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旅路と再会の章
在りし日の……①
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クローヴァ家は代々魔術師の家系である。
広大な領地を治めると共に、これまで幾たびも宮廷魔術師として国王陛下を支えてきた。
しかし父親であるダーネッド・クローヴァは努力の人で、言い換えるなら才能には恵まれなかった苦労人だった。
対して嫡女として生まれたファルファラは、生まれた時から強い魔力を持っていたせいもあり、父親は己が成し遂げられなかった国一番の魔術師になる夢を幼い娘に託してしまった。
そのためファルファラは、物心ついた時には世界は魔法一色に染められていた。
絵本の代わりに魔術書を。縫いぐるみの代わりに魔道具を。ピクニックに行く代わりに騎士団に混ざって魔物討伐の見学を。
フリルの付いたドレスの代わりに魔術師のローブを着せられ、ビーズ装飾の美しい靴の代わりに丈夫なブーツを履かされて。
画用紙には蝶や花を描く代わりに魔法陣を描く……そんな日々を過ごしていた。
常軌を逸したその生活は、本来なら誰かが異常だと止めなければならなかった。しかし魔術師の家系では異常が常識。周りは当然だと思っていた。
そして当時、領地にて魔術師に囲まれていたファルファラも、そのことに何の疑問も持たなかった。
けれども、ファルファラが12歳になったある日ーーヘリクサム・ネラと出会って世界は変わった。
***
「泣かないで」
そう言って貴方は、小さな手で涙を拭ってくれた。
泣いていた理由はもう覚えていない。どこで泣いていたのかさえ覚えていない。
どうせ父親の期待に応えることができず、お叱りを受けていたのだろう。もしくはただ単純に転んで痛かっただけだったかもしれない。
とにかく何かが辛くて泣いていた。
そんな時、貴方は泣いている自分を見付けてくれて、傍にいてくれた。
当時15歳だった貴方はまだ成人前で、手袋をはめていなかった。だから頬に直接触れる人の温もりに驚いてしまった。
何より、泣いている自分に優しい言葉をかけてくれたのも、涙を拭ってくれたのも、貴方が初めてだった。
「……っ」
驚きすぎて涙が止まった自分に、貴方はほっとしたように笑った。
「あー良かった。泣き止んでくれて」
「私が泣き止んだら嬉しいの?」
「もちろん」
「……っ」
満面の笑みで頷く貴方が信じられなかった。
だって、貴方は他人だ。自分が泣こうが喚こうが関係ないはず。うるさいから黙れと怒ったって良いのに。
……なのに、貴方はただ自分が泣き止んだだけで、嬉しいと言う。
まったく意味がわからない。
そんな気持ちをありのままに伝えれば、貴方は笑う。困ったように、眉を下げて。
「それはね、君が泣けば僕も悲しくなるし、君が笑えば僕は嬉しい気持ちになるからだよ」
少し考えて貴方はそう言ってくれた。嚙んで含めるように、ゆっくりと。
「……私が泣くと、貴方が悲しい?」
「そう」
「私が笑うと、貴方は嬉しい?」
「うん、そうだよ」
一つ一つの問いに丁寧に頷いてくれる貴方を見て、心が震えた。また泣きたくなった。
この気持ちが何なのか、ファルファラはわからなかった。
新しい魔術を覚えた時の安堵とは違う。父親の部下の魔術師達に褒められた時の嬉しさとも違う。
ただ、見知らぬ人が自分に思いやりを持ってくれたことに、胸にドカンと衝撃を覚えた。
あの時の感情を、ファルファラは今でも言葉で表現できない。
強いて言えばーーとてつもなく陳腐であるが「恋に落ちる瞬間」だったのだろう。
魔法一色の世界から、他の色を添えてくれたその人の名前はヘリクサム。親同士が決めた婚約者。
でもファルファラにとって、ヘリクサムは世界でただ一人”自分”を見てくれる唯一の人になった。
広大な領地を治めると共に、これまで幾たびも宮廷魔術師として国王陛下を支えてきた。
しかし父親であるダーネッド・クローヴァは努力の人で、言い換えるなら才能には恵まれなかった苦労人だった。
対して嫡女として生まれたファルファラは、生まれた時から強い魔力を持っていたせいもあり、父親は己が成し遂げられなかった国一番の魔術師になる夢を幼い娘に託してしまった。
そのためファルファラは、物心ついた時には世界は魔法一色に染められていた。
絵本の代わりに魔術書を。縫いぐるみの代わりに魔道具を。ピクニックに行く代わりに騎士団に混ざって魔物討伐の見学を。
フリルの付いたドレスの代わりに魔術師のローブを着せられ、ビーズ装飾の美しい靴の代わりに丈夫なブーツを履かされて。
画用紙には蝶や花を描く代わりに魔法陣を描く……そんな日々を過ごしていた。
常軌を逸したその生活は、本来なら誰かが異常だと止めなければならなかった。しかし魔術師の家系では異常が常識。周りは当然だと思っていた。
そして当時、領地にて魔術師に囲まれていたファルファラも、そのことに何の疑問も持たなかった。
けれども、ファルファラが12歳になったある日ーーヘリクサム・ネラと出会って世界は変わった。
***
「泣かないで」
そう言って貴方は、小さな手で涙を拭ってくれた。
泣いていた理由はもう覚えていない。どこで泣いていたのかさえ覚えていない。
どうせ父親の期待に応えることができず、お叱りを受けていたのだろう。もしくはただ単純に転んで痛かっただけだったかもしれない。
とにかく何かが辛くて泣いていた。
そんな時、貴方は泣いている自分を見付けてくれて、傍にいてくれた。
当時15歳だった貴方はまだ成人前で、手袋をはめていなかった。だから頬に直接触れる人の温もりに驚いてしまった。
何より、泣いている自分に優しい言葉をかけてくれたのも、涙を拭ってくれたのも、貴方が初めてだった。
「……っ」
驚きすぎて涙が止まった自分に、貴方はほっとしたように笑った。
「あー良かった。泣き止んでくれて」
「私が泣き止んだら嬉しいの?」
「もちろん」
「……っ」
満面の笑みで頷く貴方が信じられなかった。
だって、貴方は他人だ。自分が泣こうが喚こうが関係ないはず。うるさいから黙れと怒ったって良いのに。
……なのに、貴方はただ自分が泣き止んだだけで、嬉しいと言う。
まったく意味がわからない。
そんな気持ちをありのままに伝えれば、貴方は笑う。困ったように、眉を下げて。
「それはね、君が泣けば僕も悲しくなるし、君が笑えば僕は嬉しい気持ちになるからだよ」
少し考えて貴方はそう言ってくれた。嚙んで含めるように、ゆっくりと。
「……私が泣くと、貴方が悲しい?」
「そう」
「私が笑うと、貴方は嬉しい?」
「うん、そうだよ」
一つ一つの問いに丁寧に頷いてくれる貴方を見て、心が震えた。また泣きたくなった。
この気持ちが何なのか、ファルファラはわからなかった。
新しい魔術を覚えた時の安堵とは違う。父親の部下の魔術師達に褒められた時の嬉しさとも違う。
ただ、見知らぬ人が自分に思いやりを持ってくれたことに、胸にドカンと衝撃を覚えた。
あの時の感情を、ファルファラは今でも言葉で表現できない。
強いて言えばーーとてつもなく陳腐であるが「恋に落ちる瞬間」だったのだろう。
魔法一色の世界から、他の色を添えてくれたその人の名前はヘリクサム。親同士が決めた婚約者。
でもファルファラにとって、ヘリクサムは世界でただ一人”自分”を見てくれる唯一の人になった。
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