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05:アポカリプスまであと何秒
世界が終わるその夜に 2
しおりを挟む温い空気を切り裂いて、人生で一番と言わんばかりのフルスピードでチャリを走らせた。必死で呼吸した喉が痛くて、ふくらはぎが千切れそうだった。それでも足を止めなかった。
脳内で渡來の美しい文字が踊っている。
『俺を消費しないでいてくれる貴方が、どうかどんな大人にも消費されませんように。』
そんなの、と視界が滲む。そんなの、俺も同じだよ。どうしてそれが分からないんだ。どうして世界で一番理解してくれてるお前が、俺が一番伝えたいことを分かってくれないんだ。
目を逸らしていたのは間違いなく明呉だった。もっと早くあの手紙を開けていれば、と思いながらも、そんな後悔はすぐに投げ捨ててチャリを漕ぐ。
行き先はもはや行き慣れた渡來の家。
その豪奢な雰囲気ににつかわない小汚い格好をしているとは理解していたが、それでもマンションの前にチャリを止めて躊躇いなく転がり込んだ。
明呉が宝物を壊してしまった春の夜、渡來は震える手にこの家のカードキーを握らせてくれた。
『この家は空っぽだけど、痛いことは何もないから……。いつでも来ていいからね』
あの時はこんな大層なもの、と恐れ慄いていたが、今この瞬間はもらっておいてよかったと心底思った。
カードキーをかざして開いた自動ドアに体を滑り込ませ、エレベーターのボタンを押す。到着するまでの間、ずっとずっと電話をかけていた。勿論渡來が出ることはなかったが。
ポーン、と柔らかな音がして到着した箱に飛び乗って、該当する階のボタンを押して。導かれるままに渡來の家までやってきた。
取り急ぎインターホンを鳴らしてみる。勿論反応はない。通話も繋がらない。
昼間、家族は仕事で全員家を空けていると言っていた。今は緊急事態だ、と心の中で平謝りしながら、手にしているカードでドアを開錠した。
「――うわふっ!!」
開けた瞬間に元気な鳴き声が聞こえてきて、その瞬間無意識に止まっていた息が吐き出される。
「す、あま……」
玄関でお行儀よく座っていたのはすあまだった。『こんばんは、ご友人』と言いたげなすあまは綺麗な瞳で明呉を見上げている。
「悪い、お前の家に上がらせてもらうな」
わしゃりとそのフカフカな毛を一撫でして挨拶をした後、恐る恐る広すぎるその家に上がる。相変わらず丁寧に整えられて死んでいる家だった。
当たり前のように、家には誰も居なかった。もしかしたら家で薬なんかを飲んでるんじゃ無いかと思ってやってきたが、あるのは敷き詰められた空っぽだけで、渡來につながるものは何もない。
「……すあま、お前のご主人、どこ行ったんだよ……」
渡來の部屋の中でズルズルとしゃがみ込む。渡來が『大人になりたくないから』と死を選ぶのならば、きっと決行されるのは生まれた瞬間である二十時三十一分だ。もうあと三十分もない。
「きゃん!!」
『諦めてはなりませんぞ』と言わんばかりに吠えたすあまが、放り出されていた明呉のスマホをふんふんと鼻先で弄る。ぽん、と音を立ててまた電話がかけられた。トーク画面には明呉がかけ続けた電話の履歴がずらりと並んでいる。
「無理だよ、全然、繋がらな――」
ぷつ、と音を立てて、画面が切り替わる。ひゅっと呼吸が止まったような気がした。
「っ、渡來!!」
慌ててスマホを手に取って齧り付くように吠える。電話の向こうの男は力無く笑った。
『しつこいって、もう』
「し、つこくも、なるだろうが……ッ!」
『……あは。その調子じゃ、読んだんだ』
いつも通りの声音が憎らしくて堪らない。今どこにいるんだ、何をしているんだ。
問い詰めたいというのに、今ここで向こうから電話を切られたら何もかもが終わりになるから声が出ない。
「よ、んだ……俺には出来ない、あんなこと」
『……なら、別にやらなくたっていいよ。でも遺書はどっかに出しといて欲しいな、力作だし』
「違うッ! お前を恨んで、忘れて、そのまま健やかに生きてくって部分だ!」
『…………』
今更出来ると思うのか。これ程までに傷同士を近づけて、癒着させ合って、それでも傍に居ることを選んだ相手を。
父親からの叱責も未来計画が崩れることも厭わず、本物になりたいと願ってしまった相手を。
友達として馬鹿みたいに遊んで、思い出を作って、温もりと普通を教えてくれた相手を。
恨んで、忘れて、健やかに生きていけるほど薄情な男だと思っているのか。
「俺、俺は、お前じゃないと嫌だ……! お前が生きててくれないと、嫌だ……! お前が死んだら、誰が俺を一番理解してくれる?」
こんなことを言いたいわけじゃない。お前に死んでほしくないと思うのは、決して自分のためじゃない。だけど吐き出す言葉がうまく纏まらない。
これまで積み重ねてきた二人の時間はお前を踏みとどまらせる理由にはなれないのか。
何て言ったら俺はお前の理由になれるのだろう。
世界が滅亡しない理由に、お前が明日を生きる理由に、どうすればならせて貰えるのだろう。
明呉は過呼吸気味になりながら渡來、と名前を呼んだ。
『……参ったな。明呉って思った以上にいいやつだったんだね。利用して悪かったよ』
「利用なんかじゃ、」
『利用したんだよ。ちょっと毛色が違うから、哀れみで施しをしてただけ。俺の役に立ってくれないなら、君にはもう何の思い入れもないよ。もう忘れてね、こんな薄情な男』
「待て!」
逃げるように早口でそう告げられて電話は切られた。だが――だが、聞こえた。渡來が電話を切る瞬間、遠くの方から聞こえてくる警報器の音が。
利用したというのなら、思い入れがないというのなら、どうして今ここで電話に出たのだ。最後に声が聞きたかったんじゃないのか。
最後の最後でお前はどうしてそんなに演技が下手なんだ。ずっと一緒にいた俺が――震えるお前の声を聞き逃すと思ってるのか。
そんな、助けて欲しいと言っているような声を!
「……すあま。一個、賭けをしよう」
「きゅわん!」
「俺は――あの場所に賭けて、これからチャリをかっ飛ばす。もしアイツがあそこに居たら、二人まとめていつか絶対ハワイに連れてってもらおうぜ」
「わふっ!」
お利口な愛犬をめちゃくちゃに撫で回すと、気合を入れるために両頬を叩いた明呉はすくっと立ち上がった。
悲鳴をあげている足なんて気にしない。心の方が悲鳴をあげているんだから、きっと痛みなんて感じてる暇はないだろう。
どうにかしてあのバカを、此岸に引きずり戻さないと。明呉の脳内に浮かぶのはそれだけだった。
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