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本編
12 幻の侯爵令嬢(アーロン視点)
しおりを挟む私はアーロン・ラドルファス。
ヒドルストン王国の元第二王子だ。
兄であるウィルフレッドが11歳という若さで王位を継ぐと、大公位を与えられて臣下に下った。
それでも幼い私はすぐには王宮を出なかった。
まだ何もわからない私を旗印に、王位を簒奪しようという輩がいないとも限らない。
私は成人するまでは母の元で育てられることになった。
隣国の王女だった母は兄の摂政になり、必死に政務を支えていたが、可能な限り私との時間も設けてくれた。
母には兄弟仲良く、大きくなったらウィルフレッドを助けてあげてねと何度も諭された。
激務に忙殺される母と兄の姿を目の当たりにした私は、国王は大変な仕事なのだと認識し、成長するにつれて王位を兄から奪おうなどとは思わなくなった。
兄が王位を継いでから、二年ほど経ったころだろうか。
ある日私は母の部屋から出ていく、一人の貴族とすれ違った。
王太后となった母は個人的に貴族と面会することは少ない。
それも男性と二人きりで会っていたというのはかなり珍しいことだった。
「母上、先ほどの貴族は誰ですか?見たことありませんが…」
「ウォーターハウス侯爵よ。亡くなった夫人が私と同郷だったの」
「へえ…」
「ウォーターハウス侯爵のご令嬢は今年10歳ですって。あなたとはいくつ違いかしら?」
「二つです」
「もう少し早く知っていたら、あなたの婚約者に推したのに…」
母はそう呟いていたが、残念がるというよりは悔しそうだった。
そんなに優秀なご令嬢なのだろうか。
私の婚約者は、伯爵家のブリアンナ嬢でほぼ決定だと聞いている。
ブリアンナ嬢が選出されるまでに、高位貴族の令嬢とは何度も音楽祭やお茶会で顔を合わせた。
そういえば、ウォーターハウス家は侯爵家なのに一度もそういった催しに参加していなかった。
10歳なら社交デビューには早すぎるということもない。
実際私が出会った令嬢は、上は15歳から下は3歳までいた。
どうしてウォーターハウス侯爵令嬢は参加できなかったのだろう。
そして数か月後、私とブリアンナ嬢の婚約が正式に発表されたパーティーにも、ウォーターハウス侯爵令嬢は現れなかった。
「ウォーターハウス侯爵令嬢のことでしたら、噂しか聞いたことがありませんわ。何度かお茶会にご招待したのですが、断られているのです。我が家だけでなく、どこの家でもお断りされていると聞きました」
何気なくブリアンナ嬢にウォータハウス侯爵の娘の話をすると、貴族のご夫人の間では有名人だということを知った。
どうやら母上の学友だった前ウォーターハウス夫人亡きあと侯爵は後妻を娶り、その後妻が前妻の娘を閉じ込め、あまつさえ虐待に及んでいるらしい。
ウォーターハウス侯爵令嬢が姿を現さないがゆえにその噂は信ぴょう性を増していた。
だがそれには疑問が残る。
どうしてウォーターハウス侯爵は手をこまねいているのだろう。
娘を一度でも社交の場に連れてくれば良いのに。
「ウォーターハウス侯爵は何を考えているのだろうな?夫人の立場が悪くなるだけだろうに」
「ここだけの話、噂を流したのは王太后様のようです」
「…母上が?」
「ウォーターハウス侯爵も閑職に追いやられたとか。ご友人の一人娘をないがしろにする侯爵と、現夫人に腹を立てておいでのようで…」
「なるほど」
侯爵夫妻は怒らせてはならない相手を怒らせてしまったようだ。
しかし現夫人はともかく、ウォーターハウス侯爵はどうして自分の血を引く娘をないがしろにするのだろう。
爵位を継ぐことができない女子だから興味がないのだろうか。
気にはなったものの、それから慌ただしく成人の儀の準備やら結婚の支度やらに追われ、私は彼らのことをいつしか忘れてしまったのだった。
やがて成人して王都に屋敷を与えられた私は、政務には直接携わらない役職を得た。
国立図書館の館長と、天体観測の研究員という職だ。
