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05:アポカリプスまであと何秒
世界が終わるその夜に 3
しおりを挟む明呉があの場所――つまり、開かずの踏切にたどり着いたのは二十時二十八分のことだった。
人生で一番の爆走、二度目である。心臓が張り裂けそうだった。
カン、カン、カン、と無慈悲で無機質な警報の音が鳴り響いている。遮断機がゆっくり降りていっているそのど真ん中に――人影を見た。
「渡來ーーーーーッ!!!!」
近所迷惑になるとかそういうことは脳から全部すっぽ抜けたまま、自転車をその場に捨てて全速力で走った。
目を見開いた美丈夫がこちらを振り返る。病的な赤いライトに照らされた渡來はこの世のものではないみたいで、早くこちらに引きずり戻さないと、と必死になった。
降りていく遮断機を潜って、タックルするかのようにその身体に抱きついて。そのままの勢いで、踏切の向こう岸へと引きずっていく。男の体は存外無抵抗だった。
砂利を巻き上げて二人してコンクリートの上に転がる。そこはいつも渡來と明呉が屯している日常の風景だった。こんな風に地面に転がって見上げることは初めてだったが。
ゴ、と温い空気を切り裂いて鉄の塊が走り去っていく。あと数十秒遅かったら、コイツは。そう思うと腹の底がゾッと冷えた。
「なんで……」
「っは、ハァッ、お、まえ……!」
言葉よりも手が先に出た。ああ、こんなところで父親の血を感じたくなかったなと思いながら、せめてもの情けで寝転がる渡來の上に馬乗りになってビンタをする。バチンという小気味良い音が夜の街に響き渡った。
「はーっ……、いいか、よく聞け。世界は、終わらないんだよ。八月三十一日が終わっても九月一日になるだけで、夏休みが終わってもお前が今ここで死んでも世界はクソなままで、明日も平気な顔して、お前一人が消えたことを誰も気にしないまま地球は回り続ける」
渡來の上に押し倒す明呉の影が落ちる。その赤と黒のコントラストで染まった顔が、クシャリと歪んだ。
本当はそんなこと分かっていた。自分が死んだってきっと彼や彼女たち、大人たちは何も変わらない。ただ少しだけ心を痛めて、あるいは痛めたふりをして、そのまま自分の人生に戻っていくだけだ。
聡明な渡來はそんなこと実は分かっていたけれど、もう、止められなかったのだ。
自分で終わりを作った瞬間に、世界が全部作り物のように見えた。自分はこの日に楽になっていいのだと思えば、どんなに搾取されても好奇の目で見られても他人事のように扱えた。
渡來は自分の心を守るために自分から自分を切り離して、他の大人たちと同じように無関心に消費することで今日この日まで逃げ延びたのだ。
「俺は……! 俺はこの世界がクソだってこと、ずっと前から分かってた! そういう風にしか世界を見れない自分は欠陥品だってことも分かってて、それでも諦めきれないから、いつか他の人みたいに普通になれるんじゃないかって下手な期待をして生きてた! でも、お前に出会ってから! この世界がクソだって思うことは、俺だけじゃないんだって……欠けてるのは、俺だけじゃないんだって、思えた……」
バタ、バタタ、と渡來の顔面に雨が降り注ぐ。その生ぬるい液体が明呉の黒い瞳からこぼれ落ちた涙なのだと気づいて、渡來は唸った。
「置いて逝くな、俺を、こんなクソみたいな世界に……。俺をひとりぼっちじゃなくさせた責任を取れ……!」
この世界がどれほどの仕打ちを渡來にしてきたのか、他の有象無象よりは知っている。
誰よりも優しくて繊細なこの男が、自分を傷つけた大人と同じように成り下りたくないと願っていることも知っている。
それでも生きて欲しいと思った。他でもない自分のために。大人なんて、世界なんて見なくていいから、よそ見せずにまっすぐ明呉だけを見て生きて欲しいと祈った。
どこまでも自分本位で、枷をかけるような物言いだった。
だけど渡來に死んでほしくないのは本当に明呉の我儘だったので。明呉は何一つ取り繕うこともせず、ただ剥き出しの心臓を掻き鳴らして叫んだ。
「――八月三十一日に、世界は終わる! 終わるんだってば!」
明呉の肩を押しのけて起き上がった渡來が叫ぶ。こいつ、こんな大声出せたんだなあ。そう思いながら明呉は渡來の膝の上で男を見上げる。
「終わる、はずなのに……明呉の、せいで、終わらない……」
は、と凍えるような息を吐き出した男が明呉の肩に顔を押し付ける。その背中に手を回して、目一杯に抱きしめた。
ゴオオオ、と音を立ててまた電車が通り去っていく。乗客は見ただろうか、踏切の前で座り込み、膝の上に乗って抱きしめ合う異様な少年たちの姿を。
