シンデレラの継母に転生しました。

小針ゆき子

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本編

13 母親の顔(アーロン視点)

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 ケイトリン夫人との面接を終えた日の夜のこと。
 私は執事長と侍女長を執務室に呼び出していた。
 マルゲリータの家庭教師の最終選考をするためだ。
 前回のフランチェスカのこともあり、最初から二人の意見を聞くと決めていた。
 「デイジー・リンカーン嬢だけはありえませんね。まあ、目的を隠す能力すらないのは僥倖とも言えますが…」
 侍女長が辛辣にリンカーン伯爵令嬢を批判する。
 私も執事長も同感だ。
 リンカーン伯爵に義理などないし、わざわざトラブルの種を囲い込むつもりもない。
 「紹介所からのお二方になさいますか?どちらも結婚していて年配ですし、前回のような心配はないのでは…」
 「…」
 私は黙り込んだ。
 紹介所からやってきた二人の婦人も、どこか「女」の顔をしていた。
 何より、子供たちの状況を全く聞きに来ないのはひどく気にかかった。
 「私は…ケイトリン・ウォーターハウス夫人にしたいと思う」
 「確かに身分がしっかりしていて、一番賢そうなご婦人でしたが…」
 「大丈夫でしょうか?なんでも再婚相手の商家とは半年で死別しています。それも離婚協議の最中だったそうです。…なんだか不安ですわ」
 侍女長の言いたいことは分かる。
 再婚相手の商人は彼女の手にかかったのではないかと思っているのだろう。
 そこへノックの音がして、従者の一人が入ってきた。
 「旦那様、頼まれていたケイトリン・ウォーターハウス夫人の資料です」
 「早かったな」
 彼にはケイトリン夫人の調査を頼んでいた。
 男爵家でどういった生活をしていたか、再婚した商家と離婚協議に及んだ理由、そして再婚相手の突然の死の真相…。
 「トムリンソン男爵は協力的でした。二番目の夫との離婚協議には弁護士を挟んでいたので、簡単に資料が手に入りましたよ」
 従者も加え、四人で資料を囲んだ。

 最初の夫、ギャレット・トムリンソンとは十五歳離れていたものの、おしどり夫婦として有名だったようだ。
 男爵夫人としてはかなり贅沢な生活をしていたようだが、夫は健全な商会の運営をし、ケイトリン夫人は夫に甘えながらも公では彼をきちんと立て、立派な男爵夫人としてふるまっていた。
 しかしギャレットは妻と娘二人を残して突然他界。
 この国では女子は爵位を継げないため、ケイトリン夫人はトムリンソン男爵家から籍を抜いた。
 義弟にあたる現男爵とは今でも連絡を取り合い、時には支援も受けており、今でも良好な関係は続いている。
 しかし再婚相手として選んだバーノン・ガルシアとの結婚生活は、たった二か月で破綻した。
 ガルシアの一人娘との関係が上手くいかず、しかも周囲の人間はケイトリン夫人が継子を虐待していると信じ込み、ある日ケイトリン夫人の次女ティファニーが町の子供に怪我をさせられた。
 町の大人たちは見て見ぬふりだったらしく、命の危険を察知した夫人は町を脱出。
 義弟のトムリンソン男爵に助けを求めた。
 トムリンソン男爵から話を聞いたウォーターハウス侯爵は弁護士を派遣、離婚協議が始まった。
 事件があった当時、屋敷を留守にしていたガルシアは離婚を拒否。
 話が平行線のまま、彼は落石事故で命を落とした、ということらしい。

 「バーノン・ガルシア氏は事故死で間違いないと思われますが…。彼の一人娘の虐待に関しては、本当に町人の誤解なのでしょうか」
 「…うむ」
 私もとっさに返事ができなかった。
 虐待はあくまで誤解だと資料には書いてあるが、ケイトリン夫人が雇った弁護士が用意したものだ。
 鵜呑みにはできない。
 「あの…私はケイトリン夫人は無実だったと思います」
 突然そう言いだした従者に、全員の視線が集まる。
 どういうことだと目で促した。
 「ガルシア氏が亡くなった後、ケイトリン夫人は自分と自分の娘の遺産を完全に放棄する手続きを取ったそうです。かなり莫大な遺産だったにも関わらず、生前に贈与された宝石類以外は受け取っていません」
 「確かに…遺産を受け取っていたら、家庭教師などしていないな」
 「ケイトリン夫人が強く主張したのが、ガルシア氏の娘の親権を放棄することだったとか。わざわざガルシア氏の親族まで見つけ出して遺産分配の席に同席させたそうです。おかしくありませんか?継子を本当に虐待していたのなら、遺産を受け取り、継子と平然と同居しているはずです。虐待する子供のことなんて怖くないでしょう?なのに、夫人は継子とだけは暮らせないと激しく拒否したそうです」
 「また町の人たちに虐待を察知されると思ったのでは?」
 「だったら引っ越せばいい。遺産と継子と一緒に、彼らの知らない土地に移ってしまえばよかったことだ。私が悪い人間なら、そのあとで継子を養子にして家から追い出す」
 「確かにおっしゃる通りですね…。ではやはり…」
 「彼女は虐待などしていない。さらに冷静で頭のいい人間だ。…弁護士を同席させて遺産を拒否すれば、のちのちの面倒ごとから逃れられるからな」

