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6》代筆
しおりを挟む机の上の殆ど白に近い薄黄色の便箋と封筒を眺めながら物思いに耽っていた。反省と言っても何も悪い事をしてないもんッ。
暗い茶色のインクはまだ万年筆に残っている。
便箋を一枚広げ、彼の名前を書いてみた。
彼は今どうしてるだろう。
手紙を出せて気分良く自転車を走らせ、風が心地よくて遠回りをして帰宅した。
玄関で大兄さまが仁王立ちだった。
はい、めちゃくちゃ怒られました。
順番が大事だと。お断りの件が終わった後、手紙なんだと言われたのでした。
出したところで届くのは、遣いが行った後になるからいいじゃんと思ってたら、顔に出てたのか拳骨が落ちてきた。痛かったぁ…。
「自室で反省してろッ」
いつもは行動力を認めてくれるのに、今回は怒られた。
頬杖をついて、我ながら綺麗に書けた文字をぼんやり眺める。口元が緩む。
静司さんに会ったら何を話そう。
トクトクと心音が頭にまで響いてくる。胸が苦しくなるほど心拍数が上がってる。
はぁ~、こんな調子でお話が出来るのだろうか。
あの目を見たらお話が出来る自信がない。どうしよう。これがときめきというのだろうか。物語の中でしか知らない事だ。
両親の話もどこか夢物語のような話で、イチャイチャしてても、仲が良いぐらいにしか思ってなかったから何も心には響いて来なかった。
便箋の色はレモンの色のようだと選んだが、母は「あなたの色ね」と言ってたが…どういう事だろう。
私の色だとしたら…はッ、急激に恥ずかしくなった。
インクの色は彼をイメージして選んだのだ。
『あなたの色に染めて…』
小説の一節を思い出していた。読んだ頃はロマンチックだなぐらいにサラッと流し読んでいたが、今は、なんと表現したら良いんだろうッ!
両手で顔を覆うとそのまま後ろに倒れた。畳の上でゴロゴロと転がり回っていた。この動悸も気持ちも落ち着かないッ。
はぁ~、もうどうしたら良いんだよぉ~~~!
出会えば『共鳴』が起きてしまうのだろうか…。
はたと転がるのをやめて考えてしまう。身体の奥が熱い…でも、なんだか落ち着いてる気がする。
あの時は、激しい動悸と発汗。客観的に見て私は、身体の急激な変化に対処できなかった。対処できなかった変化に脳が気を失う事で繋がりを断ち切ってくれた。目が覚めた時の酷い倦怠感はその後遺症とでもいうものだろう。
次は大丈夫。私は、確信した。本能とでもいうべき勘のようなもの。人間は慣れる生き物なのだ。だから、大丈夫なのさ。
むっくり起き上がって、すぐに乱れる髪を手で整える。一層の事、この髪も彼のように短くしてしまおうか。床屋に行くのも面倒で家人にしてもらってたのだが…。
あっ、彼の好みも知らないから容姿は変えない方が良いよね。うんうん。
ひとり納得してるところへ「坊ちゃんッ」と抑えた声と共に襖が開いた。いつもならそんな無作法な事をしない女中頭のおタキさんが血相を変えてそこに居た。
母屋と繋げるように増築された「離れ」と呼ばれている二階建ての洋館の方で物音がしている。洋館は書生さんや住み込みの使用人が使っている。
家屋の繋ぎの部分は段差のある出入り口があるのだが、そこから音が伝わってきてるようだ。離れてるから詳細は分からないが、伝わってくる物音が微かでも争うような音だった。
「坊ちゃん、旦那さまの書斎に移って下さい。あちらの方が安全です」
この部屋は母屋のひと部屋ではあるが、庭に面している。こちらに人が入ってきたら…。
縁側には吐き出しのガラス戸が締まっているが透明だ。部屋側は閉じてるが雪見障子でこちらは見難いとは言え、中に人が居るのは確認されてしまう。こんな昼間に強盗?!
