気がしてぶるりと震えた。体が芯まで冷えてしまっているようだ。部屋の明かりをつける。僕は見慣れないパジャマを着ていた。これはいつ着せられたものだろう。
ガチャッ。
振り向くと、ドアが開いてマナさんが入ってきた。彼女の手にはお盆。湯気の立つおかゆが乗っていた。
「ヒビト、起きたか」
「マナさん。これはいったい」
「池の氷をふみ抜いて水に落ちた」
それはわかっている。僕が知りたいのは、その後どうなったかだ。マナさんはイスに腰かけ、スラッとした足を組むと淡々と話し始めた。
「お前が水に落ちるところを佳乃さんが見て、急いで知らせに来た。それで私たちが救助に向かったんだ。お前は失神していて、叩いて起こしたんだが、記憶にはないのか」
「ええ。覚えているのは水の中だけです」
「そうか。氷が割れて溺れる事故は寒い地域ではよくある。気をつけることだ」
彼女の話は腑に落ちなかった。僕は池の氷に乗るとき、割れる危険がないか十分に注意した。万が一もないはずだった。たまたま氷の薄い部分をふんでしまったのだろうか。いやしかし、池の氷がそこだけ薄くなるなんて、いったいどんな偶然だ。
「お腹、空いているだろう。もう八時を過ぎている。梅子さんも帰ってきて、夕食を食べ終えてしまった。かんたんなおかゆを作ってもらったから食べておけ」
ベッドに腰掛けたまま、マナさんから器を受け取る。手が震えるのに気づいたのは、スプーンを握ろうとしたときだった。うまく力が入らない。やっとのことでおかゆをすくうも、傾いたスプーンからベチャベチャと器に戻ってしまった。
「……汚いな。ちょっと貸してみろ」
マナさんは小さく息をつき、思い切ったように僕の前にイスを移動してきた。そして、器をひょいと取り上げると、手際よくおかゆをすくい上げる。
「あの、さすがにこれは」
「変に意識するな、お前は他のことでも考えておけ」
そう言いながら、差し出されたスプーンを口内に押し込まれる。ぬるいけれど絶妙な塩気と魚介の風味が効いていて、しみるように美味しい。僕はマナさんと目が合わないように、すこし上を向いて食べ続けた。
「他のことでも考えろ」——と言われても。
ほかのこと。そういえば、姫代はどうなったのだろう。僕の記憶では、水に落ちた瞬間に彼女は消えるようにいなくなってしまった。まさか、彼女は僕を池に落とそうと、誘き出していたのではあるまいか。
「まさか、姫代が僕を池に落とそうとしたなんてことは」
僕がそう言うと、マナさんは眉をひそめて失笑した。
「姫代嬢はいち早くお前の救助に動いていた。屋敷の倉庫からロープを持ってきて、懸命にお前を引きずり上げた」
「えっ……」
「彼女の判断は的確だった。あとでお礼を忘れるなよ」
姫代は僕を見捨てたわけではなかった。疑ってかかった自分が情けない。彼女への疑念がまったく晴れたわけではないけれど、申し訳なさが小さく塗りつぶした。
「……そうだったんですね。わかりました。あとで彼女に会いに行こうと思います」
そう答えると、マナさんはわずかに目を細めた。
「まあ、彼女は罪悪感を感じているのか、部屋にこもってしまっているみたいだがな」
もうひとつ、マナさんに報告するべき話があることを思い出した。僕は姫代が語った内容をそのまま伝えた。
マナさんは足を組みかえ、前髪を指先でいじる。
「ふむ、姫代嬢は洋輔さんが嘘をついていると。これは雄二郎さんの脅迫状と関係しているかもしれないな。しかし、その情報は正しいのかどうか、今は判断しかねるな。お前はどう考えている」
僕は少し迷ってから答えた。
「僕は、姫代を信じようと、考えてます。こういうとき、後出しで嘘を付く理由が思いつかないというか……彼女が洋輔さんの嘘を正そうと教えてくれた、と考えるほうが自然だからです」
彼女は目をつぶってうんうんうなずいた。その仕草は、一見すると賛同のように見える。しかし、僕は彼女が完全には納得していないことを知っている。
「マナさんはなにを考えているんです」
「洋輔さんの話と姫代嬢の話、どちらかを選ぶ気になれない。なぜならヒビトの『〇〇するほうが自然』という基準に則れば、どちらも嘘をつかない方が自然に思えるからだ」
洋輔さんは、自分が聞いた噂を正直に話してくれたように見えた。姫代も、自分が知る話と食い違うからこそ、僕に進言したのだろう。たしかにどちらも疑ってかかるような、不自然な流れではないのかもしれない。
「それと、もう一つ気になるのは、過去の事件の生き残りという人物だ」
マナさんは椅子に体を預けながら続けた。
「姫代嬢は口の形から『う』と言っていたんだな」
「はい。やはり有力なのは梅子さん、でしょうか」
「母音が『う』なら雄二郎さんも候補にあがる。こればかりは彼女に直接きいて確かめるしかない」
僕たちはすぐに姫代の部屋を訪ねた。しかし、何度ノックしても返事はない。
「……寝ているのかな」
扉越しに耳をすませると、かすかないびきが聞こえてきた。仕方なく、質問は明日に持ち越すことにした。
体がふわふわして、すごく温かい。こうしていると心地よい。
そうやって考えているうちに、だんだんと意識がはっきりしてきた。暗さにも目が慣れてくる。気づけば、僕はベッドで寝かされていた。ここは——隠花亭だ。僕に割り当てられた部屋のベッドだ。