 マルゲリータの家庭教師はケイトリン・ウォーターハウス夫人に決定した。
 侍女長は最後まで不安げな顔をしていたが、様子がおかしければすぐに契約を解除するということで納得したのだった。

 一週間後、ケイトリン夫人は二人の娘を連れて再び屋敷にやってきた。
 「お久しぶりです、ウォーターハウス夫人」
 「お待たせいたしました、大公閣下。今回はご採用いただきありがとうございます」
 「実は窓の外から様子を伺っていました。あの令嬢が退場するまで待っておられるなんて、危機管理能力が高いですね」
 彼女が門に入る直前、悶着があった。
 あのリンカーン伯爵令嬢が、不採用を不服として屋敷に押し入ろうとしたのだ。
 伯爵令嬢にしか過ぎない身分で、よくもまあ大公家に喧嘩を売るような真似ができるものである。
 呆れながら見ていれば、ケイトリン夫人がじっと様子を伺っていることに気づいた。
 彼女は暴れる伯爵令嬢が警邏にきっちりと送還され、視界から消えるのを確認してから門番に声をかけていた。
 もし顔を覚えられて絡まれれば面倒ごとにしかならないと思ったのだろう。
 やはり冷静な女性だ。
 「早速ですが、条件の確認に入ろうと思います」
 私は用意していた書類を差し出した。
 高位貴族の子女の家庭教師はなかなかに高給取りだ。
 さらに今回は彼女の二人の娘も一緒に住むため、その条件も細かく記載した。
 「大公閣下さえよければ、条件を追加していただけませんでしょうか」
 ケイトリン夫人はざっと目を通すと、そんなことを言い出した。
 「条件によりますが…何をお望みでしょう?」
 全く予期していないわけではなかったが、私は少し警戒する。
 だが彼女は思わぬことを言い出した。
 「前回このお屋敷にお邪魔したとき、働く方々のレベルの高さに驚いたのです。皆様ある程度の身分で、高度な教育を受けられたのではないでしょうか」
 「それは…そうですが」
 「連れて来た二人の娘なのですが、このお屋敷で侍女として雇ってはいただけませんでしょうか」
 「お嬢様方をですか?」
 「すでに私のことはお調べになっているかと思いますが、娘二人の父親は元男爵で、すでに故人です。今は私の実家の姓を名乗っていますが、貴族に籍はありません。淑女教育も施してはいますが、将来のためにも侍女としての仕事を覚えさせたいのです」
 「ふむ…」
 希望とは、娘二人の侍女教育だった。
 侯爵家出身とは言え、実家に継母が健在のうちは彼女も彼女の娘たちも平民のまま。
 この屋敷にも平民出身の侍女は何人かいるが、皆何らかの伝手があった者ばかりだ。
 彼女も娘たちのより良い将来のため、貴族の家に住み込める機会を逃すまいと思ったのか。
 「二人ともまだ幼いですし、一人前と認められるまでは給与もほとんど出ないでしょう。そこは私の給与と調整していただいて結構です」
 「…お嬢様方は、子供たちの遊び相手と考えていたのですが」
 「お言葉ですが、先ほど言ったように娘たちは貴族ではありません。大公家のお子様たちの遊び相手では、自分たちの立場を勘違いするやもしれませんわ」
 ケイトリン夫人はきっぱりと言った。
 つい一年前まで男爵夫人だったとは思えないほど、貴族と平民の境をしっかりと自覚していた。
 「…よくわかりました。お嬢様たちのことに関しては、執事と侍女長と相談することにしましょう。他には何かありませんか?」
 「特にはございません。お部屋まで用意していただき、恐れ多いですわ」
 「それでは、早速子供たちに会っていただけませんか」
 「まあ、今日は会わせていただけますのね」
 執務室に入ってからずっと硬かったケイトリン夫人の顔が、今日初めてほころんだ。
 私からの信頼を感じ取ってくれたのかもしれない。
 私は呼び出した従者にケイトリン夫人と子供たちの面会を手配させると、入れ替わりで執事長と侍女長を呼び出したのだった。

