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主と従者の章

生還

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ずっと、長い夢を見てながら揺蕩っていた、そんな気分だった。
有形無形の色んなモノと混ざり合いながら自分の器がシュワシュワと解けゆくような感覚に満たされて、このまま芯までとけてしまうのだろうかと──ふと、思考の中に過ぎる。

それはいやだなぁ、と思うのと同じくらい、とけてもいいかなぁと思った時

その芯を、大事に、大事に、誰かのてのひらがそっと包み込んでくれるような──安心に包まれた。

そこから、真っ暗な中、少しづつ、少しづつ「浮いていく」のを感じながら、目を閉じ……

────

再び目を開けると、視界が、窓の向こうのどこかを見やっているように思える。

「──還ってきたか」
横から飛んでくる声に、そちらを向こうとして静止を受けた。

「動いたり喋ったりしなくていいから、聞いていなさい、エル」

この優しい声は──師だ。

「地下迷宮の起動は成功した」
やや冷たい指が、頬を、髪を撫でる。
覗き込んでくる美しい顔には、見慣れない眼鏡があった。
「『宝物庫』の存在も証明されたよ」

どうやら、広範囲に大地が鳴動を始め、この辺り一体が隆起したらしい。
その規模は、流し込まれて拡がった魔力の配置を計測した結果、試練場を中心に、同じ規模の階層が八方向に一つづつ──

「お前がまとめてくれていたレポートが随分と役に立ってくれた」
「…きたがわ、にも、あったん、ですね」
絞り出した声に、うむ、と返ってくる。
それは、エルドナスが探しきれていない──システムルームの奥には流石に無いだろう、と思っていた一画だった。

「今は何があったのかまでは問い詰めないけれども──お前ね、両腕両足に鎖骨に肋骨三本骨折に二本肋骨にヒビに両肩脱臼。内臓に傷までいっていたとか無茶のし過ぎもいいところだ。頭蓋や背骨に損傷があったら容赦なく一旦仕留めて復活に回す所だったぞ。まずは」
「兄様!起きたら呼んで頂戴って何度も言ったじゃない!」

静かさを打ち破るけたたましさと共に、バン、と扉が開いた。
「…アレンティー」
「静かになんてしてらんないわよ──やっと起きたのね、わたしのかわいいエル?」
姿が見えなくても、声で分かる。
気配で分かる。
繋がっている魔力で分かる。

──自分に名前をくれた、保護者、だ。

師匠によく似ていて──にんまりとした猫の様な顔が、思い浮かぶ。

しかし、覗き込んできた表情は、すごく、すごく、硬かった。

「起きたそうね?
動きたさそうね?
のと、のとどっちがいい?」
軽い口調で鬼の選択を強いてくるなぁ、とぼんやりと思った。

こんな時は、どちらを選んでもいけない、というのは長い様で短い『学府アレクサンドリア』での生活で身に染みていた。

「……おとなしく、ねてます」
「よろしい」
ちゃんと口が回るみたいで良かった、と、やっと固さを崩して、少し表情を和らげる。

万が一の時の頼みの綱だったのに──本当は愛情の大きさもその表現もとても大きいだけなのだ、人間とベクトルが違うだけで……と分かってはいるのだ、だから──とてもとても可憐で優しくて美しいこのひとの顔を、曇らせたくは無かった。

それになにより、このひとに何かあったら後が怖い。師とか、師とか──具体的には、とにかく師が。実例も知っているし。
師の妹溺愛ぶりはとにかく振り切れてるのだ、色々と。

「お前の傷は全部きちんと処置してあります。
お前ね、働き過ぎよ。
今ぐらいはゆっくり寝てなさい。大人しくしてれば、治るわ」

そこまで言って「別の患者がいるから行くけど、また来るわねにげちゃだめよ?」と、嵐の様に去っていった。

「……あの、ここは」
「カパタト神の療養所だ」
「?」

返ってきた返事に、疑問符が浮かぶ。

確か、師が来た時には、カパタト神の区域はキャンプ地までしか出来てなかったはず、だ。

「わたしは、いったい、どれだけ」
「お前が起動しに降りていってから、精々五日程度だ。ただ」
突貫工事で仕上げた、と付け加えつつ、本当は回復してから驚いて貰いたかったけれどな、と前置きをして、フェンティセーザは告げた。

「大気が嫌に変な音を立てて、大地が鳴動した後、膨大な魔力が一帯に立ち上がって、一気に街が姿を取り戻した」

城の外に出ていたフェンティセーザは──否、その時街にいた街の住人や冒険者達全員が、その様を目撃しているのだ。
何かカラクリでもあったのかね、と訊かれるが、「いえ」と応えるくらいしかできない。
いくら背中の陣の調整をしたからといって、あの状況で、城塞都市ひとつを復旧させるほどの魔力を捻出できる訳ではない事くらい、エルドナスには分かっていた。
しかし、そんな街一つ復旧させる程のアイテムが宝物庫にあるかといえば……

