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旅路と再会の章
在りし日の……②
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ヘリクサムと出会って、ファルファラは世界には魔法以外にも色んなものがあることを知った。
ハチミツやジャムを入れて飲むお茶があることを。
知識を得るためじゃなく挿絵や物語だけを楽しんで良い本があることを。
色とりどりの、そして一つ一つ味が違うキャンディーがあることを。
魔法を使わない人がいて、魔法を使わなくても生きていける術があることを。
ヘリクサムはそんな世界があることをファルファラに教えてくれるが、絶対に押し付けたり否定したりもしない。
ただただ穏やかに、楽しそうに「そんなこともあるんだよ」と語って聞かせてくれるだけ。
ファルファラは知らない世界に憧れを持つより、そんな話をしてくれるヘリクサムと過ごす時間が一番好きだった。
結婚とは、生涯ずっと一緒にいる誓いを神様に立てること。
ヘリクサムは自分の婚約者。つまり将来、神様の前でこの人と一生一緒に過ごす誓いを交わすのだ。
その日がとても待ち遠しかった。
とはいっても、相変わらずファルファラの生活は魔法が全てだった。
父親から出される座学の課題は日を追うごとに難易度が上がり、齢15にして魔物討伐に参加させられていた。
怪我を負う日もあった。どうやって生きて帰ってきたのかわからない時もあった。未熟さゆえに同行した仲間を危険に晒してしまう時だってあった。
その度に父親から𠮟責された。酷い時には頬を叩かれた。食事を抜かれる日だってあった。
名門公爵家の嫡女でありながら、ファルファラは夜中にひもじい思いをして、たった一人で傷の手当てをしていた。
それでもあの頃、ファルファラにとって父親は愛すべき人だった。
もともと身体の弱かった母親は、弟を産んだ後はずっと王都で過ごしていたから、滅多に顔を合わせることが無かった。
だからこそ、余計にファルファラは父親に愛情を求めていた。
良くできたなと言って頭を撫でて欲しかった。ぎゅっと抱きしめて欲しかった。「おとーさん」と言ったら、振り返って笑顔を見せて欲しかった。
でも……その願いは一度も叶えられなかったけれど。
次第にファルナは、心と体が、少しずつ擦り潰れていった。何のために魔法を学んでいるのかわからないまま、とにかく機械のように知識と技術だけが身体に刻まれていく。
期待することを恐れ、笑うこともできなくなり、人と会話をすることに苦痛を覚えるようになった。
そんなファルファラの辛さと苦しみを、婚約者であるヘリクサムだけが知っていた。
彼はファルファラのことを心から愛していた。
壊れていく自分の婚約者を何とか救おうとした。
いつも月に数回会う度に、血の滲む包帯を巻いて、ガリガリにやせ細ったファルファラを見るのが耐えられなかった。
だから、壊そうとしたーーファルファラに苦痛を与える全てのものを。
***
お城の一室が紅蓮の炎に包まれる。
国王陛下が、センティッドが、アルジェリンが床に倒れている。
「ファーラ。これで君は自由の身だ。もう魔法なんて使わなくていいんだよ」
穏やかに笑うセンティッドの頬や服にはべったりと血が付いている。手には魔術師の杖が握られている。
この炎は彼の魔術によって生み出されたもの。
「さあ、僕と一緒に行こう。……おいで」
まるでダンスを誘うかのように優雅な足取りで近付くセンティッドを、ファルファラは虚ろな目で見る。
(あぁ……これは夢だ)
だってこれは過去のこと。17歳の時、お城で開かれた舞踏会の後の出来事。この後どうなるのかファルファラは知っている。
それでも胸をえぐるこの痛みは初めて受けた時のように鮮明で、見えない血が溢れ出てくるのをしっかりと感じられる。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
幾たびも見ている夢なのに、ファルファラはその場にしゃがみ込んで叫ぶ。