 二人ともケイトリン夫人の申し出に驚いていたものの、すぐに了承した。
 数年後にはマルゲリータと歳の近い侍女をと思っていたので、今から教育できるのは都合がいいようだ。
 また子供たちと少し過ごしただけで、ケイトリン夫人はマルゲリータの様子がおかしいことにすぐに気づいた。
 女性恐怖症のようだと。
 フランチェスカのことは、またしても言葉を濁してしまった。
 それでも何となく状況を読んだのだろう、ケイトリン夫人はフランチェスカの時のようにマルゲリータを部屋に閉じ込めたりせず、開けた場所で貴族としての知識の教育から始めてくれた。
 同時に二人の娘の侍女教育も始まり、思いのほか穏やかな日々が過ぎた。

 「ウォーターハウス夫人を選んだ旦那様の目に狂いはありませんでしたわ。グリフィン様はすっかり夫人を信用していますし、楽しんで授業を受けていらっしゃいます。マルゲリータ様も、どことなく顔色が良くなったようですわ」
 侍女長はすっかりウォーターハウス母子贔屓になっていた。
 真面目な彼女には、何事も真摯に取り組む彼女たちが好ましく映ったのだろう。
 「二人のご令嬢はどうだね?」
 「ヴァレンティーナとティファニーですね。どちらも幼いのに、真剣に仕事をしています。特にヴァレンティーナは呑み込みが早いですわ。平民なのが勿体ないですわね。貴族籍にあれば、王宮女官も夢ではありませんのに」
 ヴァレンティーナは黒髪の姉の方か。
 ケイトリン夫人に顔立ちが似ていて、将来が楽しみな美少女だった。
 やや釣り目がちで、初日の食事会でグリフィンが「猫みたいな顔だね」とデリカシーのないことを言い、その頭を張り倒したのは記憶に新しい。
 「妹の方は?」
 「ティファニーはヴァレンティーナに比べれば少しおっとりしていますが、男爵家で淑女教育をあらかた施されているので、歳のわりにはずっとしっかりしていますよ。ただマルゲリータ様とは反対に、若い男子は苦手みたいですね」
 妹のティファニーは母親と同じ髪と目の色をした、大人しそうな娘だった。
 若い男が苦手というのは、やはり町で怪我をさせられたトラウマだろうか。
 どちらにしろ家庭教師はこのままケイトリン夫人に任せる、ヴァレンティーナとティファニーもこのまま侍女として手元に置くという方向で侍女長と意見が一致させた。
 すると、見計らったように執事長が手紙の束を持って執務室に入ってきた。
 大公家宛ての手紙は私の手に渡る前に必ず執事長が開封し、目を通す必要があるものとそうでないものに分け、前者のみ私の手元に持ってくる。
 「旦那様、お手紙をお持ちしました」
 「ああ、ありがとう」
 「差し出がましいようですが…一番上に置いたお手紙はすぐに読んだ方がよろしいかと」
 「…分かった」
 ただならぬ気配を察した侍女長は、礼をして退室した。
 それを横目に、まずは封筒の差出名を確認する。
 「これは…」
 差出名は『ワイアット・コース』となっていた。
 知らない名だ…。
 しかし、手紙を読んだ執事長が緊急性があると判断したのだ。
 私は手紙の文字に目を滑らせた。
 「すぐに王宮へ。…国王陛下にお会いしなくてはならない」
 その手紙はかつての学友だった辺境伯が偽名を使って送ってきたものだった。
 私は急遽彼の息子を保護したり、国王や王太后と対策を練ったりと、普段は国政にかかわらないこその身軽さをこの時ばかりは発揮して立ち回った。
 だがそんなときに限って、悪いことは重なるものだ。

