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集結の章
王達の帰還─上─
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トーリボル領主の居城の裏手──『試練場の入口』を含めた一面の草原に、街の喧騒は届かない。
トーリボルの二度目の壊滅の時に、知る者は数少ないと言えど、当時の冒険者ギルド上層部の惨劇の場ともなったそこは、静謐さと静寂さが入り混じる、何とも言えない雰囲気があった。
草原といえど、今は見渡す限りの広範囲を焼かれたせいか、焼け焦げて黒々とした中にちらほらと緑が残る程度である。
昼下がりの、少し強い陽光の中、一歩づつゆっくりと歩を進めながら、鎮魂の祝詞をあげる一人のエルフの姿があった。
一線を画す美しさと、特徴的な、大きな尖った耳──寿命の概念の無い、古代種と称される森の民だ。
草原の端、彼女が足を踏み入れ始め場所には、布に包まれた長物を背負った女戦士と、彼女の半分の背丈しかない小さな人がいた。
静かに、風がそよぐ。
流れてくる祝詞が、祈りが、二人の耳を打つ。
「……私一人が祈って、想いを寄せた所で、あの場所に遺されたモノが救われるだなんて思ってないわ。でも、それでも私は、祈りたいの」
祈った所で何になるのか。
それでも祈るエルフの女は、この街の冒険者としては数少ない<司教>だ。
(……トゥーリーン)
(そっとしておいておあげよ、ハロド)
トゥーリーン、と呼ばれた女戦士は、優しい笑みを浮かべて小さな人に返す。
この場のかつての惨劇を、三人は知る事となった。
女である以上、根無草という生き方をしていれば、否が応でも隣り合わせとなる暴力から
命懸けで護られた者と、突き落とされて晒された者とが同じく怒り、同じく悼む──
(……いくらなんでも街から引き離せでココに着くのはあんまりだよ、フェンティス)
「…私の心配かい?ハロド」
静かな声が降って来て、ハロドはトゥーリーンを見上げた。
「故郷から離れてどれだけ経ったと思ってンのかい?
さすがに何十年も離れてたら──」
──そう。
『アーマラットの呪いの迷宮』が攻略されて、既に何十年も経っているというのに、髪に白髪が混ざり、肌に皺は増えたものの、トゥーリーンの出立ちは全盛期とあまり変わらない。
それには、どうしようもない理由があった。
────
『アーマラット』の地下迷宮システムを見つけた男は、起動させる際に、事もあろうに嬰児であった自分の娘をマスターとした。
それがトゥーリーン──白き蛇神『アーマラット』の巫女である『聖女マナヤ』の役割を与えられた彼女だった。
そもそもの『アーマラット』の地下迷宮システムは、攻略・封印対象となる様なものでは無かった。
砂の大地の中、点在するオアシスと結び付いて、訪れ、実力を示した者たちに、その実力に応じた祝福を与える──その程度のものだった。
それが、不慮とはいえ、穢され、無体を強いられ、死ぬ寸前の大怪我を負わされた彼女の、街への怒り、悲しみ、恨みにシステムが呼応し、汚染されてしまったのである。
故に『アーマラット』は白く輝く美しい鱗を闇色に染めた『鱗の女王』と化し──それでも、急速に憎悪に染まりきる直前に、サブシステム『砂の老爺』に最深部の厳重な封印を命じた。
──『砂の老爺』から託されたシステムの記録を読み解いたのは、他ならぬ彼らの仲間。
フェンティセーザ・スリスファーゼ。
そうして彼は、仲間に現実を突きつける。
システムを浄化するには、システムとダンジョンマスターを切り離さなければならない。
しかし、嬰児の頃から紐付けられたソレを切り離すには、最早ダンジョンマスターの死、以外に手段は無かった。
そして、システムをダンジョンマスターと切り離し、浄化した場合、それまでシステムが起動していた期間に築かれたモノは全て──アルマールの街を中心に広がる交易都市アーマラットと、街に縁深き者達自体が砂と化す。
──ハロドは、親は別の場所出身だが、彼自身はアルマール産まれだ。
街の為に、システムの為に、死線を共に抜けて来た仲間二人を切り捨てるなど、メンバーの誰も出来なかった。
故に、迷宮に厳重な封印を施した後、トゥーリーンとハロドは二度と戻らぬつもりで故郷を離れ、本来の目的の為に双子のエルフが街を離れた後、残った二人の仲間が街で生業を立てながら迷宮を見張る事になった。
