沈みゆく恋 ~ 触れ合えば逃げていく者へ ~

小原ききょう(TOブックス大賞受賞)

文字の大きさ
23 / 40

珈琲館②

しおりを挟む
 その時の事を思い出したのか吉原さんは、
「私、詩でも小説でも、よく読まずにその表面だけで判断する人、あまり好きじゃないの」と長い髪に触れながら言った。
「僕もそう思います」
 僕は従順なしもべのように言った。具体的にはどんな場合なのか分からなかったが、少なくとも、僕はそんな読み方はしないでおこうと思った。

「あの詩は、たまたま上手く書けただけです。褒めてもらうような詩ではないですよ」
 謙遜ではなく本当のことだ。頭にポツンと浮かんだ言葉をそのまま書き連ねただけだ。
「ふーん。そうかなあ、詩って、そういうものだと思うけどなあ」
 架空の姉を想う詩・・姉のいない僕。
もし僕に姉がいるとしたら、目の前にいる吉原さんがそんなイメージだろうか。

 吉原さんは、何かを思い出したように、
「そうそう。小山三四郎くんたちが言っていたのを耳に挟んだわよ」
「小山が?」
 小山三四郎は、夏目漱石の「三四郎」の主人公「小川三四郎」に由来しているあだ名だ。
 部室での雑談は、他の人の耳に入る。吉原さんは、雑談の仲間に入ることは少ないが、小山たちが僕のことを話しているのが、自然に流れ込んで来たのだろう。
 小山たちが何を言っていたのかと思っていたら、案の定、三崎涼子のことだった。
「三崎さんとデート・・それも美術館に行ったんですってね」
「デートって、そんなんじゃないですよ」
 僕がその経緯を説明すると、
 吉原さんは、「それって、どう考えても、デートでしょ」と微笑んだ後、
「それで、どうだったの?」と言った。
「どうだったとは?」
「当日のことよ」
「初めて美術館に行ったんですけど、悪くなかったですよ」
 と僕が答えると、
「ああ、美術館の話の方ね」吉原さんはそう言って声のトーンを落とした。
 どうやら吉原さんは美術館の話よりも、三崎さんの話が聞きたかったようだ。
 
 吉原さんは、僕の目をじっと見た後、
「北原くんは彼女のこと、どう思っているの?」と訊ねた。真面目な質問に思えたので、
「ずっと一緒にいたい、そう思うようになりました」と応えると、
「それって、まさしく恋よねぇ」吉原さんはそう言った。少し羨望の意味合いが混ざったような言い方だった。
 だがその後、吉原さんは、僕の顔を覗き込むようにして、
「でも、北原くん、大丈夫?」と訊いた。
「えっ、何がですか?」
 僕が訊ねると吉原さんは、こう言った。
「ちょっと、危なっかしく見えるから」
 
「危なっかしい」という言葉の意味を訊こうとすると、
 吉原さんはコーヒーに口をつけ、一度窓の外を眺めた後、静かにこう言った。
「人は、美術館が無くても生きていくことができる・・」
「え?」
 一瞬、吉原先輩が何を言ったのか分からなくて聞き直そうとすると、
「けれど、人は美術館が無くては生きている意味がない」と続けて言った。
 吉原さんが言った言葉は、優しい詩のようにも聞こえた。
「何だか、良い言葉ですね」と僕は前置きして、
「『絵画』ではなくて、『美術館』なんですね」と言った。
「そうよ。絵画は作品だけど、美術館は場所よ。つまり、絵は画集があれば、家で見ることができるけれど、美術館は自分の身を置ける場所なのよね」
 自分が居ることができる場所・・

 吉原さんは遠い目をして、
「少なくとも私は、美術館のない世界では生きていこうとは思わない」と言った。
「それって誰かの言葉ですか?」
 小説家の言葉かと思って訊いてみると、
「今、即興で考えたのよ」吉原さんは一旦そう言った後、
「もしかしたら、他の誰かの小説家が言った言葉かもしれないわね。本をたくさん読んでいるから、時々、自分の言葉なのか、本の中の言葉なのか分からなくなる時があるわ」と少し笑った。
 ああ、これが文芸部員同士の会話なんだな、と改めて思い、嬉しくなった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

小学生をもう一度

廣瀬純七
青春
大学生の松岡翔太が小学生の女の子の松岡翔子になって二度目の人生を始める話

不思議な夏休み

廣瀬純七
青春
夏休みの初日に体が入れ替わった四人の高校生の男女が経験した不思議な話

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

プール終わり、自分のバッグにクラスメイトのパンツが入っていたらどうする?

九拾七
青春
プールの授業が午前中のときは水着を着こんでいく。 で、パンツを持っていくのを忘れる。 というのはよくある笑い話。

隣に住んでいる後輩の『彼女』面がガチすぎて、オレの知ってるラブコメとはかなり違う気がする

夕姫
青春
【『白石夏帆』こいつには何を言っても無駄なようだ……】 主人公の神原秋人は、高校二年生。特別なことなど何もない、静かな一人暮らしを愛する少年だった。東京の私立高校に通い、誰とも深く関わらずただ平凡に過ごす日々。 そんな彼の日常は、ある春の日、突如現れた隣人によって塗り替えられる。後輩の白石夏帆。そしてとんでもないことを言い出したのだ。 「え?私たち、付き合ってますよね?」 なぜ?どうして?全く身に覚えのない主張に秋人は混乱し激しく否定する。だが、夏帆はまるで聞いていないかのように、秋人に猛烈に迫ってくる。何を言っても、どんな態度をとっても、その鋼のような意思は揺るがない。 「付き合っている」という謎の確信を持つ夏帆と、彼女に振り回されながらも憎めない(?)と思ってしまう秋人。これは、一人の後輩による一方的な「好き」が、平凡な先輩の日常を侵略する、予測不能な押しかけラブコメディ。

処理中です...