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八 拝啓… ~僕は地獄でセカンドライフを謳歌しています~

五 おかわりしていい?

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 「ちょっと用事を思い出しちゃった」なんて、見え透いた嘘だけど、

 「今日は蓮さん、葉さんと話ができて楽しかった」
 「ミッちゃん、今度うちらの部屋に遊びにおいで!」
 「ミッちゃんとまだまだ話したいしィ!」
 「は…はい、その時は‥‥」
  蓮さん、葉さんにお誘いを受けて、僕はちょっと苦笑いで席を立った。



 もう居ないかもしれない。

 ほんの数分前、食堂を出て行ったサドゥラ兄さんを探して屋敷の廊下をキョロキョロしながら歩いてた。

(こんなに広いんだもん…もう居ないか…)

 探して、見つけて、だからなに?
とっつきにくくて目も合わせられない。
多分、見つけたとしてもオドオドしてしまう自分は分かってる。でも、少しだけ‥‥話がしたかった。




 月の光で辺りの風景は白藍色の帳が下りていた。
食堂を出て繋ぐ廊下は白藍色に反した黒艶の線のようで、先へ行っては右に、先に行っては左に曲がって、ただただ長く続いている。

 風の丘から下りてくる柔い風に顔を向けて足を止めた。

 手摺りにやや身体を預けて、軒下から天を仰いだ。
そこから僅かに視線を斜めに上げると、満月には満たない白い月が間近に見えた。
呂色の両目に月の光が反映する。
少しの間、月を眺めていた。





 きれいだと思った。

 静かに月を見上げてるその姿を、僕はしばらく見入ってた。

 向こう側の屋敷へ渡る廊下の途中にサドゥラ兄さんは居た。
緩く結んだ長い髪が風に揺れて、僕の気配に気づいたようでゆっくりと振り返る。

(‥‥あ‥‥)
 サドゥラ兄さんと目が合って‥‥ほら、やっぱり何も言えないじゃないか。

「なんだ?何か用か―――?」


 ぶるるる‥‥‥‥
そんな自分を払拭するように僕は頭を二、三度振ってからサドゥラ兄さんの方へ歩み寄った。
 至近距離から見上げると、改めて兄様たちの大きさに圧倒される。
「―――――?」
 見上げているだけの僕を不快に感じたのか、サドゥラ兄さんは眉を寄せる。その目が睨んでるように見えて怖いぃぃ。
「ご、ごめんなさい!別に後を付けてたんじゃないんです!」
 またオドオドして「ごめんなさい」って頭を下げた僕に、意外だった。
「月が‥‥きれいだ」
「‥‥‥え?」
「おまえは…月を見上げることはあるか?」
 突然に、何を言い出すのかと思ったら、サドゥラ兄さんって見た目によらずロマンチスト?
「え?あ、あ、た、たまには…」

 サドゥラ兄さんの両目は頭上に上がった白い月を見上げてた。

 その目は――――
なんだか哀しい目をしてる。
 確かに、鬼様であってその風格に畏怖する。
僕を見る目にもどこかしら怖さを常に感じるけど、今はその目に哀しさが映ってる気がした。
(なんだろ‥‥切ない‥‥)

 風が止んだ。

 サドゥラ兄さんが僕の方を振り向く。
いやだ―――また心の声を聞かれてしまう。
「あ…っと、えっと…明日、明日もにいますか?」
 とっさになに言ってるんだろ。心の声を掻き消そうとして訳の分からないことを言ってしまった。
さっきから「なんだこいつ」って思われてるだろうな。だって、またサドゥラ兄さんの両目が僕を睨んでる。
(‥‥う゛)
 濡れたような深く美しい黒色の瞳は僕を捉えてる。
“蛇に睨まれた蛙”のごとく、動けない。
「―――だから…なんだ?」
 穏やかでいて低い声でサドゥラ兄さんは言う。
(この目に飲み込まれそうだ…)
 こくりと唾を飲み込む喉の音が聞こえそう。




 トン――――‥‥

 (‥‥‥‥へ?)

 空からなに?!
って、舞い降りてきた?!

「たっだいまぁ~‥‥んぁ?お二人で何やってんの?」
「え…?ルカラ兄さん?!」
「今日も遅くなったよぉ。ごめんねミツキ、なかなか一緒にいられなくて」
 ふわりと手摺りに足先を着けて体勢を整えてからそこに座った。

 ごめんねもなにも…今、どっから来た?!
気づいたらサドゥラ兄さんと僕の間にルカラ兄さんが、居る!
空を、空を飛んできた?!
この鬼様たちは空も飛べるんですか?!
まだまだ知らないことがいっぱいだ。

 見開いたままの瞼がピクンってした。

「ただいまの―――‥‥」
 ルカラ兄さんからのキス。
 あゎゎゎ―――!
サドゥラ兄さんの目の前で!
気兼ねなく、恥ずかし気もなく、ルカラ兄さんは自然にキスをしてくる。僕の方が恥ずかしくなる。
「おっ…かえりなさい」
 息つく間もない事態ばかりで、僕は口だけがパクパク動いてた。
「くっ…ミツキ、カワイイ♡」
 鮮やかな赤い唇で笑う。