父の書斎は洋室に改装されている。鍵が掛かる頑丈な一枚板のドアが付いている。
小障子をサッと下ろすとタキさんと途中まで一緒に移動した。一緒に書斎に入るように言ったが、
「私は旦那さまに離れの事を知らせに。離れの暴漢どもは書生さんたちがノシてますからご心配いりませんので、坊ちゃんはここに。鍵を掛けて下さいませね」
と足早に去って行った。
玄関の方も騒がしい。なんなんだ?!
おタキさんがそっちに向かったと思うが…。不安に思いながらも鍵を掛けて、ソファに座った。
玄関で騒いでる声が微かに聞こえた。
断片的に聞こえてくる内容で総宮家の人間が来ている事が分かった。私を出せと言ってるようだ。『共鳴』が起きてるなら見合いは成立だろうと言ってるようだ。
『共鳴』は事故だと父は押し切ってる。私の体調が悪かったからと言い訳もしてる。そちらが圧を掛けてきたのだろうと非難もしてる。
事象だけ見ればそれも有りだろう。
なんだってこんな事になったんだろう…。見合いの方は縁がなかったと無難な返事をして終わったはずじゃないか。私がΩだから? 男性Ωだから?
女性Ωだったらこんな事にならなかった?
理不尽だ。
玄関のは陽動だったりするのだろうかとあり得ない考えが頭をもたげる。
Ωは離れで暮らしてるのが一般的だから、私を攫う気だったのだろうか…。
洋館側の塀には勝手口がある。そんなに頑丈ではないが、そこを破って入って来るとは…。通りからも見える場所なのに。
この書斎は当主である父のαの香りに満ちている。Ωである私の香りを覆い隠すのに十分だ。私が動揺しなければ、香りが強くなる事もないだろう。平常心を保たなければ。ここは安全だ。…自分に言い聞かせる。無意識に身体を小さくして口を手で覆っていた。息を潜め耐えた。
母が何か言ってる。女性の叫びがそれに重なった。おタキさんだ…。
「代筆なんて前代未聞の事をしたのはそっちじゃないかッ!」
大兄さまの怒鳴り声で静寂が訪れた。
長い時間が流れて、扉が開いた。
お母さまが転がり入ってきて私を抱きしめる。母の頬が赤く腫れていた。
おタキさんが濡れタオルを持って入ってきた。
「もう大丈夫だからね。大丈夫だから…大丈夫だから…」
涙声。怖かっただろう。α同士の争いに入って行ったのだ。おタキさんの知らせをお父さまに伝えたのかも知れない。
「私は大丈夫です。冷やしましょう?」
母の頬を受け取った布を充てながら、ポッケに入ってたハンカチで涙を拭う。
「そのハンカチ…」
母が慌ててる。
「洗えばいいんです。あっ、返す予定のを使ってしまいました。あはは…」
頬紅がついてしまったかも…あはは…。笑って誤魔化した。誤魔化せてないですね。
「あなたの大雑把なのは誰に似たのかしらね…」
私の手をハンカチごと押し遣って自分のを取り出して拭っている。
「代筆の事を知らなかったようだ」
お父さまがぼやきながら入ってきた。ドスッと正面のソファに座った。
母は私から濡れタオルを引き継いだ。父の方に向き直る。
「代筆の件は口外しないし不問にしてやると言ったら大人しく帰って行ったよ。言ってやる気はなかったんだが、まさかこんな事をしてくるとはな。まぁ、修繕費と治療代は…貸しにしておくか」
おタキさんが他の女中に指示を出してる。暫くしたらお茶が出てくるだろう。
兄たちは離れに向かったらしい。
静司さんも来てたのだろうか…。彼が酷い目に遭わないといいのだけど…。
「恐い思いをさせたな」
疲れた表情の父が優しく言って頭を撫でてくれた。
私はきゅっと口を結んで首を横に振った。怖くなんかなかったッ!
涙目になってるのは見なかった事にしてッと目で訴えながら、無言で首を振り続けた。
暫く勝手口は封鎖される事になった。
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