頭が混乱する。なぜここにいる? そうだ、思い出した。姫代と一緒に池の氷の上を歩いていて——突然、氷が割れて水に落ちたんだ。
電気をつけようとベッドから出る。急に寒気がしてぶるりと震えた。体が芯まで冷えてしまっているようだ。部屋の明かりをつける。僕は見慣れないパジャマを着ていた。これはいつ着せられたものだろう。
ガチャッ。
振り向くと、ドアが開いてマナさんが入ってきた。彼女の手にはお盆。湯気の立つおかゆが乗っていた。
「ヒビト、起きたか」
「マナさん。これはいったい」
「池の氷をふみ抜いて水に落ちた」
それはわかっている。僕が知りたいのは、その後どうなったかだ。マナさんはイスに腰かけ、スラッとした足を組むと淡々と話し始めた。
「お前が水に落ちるところを佳乃さんが見て、急いで知らせに来た。それで私たちが救助に向かったんだ。お前は失神していて、叩いて起こしたんだが、記憶にはないのか」
「ええ。覚えているのは水の中だけです」
「そうか。氷が割れて溺れる事故は寒い地域ではよくある。気をつけることだ」
彼女の話は腑に落ちなかった。僕は池の氷に乗るとき、割れる危険がないか十分に注意した。万が一もないはずだった。たまたま氷の薄い部分をふんでしまったのだろうか。いやしかし、池の氷がそこだけ薄くなるなんて、いったいどんな偶然だ。
「お腹、空いているだろう。もう八時を過ぎている。梅子さんも帰ってきて、夕食を食べ終えてしまった。かんたんなおかゆを作ってもらったから食べておけ」
ベッドに腰掛けたまま、マナさんから器を受け取る。手が震えるのに気づいたのは、スプーンを握ろうとしたときだった。うまく力が入らない。やっとのことでおかゆをすくうも、傾いたスプーンからベチャベチャと器に戻ってしまった。
「……汚いな。ちょっと貸してみろ」
マナさんは小さく息をつき、思い切ったように僕の前にイスを移動してきた。そして、器をひょいと取り上げると、手際よくおかゆをすくい上げる。
「あの、さすがにこれは」
「変に意識するな、お前は他のことでも考えておけ」
そう言いながら、差し出されたスプーンを口内に押し込まれる。ぬるいけれど絶妙な塩気と魚介の風味が効いていて、しみるように美味しい。僕はマナさんと目が合わないように、すこし上を向いて食べ続けた。
「他のことでも考えろ」——と言われても。
ほかのこと。そういえば、姫代はどうなったのだろう。僕の記憶では、水に落ちた瞬間に彼女は消えるようにいなくなってしまった。まさか、彼女は僕を池に落とそうと、誘き出していたのではあるまいか。
「まさか、姫代が僕を池に落とそうとしたなんてことは」
僕がそう言うと、マナさんは眉をひそめて失笑した。
「姫代嬢はいち早くお前の救助に動いていた。屋敷の倉庫からロープを持ってきて、懸命にお前を引きずり上げた」
「えっ……」
「彼女の判断は的確だった。あとでお礼を忘れるなよ」
姫代は僕を見捨てたわけではなかった。疑ってかかった自分が情けない。彼女への疑念がまったく晴れたわけではないけれど、申し訳なさが小さく塗りつぶした。
「……そうだったんですね。わかりました。あとで彼女に会いに行こうと思います」
そう答えると、マナさんはわずかに目を細めた。
「まあ、彼女は罪悪感を感じているのか、部屋にこもってしまっているみたいだがな」
もうひとつ、マナさんに報告するべき話があることを思い出した。僕は姫代が語った内容をそのまま伝えた。
マナさんは足を組みかえ、前髪を指先でいじる。
「ふむ、姫代嬢は洋輔さんが嘘をついていると。これは雄二郎さんの脅迫状と関係しているかもしれないな。しかし、その情報は正しいのかどうか、今は判断しかねるな。お前はどう考えている」
僕は少し迷ってから答えた。
「僕は、姫代を信じようと、考えてます。こういうとき、後出しで嘘を付く理由が思いつかないというか……彼女が洋輔さんの嘘を正そうと教えてくれた、と考えるほうが自然だからです」
彼女は目をつぶってうんうんうなずいた。その仕草は、一見すると賛同のように見える。しかし、僕は彼女が完全には納得していないことを知っている。
「マナさんはなにを考えているんです」
「洋輔さんの話と姫代嬢の話、どちらかを選ぶ気になれない。なぜならヒビトの『〇〇するほうが自然』という基準に則れば、どちらも嘘をつかない方が自然に思えるからだ」
洋輔さんは、自分が聞いた噂を正直に話してくれたように見えた。姫代も、自分が知る話と食い違うからこそ、僕に進言したのだろう。たしかにどちらも疑ってかかるような、不自然な流れではないのかもしれない。
「それと、もう一つ気になるのは、過去の事件の生き残りという人物だ」
マナさんは椅子に体を預けながら続けた。
「姫代嬢は口の形から『う』と言っていたんだな」
「はい。やはり有力なのは梅子さん、でしょうか」
「母音が『う』なら雄二郎さんも候補にあがる。こればかりは彼女に直接きいて確かめるしかない」
僕たちはすぐに姫代の部屋を訪ねた。しかし、何度ノックしても返事はない。
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