本も天体観測も好きなので私は特に気にすることはなく、自分の屋敷から王宮に通う日々が始まった。
同年にブリアンナと結婚し、すぐに嫡男のグリフィンを、三年後には長女のマルゲリータを授かった。
まさに順風満帆の人生だったのだが、まさかの不幸が襲い掛かった。
結婚から7年が経とうかという年に、ブリアンナが風邪をこじらせ、そのまま重篤な状態に陥ってしまった。
ブリアンナは三人目の子供を流産した直後で、心身ともに弱り切っているときに病に襲われたのだ。
結局彼女は立ち直ることができず、帰らぬ人となった。
私も子供たちも悲しみに暮れたが、周囲は私たちを放ってはくれなかった。
是非自分の娘を、妹を、親族の息女を後妻に!という話がひっきりなしに舞い込んだのだ。
ブリアンナを亡くした私はまだ24歳で、しかも一代限りとはいえ大公だ。
夜会に出れば令嬢たちに群がられ、私はすっかり仕事に逃げるようになってしまった。
もともと社交はあまり得意ではない。
兄も母も私の状況を理解してくれ、最小限の社交で良いとお墨付きを出してくれた。
これでグリフィンをなるべく早く成人させて公爵位に立てれば、大公妃はお飾りのものになる。
ブリアンナが残した子供たちとひっそり暮らしながら、私はその日を待つことにした。
「マルゲリータに家庭教師を?」
マルゲリータの5歳の誕生日。
ブリアンナの父である伯爵が、お祝いの品と共に提案してきたのがマルゲリータの淑女教育の話だった。
「マルゲリータももう5歳だ。簡単な礼儀作法から学ばせておいても損にはならないでしょう」
「それはそれですが…。二歳上のグリフィンが最近教育を始めたばかりです。マルゲリータはまだ幼すぎるのでは…」
「大公閣下。女の子はすぐに成長しますぞ。それに国王の姪ともなれば10歳になる前に結婚相手が決まってもおかしくない。噂ではありますが、8歳のリリアーナ王女には他国から縁談が来ているとか…」
国王ウィルフレッドには双子の子供がいる。
立太子したばかりのチャーミング王子、そしてリリアーナ第一王女。
どちらもグリフィンの一つ上で、今年8歳だ。
二人とも美しく聡明だと噂で、他国からひっきりなしに縁談が舞い込んでいるらしい。
実をいうと、昨日私はリリアーナ王女に王宮で会っていた。
兄妹とも公務でマルゲリータの誕生日を当日祝えない謝罪と、後程プレゼントを送り届けるという旨をわざわざ伝えに来てくれた。
その時のリリアーナ王女は、8歳とはとても思えないほど礼儀正しく立派な淑女だった。
8歳と5歳を比べても仕方がないと思っていたが、マルゲリータは確かに言葉の発達が遅い方だった。
少し早めに教育を始めてもいいかもしれない。
「そんなお話をなさるということは、家庭教師の当てがあるのですか?」
「分家の男爵家にフランチェスカという娘がおります。婚約していた子爵家の息子から一方的に婚約を破棄された気の毒な子でして、本人は実家に迷惑はかけられないと家庭教師の資格を取り、仕事先を探しているところです。男爵に良い就職先はないかと相談されて、マルゲリータ嬢のことを思い出したのですよ」
「歳はいくつですか?」
「22歳です」
「どうして子爵家は一方的に婚約を破棄したのですか?」
「浮気ですよ。平民の娘と駆け落ちしたと聞きました。フランチェスカに何の落ち度もない」
私は義父の提案を受けることにした。
義父は大公の私と姻戚関係になったというのにそれに奢らず、人格者として有名な人だ。
ブリアンナの親戚だという娘に一抹の興味を抱いたという理由もある。
ともあれ大事な娘の将来のことだったというのに調査を怠った私は、後程大きなしっぺ返しを食うことになったのだった。
「フランチェスカ・キューブリックですわ。大公閣下にお目通りが叶い、恐悦至極でございます」
「楽にしてくれ。これからよろしく頼む」
「かしこまりました。お嬢様の教育に全力を注がせていただきます」
数日後、やってきたフランチェスカは淑やかそうな女性だった。
大きなウェーブのかかった亜麻色の髪をリボンでまとめただけの簡素な髪型は感じが良い。
