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幕間
幕間2「抱擁」
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こぽり、こぽり、と水音が耳を打つ。
薄く目を開けると、一面の黄色い世界の向こう側に、人影がふたつ──
ああ、これはむかしのゆめだ。
まだ『ミフネ』のなまえをもらうまえの、とおい、きおく……
────
そこは、茶室の水屋の仕掛け壁から降りた地下だった。
若き侍が茶室の主に誘われて入ったその場所は、今まで見て来たどんな所よりも、異質な空間だった。
天井は高く、大の大人一人が入っても余裕があるほどの、玻璃の筒がいくつも並んでいる。
そのうちの二つに、黄色い液体が満たされ、一つはできそこないの男の人型の様なモノが浮き、もう一つには若い人間の男が浮いていた。
どこかあどけなさを残した男は、意識がないのか目を閉じており、癖のある短い髪がふわふわと浮き遊んでいる。
液体の中でも呼吸は出来ているのか、薄い胸が静かに上下し、口や鼻から気泡が上がっていた。
自分で自分を見下ろしている──夢だからこんな事ができるのだろうなと、ぼんやりと思う。
どちらも、容器の天井から下りる長く細い糸に繋がれていた。
ピピピ、ピピピ、と、自然のモノではない小さな音が聞こえてくる。
名をもらうまでに、何度ここに還っただろうか。
あまりに多すぎて数えるのもいつしかやめてしまった。
────
「──ここは」
「重傷者の再生施設だ」
誘われた若い侍に、誘った侍が答える。
「といっても、ここを使う程の重傷者はここ数年出ていなくてな」
重畳、重畳、と続けて、誘った側の侍が振り返る。
「ここなら人も来ぬ。
──大久多家次期頭領、隼人よ、そなたの真の想い、余に聞かせてはくれぬか」
『大久多家次期頭領 隼人』
そう呼ばれた若き侍は、その場で正座し居住まいを正した。
「上様、某は──」
平に、平に──と、膝の前に両手をつき、額付くほどに頭を下げる
「──死にとう、ごさいます」
────
ヒノクニ国西部に位置するヒノモト領。
この大陸でも最初期最大の地下迷宮を有するこの一帯は、地下迷宮から溢れ出す怪物や怪異との競り合い以外は、比較的落ち着いた領土だ。
その中で、物心ついてすぐに剣の道に入った隼人は
「戦の中で死にたい」
「自分よりも強い相手と斬り結ぶ中で死にたい」
と、まるで砂漠に水を撒くよりも酷く、取り憑かれたように渇望する様になっていた。
ヒノモトの侍である以上、どの様な役割になろうと、目の前の男──隼人が「上様」と呼んだ、ダンジョンマスター『トクガワ』を護る為の任に就かねばならない。
しかし、隼人の、暴走しかねないほどの衝動とも言える想いは、真逆であった。
戦場の中で死にたい。
強い相手と死合うて死にたい──その実力たるや、当代の『トクガワ』にその強さ、頭の良さ、人となりを認められた者のみが名乗り、その任に就く事を許される『ミフネ』を賜るであろう程であるというのに、だ。
今が平和とは程遠い緊張状態であれば『トクガワ』直属の侍であってもまだ、死地を望めたであろう。しかし今のヒノモト領の治世において『ミフネ』の名は、隼人にはただの足枷でしかなかった。
しかしながら、隼人が生を受けた大久多家にとって、『ミフネ』の役目を賜る事は悲願──
このまま自分は、根腐れを起こして、ずぶずぶと無為に腐り果てながら生きていくのだろうかと、隼人は誰にも打ち明けられぬ胸の内を抱えたまま生きていた。
そうして、この度正式に任を賜る前日、『トクガワ』公本人に真意を問われたのだ。
