上 下
14 / 110

ピンチ

しおりを挟む
 ミレールは今、人生最大の危機を迎えていた。
 
「――で? これは一体、どういうことだ?」

 休憩室でミレールはテーブルセットの一人掛けソファーに腰掛け、両膝に手を置いたまま冷や汗を掻いて俯いている。

 同じく対面で衣類を身に着けたノアは腕を組み、いつも以上に低い声で話しかけている。
 そして同時に責めるようにミレールを睨んでいた。

「ど……どう、とは……?」

「あんたがわざわざ変装までして、仮面舞踏会に出席していたのか、ってことを聞いているんだがなぁ……」

「っ!」

 ミレールの背中を流れる冷や汗がさらに酷くなる。
 ノアの声音は明らかに怒気が含まれており、直接責められていないことがむしろミレールには辛かった。
 俯いているはずなのだが、ノアの視線を痛いほど感じる。

(やはり……昨日とは全然違いますわ。ノアは本当にわたくしミレールのことを嫌っていますもの……。これまでのことを考えれば仕方がないのだけれど、わたくしもこれまでのわたくしとは違いますから、こんな風に対応されるとツラいですわ……)

 泣きたくなる気持ちをぐっと抑えながら、ミレールは覚悟を決めて顔を上げた。

「ちょっとした、余興でしたの。仮面舞踏会ですもの、少しは普段の自分と変えなくてはつまらないでしょ?」

 平気そうな口調で話したが、語尾が僅かに震えた。
 ミレールの言葉にノアは考えるように動きを止め、それから口を開いた。

「……確かに。昨日のあんたは全くの別人だった……」

 凛々しい顔にある眉を不機嫌そうにしかめ、腕を組んだノアの表情は非常に固い。
 ミレールは俯いたまま膝のスカートを握り締める。

「だが、俺はあんたを抱いた。責任も取ると言った。その言葉に、偽りはない……」

 続けて話したノアの言葉にミレールは衝撃を受けた。

「――なッ!!」

 呆然としながら目を大きく見開き、考える前に言葉が先に出ていた。

「いりませんわッ!!」

「はっ……?」

 物凄い剣幕で立ち上がったミレールは、対面で座っているノアに向かい、叫ぶように声を出す。

「貴方は相変わらず阿呆ですわね! そんなもの、黙っていれば誰にもわかりませんわっ!? バカ正直に責任を取るなど……今後の人生を棒に振ってもよろしいんですのッ!?」

 荒く呼吸を乱し、台詞をまくし立てるように話したミレール。
 その様子にノアは呆気にとられていたが、しばらくして口を開いた。

「――言っとくが、あんたはもう王太子候補にはなれない。あれだけ殿下に固執し俺を嫌っていたあんたが、そんなことを言うとは……」

「それは……もう、諦めてますもの……」

「だが、あんたは純潔を失った」

「だからなんだと言うの? そんなものなくても、生きていけますわ!」

 わざと冷たく言い放ったミレールに、ノアは驚愕の表情を浮かべている。

「は? いや……だから、嫁ぐ時に」

「ハッ! それこそ余計なお世話ですわ! 貴方には関係ないことではなくって?」

「関係なくはないだろ。俺があんたの……」

「ですから、何度も申し上げてますわ! わたくしは気にしていませんし、貴方に責任も求めておりません! これ以上の話し合いは無意味ですわ!」

 はぁ、とさらに短く息を吐いたミレールは、不機嫌を装い、ノアから顔を背けた。

「しかし……未婚の男女が婚前交渉をした場合、必ず責任を取らなければならない」

 驚きながらもミレールの話を聞いていたノアは、呟くように話している。
 端正な顔を歪めて話しているノアを見て、ミレールの胸がズキリと痛んだ。

「貴方のその耳は飾りですの?! お互い黙っていれば誰にもわかりませんわ! ……それに、貴方はわたくしを嫌っているでしょ? そんな男性の元に嫁いでも、結局は不幸になるだけですもの……お互いの為になりませんわ」

 ノアのことは大好きだが、無理やり自分に縛りつけたいわけではない。それに、ノアは現段階ではレイリンに好意を寄せている。
 昨晩は酔っていたせいで、ノアはミレールだと知らずに自分を抱いた。
 ノアの性格上、こう言わざるを得ないのだろう。責任感が強く紳士的なノアは曲がったことをとても嫌う。
 だがミレールは、それを理由に強引に婚姻を結ぶことなどしたくない。

「いいこと!? 昨日は何もなかった! 貴方はわたくしに会っていない。触れてもいない! ……おわかり?」

 ミレールの放った言葉を聞きながら、ノアは呆然と立ち上がったミレールを見ていた。

「とりあえず、わたくしは帰りますわ。御者を待たせたままですもの」

「いや、おいッ……!」

 立ち上がったノアは引き止めるように手を伸ばしていたが、ミレールは構わず部屋の扉に向かい歩いた。

「それでは、ごきげんよう」

 扉のすぐ前で振り返り、ノアに向かってにこりと笑うと、ミレールは部屋をあとにした。

しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

殿下、今回も遠慮申し上げます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,235pt お気に入り:5,817

悪女と呼ばれた死に戻り令嬢、二度目の人生は婚約破棄から始まる

恋愛 / 完結 24h.ポイント:1,613pt お気に入り:2,473

ある公爵令嬢の生涯

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:2,499pt お気に入り:16,122

【R-18】気がついたら未亡人伯爵夫人になってて後宮で愛された

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:14pt お気に入り:295

グラティールの公爵令嬢

ファンタジー / 連載中 24h.ポイント:14,442pt お気に入り:3,343

出稼ぎ公女の就活事情。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:771

処理中です...