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全てを失くしてしまった【冬】 けれど……
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マリアンヌが持っている第二王子の知識は、庶子であることと病弱な身であるため公の場に一切顔を出すことはしない存在。
あと宰相の一人娘であるアンジェラが、第二王子の婚約者として最有力候補に挙げられているということだけ。
もちろんマリアンヌは第二王子の名がクリストファーだということは知っている。
だがウィレイムがクリスに対して、常に幼馴染として砕けた態度で接していることと、クリス自身もマリアンヌの前では護衛騎士に徹している。
その為マリアンヌはこれまで一度も、クリスとクリストファーが同一人物なのかと疑うことすらなかった。もちろん今も。
そんな諸々の理由から、マリアンヌは前のめりになっていた身体を元に戻す。
「あの……」
「なんですか?」
「あ、兄は……このことは……知っているのでしょうか?」
提示された取引に即答できないマリアンヌに対し、ガーウィンは答えを急かすようなことはしない。
ただ問いかけられたことには、王族らしく横柄な返答をする。
「知っていても、知らなくても、どちらでも良いことなのでは?こちら側が決めることですから」
にこりと笑ったガーウィンの目は笑っていなかった。
失言だったことに気づいたマリアンヌは、思わず俯いてしまう。
王族……しかも、次期国王となるガーウィンには、既にとてつもない権力があるのだ。
だから本当なら自分に選択を委ねる必要は無いのだ。一方的に通達をすればそれで済む話なのだある。
だが、わざわざこうして王子自ら足を運んだというのは、一体、どんな理由があるのだろう。
マリアンヌは、短い時間の間に様々な可能性を考える。
ただ政治に明るくないマリアンヌが思考を巡らせたところで、これだという明確な理由を見つけられるわけがない。
最終的に、よほど第二王子は色々な問題を抱えているのだという結論に達してしまった。クリスが聞いたら卒倒してしまいそうだが。
とはいえ貴族の家に生まれた以上、婚姻は契約に近いということはわかっている。想い想われた相手と結ばれるほうが珍しいこと。そう教えられてきた。
相手はこの国の第二王子。こちらから断ることができない相手。そして結婚すればロゼット家は更なる繁栄を約束されるし、エリーゼとレイドリックの刑も軽くなる。
願っても無い話だ。全てが丸く収まる提案で、断る理由などどこにもない。
だが、マリアンヌはどうしても首を縦に動かすことができなかった─── 恋をしてしまっているから。
「マリアンヌ嬢、これは強要ではありません」
まるでマリアンヌの思考を読んだかのように、ガーウィンは落ち着いた声でそう言った。
そして、マリアンヌが何か言おうとするのを制するように、すぐに言葉を続ける。
「あと一日、ここで大人しく過ごせば貴方を悩ませている存在は消えます。そしてウィレイム君はどんな手を使ってでも、近いうちにこの塔からあなたを出すでしょう。傷付けられた名誉も、彼の手にかかればすぐに回復してくれると思います」
ガーウィンの口調は慰めるように、優しいものだった。
でも、ガーウィンはしっかりとマリアンヌに警告している。
エリーゼとレイドリックを救いたいなら、悩んでいる時間はないのだ、と。
そしてマリアンヌが結論を出すために、二人の刑の執行を伸ばす気はない、と。
マリアンヌの心の天秤が激しく揺れる。ただここで、ふと気になることがあった。
王族に対して何度も質問をぶつけるのは、とても失礼だということはわかっている。けれど、どうしても言質をもらわなければ決断はできない。
「ガーウィン殿下……一つ、質問をすることをお許しいただけますでしょうか?」
「ああ、幾つでも良いですよ。なんなりと、どうぞ」
「……では」
にこやかに促すガーウィンに対して、マリアンヌの手は汗で湿っている。なのに氷を掴んでいるかのように冷たい。
それが自分でもわかるというのは、余程、緊張しているのだろう。
当然だ。今目の前にいる人は、これまで壇上の、しかも遠目からしかお目にかかることができない相手なのだ。