正直に、隼人は『トクガワ』に自分の胸の内を曝け出した。もしこれで腹を切れと言われたら、辞してすぐにでもその様にする覚悟も決意もとっくに出来ていた。
戦の中で死ねぬ世に生きていても意味が無かった。
命を賭けて斬り結べぬ世に、自分の能力はあまりにも無意味過ぎた。
今日これまでに試合うた相手は、どれも隼人には敵わなかった。死合うた怪異や怪物すら、物足りなさしかなかった。
自由があればまだしも出奔が許されようが、いずれ家督を継ぐ者として家に縛られている以上、この世では自分は自分として生きていけぬ───
「──勝手、であるな」
『トクガワ』の一言に、何も言い返さず、ただ若き侍は額付いた。
ヒノモトに於いて、全ての侍は『トクガワ』を存続させる為にある──隼人の死地への衝動は、そこから外れるものだった。相反するものであった。
「ならば大久多家次期頭領、隼人よ。
そなたに『───』の任を与える」
『トクガワ』のその一言に、若き侍は打ち震えた。
「───上様……!」
それは、『トクガワ』直属の任では無く、地下迷宮から溢れ出す怪物や怪異との最前線での任であった。
「なぁに、大久多家の方には、余の考えあっての事と言い含めておく、その代わり──」
様々な感情に打ち震える若き侍の背に、『トクガワ』は言った。
「少々、余の我儘に付き合って貰うぞ」
─────
ふうわりと、意識が浮かぶ。
目を擦りながら『ミフネ』は目を覚ますと、薄まりゆく夢の内容と引き換えに、今のこの状況を思い出す。
トーリボルの『試練場』がその周囲の地下迷宮と一緒に姿を現して二十日後、単騎で『シマヅ』が戻って来た。先に三人で連れ立って来た時はそれなりに気遣い合って旅程を長めにとったのだが、今回は単騎という事で飛ばして来たらしい。
到着して復旧した街の姿に驚き、その造りがヒノモトの『城』と酷似している事に再び驚き、『カトウ』が提案し、皆で決めた造りになっている事に三度驚き、サムライ達の寄合場所や、仮住まいする区域が確保されている事にいたく感動した勢いで呑み倒して──『ミフネ』は酒では無く茶で済ませたが──寄合場所の奥の部屋で抱き込まれるようにして二人で一眠りしたのだ。
サムライ達の寄合場といっても、曲がりなりにも一定の技術を修めた者が転職する「上級職」と言われている故に、今のところトーリボルには『ミフネ』と『シマヅ』の二人しか居ないのだが。
腰に回された手を外そうとやきもきしていると
「……?」
『シマヅ』の意識が戻って来た様だ。
「すみません、厠に行って来ます」
「う……ぅむ……」
言えば、大男が腕を外し、そのまま再び寝入りに入る。
その、緩んで呆けた表情に知らず柔らかい笑みを浮かべながら、『ミフネ』はそっと厠に立った。
─────
昔の頃の、夢を見ていた。
自分が『シマヅ』の名と共に任に就いて、怪物や怪異と斬り合わない日は無かった。
小競り合い程度であっても、表に出てくる「まつろわぬモノたち」は尽きない。
地下迷宮自体は、それこそその日暮らしの冒険者達の活躍の場ではあるのだが──攻略するにも討伐するにも、冒険者の方が絶対数が多い──冒険者達の目を掻い潜って迷宮の外に出てくる輩に関しては、全てヒノモトの侍達の管轄となる。
殆どが浅い階層を縄張りとする、肥大化した獣や虫などだが、それでも戦闘力の無い市井の者達には脅威だ。その最前線で、しかし『シマヅ』の名を賜った自分は、死へと向かう己が衝動を抑えながらその任に就いていた。
今日もまた、斬り結ぶ。
屠る。
相手の強さに手応えを、心の昂りを、肝が冷える思いを感じずに、刀を振って血を払い、肘内で挟んで拭って鞘に収める。