 忙しくなってから一週間が経過しようとしていた頃、私の元に騎士団の副長を務めるレイ・シュトロハイム伯爵が来客を告げた。
 シュトロハイム伯爵は辺境伯の件に関する私のパートナーとなって動いてくれていた。
 機密が漏れないよう来客の対応もしている彼が、火急の要件らしいと見知った人物を連れてきた。
 「養父上…」
 ブリアンナの父親である伯爵だった。
 挨拶の口上もそこそこに、彼は泡を食ったように話し出した。
 「大変です、閣下!キューブリックが朝早く使いをよこして…フランチェスカが修道院から逃げ出したらしいのです」
 「なんですって!?」
 「着の身着のまま抜け出して金も持っていないはずですが、念のため急いでお知らせに上がりました」
 「屋敷には?」
 「それが、たまたまいつも使いに寄越している者が実家に帰っていまして。閣下から大公屋敷の者に仰った方が早いと思い、ひとまず閣下の元に…」
 「シュトロハイム伯爵、部下を何人か連れてついてきてくれないか?」
 「…、了解しました」
 「閣下?」
 シュトロハイム伯爵は少し驚いたようだが、余計な口は挟まずに命令を実行しようとしている。
 義父の方が驚いていた。
 「閣下、フランチェスカはあなたの元に向かうのではと…」
 「だからです。今は急ぎの用向きがあって休日でも王宮に詰めていますが、普段だったら私はまだ屋敷におります」
 「…あっ」
 だからフランチェスカは真っ直ぐ私の屋敷に向かったはずだ。
 いや、彼女は王宮に入り込める身分ではないから、行くなら大公屋敷しかない。
 私は慌てて馬車に乗り、大急ぎで屋敷に戻らせる。
 しかしことは起こった後だった。
 シュトロハイム伯爵にフランチェスカのことを説明しながら屋敷に戻れば、一見普段と何の変わりもないように見えた。
 しかし私は正門に裏門を警備しているはずの門番がいることに気づいて問いただす。
 そこで知ったのは、数刻前まであのリンカーン伯爵令嬢がまた騒ぎを起こしていたということだった。
 裏の門番は正門の応援に駆け付けていたのだ。
 …ということは、今裏門はがら空きだ。
 もし、フランチェスカがずっと様子を伺っていて、裏門が無人になるのを待っていたとしたら…。
 あの女ならば、裏門の鍵の位置を知っていた可能性が高い。
 私は門番の一人を襟首をつかんだ。
 「グリフィンとマルゲリータはどこだ!?」
 「ぐ、グリフィン様は今日は朝からお出かけに…。マルゲリータ様は…確か、家庭教師と中庭でお茶を…」
 「中庭!」
 私は門番を離すと、ぱっと中庭への近道の回廊を走り出す。
 シュトロハイム伯爵とその部下たちも後ろをついてくる。
 無事でいてくれ…マルゲリータ!
 1分もかからない道のりが、恐ろしく長く感じた。
 そしてようやく中庭の入り口が迫ったその時。