(やめて!そんなことをしないで!! ごめんなさい!!……あの時、私が泣かなければ、辛いと言わなければ良かったんだっ)
ハチミツやジャムを入れて飲むお茶があることを。
知識を得るためじゃなく挿絵や物語だけを楽しんで良い本があることを。
色とりどりの、そして一つ一つ味が違うキャンディーがあることを。
魔法を使わない人がいて、魔法を使わなくても生きていける術があることを。
ヘリクサムはそんな世界があることをファルファラに教えてくれるが、絶対に押し付けたり否定したりもしない。
ただただ穏やかに、楽しそうに「そんなこともあるんだよ」と語って聞かせてくれるだけ。
ファルファラは知らない世界に憧れを持つより、そんな話をしてくれるヘリクサムと過ごす時間が一番好きだった。
結婚とは、生涯ずっと一緒にいる誓いを神様に立てること。
ヘリクサムは自分の婚約者。つまり将来、神様の前でこの人と一生一緒に過ごす誓いを交わすのだ。
その日がとても待ち遠しかった。
とはいっても、相変わらずファルファラの生活は魔法が全てだった。
父親から出される座学の課題は日を追うごとに難易度が上がり、齢15にして魔物討伐に参加させられていた。
怪我を負う日もあった。どうやって生きて帰ってきたのかわからない時もあった。未熟さゆえに同行した仲間を危険に晒してしまう時だってあった。
その度に父親から𠮟責された。酷い時には頬を叩かれた。食事を抜かれる日だってあった。
名門公爵家の嫡女でありながら、ファルファラは夜中にひもじい思いをして、たった一人で傷の手当てをしていた。
それでもあの頃、ファルファラにとって父親は愛すべき人だった。
もともと身体の弱かった母親は、弟を産んだ後はずっと王都で過ごしていたから、滅多に顔を合わせることが無かった。
だからこそ、余計にファルファラは父親に愛情を求めていた。
良くできたなと言って頭を撫でて欲しかった。ぎゅっと抱きしめて欲しかった。「おとーさん」と言ったら、振り返って笑顔を見せて欲しかった。
でも……その願いは一度も叶えられなかったけれど。
次第にファルナは、心と体が、少しずつ擦り潰れていった。何のために魔法を学んでいるのかわからないまま、とにかく機械のように知識と技術だけが身体に刻まれていく。
期待することを恐れ、笑うこともできなくなり、人と会話をすることに苦痛を覚えるようになった。
そんなファルファラの辛さと苦しみを、婚約者であるヘリクサムだけが知っていた。
彼はファルファラのことを心から愛していた。
壊れていく自分の婚約者を何とか救おうとした。
いつも月に数回会う度に、血の滲む包帯を巻いて、ガリガリにやせ細ったファルファラを見るのが耐えられなかった。
だから、壊そうとしたーーファルファラに苦痛を与える全てのものを。
***
お城の一室が紅蓮の炎に包まれる。
国王陛下が、センティッドが、アルジェリンが床に倒れている。
「ファーラ。これで君は自由の身だ。もう魔法なんて使わなくていいんだよ」
穏やかに笑うセンティッドの頬や服にはべったりと血が付いている。手には魔術師の杖が握られている。
この炎は彼の魔術によって生み出されたもの。
「さあ、僕と一緒に行こう。……おいで」
まるでダンスを誘うかのように優雅な足取りで近付くセンティッドを、ファルファラは虚ろな目で見る。
(あぁ……これは夢だ)
だってこれは過去のこと。17歳の時、お城で開かれた舞踏会の後の出来事。この後どうなるのかファルファラは知っている。
それでも胸をえぐるこの痛みは初めて受けた時のように鮮明で、見えない血が溢れ出てくるのをしっかりと感じられる。
どうして、こんなことになってしまったのだろう。
幾たびも見ている夢なのに、ファルファラはその場にしゃがみ込んで叫ぶ。
(やめて!そんなことをしないで!! ごめんなさい!!……あの時、私が泣かなければ、辛いと言わなければ良かったんだっ)
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