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一部 基本無視させていただきますが......何か?

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 アルビスが向かうところは、宮殿内で一番奥に位置する離宮と呼ばれるところ。

 ロダ・ポロチェ城は長い歴史を持つ建物故、何度も増改築を繰り返されてきた。が、ここだけは当初から変わらぬ場所にある。

 けれど、ここを住処とする人間はこれまでいなかった。
 歴代の皇帝すら、それは許されなかった。

 なぜならこの離宮は、聖皇后となる女性のために造られた建物だったから。

 この離宮は別名”福音の宝殿”と呼ばれている。
 そして、異世界から召喚された女性だけが、この離宮を使用できる権利があり、聖皇后となるまでの間の仮の住処として使われるところであった。

 離宮は人目を避けるように、常緑樹で囲まれているので、まるで隠れ家のようなコテージのようにも見える。

 夜になれば存在すら闇に消えてしまいそうなそこから、人が生活をしている気配が伝わってくる。300年以上、明かりが灯されることすらなかったなかったのに。未だに目を疑う光景だ。

 そして建物をぐるりと囲むように、昼夜を問わず衛兵が警護にあたっている。これもまたしかり。

 衛兵がそこにいるのは、もちろん外敵の侵入を許さない為に。
 けれど内部の人間を逃さない為でもある。

 行き過ぎた警備だと思うが、その指示をしたのは他でもないアルビス自身。ただ、それでも不安はいつも付きまとう。

 だから毎日、離宮に足を向ける。
 これは一か月ほど前から続いている習慣。そして彼にとって一日を終える為の大切な時間でもあった。

 普段、側近を連れて行動するアルビスがたった一人で姿を現しても、衛兵は驚くことはしない。視界に納めた途端、次々に、礼を取る。
 そして入り口の扉を警護している衛兵は、勝手知ったる動作で扉を開けた。




 アイボリーを基調とした離宮の中は、一つの部屋のような造りになっているが、とても広い。

 ここで不自由のない生活ができるよう、浴室などの水回りも完備しているし、くつろぐ為の長椅子もあれば、食事を取るためのテーブルセットもある。
 もちろん心地よい眠りが取れるように、天蓋付きのベッドもある。

 そしてそれらを十分な間隔を空けて設置しても、まだこの空間には余裕があった。

 けれど、この離宮の主である女性……と呼べるほど成熟していない少女───結月佳蓮は、その家具のどれらも使用していなかった。

 つまづく程ではないけれど、薄暗い部屋の中、佳蓮は出窓の物置き部分に腰かけ、両脚の膝を立て、両腕でそれを抱え込んでいた。
 ただ顔だけは、首を捻るようにして窓を見つめている。主人の帰りを待つ子犬のように。

 アルビスは足音を立てながらそこへ向かう。
 けれど、佳蓮はピクリとも動かない。窓にアルビスの姿が映っているのに気付いているはずなのに。

「───……何を見ている?」

 ようやっと絞り出した問いかけに、佳蓮からの返事はなかった。

 少し前ならこの辺りで苛立ちを露わにしていたアルビスだけれど、残念ながらこの程度のことでは動じなくなってしまった。

「寒くは……ないのか?」

 アルビスは手負いの小動物を手懐けようとするかのような、慎重な動作で一歩、佳蓮へと近づきながらそう問いかけた。

 これもまた返事はない。

 アルビスはぎゅっと拳を握りしめる。
 寒くないわけがない。寝間着の裾からわずかに見える佳蓮のつま先は真っ白で、見るからに冷たそうだった。

 一言寒いと言ってくれたのなら、両の手で包んで温めることができるのに。
 いや、寒くないと言ってくれたら「嘘を付くな」と、会話をすることができるのに。

 でも、今はそれさえ叶わない。
 佳蓮はもうアルビスに対して、完璧に心を閉ざしていた。

 一ヶ月ほど前に、佳蓮はアルビスの術でこの世界に召喚された。

 付け加えると、ここへ召喚された当初、佳蓮はアルビスに対してここまで徹底的に無視をすることはなかった。

 自己紹介もしたし、きちんと目を合わせて言葉を発していた。「お願いだから元の世界に戻して」と。

 けれど、アルビスはその願いを聞き入れなかった。いや、正確に言うと叶えることはできなかった。召喚術は一方通行。術式は戻ることを前提に組まれたものではなかったから。

 それに正直に言うと、アルビスは佳蓮の言動に理解ができなかった。
 この大帝国の正妻。しかも聖皇后となれるのに、何の不満があるのかと。

 だから、アルビスは佳蓮に丁寧に説明をすることを放棄した。そして佳蓮が元の世界に戻りたい理由を尋ねることはしなかった。

 ただ今は戸惑っているだけだと。
 これから眩暈を覚えるような贅沢をさせてやれば、次第にこの環境にも、自分の置かれた立場も受け入れられるだろうと思っていた。

 けれど、それは間違いだった。
 そしてそれに気付いたころには、もう手遅れだった。

 佳蓮はアルビスに対して憎しみも、恨みも、怒りの感情も向けなくなっていた。ただ徹底して、アルビスを居ないものとして扱うようになっていた。 

「……カレン」

 アルビスは焦れた口調で、そう言った。

 どうしてもこちらを向いて欲しくて。黒曜石のような瞳に自分の姿を映して欲しくて。

 その願いが届いたのか、ピクリと佳蓮の肩が動く。

「カレン」

 再びアルビスは名を呼んだ。今度はもっと強い口調で。

 そうすれば佳蓮はやっとアルビスを見た。気やすく呼ぶなと言いたげに不快な表情を浮かべて。けれどすぐに顔を背ける。

 佳蓮の瞳に映る自分の姿を確認する間もなく。
 
 拒絶されたことに、強い憤りを覚えたアルビスは今度は佳蓮の肩を掴もうと手を伸ばそうとした。けれども、寸前のところで、手を引っ込めた。

 ───これ以上は駄目だ。
 アルビスの本能が、自身に待ったをかけたのだ。

「……窓辺は冷える。こんなところに居ないで、早く寝ろ」

 焦れた想いや、募る想いを伝える言葉を全部のみ込んで、アルビスはそう言い捨てると、佳蓮に背を向けた。

 そして、大股に扉に近づき、部屋を出ようとする。
 けれど、後ろ髪を引かれるアルビスは、一度だけ振り返る。
 
 佳蓮は同じ姿勢のまま、再び窓を見つめていた。

 
 

 アルビスは皇帝。王の中の王である。
 この広大な帝国で、誰もが首を垂れ、かしずかれる存在。そうなるために生まれてきた人間である。

 けれど佳蓮に拒まれ、離宮から自身の部屋に戻る帰り道は、自分の存在が消えてなくなってしまったような錯覚を覚えてしまうのだ。

 いつもは靴底から渡り廊下に敷き詰められた大理石の硬質な感触が伝わるはずなのに、なぜだが、つま先からずぶずぶに埋められていく恐怖に襲われる。

 アルビスは渡り廊下を離れ庭を歩く。そして数歩、歩を進めたが不意に足を止め、空を見上げた。

 今宵の夜空は雲が多く、月はその背後に隠れてしまっていた。
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