顔立ちも整っていて美人の部類に入るだろう。
だが期待していたブリアンナの面影はなく、私は少しほっとしていた。
やはり亡き妻の代わりなどいないのだ。
フランチェスカは翌日からマルゲリータの教育に入った。
マルゲリータを集中させたいからと部屋を閉め切り、食事の時間以外は閉じこもっているようだった。
一見、彼女の教育はうまくいっているように見えた。
仕事から屋敷に帰ると、マルゲリータは型通りの礼で出迎え、食事のマナーも覚えている。
ただ、少し元気がなくなっているような気がしたが、急に家庭教師がやってきて生活が変わったための気疲れだと勝手に結論づけてしまった。
最初に異変に気が付いたのはグリフィンだった。
「父上…。フランチェスカ先生は本当にマルゲリータと勉強をしているのでしょうか」
「何か気になることがあるのか?」
「昨日フランチェスカ先生が用事があるって屋敷を留守にして、勉強はお休みだったんです。たまにはマルゲリータと遊ぼうと思って部屋にいたら、ぐったりしてベッドで寝ていました。『すごく疲れた』って…。なんだかあいつ、痩せたみたい。あとしばらく話をしたんですが、僕がゾア家のお茶会に招待されたことを何気なく話したんです。そうしたら、マルゲリータは『ゾア家って?』って…。淑女教育って貴族名鑑も覚えるんでしょう?ゾア家を知らないっておかしくないですか?」
ゾア家とは、この国に三つしかない辺境伯家の一つだ。
当主は国境を守る大事な職務についているため、貴族の序列でこそ侯爵の下だが、
貴族名鑑では王族、公爵に続いて真っ先に覚えこまされる名前だ。
まだ5歳になったばかりのマルゲリータが一度覚えて忘れてしまったという可能性もあったが、教育を始めて二か月経っていたこともあり、私は一度フランチェスカから経緯報告を受けることにした。
「ええ、もちろん貴族名鑑も見せていますわ。ただ、まだ礼儀作法に重きを置いているので、あまり暗記に力は入れていませんでした。…すぐに覚えさせた方がよろしかったですか?」
フランチェスカは特に顔色を変えることもなく私の質問に答えた。
「その…礼儀作法はどういった具合だね?」
「そうですね。やはりマルゲリータ様は注意力散漫なところがあります。しかしまだ5歳という年齢ですから、致し方ないところもございますわ。私としてはこのまま集中できる環境を整えて、ゆっくりと確実に覚えさせたいと思っております」
「傍目には、マルゲリータの行儀は良くなっているようだが…」
「ええ、私が付いているときはしっかりされています。でも私が席を外すと気が緩むようですので、まだ茶会に出すのは控えたほうが…」
「もちろんまだマルゲリータを社交に出すつもりはない。今まで通り、ゆっくりとで構わないからよろしく頼む」
「かしこまりました」
特にフランチェスカの態度におかしいところは見い出せず、私は大事なマルゲリータをあの女に預けてしまった。
マルゲリータはその間にもフランチェスカに虐待を受けていて、しかしながら5歳という幼さから訴える方法を知らず、さらに4か月もの間たった一人で苦しんでいたのだった。
その日、夕食を終えた私はひどく体がだるかった。
部下から預かった書類の整理をしたかったのだが、着替えもそこそこにベッドに倒れこんでしまった。
「…ん、う?」
どれほど時間が経ったのか、私はベッドの上に自分以外の誰かがいることに気が付いた。
その誰かが、私のベルトに手をかけて服を脱がそうとしているようだった。
一瞬従者が私を気遣って着替えさせようとしてくれているのかと思ったが、うっすらと目を開けた先にいたのは、予想だにしない人物だった。
「フ、…フランチェスカ、嬢」
フランチェスカがあられもない姿で、私の上に馬乗りになっていた。
信じられないほど濃い香水の匂いに頭がくらくらする。
「な、なにを…」
「楽にして下さい、アーロン様。私がアーロン様の憂いを取り除いて差し上げますわ」
「…っ」
「前の奥様に義理立てしているだけで、本当はお寂しいのでしょう?大丈夫、私は良き妻になりますわ」
この女…!