 「誰か、だれか来てーーーーー!早く!!ヴァレンティーナ!ティファニー!!侍女長様ーーー!大公閣下ーーー!!!」

 ケイトリン夫人の声だ!
 中庭に出れば、思わぬ光景が広がっていた。
 夫人とマルゲリータは、中庭の真ん中にテーブルを出してお茶を楽しんでいたのだろう。
 しかし皿やカップはもちろん、ケーキやクッキーがあたりに散らばり、テーブルは倒されている。
 そしてテーブルの前で女性が二人、もみ合っていた。
 一人は毒々しい赤のドレスを纏ったあのフランチェスカで、芝生の上に仰向けになり、椅子の下敷きになっている。
 そしてケイトリン夫人は、椅子を挟んでフランチェスカを必死に抑え込んでいた。
 フランチェスカは刃物を右手に持っており、ケイトリン夫人に向けて振り回している。
 そして一緒にいるはずのマルゲリータは…。
 「マルゲリータ!!無事か!?」
 テーブルの向こう側で、マルゲリータは椅子に座ったまま震えていた。
 私の声が聞こえたはずなのに、椅子にかじりついたまま顔を上げようとしない。
 「シュトロハイム伯爵!」
 「はっ!!」
 私は伯爵にケイトリン夫人の保護とフランチェスカの拘束を任せると、真っ直ぐ娘の元に向かった。
 「アーロン様、私です。妻のフランチェスカですわ!」
 すると横でフランチェスカが馬鹿な妄想を口にしている。
 勝手に結婚するな!
 「は?…つま?」
 ケイトリン夫人のきょとんとした声が聞こえた。
 一瞬目が合ったが、呆れたような、どこか軽蔑するような視線が投げかけられていた。
 いつの間に再婚していたんだ?こんなのが妻で良いのか?という幻聴が聞こえてきた気がした。
 違う!
 こんな変人が妻でたまるか!! 
 この時ほど、事前にフランチェスカが起こした事件を黙っていたことを後悔したことはない。
 ああ、どうしてケイトリン夫人に正直に言わなかったのだろう。
 ともあれマルゲリータの無事を一番に確認する。
 マルゲリータは私の姿を認識し、ようやく助かったと分かったのか飛びついてきた。
 「お父様…っ。ごめんなさい、ごめんなさい…」
 「マルゲリータ…無事でよかった」
 私は娘の頭を撫でてやると、シュトロハイム伯爵の部下の一人に娘を預けた。
 その間にもフランチェスカはまだ妄言をわめき散らしている。
 すぐにでも娘をここから遠ざけたかった。
 「助けて、助けて下さい、アーロン様!旦那様!この女が私に暴力をふるうの。私とあなたを引き裂こうとしているのです。早く、早くこの女を罰してください!」
 またケイトリン夫人が半目でこちらを見ている。
 …違うのに。
 フランチェスカは騎士たちに手足を拘束された。
 それでもケイトリン夫人はフランチェスカの上から動かず、シュトロハイム伯爵が声をかける。
 「ご令嬢、もう手を放しても大丈夫ですよ」
 「は、はえ!?」
 「ご令嬢、私たちが抑えていますから」
 「あ…その…。すみません、腰が抜けて…うごけませぇん」
 シュトロハイム伯爵は苦笑いしながら、ケイトリン夫人を抱き上げようとした。
 しかし私は一瞬早く手の腰に手を回す。
 「はわっ」
 そのまま彼女を持ち上げれば思いのほか軽かったので、もう片方の手で椅子も持ち上げた。
 後ろから抱き上げたので顔は見えないが、耳が真っ赤になっている。
 それでも暴れないので、腰が抜けたというのは本当のようだ。
 少女のような反応にどきりとしたのは一瞬で、フランチェスカの醜い金切り声が感情を吹き飛ばした。
 「嘘よーーー!アーロン様!その女から離れてください!!その女は…」
 「黙れ!」
 「なぜです、私を妻にしてくださるとおっしゃったではありませんか!なのにどうしてそんな醜女など…!」
 「いい加減にしろ、フランチェスカ・キューブリック。私はお前を妻にすると言った覚えはない!」
 「嘘よ、嘘よ、確かにおっしゃったわ!」
 「貴様の妄想に付き合っている暇はない。閉じ込めていた修道院から逃げ出したと報告を聞いてきてみれば…。マルゲリータを脅し、新しい家庭教師に怪我をさせるなど…!」
 今度こそ、ただでは置かない。
 こんな女は生きていればまた同じような事件を起こす。
 私の怒りの意思を感じ取ったのか、シュトロハイム伯爵は命令を待つことなく、女の腕に縄をかける。
 さらに猿轡を噛ませ、両足も拘束してほとんど簀巻き状態にして連行していった。
 忌々しい女の姿が見えなくなり、ようやく息をついた。
 屋敷の中からも使用人たちがばたばたとやってくる。
 と、そこでようやく私はケイトリン夫人の腕から血が滴っていることに気づいた。
 ドレスの腕の部分が裂かれ、肌から幾筋もの血が見える。
 「ウォーターハウス夫人、お怪我は大丈夫ですか?すぐに医師を…!」
 「あ、いえ…その…」
 「?」
 「腕はかすり傷なんですが、腰が立たなくて…すみませんが、椅子に座らせてください」
 ものすごく恥ずかしそうな、申し訳なさそうな声で言う。
 恥じることなんてない。
 彼女は英雄だ。
 私は持っていた椅子をまず降ろし、次にケイトリン夫人をなるべく丁寧にその上に座らせた。
 ケイトリン夫人は思った通り、真っ赤な顔をしている。
 緊張なのか恐怖なのか目も潤んでおり、年齢よりずっと幼く見えた。
 「お母様!」
 「お母様、大丈夫ですか!」
 そこへ彼女の二人の娘たちがようやく駆け付けた。
 するとケイトリン夫人はあっという間に母親の顔になり、娘たちを愛おしそうに抱きしめた。
 その顔が、亡きブリアンナに重なった。
 彼女も赤子だった子供たちをこんな顔で抱きしめ、額にキスをしていた。
 「大公閣下、私はもう大丈夫ですわ。医師には後で診てもらいます。まずはマルゲリータ様の元へ行って安心させてあげてくださいませ」
 「…ウォーターハウス夫人、本当に感謝します」
 私は夫人に深く頭を下げる。
 またしても私は娘を救えなかった。
 救ったのはブリアンナと同じ意思を持つ、ケイトリン夫人だった。
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