ただただ、事務的に怪物を屠る日々に、心が凍りつつあった──それが『油断』とも知らずに。
いつのまにか、単身で奥まで来ていた。
身体が普段より自由に動かない事に気付いた時には、肥大化した虫に囲まれていた。
毒か、麻痺毒か──
こんな所で、自分は終わってしまうのか。
胸に居来するのは、何も得られない日々に対する、ただただ虚しさだけだった。
もう、ここで、終わりにするのも一興か──
そう思った時だった。
ごう、と自分を中心に爆炎が立ち、視界の全てが炎の色となり、瞬く間に虫達が焼かれて行く。耳障りな断末魔の合唱の中──その炎を斬り開いて、一つの人影が風となって横を通り過ぎ、炎の向こうからそれでも襲いかかろうとしていた多足の巨大な虫を一刀両断した。
霞む目に飛び込む、赫。
赤糸威の鎧と具足。
色を見れば分かる。その色を身に纏う事を許される侍はほんの一握り──『ミフネ』しかいない。
その斬撃──型──威力──
(──まるで『鬼神』の様だ──)
闘気を揺らがせる立ち姿に、刀を振るうその美しき様に、無駄の無い洗練された型に、目を奪われた。
この男と斬り結べたら、どれほど血湧き肉躍るだろうかと、動かぬ身体に抑えに抑えた渇望が噴き出そ、喉が鳴る。
刀に付いた血を払い、肘内で拭って鞘に収めるその仕草、立ち居振る舞いに、品と美と、自分を含めた他の侍とは一線を画した、儚げで壊れそうでもある貴さを見出し、胸を打たれた。
この男と死合えるなら、死合わせて貰えるなら──何の悔いもなく根腐れながら生き果てられる、と。
「ご無事で……、失礼」
男とも女とも付かぬ高さの声で言葉を掛けられる。
目の前の男は顔の上半分を隠す面を外すと、腰の袋から丸薬を取り出して口の中で噛み砕き、腰の筒を煽ると鼻を摘んで上を向かせ、口に含んだものを口に流し込む。
どぎつい清涼感のある後味に、吐き気が徐々に緩和されるのを感じながら、目の前の男がもう一度、別の丸薬を飲ませようとするのをぼんやりと眺めていた。
もう一度鼻を摘まれ、上を向かされ、砕いた薬を水と共に流し込まされる。素直に飲み下すと、今度は徐々に痺れが取れて来た。
「──『シマヅ』殿。貴殿の死地はこんな所では無い。
……こんな寂れた所であってはならない」
ここはもう終わりました、帰還しましょう。
手短に言われ、手を引きあげて立たされる。
その時に初めて見た顔は───
────
はっ、と覚醒する。
「……夢、か」
随分と懐かしい夢を見た。
その夢の中で見た顔が、自分の胸元に顔を埋めて眠っている。
「まつろわぬモノ」達が跳梁跋扈するヒノモトよりも、命の散らし甲斐がある死地があるという。
それがこの異国の地、城塞都市トーリボルだと、そう言った自分よりも年若い青年、否、青年の姿をした少年に連れられ、追って、ここまで来た。
二人の背中の左胸、心臓がある辺りには、ヒノモトの侍の任を解かれた印の──通常は追放者に押されるが、この二人に至っては公自ら、責務からの解放の証の──焼印がある。
何故か分からないながら──不思議な事に、ヒノモトに居た頃よりは、戦を、死地を、命のやり取りへの渇望は収まっている。
その渇望と入れ替わる様に、この『ミフネ』の名を背負う男に、できる事なら本懐を遂げさせたいとすら思っている自分がいる。
何なのだろうな──初い、そして愛い。
胸の中の青年に抱く気持ちを、名前を付けずにそのままに、『シマヅ』は、なるだけ酒臭い息が掛からない様に、『ミフネ』の頭を優しく、いとおしげに胸元にかき抱いてまた目を閉じたのだった。
薄く目を開けると、一面の黄色い世界の向こう側に、人影がふたつ──