一瞬だが、私の体に活力が蘇った。
フランチェスカは最初から、私の後添えの座を狙って屋敷に潜り込んだのだ。
この体の不調も、この女が何かしたに違いない。
私はとっさに手を伸ばし、ベッドの隣に備え付けてある棚に手を伸ばした。
そこには常に従者が水差しを置いてくれているのだ。
私は水差しを掴むと、思い切り女のこめかみ目掛けて振り下ろした。
「ぎゃああああっ!!!」
フランチェスカがベッドから転がり落ちる。
私も反対側に降りるが、足が萎えてうまく動かない。
早く逃げなければ。
「待って、アーロン様!」
追い付いてきたフランチェスカが私の背中に体を密着させようとするが、それも振り払う。
しかし緩慢な動きでは大した抵抗にならず、私は床に押し倒されてしまった。
「どうして逃げるの?私の何がいけないのよ!?」
「離れろ、この売女が!!」
「そんなことを言って…。本当は私が欲しいのでしょう?いつも物欲しそうな顔で私を見ていたくせに」
「貴様などをそのような目で見たことはない!」
「嘘よ、私には分かっています…。さあ、一つになりましょう」
「やめろ、…放せ!!」
フランチェスカが私のベルトに再び手をかける。
観念しかけた瞬間、部屋のドアが乱暴にたたかれた。
「旦那様!旦那様!!大丈夫ですか?」
執事長だ。
部屋の中の様子がおかしいことに気づいてくれたらしい。
「執事長!くせもの…っっ」
私は助けを求めようとするが、途中で口をフランチェスカが乱暴に塞いでしまった。
しかし付き合いの長い執事長は、それだけで緊急事態だとすぐに判断してくれた。
数秒後に合鍵でドアは開けられ、執事長と二人の従者が部屋内になだれ込んだ。
「フランチェスカ、貴様!」
「ちが…、違うわ!私はアーロン様に選ばれたのよ。アーロン様に求められてこの部屋に…」
フランチェスカは私に誘われたというが、執事長たちは信じず、下着姿の彼女を縛り上げた。
かくして私は危機を脱したものの、夕食のワインに仕込まれていた媚薬のせいで丸一日寝込むことになった。
ここ一か月ほどで、マルゲリータの様子がおかしいことに侍女長をはじめ侍女たちが気づき始めていた。
明らかにやつれていて、面倒を見てくれる侍女たちを怯えた目で見る。
私と同席するときはきちんと淑女らしくしているのに、誰もいないときはぼんやりと上の空。
見かねて話しかけようとすれば、フランチェスカに邪魔されてしまう。
何かあると見た侍女長は執事長に相談し、マルゲリータとフランチェスカの様子を注意深く伺っていたようなのだ。
しかしフランチェスカはなかなか隙を見せず、手をこまねいているうちに今回の事件が起きてしまった。
恐らく監視されていることに気づいたフランチェスカは、追い詰められて私の元に夜這いをかけたのだろう。
既成事実さえ作れば大公妃に収まることができると思ったのだろうか。
事件を聞いて、彼女の父であるキューブリック男爵と彼女を紹介した義父が屋敷に飛んできた。
ちょうどその時、フランチェスカは供述を変えていた。
「媚薬をワインに入れたのはマルゲリータ様です。彼女は私に母親になってほしいと、父親を慰めてほしいと頼んで来ました。私は彼女の意をくんで、大公閣下をお慰めに行っただけですわ」
この馬鹿馬鹿しい供述に、キューブリック男爵は観念して膝をついた。
6歳になったばかりの女の子が、怪しげな媚薬を用意して実の父親に飲ませるわけがない。
仮にフランチェスカを慕っていたのだとして、父親の部屋に夜這いに向かわせるなど全く現実味のない話だった。
事実、執事長が警邏の知り合いに頼み込んで調べさせれば、街で媚薬を購入したのはフランチェスカだと判明した。
追い詰められて6歳の女の子、それも国王の姪に罪を擦り付けようとしたフランチェスカに、男爵は見切りをつけたようだった。