それから数年──かつての仲間が記した研究書類を持参した『学府』と名乗る組織に、迷宮の管理を譲渡するまで、ギムリとマネラはずっと封印を護り続けていたという。
────
「それでもヒヤヒヤするよ」
トゥーリーンはもう老いて、街や村の片隅でひっそりと余生を過ごしていい位の年齢のはずなのだ。それなのに、ずっと呪いの様にシステムに囚われ続けている。
老化の遅延は、ダンジョンマスターとしてシステムと繋がっている事の証左──どんなに遠く離れていたとしても、厳重な封印が施されたとしても、彼女の怒りが、悲しみが、怒りが、恨みが、どうシステムに作用するかなど、誰も分からない。
「そうだねぇ」
笑い飛ばす事なく、トゥーリーンは視線を伏せる。
死にかけた時も、迷宮を制覇した後も、故郷を離れてずっと、ハロドは自分の側に居た。
どれだけ、彼の陽気さに、心遣いに、救われてきた事だろうか。
──故郷を離れた後は、トーリボルから馬で七日ほどの所にあるハーフフットの集落に、ずっと二人は住まわせて貰っていた。
元々ハーフフットは人間から迫害を受けて来た歴史があるせいか、始めの頃は随分と警戒されていたが、同族として受け入れられたハロドの根回しと、トゥーリーンの努力が徐々に村人達の心を開いて行った。
「この図体が収まる家がいい」と外れに住まうことを申し出、必要以上に踏み込む事なく、しかしながら時折やって来る動物や魔物達から集落を護り続けた事も、彼女が村人達から受け入れられた一因でもあった。
畑を作り、定期的に村人達の分まで街に買い出しに行き、できる力仕事をこなし、脅威を排除する。
のんびりとした隠居生活が、迷宮制覇までで無理をし続けた身体と心を少しづつ、癒やしていった。
このまま命尽きるまで、ここで。
二人とも、そう思っていた。
────
祈りながら、アレンティーナはただただ想う。
自分は、恵まれていただけだ。
森では兄が、婚約者が。
外に出てからは戦友が、友人が──自分を守ってくれる誰かが、ずっと側に居る。
トゥーリーンとの違いはたった、それだけだった。
アーマラットの地下迷宮を攻略する中で、一時期トゥーリーンが堕ちかけた事があった。
皆が寝静まった後、一人、スラム街に出てはならず者達を血祭りに上げ続けていたのだ。
その始まりは、転職だった。
『鱗の女王』を斃す為の武器の一振りが、人間の君主にしか扱えない代物だった。錆だらけでとても使えそうにないその武器を本来の姿に戻す為、トゥーリーンは戦士から君主に転職した。
その時に、記憶の底に押し込めていた記憶が、ドス黒い感情と衝動と共に噴き出したのだ。
トゥーリーンを君主へと導いた、冒険者ギルドの導き手は、その日のうちに自害した。
『復活を望まぬ』と一言、書き残して。
今でなら──導き手は、知った事から導き出される全てを「なかった」事にする為に、命懸けで、醜聞から彼女の心と存在を護ったのだと、推測できる。
遥か永い時を経たのか、それとも単に保存状態が劣悪だったのか──錆だらけの剣は、解放の為に手に取ったトゥーリーンの、怒りや悲しみ、恨み、ソレら全てを焚べたかの様に激しく炎の柱を立てて、刀身諸共彼女を焼き尽くした。
灰の中から現れた一振りの剣は、今まで見たどんな剣よりも冷たく、美しかった。
灰になる程焼き尽くされたトゥーリーンは、しかし、神秘的な輝きを讃えた護り石の力と、大枚を叩いての寺院での祈りで奇跡の復活を遂げる。
再び彼女の手の中に戻ったその刀身からはちろちろと、彼女の抱えたモノに呼応する様に、炎は収まらなかった。
鞘を燃やし溶かし尽くす為、用意されたのは魔力を遮断する布だった。商会が総力を上げて探し出したソレで包む以外に、持ち運ぶ術は無かった。
その剣を手に、彼女は、ならず者を夜な夜な根絶やしにしていったのだ。
その矛先が、スラム街に居る年端もゆかぬ無辜の子供に向くのは──そして、積み重なる睡眠不足から引き起こされる戦線崩壊は時間の問題だった。
トゥーリーンの気持ちは、痛いほど分かった。その痛みすらも、実際本人が受けた痛みの方が想像も付かないほどだという事も。
止められなかった。しかし、どこかで決着を付けなければならない問題だった。
だからマネラと一緒に後を付け「これで最後にしよう」と彼女を後押ししたのだ。
「私は、私たちは、貴女を止められないし止める権利も何もない。私たちでもきっとそうするもの」
