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主と従者の章
自覚
しおりを挟む「フー、ル」
土埃と共に、血の匂いが、離れているのにはっきりと嗅ぎとれた。
場を支配する死の緊張に、全身に震えがおこる。
『マスター・エルダナス、システム00と接続不可』
淡々と、システム02の音声が告げる。
目の前のこの状況を、細やかに分析する様な真似はしなかった。
「システム02。私の魔力をそちらに接続させる時間は」
『10秒です』
「すぐに開始。終わったら自動で魔力を吸収、全階層に流し込め。充分に行き渡るまで、私がこのフロアにいる間は…」
時間は無い。
その中で、一番最初に男がやった事は、心を決める事だった。
「何があっても止めるな」
『了解しました』
「……すまない、間に合うなら、こちらのフォローを」
『了解しました』
通常はシステム00:FOOLで実行する事なのだが、システムメンテナンス時などの非常時用として、中のオペレーターシステムのどれかが起動している場合、システム01:Magicianと魔力の経路を繋げて、ダンジョンマスターの魔力を各階層に自動供給する為に、システム00以外のオペレーターシステムを使える様にしていた。
命令の数は増えるが、不便さはその程度だ。
今回は、最初よりも格段に、一連の再起動に回せる魔力が多い。何事も無ければ、それこそ、余剰分の魔力を増幅する事で、何事もなく際限なく、気が済むまで注ぎ込めるはずだった。
しかし既にイレギュラーが発生している。
圧に止まりそうになる呼吸を落ち着ける様に、大きく息を吸い、吐く。もう一度繰り返して、視線を逸らさないまま少しだけ、瞼を伏せる──しゅるり、と、静かに、身体と外殻の間に溜め込まれた余剰な魔力が回り出し、増幅を始めた。
奥から充満する殺気と狂気に、ダンジョンマスターの膝が折れそうになる。
情けないのは分かっているが、アレは最早、回避しようのない、相入れぬ災害──ダンジョンマスターとしての男が知る範囲では『宝物庫』に巣食うモノ達が放つモノだ。
地下迷宮システムとの接続が終わるまで待ってくれるとは限らない。
接続作業中は確か、壁に触れた手は離れず、動けなかったはずだ。
今来られたら──多分確実に、詰む。
否、待ってくれたとしても、向こうが動けば、ほぼ確実に、詰む。
フールの杖のえげつなさは、ダンジョンマスターであるが故に嫌というほど良く知っている。
先端が「触れるだけ」で、行動に制限を無理やり付与する状態異常を起こすソレは、かつて巷では固有道具故の杖の能力だ、否、あの杖がそもそもその効果を持つ固有魔具だなどと散々言われていたが──
違う。
あの杖は、ああいった形の「ただの杖」だ。
何が起こっているのかというと、あの杖で触れられた側に、システム00:the FOOL内で常に生成されている迎撃ウイルスを瞬時に感染させ、即座に各種状態異常フルセットを発症させる『書き換え』だ。
何もダメージが通らなくとも露出した肌に触れさせるだけで発動し、運が悪ければ即死する。
即死しても本当に死んだ訳ではなく、幸か不幸かただの『状態異常』でしかないため、神の御技に縋らなくともウイルス感染を解除し、生命活動を取り戻す事も可能ではあるが…
こんな災厄との戦闘経験など皆無だし──そんな経験の機会などそうそうあってたまるものか──何より「受け」ても「止め」てもその瞬間に詰む、「避ける」以外の防御方法では意味がない歴戦の前衛の攻撃を、近接戦闘の実践経験の薄い後衛が『運良く』避けられる訳がない。
打つ手が、思いつかない。
『マスター、来ます!』
「!!」
そしてどこまでも運がない事に、今は、調整を掛けて強化された外殻ともいえる魔力の結界がある為、的が大きい。ギリギリ直撃を避けられたとしても、あの丸玉が結界に当たればそこから──
「!」
左腕に、痺れが走る。
強烈な吐き気と目眩、のたうち回り掻き毟りたくなるほどの痒み、魔力の循環と共に、高速で広がる全身の強皮化──
一気に襲いかかる状態異常の波に呑まれ、混乱の前に死の恐怖で背筋が凍る瞬間、しかし全てが緩み、霧散した。
システム02による状態解除コードの流し込みだ。
『マスター・エルダナス。警告します。
そう何度もうまく解除は出来かねます』
ほんの一瞬の生死の境でへたり込み、荒い呼吸を繰り返す男に、離脱を促す提案は、来ない。
かつて連んでいた6人の中でも一番素早いフールを相手に離脱など、無理難題もいいところだ。
そもそも、状態解除コードは、打ち込まれたウイルスを分析し、コードを作成しないと流し込んでも意味がない。ウイルスそのものを変更されれば、一からコードは生成し直しになる。