ああ、これはむかしのゆめだ。
まだ『ミフネ』のなまえをもらうまえの、とおい、きおく……
────
そこは、茶室の水屋の仕掛け壁から降りた地下だった。
若き侍が茶室の主に誘われて入ったその場所は、今まで見て来たどんな所よりも、異質な空間だった。
天井は高く、大の大人一人が入っても余裕があるほどの、玻璃の筒がいくつも並んでいる。
そのうちの二つに、黄色い液体が満たされ、一つはできそこないの男の人型の様なモノが浮き、もう一つには若い人間の男が浮いていた。
どこかあどけなさを残した男は、意識がないのか目を閉じており、癖のある短い髪がふわふわと浮き遊んでいる。
液体の中でも呼吸は出来ているのか、薄い胸が静かに上下し、口や鼻から気泡が上がっていた。
自分で自分を見下ろしている──夢だからこんな事ができるのだろうなと、ぼんやりと思う。
どちらも、容器の天井から下りる長く細い糸に繋がれていた。
ピピピ、ピピピ、と、自然のモノではない小さな音が聞こえてくる。
名をもらうまでに、何度ここに還っただろうか。
あまりに多すぎて数えるのもいつしかやめてしまった。
────
「──ここは」
「重傷者の再生施設だ」
誘われた若い侍に、誘った侍が答える。
「といっても、ここを使う程の重傷者はここ数年出ていなくてな」
重畳、重畳、と続けて、誘った側の侍が振り返る。
「ここなら人も来ぬ。
──大久多家次期頭領、隼人よ、そなたの真の想い、余に聞かせてはくれぬか」
『大久多家次期頭領 隼人』
そう呼ばれた若き侍は、その場で正座し居住まいを正した。
「上様、某は──」
平に、平に──と、膝の前に両手をつき、額付くほどに頭を下げる
「──死にとう、ごさいます」
────
ヒノクニ国西部に位置するヒノモト領。
この大陸でも最初期最大の地下迷宮を有するこの一帯は、地下迷宮から溢れ出す怪物や怪異との競り合い以外は、比較的落ち着いた領土だ。
その中で、物心ついてすぐに剣の道に入った隼人は
「戦の中で死にたい」
「自分よりも強い相手と斬り結ぶ中で死にたい」
と、まるで砂漠に水を撒くよりも酷く、取り憑かれたように渇望する様になっていた。
ヒノモトの侍である以上、どの様な役割になろうと、目の前の男──隼人が「上様」と呼んだ、ダンジョンマスター『トクガワ』を護る為の任に就かねばならない。
しかし、隼人の、暴走しかねないほどの衝動とも言える想いは、真逆であった。
戦場の中で死にたい。
強い相手と死合うて死にたい──その実力たるや、当代の『トクガワ』にその強さ、頭の良さ、人となりを認められた者のみが名乗り、その任に就く事を許される『ミフネ』を賜るであろう程であるというのに、だ。
今が平和とは程遠い緊張状態であれば『トクガワ』直属の侍であってもまだ、死地を望めたであろう。しかし今のヒノモト領の治世において『ミフネ』の名は、隼人にはただの足枷でしかなかった。
しかしながら、隼人が生を受けた大久多家にとって、『ミフネ』の役目を賜る事は悲願──
このまま自分は、根腐れを起こして、ずぶずぶと無為に腐り果てながら生きていくのだろうかと、隼人は誰にも打ち明けられぬ胸の内を抱えたまま生きていた。
そうして、この度正式に任を賜る前日、『トクガワ』公本人に真意を問われたのだ。
正直に、隼人は『トクガワ』に自分の胸の内を曝け出した。もしこれで腹を切れと言われたら、辞してすぐにでもその様にする覚悟も決意もとっくに出来ていた。
戦の中で死ねぬ世に生きていても意味が無かった。
命を賭けて斬り結べぬ世に、自分の能力はあまりにも無意味過ぎた。