すぐに自領の修道院に閉じ込める、今回のことは決して口外しないという念書に進んでサインをすると、縛られたままの娘を馬車に押し込んで平身低頭で帰っていった。
義父も土下座をし、何度も床に頭をこすりつけた。
なんでも男爵と屋敷に来る途中で聞き出したところによると、フランチェスカの婚約破棄事件も落ち度は彼女にあった。
フランチェスカは昔から頭が良く、周囲に比べれば器量が良いほうだった。
そんな自分が子爵夫人という地位では物足りないと思ったのか、自分の夫となるには相手が平凡すぎると思ったのか、婚約者と会うたびにその容姿等を貶めていたらしい。
婚約者の子爵子息は最初こそ華やかなフランチェスカに惚れ込んでいたものの、会うたびに貶められるので心を疲弊させ、やがて婚約を破棄したいと親に申し出た。
男爵は明らかに娘に落ち度がある婚約破棄だったというのに、それを隠して相手が浮気したと義父に話していたのだ。
少し調べれば分かることだった、申し訳ないと謝る義父だったが、それを言うなら私も同じだった。
どうしてフランチェスカを事前に調べなかったのだろう。
次こそこんな失敗を繰り返すまいと誓う私だったが、フランチェスカの異常性と、男でありながら夜這いをかけられたショックで大事なことを失念していた。
今回の一番の被害者であったのは、マルゲリータであったということに…。
それからさらに二年の歳月が流れた。
グリフィンは問題なく社交デビューを果たし、そろそろマルゲリータの社交デビューも考えなくてはならなくなった。
しかしフランチェスカの事件がショックだったのか、マルゲリータは部屋に閉じこもりがちになっていた。
しかも若い女性を苦手にするようになっていて、侍女が彼女の世話をするのも支障があるほどだった。
このままではいけない…悩んだ末、私は再び家庭教師を雇うことにした。
四人の女性が面接に訪れた。
家庭教師紹介所からは年配の女性を二人。
どこから聞きつけたのか、リンカーン伯爵が是非娘を!とねじ込んできた。
何度か夜会で会ったことのある、騒がしい娘だ…家庭教師など務まると思えないのだが。
案の定、面接では子供たちのことなどそっちのけ、私の予定や好みを聞いてきて、何をしに来たのか分からないありさまだった。
隣にはグリフィンもいたというのに…。
紹介所からの二人のどちらか、あるいは両方に頼もうかと決めかけていると、出入りしている商人が一人の女性を薦めてきた。
なんでも侯爵家の縁者の女性がとても優秀な家庭教師で、準男爵に嫁いだ知り合いの娘を短い期間で立派な淑女にしたのだという。
そのあと外務省に勤める子爵の令嬢に外国語とその国の作法をやはり短い期間で仕込んでいて、今はちょうど次の雇い先を探していたはずだということだった。
紹介所の家庭教師では高位貴族の教師は務まらないかもしれないと思っていた私は、その女性とも面接をしてみたくなった。
女性の名前はケイトリン・ウォーターハウス。
なんと、あの幻の侯爵令嬢だった。
たった16歳で男爵家に嫁いだ彼女は二人の子を設けるも男児には恵まれず、夫の死とともに男爵家を出ていた。
しかし継母がいる侯爵家には戻りづらかったのか、そのまま平民の男と再婚、さらに再婚相手も半年で事故死し、今は二人の娘と王都で生活しているらしい。
私は彼女の詳しい履歴を取り寄せさせる一方で、ウォーターハウス侯爵に連絡を取り、ケイトリン夫人と会ってみたいという旨を伝えた。
ウォーターハウス侯爵はすでに代替わりし、現在はケイトリン夫人の異母弟が爵位を継いでいた。
彼は私の申し出に驚いたようだったが、すぐに異母姉に連絡を取ってくれたようで、三日後には面接の場が整った。
「お招きありがとうございます。ケイトリン・ウォーターハウスと申します」
「こちらこそ、足を運んでいただき感謝します。アーロン・ラドルファスです」
ケイトリン夫人は想像以上の美人だった。
すみれ色の瞳は理知的で、立ち振る舞いも優雅でしなやかで隙が無い。
