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20.凄腕過ぎる医師
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船医のアゼルが目覚めたのは屋内であるが土の上だった。荒い粗末な敷物の上に寝かされている。
大きな嵐に遭い、船が座礁して転覆したことを彼は思い出す。
長旅で皆が疲れ切っていた。目的地まで後少しだと焦っていた。そのため嵐の中の航行を強行したのだった。
アゼルは航海士のエルデムが近くの港に停船させろと怒鳴っていたのを聞いていた。エルデムはとても優秀であったが、狼男なので軽く扱われているとアゼルは感じていた。彼自身もエルデムの牙を爪を恐れていて、無用な接触を避けていた中のひとりである。
艦長と副艦長はエルデムの提案を受け入れずに先を急ぐことを決めた。
なぜ、エルデムの言葉を聞くように艦長に進言しなかったのか? 船には貿易資金として銀を積んでいた。適当な港に入っても食料と飲料水ぐらいは手に入れることができただろう。
アゼルは後悔で頭を振る。優秀うな航海士を狼男であるというだけで軽んじたため、多くの仲間の命が失われてしまった。
アゼルは辺りを見回した。粗末な敷物に座っている者は三十人ほどおり、不思議な服を着た女から木でできた四角い器を渡されていた。
アゼルも頑張って身を起こしようやく座ることができた。一段高くなった板敷きの部屋から濃厚な血の臭いがして、そちらを向くと仲間が五十人ほど寝かされている。そして、異形の男がメスを持っていた。
その男があまりにもためらいなく開腹する様子に、仲間が解体されているのかと勘違いしたが、そうではなかった。
アゼルはふらつく体で立ち上がる。そして、板間に近づいていった。
黄色い髪の男のあまりに鮮やかなメスさばきに、船医である彼は目を奪われてしまう。鍛え上げられた海軍兵士の腹の筋肉をまるでプティングのように簡単に切り裂いていく。あまりにも速いメスの動きに血さえ流れ出るのを忘れてしまっているようだ。
「水をどうぞ」
異国の女が四角い木の器を差し出してきた。言葉がわからぬが飲めと言っているのがわかり、船医は器を受け取り口をつける。薄い砂糖と塩の味がする。人肌のぬるま湯は沸騰して冷ましてあるようだ。
『ありがとう』
自国の言葉ではなく、海を挟んだ島国の帝国の言葉を口にした。
女には通じなかったようだが、板の間にいた壮年の男が振り向いた。
『インレンス帝国の言葉がわかるのか?』
『ああ、理解できる。私は船医だ。手伝うことがあれば言ってくれ』
『それは助かった。私はセイスケ、この若いのはショウタ。この国の医師だ』
ショウタは無言で傷ついた臓器を縫い合わせていた。無駄のない開腹、無駄のない縫合。
ショウタの手術の腕は嫉妬することさえ許さないほどに、船医のアゼルを圧倒していた。
狼男のエルデムはもう一歩も歩くことができない。
船員たちが板に乗せられて運ばれていく先が気になり、浜から港の方へと歩いていたが、昨夜からの無理がたたって空腹で倒れそうになっていたのだ。
ようやく夜が明けて朝日が眩しくエルデムを照らしている。
自分が異形であることをよくわかっているエルデムは、異国の地で船を降りることはめったにしない。人として扱ってもらえないことの方が多いからだ。恐れられて避けられるより、船に残っていた方が気が楽だと思っている。
大きな荷物を持って歩いてきた若い娘と男の子を見たエルデムは、怖がって逃げていくだろうと思ったが、空腹に耐えかねて声をかけた。
『何か食い物が欲しい』
ミホは目の前の異形の男を見つめていた。上半身の服は破れてぼろの様になっていて、発達した筋肉が露わになっている。獣のような耳が頭にあり、ふさふさの尻尾が足の間から見えた。
男は何か言葉を発したが、ミホには意味は全くわからなかった。それでも、ショウタと同じ金色の目をした異形の男が、空腹だろうと推測できた。
ミホはしゃがみ込み、手に持っていた風呂敷包み膝に置き、風呂敷の結びを解いた。重箱の蓋を開けてびっしりと詰まったおにぎりを一つ取り出し男に差し出した。
エルデムは娘が怯えた様子もなく食い物らしい物を差し出したので驚いたが、見慣れぬ拳ほどの塊を受け取り口に運ぶ。
『しょっぱい!』
エルデムは思わず叫んでいた。柔らかいライスらしい塊の中に赤い実が入っていた。それでも空腹なのであっという間に完食する。
ミホはあと二つのおにぎりを差し出した。
「ショウタさんの朝ごはんだから、これぐらいでいいですか?」
「凄いな。あの耳、動いているから本物だよね。触ってみたいな。これをあげるから触っては駄目かな?」
おにぎりを三個あっという間に完食した男に、ミノルが手土産に持ってきたまんじゅうを差し出した。
小さな子どもも自分を恐れないことに訝しく思いながら、エルデムはお菓子らしいものを受け取った。
『甘くて旨い!』
エルデムはようやく人心地ついた。
「それでは私は急ぐので」
ミホは風呂敷を結び直して立ち上がり、道行く漁師に聞いたショウタがいるという網元の家へと急ぐ。
ミノルは異形の男の耳や尻尾を触ってみたかったが、言葉が通じないようなので諦めてミホの後を追った。
狼男は鼻が利く。空腹が満たされ元気になったエルデムは仲間の臭いをたどって網元の家へと急いだ。もちろん、ミホとミノルをあっという間に追い越して行く。
「すげー、速! ショウタさんとどっちが速いかな」
確実に自動車より速く走っているエルデムをミノルが口を開けて見送っていく。