見た者はなんだなんだと目をやるだろう。だけど闇を切り裂く電車はあっという間にその光景から乗客を引き剥がす。
そうすればあっという間に他人事になって、みんな「なんだったんだろうな」と疑問に思いながらも日常に戻っていく。そうして、忘れられていく。
人生って、世界って、そんなものだ。誰もが他人に興味があるように見えて、その実誰にことも気にしていない。自分の世界で手一杯だから。
だからこそ、その無関心を破り去って手を伸ばしたならば――その指先は、覚悟を纏って、他人の心を突き破るのだろう。
「おと、大人に、なりたくないよ」
「うん」
「あんな風に、他人を踏み躙っても、なんとも思わない人間と、同じになりたく、ない」
「お前はならないよ。そう思えてるんだから」
「いつか、飽きられたら、どうしよ。ッ、俺のこと、誰も見向きもしなくなったら」
「俺が一生お前のこと見つめるよ」
苦しそうにしゃくりあげる渡來の背中を柔らかく叩いてやる。遠い遠い記憶の中、いつか自分がそうしてもらった微かな記憶を頼りにして、図体だけ大きくなってしまった子供をあやすように声をかける。
「お、俺、捨てた男と、壊す女の、ハーフだよ」
「そんなこと言ったら俺は捨てた女と壊す男のハイブリットだ」
自分の肩から引き剥がして顔を覗きこむ。涙と鼻水でぐちゃぐちゃの顔面はそれはそれは酷いもので、到底誰にも見せられないなと思った。自分以外の誰にも見せたくないと思った。
「なあ渡來。多分世界に完璧な大人なんて居ないよ。みんなどっかに子供のまんまの部分を抱えて、それでもなんとか仮面かぶって生きてるんだ。十八歳になったから大人、なんてことはない。世界の誰もがそれを出来てたら、俺たちはきっとこんなに苦しんでない」
頬を包み込んで額を合わせて、目を閉じる。警報灯を明滅を続けていた。まだまだ世界は終わらない。
たとえこの遮断機が降りなくなって、一日の役目を終えたとしても。すぐに次の日がやってきて、またこの踏切は機能する。自分の人生が終わるその時まで休むことなく、鼓動を続けるだろう。
「なあ渡來。お前の世界が終わらないこと、俺のせいにしていいよ。俺が我儘言ってお前をまだこの世に縛り付けてるんだ。誰でもない俺がお前と一緒にこの世界を歩きたいから」
「……うん……」
「だからさ、本当に世界を終わらせたいって思うその瞬間まで。俺の傍にいてくれないか」
他者への興味は娯楽。自分の人生でも手いっぱいなのに、他人の人生まで背負えないと思っていた。
でも、自分が背負った分だけ相手が自分の人生を背負ってくれるなら。分かち合って歩いていけるのなら、それは娯楽ではなく愛になるのではないか。明呉は、たった今、そう思った。
「ずるいね、めぇご」
「お前に言われたかない」
「………………生きたいって、思っても、いいかな」
「いいに決まってる。俺が許す」
「権力がデカすぎる」
そこでようやくアハ、と渡來が笑った。ようやく警報音がやんで、遮断機が上がる。
「どうしよ明呉。俺、今日で終わるって思ってたからさ、夏休みの課題も、進路調査書も、なーんもやってないやあ」
「優等生失格じゃないか」
「来年のことも、未来のことも、何にも考えてない。でも、一個だけ……」
渡來の指先が明呉の服をキュッと掴む。控えめに甘えるようなその動作はひどく子供っぽくて、奥に封じ込められた心が剥き出しだった。
「ん?」
「来年は、ちゃんと花火みたい。……明呉と、同じ大学に行きたい」
「……ふは、二つじゃん」
明呉が泣きながら笑って、そのまま頬を包んで上から覆い被さるように口付けた。がちり、と真珠のような歯がぶつかって衝撃が伝播する。
初めて自分から捧げたキスは、汗と血の味がした。
「……下手くそ」
「悪い。これから上達するつもりだ」
「俺、あと何回唇切れればいいの!」
あははは、と渡來が笑った。濃紺の夜空に星屑が散りばめられている。雲ひとつない夜空は遮るものが一つもなく、眩いくらいの月明かりを眠る街に届けている。
二人が溢す涙がキラキラと反射していた。月明かりと、赤色灯を閉じ込めた涙は色鮮やかだ。
大粒の涙を流しながらもそれを一生懸命に拭って笑う渡來は美しい。
完成する日がいつになるか分からなくなったから。これから毎日、いずれ来る終わりのために目一杯足掻くことを決めたから。
だからもう明呉は渡來が怖くなかった。この男を失うこと以上に怖いことなどありはしないと、この夜痛いくらいに理解したのだ。
ああ、生きている、と思った。
だからこれから一緒に生きていこうと、願った。
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