そんなことをぼんやりと思った。けれどマリアンヌは、ぐっと両手を握り合わせ、口を開いた。
「……もし仮のお話ですが……」
「はい」
「クリストファー殿下が、わたくしを妻にしたくないと言った場合、この約束は反故となってしまうのでしょうか?」
マリアンヌの問いを直訳するなら「お前の一存で、本当にそんなことができるのか?」だった。これはガーウィンの持つ権力を疑うようなもの。かなり失礼にあたる。
だからこそマリアンヌは、ありったけの勇気をかき集めて問うた。
けれど途端に、なぜかわからないがガーウィンは気を悪くするどころが、腹を抱えて大爆笑をした。
しかもガーウィンの隣に着席しているシドレイも、同じように豪快に笑いだしてしまった。
てっきり失礼なことを言うなと不快な顔をされると思っていたマリアンヌは、何がそんなに面白いのかまったくもってわからない。
「……あ、あの」
「あ、し、失礼。ははっ───……っぷっ。だ、駄目だ……す、すみません。しばしお時間を……はっはははっあはっははは」
一度は生真面目な表情を浮かべようとしたガーウィンだったけれど、感情を押さえ込むことができず、再び笑いだしてしまった。これもまたシドレイも同様に。
─── それから待つこと数分。
ようやっと落ち着きを取り戻したガーウィンは、マリアンヌに向けきっぱりとこう言った。
「弟が、あなたを妻に望まないなど絶対にあり得ません」
妙に自信満々に言い切るガーウィンに、マリアンヌは相手が王族というのも忘れ、うっかり不信の目を向けてしまいそうになる。
けれど、マリアンヌはそうすることはしなかった。
そして、この申し出に対して、断る理由が無くなってしまったことを知る。
自分の恋と、二つの命。
それを天秤にかけたマリアンヌは───自分の恋を捨てることを選んだ。
あの人は護衛騎士だから、自分とは埋められない身分の差がある。
どうせ、どれだけ願ったとろこで結ばれるわけがない。
そんな稚拙で、愚かで、笑ってしまうような言い訳を自分自身にして、マリアンヌはこれで良かった、これしか方法が無かったのだと無理矢理に思うことにした。
心の中で数え切れないほど、最愛の人に対して”ごめんなさい”という言葉を呟いて。
あと宰相の一人娘であるアンジェラが、第二王子の婚約者として最有力候補に挙げられているということだけ。
もちろんマリアンヌは第二王子の名がクリストファーだということは知っている。
だがウィレイムがクリスに対して、常に幼馴染として砕けた態度で接していることと、クリス自身もマリアンヌの前では護衛騎士に徹している。
その為マリアンヌはこれまで一度も、クリスとクリストファーが同一人物なのかと疑うことすらなかった。もちろん今も。
そんな諸々の理由から、マリアンヌは前のめりになっていた身体を元に戻す。
「あの……」
「なんですか?」
「あ、兄は……このことは……知っているのでしょうか?」
提示された取引に即答できないマリアンヌに対し、ガーウィンは答えを急かすようなことはしない。
ただ問いかけられたことには、王族らしく横柄な返答をする。
「知っていても、知らなくても、どちらでも良いことなのでは?こちら側が決めることですから」
にこりと笑ったガーウィンの目は笑っていなかった。
失言だったことに気づいたマリアンヌは、思わず俯いてしまう。
王族……しかも、次期国王となるガーウィンには、既にとてつもない権力があるのだ。
だから本当なら自分に選択を委ねる必要は無いのだ。一方的に通達をすればそれで済む話なのだある。
だが、わざわざこうして王子自ら足を運んだというのは、一体、どんな理由があるのだろう。
マリアンヌは、短い時間の間に様々な可能性を考える。
ただ政治に明るくないマリアンヌが思考を巡らせたところで、これだという明確な理由を見つけられるわけがない。
最終的に、よほど第二王子は色々な問題を抱えているのだという結論に達してしまった。クリスが聞いたら卒倒してしまいそうだが。
とはいえ貴族の家に生まれた以上、婚姻は契約に近いということはわかっている。想い想われた相手と結ばれるほうが珍しいこと。そう教えられてきた。