今日これまでに試合うた相手は、どれも隼人には敵わなかった。死合うた怪異や怪物すら、物足りなさしかなかった。
自由があればまだしも出奔が許されようが、いずれ家督を継ぐ者として家に縛られている以上、この世では自分は自分として生きていけぬ───
「──勝手、であるな」
『トクガワ』の一言に、何も言い返さず、ただ若き侍は額付いた。
ヒノモトに於いて、全ての侍は『トクガワ』を存続させる為にある──隼人の死地への衝動は、そこから外れるものだった。相反するものであった。
「ならば大久多家次期頭領、隼人よ。
そなたに『───』の任を与える」
『トクガワ』のその一言に、若き侍は打ち震えた。
「───上様……!」
それは、『トクガワ』直属の任では無く、地下迷宮から溢れ出す怪物や怪異との最前線での任であった。
「なぁに、大久多家の方には、余の考えあっての事と言い含めておく、その代わり──」
様々な感情に打ち震える若き侍の背に、『トクガワ』は言った。
「少々、余の我儘に付き合って貰うぞ」
─────
ふうわりと、意識が浮かぶ。
目を擦りながら『ミフネ』は目を覚ますと、薄まりゆく夢の内容と引き換えに、今のこの状況を思い出す。
トーリボルの『試練場』がその周囲の地下迷宮と一緒に姿を現して二十日後、単騎で『シマヅ』が戻って来た。先に三人で連れ立って来た時はそれなりに気遣い合って旅程を長めにとったのだが、今回は単騎という事で飛ばして来たらしい。
到着して復旧した街の姿に驚き、その造りがヒノモトの『城』と酷似している事に再び驚き、『カトウ』が提案し、皆で決めた造りになっている事に三度驚き、サムライ達の寄合場所や、仮住まいする区域が確保されている事にいたく感動した勢いで呑み倒して──『ミフネ』は酒では無く茶で済ませたが──寄合場所の奥の部屋で抱き込まれるようにして二人で一眠りしたのだ。
サムライ達の寄合場といっても、曲がりなりにも一定の技術を修めた者が転職する「上級職」と言われている故に、今のところトーリボルには『ミフネ』と『シマヅ』の二人しか居ないのだが。
腰に回された手を外そうとやきもきしていると
「……?」
『シマヅ』の意識が戻って来た様だ。
「すみません、厠に行って来ます」
「う……ぅむ……」
言えば、大男が腕を外し、そのまま再び寝入りに入る。
その、緩んで呆けた表情に知らず柔らかい笑みを浮かべながら、『ミフネ』はそっと厠に立った。
─────
昔の頃の、夢を見ていた。
自分が『シマヅ』の名と共に任に就いて、怪物や怪異と斬り合わない日は無かった。
小競り合い程度であっても、表に出てくる「まつろわぬモノたち」は尽きない。
地下迷宮自体は、それこそその日暮らしの冒険者達の活躍の場ではあるのだが──攻略するにも討伐するにも、冒険者の方が絶対数が多い──冒険者達の目を掻い潜って迷宮の外に出てくる輩に関しては、全てヒノモトの侍達の管轄となる。
殆どが浅い階層を縄張りとする、肥大化した獣や虫などだが、それでも戦闘力の無い市井の者達には脅威だ。その最前線で、しかし『シマヅ』の名を賜った自分は、死へと向かう己が衝動を抑えながらその任に就いていた。
今日もまた、斬り結ぶ。
屠る。
相手の強さに手応えを、心の昂りを、肝が冷える思いを感じずに、刀を振って血を払い、肘内で挟んで拭って鞘に収める。
ただただ、事務的に怪物を屠る日々に、心が凍りつつあった──それが『油断』とも知らずに。
いつのまにか、単身で奥まで来ていた。
身体が普段より自由に動かない事に気付いた時には、肥大化した虫に囲まれていた。
毒か、麻痺毒か──
こんな所で、自分は終わってしまうのか。