繰り返しただけダメージとストレスが上乗せされるので殴られ損でしかない。
早期決着も、向こうが何かの段差でつまづいて転んで打ち所が悪くて気絶、くらいの幸運をもってしてやっと望める程度だ。
天と地ほどもある実戦の実力差を覆す要素など、獲物をどうにかしない限りは最早「奇跡」頼りしかない。
外殻に弾かれたのか、部屋の中央あたりに、フールが着地しているのが見えた。その手の杖からパリパリ、チリ、と放電の様な光が見え隠れする。
(──これは一度、死んだ方が早い、かな)
物騒な考えに思考が凝り固まる。
ここで死んだとしても、死体が回収されれば後はなんとかなる。仮に死んだ後にどれだけ肉体が破壊されようとも地上にはカパタト神の祭壇もある。最悪、『学府』にいた頃、自分と縁組をしてまで護って下さったのだろう『あの方』は最高位の司教──カパタト神の死者復活の祝詞を授けられた方だ。後でどうなるかは分からないけれども、なんとかなる、多分。
そうでなくとも、システム02による時間差の解析で、フールが落ち着いてからでも状態解除して貰えば──
『接続完了。自動吸収に移行します』
システム02の音声と同時に、フールが跳ぶ。
その姿に───
───
一瞬が、とても長く感じられた。
白目を剥き、血の涙を流しながら
穴という穴から色々なモノを撒き散らしながら迫ってくる魔のモノに
無我夢中で、左腕を振るった。
拒絶でもなく
抵抗でもなく
まるで杖を持つ腕を押さえる様に、光の帯となった魔力の外殻が杖をはたき落とす。
そのはずみで空中でバランスを崩した男の身体を抱き止める様に、男が飛び出し───
────
酷い音を立てて、二つの身体が壁に激突する。
みしり、と全身から骨が軋む嫌な音の向こうで、がらん、ごろん、と重い金属の音が響いた。
空中で体勢を崩したフールの身体を抱き止めようと、エルドナスが飛び出した。
いかに痩躯と言えども主より背丈のある身体を、身体造りなど最低限しかしていない魔術師が支える事など土台無理。更には体躯の重さと飛びかかってきた慣性、落下の勢いも付いていたせいで、縺れる様に倒れ込まずに吹き飛ばされる様な形で激突したのだ。
ごふ、と咳き込むと、挟まれて下敷きになった男の口の端から血が垂れる。
衝撃で、システムの音声が沈黙した。
地下迷宮の再起動に命まで引っくるめて魔力を吸われて流し込まれて行く感覚に、意識まで持って行かれそうになる。
全身に掛かる重みと、痛みだけが、意識と命をこの世に繋ぎ止めていた。
(──フール)
その背中を撫でようと、必死に腕を動かすが、動いているかどうか怪しい。
(ごめんね、わたし、は、ぼくは、きみに、ごども、そんなかおを、させてたんだ)
思考がまとまらない。
ぐるぐると、止めどなく、つらつらと。
(──ごめんよ、いとおしくて、たまらないよ、わたしの、ぼくの、ふーる)
声は、出ない。
息をするだけでも、激痛が走る。
(こんなときなのに、きみへの、いとおしさで──からだが、はりさけそうなんだ)
自分に迫る狂気と憎悪まみれの顔を見た時、ああまでなって連れ去られていく自分を助け出してくれたのだと思ったら、抱きしめたくなった。
こんな時に抱きしめたってどうにもならないのに、そうしなければと、身体が動いた。
またあの杖を持つ姿を見られて、嬉しく思わなかった訳ではないけれど、あの杖よりも、もっと近くに、もっと側に行きたかった。
わざと死んで終わらせるなんて、駄目だと悟った。
(しんぞうを、えぐられても、しあわせでいられるくらい、どんどん、いとおしさが、おおきくなって、あふれそうなんだ)
猛烈な吐き気が襲ってくる。
鎖骨が、折れているのだろう。
身じろぐだけで、呻き声が漏れる。
身体と心の乖離が激しくて、心が、軋んで、壊れそうだ。
(ごめんよ、もっとはやく、つたえ、いや、きづけば…)
あんな姿を見たら、もう──咄嗟に、だった。
自分がしている事、しなくてはいけない事など、全部が真っ白になった。
何もかも放り出して
その手を、取らないと、間に合わないんだと。
(……よかったのかなぁ)
このまま、死ぬのか。
なんだかもう、それでも構わなかった。
きっと、このまま自分の魔力と命を吸い続けて、『試練場』は再稼働する。
今までとは違って、師がいる──『学府』が正式に陣取れば、自分が探索しなくとも、ここは少しづつ日の目を見るだろう。
自分はもう、生きていなくても大丈夫だ。
ただ、何かが、少しだけ心残りだった。
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