「力ならショウタさんの方が絶対に上だと思う」
ミホは謎の対抗意識をエルデムに持っていた。
大きな嵐に遭い、船が座礁して転覆したことを彼は思い出す。
長旅で皆が疲れ切っていた。目的地まで後少しだと焦っていた。そのため嵐の中の航行を強行したのだった。
アゼルは航海士のエルデムが近くの港に停船させろと怒鳴っていたのを聞いていた。エルデムはとても優秀であったが、狼男なので軽く扱われているとアゼルは感じていた。彼自身もエルデムの牙を爪を恐れていて、無用な接触を避けていた中のひとりである。
艦長と副艦長はエルデムの提案を受け入れずに先を急ぐことを決めた。
なぜ、エルデムの言葉を聞くように艦長に進言しなかったのか? 船には貿易資金として銀を積んでいた。適当な港に入っても食料と飲料水ぐらいは手に入れることができただろう。
アゼルは後悔で頭を振る。優秀うな航海士を狼男であるというだけで軽んじたため、多くの仲間の命が失われてしまった。
アゼルは辺りを見回した。粗末な敷物に座っている者は三十人ほどおり、不思議な服を着た女から木でできた四角い器を渡されていた。
アゼルも頑張って身を起こしようやく座ることができた。一段高くなった板敷きの部屋から濃厚な血の臭いがして、そちらを向くと仲間が五十人ほど寝かされている。そして、異形の男がメスを持っていた。
その男があまりにもためらいなく開腹する様子に、仲間が解体されているのかと勘違いしたが、そうではなかった。
アゼルはふらつく体で立ち上がる。そして、板間に近づいていった。
黄色い髪の男のあまりに鮮やかなメスさばきに、船医である彼は目を奪われてしまう。鍛え上げられた海軍兵士の腹の筋肉をまるでプティングのように簡単に切り裂いていく。あまりにも速いメスの動きに血さえ流れ出るのを忘れてしまっているようだ。
「水をどうぞ」
異国の女が四角い木の器を差し出してきた。言葉がわからぬが飲めと言っているのがわかり、船医は器を受け取り口をつける。薄い砂糖と塩の味がする。人肌のぬるま湯は沸騰して冷ましてあるようだ。
『ありがとう』
自国の言葉ではなく、海を挟んだ島国の帝国の言葉を口にした。
女には通じなかったようだが、板の間にいた壮年の男が振り向いた。
『インレンス帝国の言葉がわかるのか?』
『ああ、理解できる。私は船医だ。手伝うことがあれば言ってくれ』
『それは助かった。私はセイスケ、この若いのはショウタ。この国の医師だ』
ショウタは無言で傷ついた臓器を縫い合わせていた。無駄のない開腹、無駄のない縫合。
ショウタの手術の腕は嫉妬することさえ許さないほどに、船医のアゼルを圧倒していた。
狼男のエルデムはもう一歩も歩くことができない。
船員たちが板に乗せられて運ばれていく先が気になり、浜から港の方へと歩いていたが、昨夜からの無理がたたって空腹で倒れそうになっていたのだ。
ようやく夜が明けて朝日が眩しくエルデムを照らしている。
自分が異形であることをよくわかっているエルデムは、異国の地で船を降りることはめったにしない。人として扱ってもらえないことの方が多いからだ。恐れられて避けられるより、船に残っていた方が気が楽だと思っている。
大きな荷物を持って歩いてきた若い娘と男の子を見たエルデムは、怖がって逃げていくだろうと思ったが、空腹に耐えかねて声をかけた。
『何か食い物が欲しい』
ミホは目の前の異形の男を見つめていた。上半身の服は破れてぼろの様になっていて、発達した筋肉が露わになっている。獣のような耳が頭にあり、ふさふさの尻尾が足の間から見えた。
男は何か言葉を発したが、ミホには意味は全くわからなかった。それでも、ショウタと同じ金色の目をした異形の男が、空腹だろうと推測できた。
ミホはしゃがみ込み、手に持っていた風呂敷包み膝に置き、風呂敷の結びを解いた。重箱の蓋を開けてびっしりと詰まったおにぎりを一つ取り出し男に差し出した。
エルデムは娘が怯えた様子もなく食い物らしい物を差し出したので驚いたが、見慣れぬ拳ほどの塊を受け取り口に運ぶ。
『しょっぱい!』
エルデムは思わず叫んでいた。柔らかいライスらしい塊の中に赤い実が入っていた。それでも空腹なのであっという間に完食する。
ミホはあと二つのおにぎりを差し出した。
「ショウタさんの朝ごはんだから、これぐらいでいいですか?」
「凄いな。あの耳、動いているから本物だよね。触ってみたいな。これをあげるから触っては駄目かな?」
おにぎりを三個あっという間に完食した男に、ミノルが手土産に持ってきたまんじゅうを差し出した。
小さな子どもも自分を恐れないことに訝しく思いながら、エルデムはお菓子らしいものを受け取った。
『甘くて旨い!』
エルデムはようやく人心地ついた。
「それでは私は急ぐので」
ミホは風呂敷を結び直して立ち上がり、道行く漁師に聞いたショウタがいるという網元の家へと急ぐ。
ミノルは異形の男の耳や尻尾を触ってみたかったが、言葉が通じないようなので諦めてミホの後を追った。
狼男は鼻が利く。空腹が満たされ元気になったエルデムは仲間の臭いをたどって網元の家へと急いだ。もちろん、ミホとミノルをあっという間に追い越して行く。
「すげー、速! ショウタさんとどっちが速いかな」
確実に自動車より速く走っているエルデムをミノルが口を開けて見送っていく。
「力ならショウタさんの方が絶対に上だと思う」
ミホは謎の対抗意識をエルデムに持っていた。
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