「わかりません」

あるかもしれない。
ないかもしれない。

管理者として「リストアップ」という名の宝物庫の探索はまだ途中だったし、何がどのタイミングでどう絡んでいるのか、全て紐解けるのは神のみぞという所か。

うぅ、と呻いてエルドナスは身じろいだ。
「師、匠…フール、は?」
隣を示されて、何とか見やると、自分が横たえられていた隣に付けて設置されたベッドに一人、痩躯の男がうつ伏せで横になっていた。

「背中全体の皮がずる剥けていて、毛穴という毛穴に血がこびり付いて、両のふくらはぎと太腿と二の腕が肉離れという状態でな。治療を施す前の洗浄に難儀したよ。
特に背中には余りにも泥や埃が付着していて、破傷風の恐れもあったから……済まない、これ以上は」
身を震わせで説明を切る姿に、背中の洗浄だけで軽く死ねる、とエルドナスも震えた。

そんな弟子に、苦笑しながらフェンティセーザは告げた。
「彼が起きたら、ちゃんと『愛おしい』と伝えておやり?」
こういったのは、言葉にしないと伝わらない、と頭を撫でる。
「…?」
きょとんとした弟子に

「お前の彼への熱烈な告白、街中に一斉に流れていたぞ」

訳がわからないと言わんばかりに、じっと弟子が、師を見上げる。

「ねつれつな」
「うむ」

「……こくはく?」
「うむ」

何のことか皆目見当も付かなさげな弟子に

「身体が張り裂けそうな程、心の臓を抉られても幸せでいられる位……」
「……………??!?!?!!」

師がまるで吟遊詩人が謳うように言の葉を紡ぐ。
その様がやはり美しいな…などと思いながらたっぷりと数秒掛けた後、理解すると同時にびちん、と身体が跳ねて、しかし痛みですぐにベッドに沈み込む。のたうつにのたうち回れない弟子に
「あれこそどういうカラクリなのだろうね?」
と残して、フェンティセーザはするり、と部屋を出ていった。

涙目で痛みを堪えるその隣から

「……だまっててっていったのに」

小さな声が聞こえてきた。

「……だまっててっていったのに…」
「…フール」

自分より大きな男が、泣きそうな声で、こちらに背中を向けてふるふると震えている。

首筋も、耳も、真っ赤だ。

「ダナが、システムにゆうごうしかけたときのつぶやきを、はいぷりえすてすが、わざとながした…」

あれぜったいしっててほうちしてた
じこってるっていったのに、じこってるっていったのに!

足が動けば、羞恥でじたじた暴れていたであろう──が、無理に動かない様にと薄手の布で簀巻きにされた状態ではのたのたとした動きにしかならない。

「──話せるように、なったね」
どこか嬉しそうな主の声に振り向いて、背中一面に走る刺激にとてもじゃないけど他人には見せられないとんでもない表情になる。
「──っ!!!!」
声も出せない、なのにのたうち回れず痛みを逃せない、そんなフールに
「ごめんよ、僕?私?もまだ、なんかどっちつかずなんだ。だから色々と、しゃべり方がおかしいかもしれない」
何があったのか、話せる範囲で教えて欲しいと頼めば、今までよりも豊かな言葉で、フールが語った事は──

壁に激突した衝撃で正気を取り戻したこと。
気が付いたら、ものすごく背中と両腕両足が痛くて動けなかったこと。
自分の身体の下でエルドナスは圧死しかけていて、魔力ごと意識までシステムに組み込まれそうになっていたのを慌ててサルベージしたこと。
その時に、エルドナスの胸に去来したフールへの感情が──わざと、システム02が、システム異常の修復が終わっているにもかかわらずそのまま放置したせいで──街中いっぱいに拡散されてしまったこと。
それをわざわざ直後に同じ経路で口止めしたのに、といったところだった。

身の毛もよだつトラウマの嵐も、強烈な物理的衝撃から続いた怒涛の緊急事態対処の連続の前には敵わなかったようだ。

しかしながら、、あの言葉を聞いているのである──という事の重大さに、当の本人がまだ気づいていない。
そこに関しては、フールはもう、自分の事には鈍感な主に把握せしめるのを諦める事にした。

街中に思考の実況放送とか本当に何がどうなってるか、システムを見直さないととんでもない事になるな、と、考えるも、二人とも集中が途切れる。

「…フール」
「なあに?」
「今ここにいる間だけ、僕でいてもいいかい?」
外観からはかなり幼い話し方で、エルドナスが問うと
「じゃあ、おいらもおなじで」
フールも同じ様に返して、くすくす笑う。
「ここを出る時に、私に戻ろう」
「だね、そのときおいらは、じぶんのことを、なんてよぼう?」
「治るまで時間があるから、ゆっくり考えようよ」

本当はまだ、声を出すのも辛いけれど
その辛さすらも何故か幸せに感じる。

本当は気付いていないだけで、もしかしたら、自分はずっと──

その後を考えるよりも先に、身体が休息を求めて、強制的に意識を落とし始める。
その手に、触り慣れた指が触れたような、気がした。

────

ああ、やっと、間に合ったんだ。

深いところに意識を落としたダンジョンマスターの顔は、どこか誇らしげだった。
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