沈みゆく恋 ~ 触れ合えば逃げていく者へ ~

小原ききょう(TOブックス大賞受賞)

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近代美術館③

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 30分ほど、館内を回ると、
「ベルギー印象派は日本の画家にも影響を与えているのよ」と言って、
「児島虎次郎などは、その代表的な画家ね」と日本人画家の名前を出した。
 その日本人画家は、エミール・クラウスに師事した画家の一人らしい。
 彼女はそう言うと、少し離れた場所に移動し、そこにある児島虎次郎の絵を案内した。
 本物の絵と複写が混在していたが、その中で特に僕の目を惹いたのは、
「朝顔」という絵だった。
 それは、庭で朝顔に水をやっている女性の絵だ。本物ではない複写だが、原寸大だ。
 先ほどまでの西洋絵画と違って、日本人女性がモデルなので、親近感が湧いた。
 浴衣姿の女性はつま先を立て、じょうろで花に水をやっている。

 僕は絵を見ながら思った。
 画家の女性に対する愛情が伝わってくる。
 絵の女性のモデルが誰なのか? それについては言及されていない。
 だが僕は勝手に想像を膨らませ、ああ、この児島虎次郎と言う画家は、朝顔に水をやる女性を愛しているんだな・・と、勝手に思ったりした。
 そして、絵を見ているうちに、僕も絵の中の女性に恋をしている気になってきた。
 
「『朝顔』の絵、気に入った?」三崎涼子が僕の顔を覗き込むように言った。
 その表情は少し和らいでいた。最初、会った時の刺々しさが消えていた。
「うん」僕は頷いた。
 そして、僕は分からないながらも、
「絵が光っている」と言った。
 その言葉が絵を語るのに適切かどうか分からないが、
 さっき読んだ解説に書いてあった言葉を流用したのだ。解説には確かこう書かれてあった。
「ベルギー印象派の画家たちは、見たままの光を再現するために絵の具を混ぜずに荒いタッチで描く」と。
 すると、三崎涼子は嬉しそうに少し微笑んだ。

 再び、僕たちはエミール・クラウスの絵を見るべく、「河畔に座る少女」がある場所に戻った。
「朝顔」を見た後とでは、更に見方が変わっていた。
 不思議なもので、日本人画家の作品に接した後、再び西洋画家に戻ると、先ほどよりも頭に入ってくる。
 更には、絵画が実際よりも大きく見え、風景の中に体が吸い込まれていくような感じさえした。
 異国の地の風を感じ、少女たちを照らす光を肌で感じた。
 少し大袈裟かもしれないが、優れた絵画というものは、見る者の想像力をかき立てるのかもしれない。
 頭の中が少しずつ変わっていくのを感じる。これが絵を鑑賞するということなのだろうか? 最初、退屈だと感じたものが、ワクワク感に180度変わっていた。
 三崎涼子は、僕が感じた以上のものを感じ取っているのだろうか?
 もっと知りたい。絵のこともそうだけど、彼女のことを知りたかったし、もっと話したかった。

 気がつくと、結構な時間が過ぎていた。
 最初はどうなることやらと危惧していたが、今は、館内の絵画の全てが網膜に焼き付くほど記憶に刻まれているようにも感じた。
 館内を全て巡った後、三崎涼子はこう言った。
「さっきいた人たち・・」と切り出した。
「さっきの人たちって?」
「絵について、彼女らしき人にペラペラと絵の解説をしていた人がいたでしょ」
 ああ、僕が気になっていた男たちだ。「遠近法」とか「構図」と女の子に説明していた。受け取り方によっては少しキザに聞こえる。
 三崎涼子は、その男のことを、「絵はあんな風に見るのもいいのだけど、こんな場所で女の子に説明するのは頂けないわね」と評した。
 結構、色々と「嫌いなタイプ」があるんだな、と思ったけど、少なくとも僕は、あの男たちのタイプには分類されていないんだな、と思い、少し嬉しかった。

 近くの売店には、ベルギー印象派の画集や絵葉書を売っていた。絵のキーホルダーまであった。絵葉書は安いが、画集は高額だ。少なくともバイト学生の僕には手が届かない。
 それでも三崎涼子は買うのかと思っていたが、買い求めたのは絵葉書だけだった。
 それでも満足な様子で、絵葉書を鞄に仕舞い込みながら、
「北原くん、お茶にしましょうか?」と誘った。
 そして、「疲れたでしょう?」と気遣うように言った。
「それほどでも」と僕は笑みを浮かべながら返した。
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