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03:十二時までに帰してやれない
水底でワルツを 7
しおりを挟む風呂場でメイクとヘアセットを落としてもらい、ついでに風呂にも入らせてもらった。渡來家の浴室は広くて、二人で入っても狭苦しくなかった。
風呂から上がったら強制的に部屋着を着させられ、訳のわからない名前の液体やクリームを塗りたくられて、髪も乾かされて。明呉は完全に拾われてきた猫のようだった。
じゃ、帰るわ、と言った瞬間、鼓膜が破れそうな勢いで「え!!」と叫ばれた。どうやらすっかり明呉が泊まっていくものだと思っていたらしい。
『もう遅いしそろそろ終電だよ。客室も俺の部屋も空いてるよ』
『いや、明日学校だし』
『タクシー代払うから朝一で家帰ればいいじゃん。』
『いやいやいや……』
『……俺を一人にするの……?』
明呉の袖を掴んだ渡來が俯きがちに呟く。明呉はこの表情に弱かった。まるで親に置いていかれる子供のようだ。あるはずのない母性本能がくすぐられて情けなく呻く。
実を言うと。実を言うとであるが、今日の帰りが遅くなった時に備えて明日の朝ご飯も用意してから出てきたのだ。
だってパーティーなんていつ解散になるのか知らない。渡來に聞いても「うーんその場のノリ?」と曖昧な答えしか得られなかった。
だからやむをえず、保険として。決して朝帰りになるつもりはなかった。
用意してあるから勝手に食べろと指示をすれば、不機嫌になりはするが大激怒されることはないだろう。明日の夕飯を父親の好物にすれば多少のご機嫌取りは出来るはず。
明呉は天秤にかけた。明日の父親の機嫌と、目の前でしょんぼりとする渡來の機嫌。明呉はそれなりに渡來を気に入っていて――世間の友達同士がするお泊まりというものに、まあ、欠片くらいは憧れがあった。
考えた末に明呉は目の前の美丈夫の機嫌をとることを選んだ。
「一緒のベッドじゃなくてもいい気が……」
「だから何度も言ったじゃん。客室のベッド、あの人が脱ぎ散らかした衣装でめちゃくちゃになってるから俺の部屋って」
「いやもう、この際ソファでも。多分うちのベッドより上質だろ」
「お客さんをソファで寝かせたなんて知られたら怒られる。それにあの人いつ帰ってくるか分からないから、起こされちゃうかもしれないよ」
ボフボフとクッションを叩く渡來が、「もういい加減諦めて」と自分のベッドに寝転がる。確かに渡來の部屋にあるベッドはキングだかクイーンだかのレベルのサイズで、それなりに長身の男子高校生二人が寝そべってもなおスペースが余りある。
明呉は諦めてそのベッドに寝転んだ。服は借りたし、先程シャワーを浴びたばかりだから左程汚くはないと信じたい。
それを満足げに見届けた渡來はすぐに間接照明だけにした。部屋の中の影が強調されて、世界の輪郭がじんわりと溶けていく。
物が多く雑然とした明呉の家と違い、白と黒、それから少しの色だけで構成された渡來の部屋は相変わらず死んでいるみたいに整っている。
こんなに広くて空っぽで寂しい部屋で日常を過ごしているのか。改めて生活スタイルの違いをまざまざと感じさせられた。
「……ああ、そうだ。明呉に渡したいものがあるんだ」
ベッドから剥くりと起き上がった渡來が、サイドチェストの引き出しを開けて何やら小さな小箱を取り出して来た。両手で持てる程度のサイズの木目調の小さな箱だった。
「なんだこれ」
「俺の宝物なんだ」
「開けても?」
頷いて許可を出されたので、金具を外して箱を開ける。途端に囁くような柔らかな金属音が鳴り響く。どこかで聞いたことのある様なメロディ。
郷愁を擽るような穏やかな音色は、間接照明に照らされて影を作る渡來に良く似合っていた。
「オルゴール……?」
「そう。誰にも見つかりたくないんだけど、でも、俺の家だといつ見つかるか冷や冷やするんだよね……。ほら、勝手にルームツアーとかドッキリとかしてくるからさ、あの人」
成程確かに、日々バズるネタを探している動画投稿者が身内に居ると、いつどんなタイミングで見つかってしまうか分からない。それが日常や撮影している最中の段階ならまだマシだが、ライブ配信中に見つかってしまったら本当に取り返しがつかない。
開くと音が鳴るオルゴール部分とは別に引き出しがついている。そちらには鍵がついており、開ける事は出来なかった。宝物だというものを無闇矢鱈と触るのもいかがなものか、と自分の好奇心を押さえつけてそこから手を退ける。
「なんで俺なんだ?」
「明呉に持っててほしいって思ったんだ。宝物だから」
「……俺の家だと、」
壊されちゃうかも。美しいレリーフが彫られた蓋の部分を丁寧に撫でながらぽつりと言う。
「それでも」
「それでも?」
「うん。明呉がいいから、預ける」
広いベッドの中で向かい合わせになって、身を寄せ合って見つめ合う。男はこれを宝物だと言った。そうして、そんな大切なものを明呉が『明呉であるから』という理由で預けようとしてくれている。
なら、その期待に応えたいと思った。お前が大切にするものなら、自分も大切にしてやりたいと思った。
明呉は分かった、と小さく返してまた木の凹凸を指先でなぞる。夜をたっぷり吸ったオルゴールが、二人の子供に寄り添うようにして子守唄を歌っている。
まるで映画の一幕の様な一日だったな、と思いながら、明呉はただじっと目の前の美しい男を見つめて、終わらないメロディに耳を傾けていた。
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