婚約破棄と溺愛のアンソロジー[短編集]

イアペコス

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夜明けのセラフィナイト

第二章:公爵の執着と伯爵令嬢の戸惑い

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婚約破棄の翌日。クラインフェルター伯爵家は、静かな混乱に包まれていた。モンフォール侯爵家から正式に婚約破棄の書状が届き、父である伯爵は怒りに震え、母は娘の身を案じて泣いていた。リリアンジェは自室にこもり、虚ろな気持ちで窓の外を眺めていた。

そんな時、使用人が慌てた様子で部屋に飛び込んできた。
「お、お嬢様! 大変でございます!」
「どうしたの、マリー」
「グライフ公爵様から、お見舞いのお品が……!」

マリーに促されて玄関ホールへ向かうと、そこには信じられない光景が広がっていた。ホールを埋め尽くさんばかりの、純白の百合の花。その甘く強い香りが、家中を満たしている。そして、その中央には大きな木箱がいくつも置かれていた。

「これは……」
呆然とするリリアンジェに、執事が震える手でカードを差し出した。

『君の心の傷が、少しでも癒えることを願って。 ゼファニヤ・ヴァルザー・グライフ』

木箱の中には、最高級の茶葉や菓子、美しい装飾が施された宝飾品、そして肌触りの良いショールなどが収められていた。どれも、伯爵家では到底お目にかかれないような一級品ばかりだ。

「リリア、これは一体どういうことだね?」 父が困惑した表情で尋ねる。 「……昨夜の夜会で、少しだけお話を……」 それだけだったはずだ。なのに、この贈り物の量は尋常ではない。

それからというもの、ゼファニヤからの「お見舞い」は毎日続いた。ある日は珍しい果物、ある日は有名な画家の絵画、またある日は王宮音楽団の演奏家たちを邸に派遣してきて、リリアンジェのためだけに演奏会を開かせた。

彼の行動は王都の社交界であっという間に噂になった。
『あのグライフ公爵が、婚約破棄されたばかりのクラインフェルター令嬢にご執心らしい』
『モンフォール侯爵はとんだ獲物を逃したのではないか』

カシウスとイザベラにとっては、面白くない状況だった。彼らはリリアンジェが惨めに家に引きこもる姿を期待していたのだ。
「あの女、公爵に取り入って……!」
イザベラは苛立ちを隠さず、カシウスは自分の判断が間違っていたかのような周囲の視線に屈辱を感じていた。

一方、リリアンジェはゼファニヤの行動に戸惑うばかりだった。
「なぜ、あの方がここまで……」
彼の真意がわからない。同情だろうか。それとも、カシウスへの当てつけだろうか。どちらにしても、素直に喜ぶ気にはなれなかった。婚約破棄の傷は深く、男性の優しさを信じることができなくなっていた。

彼女は贈り物に手をつけることなく、丁重な礼状だけを毎日送った。
『過分なお心遣い、誠にありがとうございます。ですが、これ以上のお気遣いはご放念くださいませ』
しかし、彼女の遠慮など気にも留めないかのように、ゼファニヤからの贈り物は止まらなかった。

そんなある日、リリアンジェが気分転換に街へ出かけると、偶然カシウスに出会った。 「よう、リリア。ずいぶんと良いご身分になったじゃないか。公爵閣下に乗り換えるとは、見事な手腕だな。俺が捨てた女に、そんな価値があったとは驚きだ」 彼の言葉には、嫉妬と侮蔑が滲んでいた。

「……違います。私はただ、ご厚意をいただいているだけで」
「厚意? 笑わせるな。あの冷血漢が、見返りもなしに動くものか。君は一体、何を差し出したんだ?」
下卑た視線が、リリアンジェを射抜く。彼女は悔しさと恐怖で体が震えた。

その時だった。
「私の婚約者に、何か用かね。モンフォール卿」
背後から、地を這うような低い声が聞こえた。ゼファニヤだった。いつの間に現れたのか、彼はリリアンジェの肩を抱き寄せ、カシウスを氷のような瞳で睨みつけていた。

「こ、婚約者……!?」
カシウスだけでなく、リリアンジェも驚いて彼を見上げる。

「ああ、そうだ。リリアンジェ嬢は、私の未来の妻だ。彼女を侮辱することは、この私とグライフ家を敵に回すことだと覚えておくがいい」
その圧倒的な威圧感に、カシウスは顔を青くして後ずさった。
「し、失礼した……」
そう言うのがやっとで、彼は逃げるようにその場を去っていった。

嵐が去った後、リリアンジェはゼファニヤの腕の中で呆然としていた。
「公爵様……今のは、一体……」
「君を守るための、最も手っ取り早い方法だ」
彼は事もなげに言った。
「だが、ただの方便ではない。私は本気で、君を私の妃に迎えたいと思っている」

真剣な瞳で告げられ、リリアンジェの心臓が大きく跳ねた。
「なぜ……なぜ、私なのですか? もっと、あなたに相応しい方がいらっしゃるでしょう」
「相応しいかどうかは、私が決める。私が望むのは、リリアンジェ・フォン・クラインフェルター、君ただ一人だ」

彼の言葉は、あまりにもまっすぐで、あまりにも熱烈だった。リリアンジェは彼の腕をそっと押し返し、一歩距離を取った。
「……お気持ちは、嬉しいです。ですが、私にはそのお申し出を受ける資格がありません。私は……もう誰も、信じることができないのです」

そう告げる彼女の瞳には、深い絶望の色が浮かんでいた。
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