胸に居来するのは、何も得られない日々に対する、ただただ虚しさだけだった。
もう、ここで、終わりにするのも一興か──
そう思った時だった。
ごう、と自分を中心に爆炎が立ち、視界の全てが炎の色となり、瞬く間に虫達が焼かれて行く。耳障りな断末魔の合唱の中──その炎を斬り開いて、一つの人影が風となって横を通り過ぎ、炎の向こうからそれでも襲いかかろうとしていた多足の巨大な虫を一刀両断した。
霞む目に飛び込む、赫。
赤糸威の鎧と具足。
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その斬撃──型──威力──
(──まるで『鬼神』の様だ──)
闘気を揺らがせる立ち姿に、刀を振るうその美しき様に、無駄の無い洗練された型に、目を奪われた。
この男と斬り結べたら、どれほど血湧き肉躍るだろうかと、動かぬ身体に抑えに抑えた渇望が噴き出そ、喉が鳴る。
刀に付いた血を払い、肘内で拭って鞘に収めるその仕草、立ち居振る舞いに、品と美と、自分を含めた他の侍とは一線を画した、儚げで壊れそうでもある貴さを見出し、胸を打たれた。
この男と死合えるなら、死合わせて貰えるなら──何の悔いもなく根腐れながら生き果てられる、と。
「ご無事で……、失礼」
男とも女とも付かぬ高さの声で言葉を掛けられる。
目の前の男は顔の上半分を隠す面を外すと、腰の袋から丸薬を取り出して口の中で噛み砕き、腰の筒を煽ると鼻を摘んで上を向かせ、口に含んだものを口に流し込む。
どぎつい清涼感のある後味に、吐き気が徐々に緩和されるのを感じながら、目の前の男がもう一度、別の丸薬を飲ませようとするのをぼんやりと眺めていた。
もう一度鼻を摘まれ、上を向かされ、砕いた薬を水と共に流し込まされる。素直に飲み下すと、今度は徐々に痺れが取れて来た。
「──『シマヅ』殿。貴殿の死地はこんな所では無い。
……こんな寂れた所であってはならない」
ここはもう終わりました、帰還しましょう。
手短に言われ、手を引きあげて立たされる。
その時に初めて見た顔は───
────
はっ、と覚醒する。
「……夢、か」
随分と懐かしい夢を見た。
その夢の中で見た顔が、自分の胸元に顔を埋めて眠っている。
「まつろわぬモノ」達が跳梁跋扈するヒノモトよりも、命の散らし甲斐がある死地があるという。
それがこの異国の地、城塞都市トーリボルだと、そう言った自分よりも年若い青年、否、青年の姿をした少年に連れられ、追って、ここまで来た。
二人の背中の左胸、心臓がある辺りには、ヒノモトの侍の任を解かれた印の──通常は追放者に押されるが、この二人に至っては公自ら、責務からの解放の証の──焼印がある。
何故か分からないながら──不思議な事に、ヒノモトに居た頃よりは、戦を、死地を、命のやり取りへの渇望は収まっている。
その渇望と入れ替わる様に、この『ミフネ』の名を背負う男に、できる事なら本懐を遂げさせたいとすら思っている自分がいる。
何なのだろうな──初い、そして愛い。
胸の中の青年に抱く気持ちを、名前を付けずにそのままに、『シマヅ』は、なるだけ酒臭い息が掛からない様に、『ミフネ』の頭を優しく、いとおしげに胸元にかき抱いてまた目を閉じたのだった。
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会社では群を抜くほどの超エリートが、
愛してやまない加恋ちゃんに
振り回されたり落ち込まされたり…
そんなイケメンエリートの
ちょっと切なくて笑えるお話
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