教養があるというのは間違いなさそうだ。
何よりこれまで会った女性たちと違い、こちらに媚びるような雰囲気がなかった。
面接をしているのはこちらだというのに、相手を見定めるがごとく真っ直ぐな眼差しを向けてくる。
「ウォーターハウス侯爵からあなたのことは伺っています。非常に優秀な教師でいらっしゃるようですな」
「周囲に勧められて家庭教師をしてみましたが、意外に合っていたようですわ。とはいえ、これまで教えたのは商家のご令嬢と子爵家のご令嬢のお二人のみ。それも短い期間です。大公様のご希望に必ず添えるかどうかは正直分かりかねます」
「そうですね。…ご存知の通り、私は妻を亡くしています。できればこの屋敷に住み込んでいただき、特に幼い娘にマナーを教え込んでいただきたいと思っています」
「住み込み、ですか?」
ケイトリン夫人の顔に戸惑いが浮かんだ。
もしこれがあのリンカーン伯爵令嬢だったら、嬉々として話に飛びついただろう。
しかし彼女は冷静に考え込んでいるようだった。
「子供たちは物心つく前に母親を亡くしました。特に娘のマルゲリータは情緒不安定で部屋に引きこもりがちです。ただ私には再婚する意思がないため、できれば信頼できる女性を専属教師として娘の傍らに置き、大公家の娘としての誇りを自覚させてほしいのです」
マルゲリータの状況を少し話しつつ、再婚の意思はないとはっきり伝えておく。
この女性に万が一はないと思ったが、かつてのフランチェスカのように豹変しないとも限らない。
「…お嬢様は確か、7歳でしたわね」
「はい。これまでは幼いことだし、本人の性格もあるからと様子を見ていましたが…」
今のマルゲリータの女性恐怖症については言葉を濁した。
まだ決定していない段階で話していいものか判断できなかったからだ。
「私としては二人の娘を同行させていただけるのでしたら、住み込みのお仕事にも否やはございませんわ」
「そうですか。ウォーターハウス侯爵から伺っていると思いますが、他の家庭教師にも声をかけています。
もしかしたらお断りするかもしれませんが…」
「かまいません。ですが私も生活がありますので、結論があまり長引くのは困ります」
採用されないかもしれない。
そう伝えても、ケイトリン夫人は気にした様子がなかった。
本当に、家庭教師の仕事ができるかどうかしか興味がないようだった。
「分かっています。実はウォーターハウス夫人が最後の面接でした。三日以内には結果をご報告いたします」
そう言えば、彼女はほっとした顔だ。
もし不採用になれば、別の仕事を探すつもりなのだろう。
「それは助かりますわ」
「では、お見送りを…」
そこで初めて彼女は焦った顔をした。
いや、焦ったというか、何言ってんだこいつ…と顔に書いてあった。
「え、あ、あの…」
「はい?」
「お子様たちには会わなくてもよろしいのでしょうか?お子様の意見も、私との相性もあると思いましたので…。も、もちろん無理にとは申しませんが」
…ああ、そういえば。
今日はマルゲリータどころかグリフィンも同席させていない。
グリフィンはリンカーン伯爵令嬢の件で辟易したのか、ケイトリン夫人が元貴族と聞いて会う気を失くしていた。
私は慌てて言い訳を考える。
何せこれほど真面目な面接志望者はいなかった。
「すみません、話すのを忘れていました。この面接に息子のグリフィンは同席させる予定だったのですが、少し前からひいていた風邪をこじらせて寝込んでしまったのです。肝心のマルゲリータは知らない人と話すのは緊張すると、部屋から出てこなくて…お恥ずかしいことです」
「そ、そうでしたか。それはお大事に」
作り笑いをしながら答えれば、ケイトリン夫人は引き下がってくれた。
少し気まずい雰囲気のまま面接は終了したのだった。
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