相手はこの国の第二王子。こちらから断ることができない相手。そして結婚すればロゼット家は更なる繁栄を約束されるし、エリーゼとレイドリックの刑も軽くなる。
願っても無い話だ。全てが丸く収まる提案で、断る理由などどこにもない。
だが、マリアンヌはどうしても首を縦に動かすことができなかった─── 恋をしてしまっているから。
「マリアンヌ嬢、これは強要ではありません」
まるでマリアンヌの思考を読んだかのように、ガーウィンは落ち着いた声でそう言った。
そして、マリアンヌが何か言おうとするのを制するように、すぐに言葉を続ける。
「あと一日、ここで大人しく過ごせば貴方を悩ませている存在は消えます。そしてウィレイム君はどんな手を使ってでも、近いうちにこの塔からあなたを出すでしょう。傷付けられた名誉も、彼の手にかかればすぐに回復してくれると思います」
ガーウィンの口調は慰めるように、優しいものだった。
でも、ガーウィンはしっかりとマリアンヌに警告している。
エリーゼとレイドリックを救いたいなら、悩んでいる時間はないのだ、と。
そしてマリアンヌが結論を出すために、二人の刑の執行を伸ばす気はない、と。
マリアンヌの心の天秤が激しく揺れる。ただここで、ふと気になることがあった。
王族に対して何度も質問をぶつけるのは、とても失礼だということはわかっている。けれど、どうしても言質をもらわなければ決断はできない。
「ガーウィン殿下……一つ、質問をすることをお許しいただけますでしょうか?」
「ああ、幾つでも良いですよ。なんなりと、どうぞ」
「……では」
にこやかに促すガーウィンに対して、マリアンヌの手は汗で湿っている。なのに氷を掴んでいるかのように冷たい。
それが自分でもわかるというのは、余程、緊張しているのだろう。
当然だ。今目の前にいる人は、これまで壇上の、しかも遠目からしかお目にかかることができない相手なのだ。
そんなことをぼんやりと思った。けれどマリアンヌは、ぐっと両手を握り合わせ、口を開いた。
「……もし仮のお話ですが……」
「はい」
「クリストファー殿下が、わたくしを妻にしたくないと言った場合、この約束は反故となってしまうのでしょうか?」
マリアンヌの問いを直訳するなら「お前の一存で、本当にそんなことができるのか?」だった。これはガーウィンの持つ権力を疑うようなもの。かなり失礼にあたる。
だからこそマリアンヌは、ありったけの勇気をかき集めて問うた。
けれど途端に、なぜかわからないがガーウィンは気を悪くするどころが、腹を抱えて大爆笑をした。
しかもガーウィンの隣に着席しているシドレイも、同じように豪快に笑いだしてしまった。
てっきり失礼なことを言うなと不快な顔をされると思っていたマリアンヌは、何がそんなに面白いのかまったくもってわからない。
「……あ、あの」
「あ、し、失礼。ははっ───……っぷっ。だ、駄目だ……す、すみません。しばしお時間を……はっはははっあはっははは」
一度は生真面目な表情を浮かべようとしたガーウィンだったけれど、感情を押さえ込むことができず、再び笑いだしてしまった。これもまたシドレイも同様に。
─── それから待つこと数分。
ようやっと落ち着きを取り戻したガーウィンは、マリアンヌに向けきっぱりとこう言った。
「弟が、あなたを妻に望まないなど絶対にあり得ません」
妙に自信満々に言い切るガーウィンに、マリアンヌは相手が王族というのも忘れ、うっかり不信の目を向けてしまいそうになる。
けれど、マリアンヌはそうすることはしなかった。
そして、この申し出に対して、断る理由が無くなってしまったことを知る。
自分の恋と、二つの命。
それを天秤にかけたマリアンヌは───自分の恋を捨てることを選んだ。
あの人は護衛騎士だから、自分とは埋められない身分の差がある。
どうせ、どれだけ願ったとろこで結ばれるわけがない。
そんな稚拙で、愚かで、笑ってしまうような言い訳を自分自身にして、マリアンヌはこれで良かった、これしか方法が無かったのだと無理矢理に思うことにした。
心の中で数え切れないほど、最愛の人に対して”ごめんなさい”という言葉を呟いて。
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