沈みゆく恋 ~ 触れ合えば逃げていく者へ ~

小原ききょう(TOブックス大賞受賞)

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珈琲館①

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◆珈琲館

 店に辿り着くまで、会話が途切れがちだったが、これも経験だと思うことにした。
「みんな、けっこう本の話とかしないんですね」と僕は切り出した。「文芸部の飲み会って、ずっと文学の話ばかりしているのかと思ってました」
「だって、読書会と合評会で文学の話をして、飲み会でも続きを話していたら、疲れるでしょ」
 吉原さんはそう言った後、「私は、文学の話ばかりする方が好きだけどな」と言った。
「ですよね」
 吉原さんがそう思っていることがすごく嬉しかった。

 歩きながら僕は思っていた。
 僕は、本の話をしたり、恋をしたり、ただそれだけで良かったのだ。
 特別に何かを成し遂げたいとか、そんな大それた野望もなく、図書館で静かに本を読み、物思いに耽り、誰かを想っていたい。ただそれだけだった。

「珈琲館」に着くと、僕たちは窓際のテーブル席に向い合せで座った。
 緊張する。もちろん、吉原先輩とこうして向かい合うのは初めてのことだし、しかも二人きりだ。背を正し、吉原さんの目を見ずに店内を見渡した。どうしても女性を前にするとこんな態度をとってしまう。
 店内は、やはり学生が多い。この時間、ここにいるということは、僕たちと同じように休講とかで行き場を失った人たちなのだろう。
 メニューを見ている僕に吉原さんは「心配しないで、私の奢りだから」と優しく言った。
 値段が思ったより高かった。しかも銘柄別に値段が違う。
 僕は、「いえ、僕はバイトをしているから」と前置して、しばらく間を置いてから「だったら、割り勘にしましょう」と言った。
 僕の提案に吉原さんはニコリと微笑み、「じゃあ、そうしましょうか」と言った。

 珈琲の銘柄の違いなんてさっぱり分からないが、少なくとも店の雰囲気は静かでいいと思った。店長と女性だけの小ぶりな店だが、うるさいBGMもかかっていないし、客層もそれなりにいい。店の装飾品も品のあるものばかりだ。
 それに、窓からの景色が抜群にいい。二級河川の天上川の流れが見えるし、北には六甲山系の十文字山が一望できる。
 機会があれば、三崎さんと来てみたいな。そう思った。

「先輩は、この店、よく来るんですか?」
 運ばれてきたコーヒーを飲みながら訊いた。
「たまにね」吉原さんはそう言って、「私の相手がこの店が好きだから」と小さく続けた。
 私の相手・・吉原さんのつき合っている人だろうか?
 もしそうなら・・
「それって、まずくないですか?」と僕は言った。
 もしこの店が吉原さんの交際している相手が来る店だとしたら、今にもドアのチャイムが鳴り、入ってくるかもしれない。そして、自分の彼女を見つける。その向かいには僕が座っている。それじゃ間男だ。
 吉原さんは僕の言葉に、
「そんな関係じゃないから・・」と返した。短く寂しげな声だった。
 その後、吉原さんは、その言葉を消すように「北原くんって、真面目なのね」と笑った。 
 同時に、三崎涼子が言っていた「北原くんとはそんなんじゃない」という言葉を思い出した。

 その話は、お互いにそれ以上進めず、部員たちの噂話や、本の話、音楽・・と軽い話題に移った。
 そして、僕のことに移ると、
「この前の合評会の北原くんの詩、私、好きよ」
 吉原さんは、三崎さんと同じセリフを言った。
 僕は思い出していた。
 合評会で吉原さんが言った言葉を・・
 あれは三回生の先輩が僕の詩を「かったるい詩だね、こんなの知性も感じられないし、感性が子供の奴なら共感もするだろうけど、大人が読むと軽くてとても読んでいられないね」と酷評した時だった。
 穴があったら入りたい、と思った時、声を上げたのが吉原先輩だった。
「あら、大人でも、子供の頃を思い出して物思いに耽るものよ。それは、ノスタルジーよね。それに、何と言ってもこの詩にはリズムがあるわ」
「そうかあ?」三回生の先輩は納得していない様子だった。
「以前、あなたが発表した詩より、よほどいいと思うわ。あなたはボードレールとかに憧れているらしいけれど、あの詩は、子供が読んでも大人が読んでも面白くないと思うわよ」
 その言葉に温厚な佐伯先輩が、「吉原さん、その言い方、きつ~い」と言って場を和ませた。
 吉原さんの言葉を皮切りに他の部員まで褒めだした。
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