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8》ハンカチ
しおりを挟むウトウトするような気分の中、遠くで呼び鈴の音が聞こえた。門の呼び鈴がお勝手で響いてる。来たッ!
門を潜って、小道をやってくる。彼が来るッ。玄関の軽やかな呼び鈴が聞こえたら、此処にやってくる。心臓がうるさい。
「ど、どうしよう」
手の中のハンカチを胸に押し当てる。皺にならないように気をつけて持ち歩いていた。
「大丈夫。母さんが案内してくれるから待ってなさい」
優しい手が浮ついてしまった気持ちを落ち着かせようとしてくれる。落ち着かないと…。
父が小兄さまと一緒に入って来た。後ろから紅茶の一式を女中さんが持って来ていた。応接間の片隅で準備をしている。
奥のひとり掛けのソファに父が納まり、兄たちに挟まれるように私は座り直した。手櫛でボサボサになった猫っ毛の茶色の髪が両方から整えられる。
「こちらですよ」
母が案内して来た静司さんが現れた。トクンと心臓が跳ねた。
彼は居心地悪いような困惑した様子だったが、顔に出さないようにしていた。大きなどっしりした人。あの時着ていたスーツ姿だった。一張羅なのかも知れない。
勧められるまま、私たちに一礼して私の前に座った。3人掛けのソファが小さく見える。物理的にではなくて存在感が。
母は女中さんから引き継いでお茶を持ってきた。いつの間にか女中さんは居なくなっていた。私は静司さんに視線が釘付けだったみたい。しまった…あまり見つめていては失礼だ。茶器に視線を向ける。トクトクと全身が心臓になったみたいだ。
紅茶のいい香りが漂う。母の一番のお気に入り。お茶請けを女中さんが持ってきて、廊下の障子が閉まった。
「これね、静司さんがお持ちになったの。美味しそうでしょう? 玄関で私が無理矢理貰っちゃったの」
『だから怒らないでね』と後が聞こえそうだ。詫びで持ってきたと思われる品だ。差し出される銘々皿にカステラ乗ってる。美味しそう。
手ぶらも変だと買い求めて来たのだろうか。玄関先でハンカチを受け取るだけかもしれないが、関係者なので代筆の件の詫びにも来たのも分かる。本来なら此処で当主に渡して土下座が通常かな?
もしかしたら、言いつけられて来たのかも。それだから此処に来れたのかも知れないが、理由は如何あれ、私は彼に会えて嬉しい。とっても嬉しいのです。お尻が浮き上がる気分。
そっと大兄さまに肩を抱き寄せられた。
ほへ?
大きな胸にポスンと斜めに固まったまま倒れた。この厚い胸板は兄の自慢です。私も倒れ心地がいいのでお気に入りです。
トントンと肩を叩かれる。
目の前の静司さんの眉が寄ってる。辛そう…。
あちゃー、ごめんなさい。
ふぅと静かに息を吐いた。香りが強くなってしまったようだ。落ち着かないと…。
静司さんが動いた。私の所為で動けなかったのかな。ごめんなさい。
「申し訳ありませんでした」
身体を父に向けると大きな身体をふたつに折って深々と頭を下げてる。
「…あの件か。それは不問にするとした。あちらもなかった事にしたいだろう。君が謝る必要はない。ただ…」
父も私たちも対応に困る。詫びの手土産をここに持ち込ませないように母が玄関先で奪い取ったのだろう。さっさと皆んなで食べてしまおうとしていたんだと思う。彼に頭を下げさせたくなかった。彼としては粗品がなくても詫びる気もあり、あちらに強要もされていたのだろう。
あちらとしては詫びを受け入れたと言う事実が欲しいだけだ。貸し借りを無くしたいのだろう。貸しは貸しだ。
私たちに詫びるとしたら人が違う。来てほしくないし、顔も見たくないので不問なのに…。これについては確証はないが見当はついていた。
こちらとしては許せないので了承はしたくない。
頭は上げてくれそうにないので、父が顎を搔き掻き言葉を選んでいる。堅苦しい事は概ね嫌いなご当主さんなのです。
「私はね、謎解きが好きでね。予想が当たってるか答え合わせがしたいな。それでこれの話は終わりで良いかな?」
怒鳴り声でも降ってくるかと思っていたのだろう、静かな問いかけにゆっくり上がった顔が不思議そうにしてる。周りには顔色が変わってるようには見えてないだろうけど、私にはよく分かる。分かるんだな。不思議。
表情が乏しいというか厳つさが変わらないなんてカッコ可愛い人です。キュンと胸が締め付けられます。
トントンと肩に振動。
あっ…落ち着かないと。用心に抑制の薬は飲んだんだけど、効いてない?
