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03:十二時までに帰してやれない
水底でワルツを 6
しおりを挟む「俺は……全ての人間が、そんな大人にならないと思ってる。思いたいだけかもしれない。でも、願ってる」
明呉が呟くように告げる。
唾を飛ばして獣のように吠える男を見る度に、明呉は這いつくばりながら絶対にこんな大人にならないと決意する。
今だけ、今だけだ。蹂躙されるのは今だけ。大人になったら一分一秒でも早くこの呪いから逃げよう。
いつか訪れるその日のためだけに、明呉は毎日を必死で生き続けている。
二人にとって血の繋がりは呪いだった。
幼い体を蝕むその種類が違うだけで、二人は制服の下に全部隠しながらひっそりとのたうち回っている。
「俺は俺を貶めた全てのものを許さない。俺を虐げたことを些事と片付けて呑気に幸せにならないように、大人になってやり返すまで死ねない。だから終わりなんて願わない、終わらせてなんかやらない。それに、全部の大人がそうじゃないって、お前だって知ってるだろ」
明呉の脳裏に浮かぶのはバイト先の店主だ。まだ小学生だった自分が冬の日に着の身着のまま放り出された時、時間を潰していた公園で出会った。
彼は少し驚いた顔をしたけど、嫌な顔をせずに店に連れて帰って温かいココアを淹れてくれた。
後になって分かった、あの店の閉店は二十一時だ。二十二時を過ぎていたであろうあの日、店主は戸締りをした店をわざわざ開けて招き入れてくれたのだ。
あの日悴んだ掌に伝わる痛くて痒くなるくらいのマグカップの熱を、明呉は未だに忘れられない。
お金なくて、と俯く幼い明呉に男は言った。『じゃあ、いつかのお給料から天引きだね』と。
高校生になってバイトが出来るようになったらうちに来なさい、うんと美味しい料理とココアを用意して待っているからねとも言った。
それから時折小遣いを握りしめては店に通い、あの時の金を返そうとしたが、その度にやんわりと断られてしまった。
そうしてこの春ようやく採用してもらい、あの日のココア一杯の代金を給与天引きしてもらえたのだ。
店主は割と困っていた。『こんなにしつこくお金を返そうとしてくれる子、なかなか居ないなあ』なんて笑っていた。
明呉はようやく借りを返すことが出来たと思ったのに、蓋を開けてみたら勤務するたびに何かしらの優しさを分け与えられている。働き始めて半年くらいなのに、もう返しきれないほどの恩がある。
でも店主はいつだって明呉から取り立てようとしない。当たり前のように差し出してきて、それら全部をすぐに忘れてしまう。大人は全てを奪う存在だと思っていた明呉にとっては店主は突然変異種のようにさえ思えた。
だが、店に集まる常連達はやっぱりみんな店主のように優しくて。そこでようやく、明呉は世界は目に見えるものが全てじゃないのだと理解出来た。
あの日店主が声をかけてくれなかったら、もしかしたら明呉も渡來に賛同して世界の滅亡を願っていたかもしれない。
でも、明呉は知っている。知っているのなら――諦めきれない。
「綺麗に見えるものは何かが誇張されて、何かが削ぎ落とされているかもしれない。でも何も誇張されてなくて、何も削ぎ落とされてないものだってあるかもしれない。きっと渡來もそうだ。気づいてないかもしれないけれど、俺の前で何も誇張せず削ぎ落としてないお前だって、綺麗だよ」
いつかの夏の日に告げられたことをなぞりながら、目の前の男をまっすぐに見つめた。
明呉の前でだけ見せられるものが本当の渡來であるのなら、そのやけに子供っぽくて強引で、でも全てに目を輝かせて楽しそうに笑う姿は美しい。美しく見せようとしなくたって、十分美しいのだ。
「……そんなこと、覚えてたの?」
「自慢じゃないが俺は友達が少ない。だから記憶容量がいっぱい余ってるんだ。……今は、ほとんどお前が占めてるな」
思えばあの初夏からずっと、明呉は渡來と一緒に過ごし続けていた。学校でも帰り道でも喫茶店でも、明呉の記憶の中にはいつの間にか渡來が存在している。
この大人びてて子供っぽいアンバランスな友人のことを、自分でも自覚しないままに存外気に入っているようだ。
少し恥ずかしそうにはにかむ明呉を見つめて、渡來は眉をへにゃりと下げて言った。
「ね、明呉」
「なんだ」
「キスしてもいい?」
「何故?」
なぜ今このタイミングで。明確な理由を、という言葉は遮られた。唇で。
視界に映る渡來の瞼はがチラチラと瞬いている。空に散らばる星屑を攫って、そのまま塗り付けたみたいだった。
長い睫毛が僅かばかりに震える。出る前に塗り直されていたルージュ同士が、体温で溶けあってぬるりと滑り混じり合う。
唇はちゅ、ちゅ、と数回擦り合わされた。固まる明呉をよそに、ゆっくりと顔を離した渡來は満足そうに笑った。
「……あは、紫になった。でもあんまり綺麗じゃないね」
「……何故?」
明呉は目を見開きながら再度呟く。
「明呉と一つになってみたくなったんだ」
硬直する掌を掬い上げて、指を絡ませて手を繋ぐ。甘い恋人同士がやる様な繋ぎ方。そのままぐいと引っ張られて、驚きのまま二、三歩夜更けの街中でステップを踏んだ。
「嫌だった?」
「どう……だろう。初めてだったし、驚きで、ちょっとよく」
「あははっ! 明呉、駄目だよ、もっと自分に頓着して!」
楽しそうに大口を開けて笑う渡來が軽やかなステップで走り出す。手を繋がれている明呉は必然的にそれについていくスピードで足を動かす羽目になる。
「帰ろ、明呉! こんなもの早く全部脱ごう!」
何も誇張せず削ぎ落としてないお前だって、綺麗だよ。どうしてこんな恥ずかしい口説き文句の様な言葉を、躊躇わず真っすぐとこちらを見ながら言えるのだろう。
まるで愛の言葉の様だった。あるいは赦しの言葉の様だった。
男はたった今、水槽の中に腕を突っ込んだ。そこが作られた小さな箱庭であることを理解して、中にある水草も証明も全て偽物だと分かった上で、それでも揺らめく尾鰭も剝がれてしまった鱗の痕も綺麗だと言った。
明呉は『知らない』から傍に居ることを許していた。悍ましい下心と下世話な好奇心だけが満ちる教室で、明呉は何にも知らなくて真っ白だった。
だからその隣を安全地帯として勝手に設定して、ある意味都合よくその場所を利用していた。
でも今この瞬間から、明呉は『知っている』側の人間になった。『知らない人間だから』という言い訳はもう使えない。
なら、この男の隣に自分が居たいと思う新しい理由を見つけなくちゃならない。
でもそれは多分もうとっくのとうに見つかっていて――そしてその理由を、明呉は今のところ拒絶しないで居てくれる。それが嬉しくて仕方が無かった。
「渡來、ちょ、足縺れる! こんな高そうな靴に傷つけられない!」
「翼だよ、つーばーさー!」
「お前もさっきまで明呉って呼んでただろうが!」
秋の夜長にトンチキな格好をした二人の間抜けな声が響き渡る。繋いだ掌は、汗ばむほどに熱かった。
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