 「ルカラ、あと、頼んだぞ」

  呆れたように薄笑みを浮かべてサドゥラ兄さんは行っちゃった。

(ん?ぁ?…って!)
 僕はサドゥラ兄さんの背中を睨みながらぷくっと頬っぺを膨らませてた。


「愛想ない奴だけどな。桫慟羅あいつは少しばかり人間を忌み嫌うとこがあってね‥‥」
 サドゥラ兄さんの背中に視線を送りながら、僅かに苦笑いを浮かべてた。
「ま、そんなことは置いといて、ハイ、これ♡」
 目が覚めるような青い、青い睡蓮。
「八重の睡蓮なんだよ。めったに地獄ここでは咲かないんだけど、珍しく咲いてたからミツキにプレゼント♪」
 ふっくらとした花びらの一枚、一枚が滲み絵みたいに青く染まって、じっと見てると背筋がぞわぞわってするくらい美しい睡蓮だった。
「ありがと‥‥」
 ルカラ兄さんを見上げた次の瞬間にはもう、二回目のキス。
両腕に僕をしっかりと包み込んで、倒れるんじゃないかぐらいに篤いキスだった。

 どうしちゃったんだろ、僕。
ふぅ…とルカラ兄さんの唇が離れそうになったから、ぎゅっと両手でしがみついて、今度は僕からその紅色の唇を求めた。
思いがけない様子でルカラ兄さんの白鼠色の目が丸くなってた。
「――――ぅん‥‥‥‥」
 って、吐息のように応えて僕の唇を優しく食んだ。

 あんなに―――‥‥
哀しい瞳が僕の心の中まで浸食するみたいにものすごく寂しい気持ちが襲ってきて、誰かの温もりを感じていたかったんだ。
心が―――無くなりそうだった。





 翌朝、朝食の準備の手伝いに厨房へ向かう途中から、もう、いい匂いがしてた。
香ばしくて、そんな中にも甘酸っぱいような匂いが程よい加減で混ざり合ってる感じ。

 (華歯さん――もう支度してるのかな?)

 その匂いに期待を膨らませながら厨房を覗くと、やっぱり、そこには華歯さんがまだ一人でせかせかと働いてる。

「華歯さん、おはようございます」
「おはようございます。ミツキさん」
 僕の声に振り返った華歯さんは軽やかな笑顔だった。
「もう、朝食の準備ですか?」
「いえ…今日はですね、お昼のおやつにと思って、アップルパイを焼いていたところです」
 その言葉を聞いた僕の心臓がキュン!
「え?!アップルパイですか?ほんとに?!」
「はい…アップルパイはキライですか?」
「ううん!その逆!僕の大好物なんだ!」
 自分でも分かるくらい、目を輝かせた。
そんな僕の表情に華歯さんは満足げな笑顔で、
「それならよかった。作った甲斐があります。あ…さっき一つ焼き上がったので味見してもらえますか?少し、シナモンを入れ過ぎてしまったような‥‥」
 華歯さんはちょっと不安そうな口調で、作業用のテーブルに冷ましてあったつやつやのアップルパイを切り分けてくれた。
 それは―――
サクッとした香ばしいパイの匂いの後に、シャリ…っと柔らかいけどリンゴらしい食感が口の中に広がった。一瞬で僕の全身がアップルパイの甘酸っぱい味に包まれた。
「んんん――!おいしいっ♪」
 僕の大好物だからこそ、こだわりもあって、アップルパイのリンゴの食感はこのシャリシャリっとした食感でなきゃダメ!中には、リンゴジャムを使ってるのもあるけど、僕にはあれは非道だ。アップルパイって言うだけあるんだから、ちゃんとリンゴの食感は大事にしてほしい。と思う。うん。
 で、作り立てを味見させてもらった上に、
「…華歯さん…あのぉ…おかわり‥‥おかわりしていい?」
 僕のためのスイーツじゃないのに、おかわりなんて厚かましい。
「よかったぁ。お口に合って!」
 華歯さんの表情がパァっとなって、僕は遠慮せずにアップルパイのおかわりまで頂いた。


 「あの…ミツキさんにお願いがありまして‥‥」
 それから、朝食の準備に取り掛かっていた華歯さんが言った。
「なんですか?」
「また、アップルパイでよければ作って差し上げたいのですが、ここにはもうリンゴがなくて‥‥」
 何のことだろう、一瞬考えた。
そういうこと!

「うん!果樹園に行ってくる!」

 今日ももう一つ、僕のお仕事ができた。

 「それと‥‥」

 って言って、華歯さんが作業用テーブルの向こう側に回って、何やら持ってきた。
「これ、お昼のお弁当です。よかったら食べて下さい」
 華歯さんは控えめに笑って、持ってたお弁当?を、一つは僕用に僕に見合った大きさのお弁当箱で‥‥
もう一つあった。
「これは、にも。きっと、はいいお手伝いさんになると思いますよ」
「‥‥?」
 渡されたもう一つのお弁当は少し大きくて重箱みたいに重なってた。
…って‥‥?)

そういうこと!
 華歯さんはの分までお弁当を作ってくれてたんだ。
(なんて優しい人なんだろ)

 僕は心から感謝の気持ちでいっぱいだった。


 まるで、ピクニック気分。
ちゃんとしたリュックに小鬼くんたちの分のお弁当も入れて、収穫したリンゴを入れる籠を借りて、

「行ってきます!」

 ワクワク、ドキドキのみたいな感じで、リンゴ狩りに出発です。

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