「あれは、代筆で書いたんじゃないね? 言うなれば、『手本』として書いたところかな?」
お父さまが楽しそうに話し始めた。探偵さんになったつもりだろうか。以前貸した冒険活劇の小説がお気に召したような事を言ってた。
「はい。あ…あれは、確かに、仰るとおりです。勝彦さまは先だって次期に指名されたばかりで不慣れで…。期限もありましたので、参考にと小生が書きました。まさか…そのまま文箱に入れてしまうなど想像もしませんでした。申し訳ありません」
また頭下げちゃった。止められなかったのを叱られたんだろうけど…八つ当たりだ。怒っていいと思う。
「そうか。正解か。あの文は良かった。なぁ、五鈴」
私に話が振られた。
「はいッ、とても良かったですッ。秘書に雇いたいと思ったほど…あっ、ごめんなさい」
浮かれて余計な事を言ってしまった。もうッ、今日は謝ってばかりだ。
また肩をトントン叩かれる。
しょぼんと肩を落とす。
香りが目まぐるしく変わってるかも知れない。自分では分からないけど、小兄さまが口元を抑えて肩が小さく揺れてる。笑わないでッ。
父が答え合わせに満足いったようで頷きで話が終わったと示してる。それを受けて大兄さまが口を開いた。
「気づいてると思うが、弟の香りはちょっと変わっててな。いずれは君がこうやって落ち着かせる事になると思う」
兄の言葉が終わったみたいなので、私は前のめりで話し始めた。
「あ、あの、」
私の番だね。それでいいよね?
気が急いてしまう。飛び出しそうになる心臓を飲み込んで、口を開いた。
「自分ではよく分からないんですが、その、なんと言うか、こんなに抑えられない事は今までなくてッ。その、あの…嫌わないで下さいッ」
ハンカチを持ったまま顔を覆って俯いてしまった。
何を言ってるんだ。折角話せると思ったのに、気持ちの押し付けだ。熱くなる顔を両手で覆う。嗚呼、私のバカッ。
大兄さまの言葉に静司さんが顔を上げてこっちを見てくれたのが嬉しくて、口を開いていた。
目を見てゾクゾクする感覚の中、好いてもらいた一心で言葉が転がり出て、消してしまう事も出来ない言葉に、どうしようもなくて、隠れてしまいたい…。
「…あのぅ…これは…」
静司さんが戸惑ってる。
「お見合いですよ」
父の方から母の声がする。
目だけ出して見やれば、父の傍らに背の低い椅子に座ってる母がいた。
静司さんが母の方を見遣って呟く。
「ハンカチを返してもらう…だけの…」
意思の強そうなきっと結ばれてた口から戸惑うように声が漏れてくる。
「口実ですよ。だって、どうやっても角が立つじゃありませんか。静司さんは五鈴をどうかしら。Ωとは言え、男性ですものね。娘ならすんなりなのに…。正直に言ってもらって構いません。爵位など関係ありません。私たちがそうでしたから。この子にも好いて貰える方と思ってます」
母がいつも通りに話してる。思った事を話してる。当主よりも話してる。普通なら有り得ない事だと思う。何が普通か知らないけど、此処は『藤堂』の家の中。我が家の普通を押し通します。
「……正直…、分かりません。私がΩの方と結婚できるなんて考えた事もなくて…そもそも自分でいいのか…」
じっと私の目を見て、スッと母に視線を戻し、ポツリと返事。文字のようなキレがない口ぶりです。熟考して話す方なのかも知れませんね。
終わりました…。
「そうですか。これ、ありがとうございました」
断られたって事だね。ご縁がありませんでしたッ。泣きたい…。
しょんぼりとハンカチを両手で差し出す。
大きな手が伸ばされてくる。
ハンカチを掴んだ。
んーーーーッ、行ってしまうぅぅうう。
ぎゅっと掴んでいた。行かないでッ。
受け取れないハンカチを怪訝な表情で見てる。
そんな彼をじっと見てる私。
「ありがとうございます…?」
語尾がゆるく疑問形になってる。軽く引くが私の指が離れなくて引くのをやめてくれる。
やっぱり、無理ッ
「渡したくないです。『お友達』になってください。お友達の印にコレを下さいッ」
キッと決心して真っ直ぐ言葉を投げつけた。
「はい?」
静司さんが固まってる。
「「はぁ?」」
両側から声がぶつけられ、兄たちも固まってる。
母は声を上げて笑って、慌てて口を押さえていた。父は唸って私を見てる。
私は真剣に静司さんの目をまっすぐ見つめて返事を待った。
足掻かせて下さいッ。
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足掻きましょうッ( ̄▽ ̄)v
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