「復讐が何も生まないなんてことはありませんよ。
少なくとも、貴女の心はすっきりするばす」
──堕ちかけたトゥーリーンの心が一瞬、自分達の方を向いたその時
更にその後ろから全開の火力がならず者達をアジトごと破壊し尽くし、結果スラム街の約半分が瓦礫と化したのは計算外だったのだけれど。
(……そう)
あの時は既に、自分達の宝を手に入れていて、空から虹の雨が降り注いだのだったかしら。
アレンティーナが息継ぎと共に空を見上げる。
その視界の端に、確かに、虹の雨を捉えた。
────
奇妙な輝きを視界の端に捉え、ハロドが振り向く。
空から、虹色の矢が豪雨の様に着弾した瞬間だった。
「…っ?!何やってんだいフェンティスは!」
街からの轟音と空に残る虹色の輝きの残滓、遠く冒険者ギルドの屋根の上に立つ見慣れた仲間の見慣れない姿で、トゥーリーンが何が起こったかを瞬時に判断する。
「……ンにやってんのよ兄さんっっっ!!!」
流石に祈りを中断して、アレンティーナが二人の所に戻ろうと踵を返した。
その時だった。
アレンティーナの後ろから男の声がした。
「…美味しそ」
アレンティーナが振り向くと同時に、行動を起こせたのはハロドだけだった。
「レン!伏せて!!!」
──瞬時に立ち昇った、拭えぬほどに悪しき気配に、歴戦の冒険者達は不意打ちを喰らった。
────
「少し」
昼の日中、陽の光の元に、在るはずがない存在の気配が
「いただけるかしらぁ?」
動いた。
気づいて動けたハロドがアレンティーナを庇う様に、気配との間に割り込むのが精一杯だった。
腰の短剣を抜く間もなく黒い霧がハロドを包み込む。
「…ひ、」
ごっそりと何かを持って行かれる感覚で、平衡感覚を失い傾いたハロドの身体にアレンティーナが飛びつく。
「───!」
ハロドを抱き込んだ瞬間、呪文を発動させるや否や、二人の姿が霧の中で掻き消え──
その場の遥か上空に現れる。
(ヤバ、しくじった!)
レンが使ったのは、冒険者稼業の魔術師が使う呪文の中でも最高階位の<転移>。普段は簡易結界の中で、地図の座標を頼りに飛ぶものだ。
しかし、危険を伴うが、戦闘時の緊急回避手段としても用いられる。
──座標指定が出来ない状態で飛べば、岩石の壁の中や、遙か上空に放り出される可能性もあるのだ。
「あらら、だぁ~めよぅ~?」
しかし。
「せっかくの命、大事にしなくっちゃ。ね?」
その二人を救ったのは、二人に襲いかかった黒い霧、そのものだった。
落下する二人の少し下で、黒い霧は急速に収束すると、大きな蝙蝠の翼を持つ、漆黒を纏った男の姿を取る。そのまま空中で二人を受け止めるとそのまま羽ばたいて、地上まで降りて来た。
────
「レン!」
霧に包まれかけたハロドに腕を伸ばすアレンティーナの姿を視界の端に捉え、トゥーリーンが声を上げるその後ろから
「すまんが」
別の声が、気配が、背後に迫る。
「少しくれ」
振り向きざまの剣の一突きを躱し、金の光がトゥーリーンに襲いかかる。
金髪、燃える赫い瞳、あまりにも整い過ぎた外観、仰々しい黒い外套、この世には相入れぬ、飢えを孕んだ邪悪で異質なそれは───
(魔のモノ達の王?!)
敵の正体を看破したトゥーリーンの口に、敵の手が触れるのと同時に、ぐらりと浮遊感に襲われる。
気がつくと、トゥーリーンは落下していた
(──どこだ!地上まであとどれだけある!?)
戦闘中の転移離脱の失敗を悟ったトゥーリーンは、目視で高さを確認しようとする。無駄だと分かっていても、できるだけこんな所でこんな形で死にたくはない。
が──
「ッッッ熱───!!!!
てめ、このやろ何背負ってやがる!?!?!」
ぐん、と、落下に急制動が掛かったかと思うと、更に上から汚い罵声が飛んできた。
見ると、自分に襲いかかって来た『魔のモノ達の王』が、必死にトゥーリーンの外套を掴んでいる。
「ちょい、投げるぞ!」
返答も聞かずに、腕力だけで、魔のモノ達の王はトゥーリーンを自分よりも高い位置に放り上げると、そのまま落下してきた身体を真正面から抱き止めた。
落下はしているが、地上に激突する程ではない──<浮遊>だ。
「済まん、頼む、吸わねえから頼むから今暴れないでくれ腹減ってるから何か飯貰えたらそれでいいから頼むから…!」
──なんだか「魔のモノ達の王」の異名らしからぬ、泣き言ばかりが聴こえてくるのは気のせいだろうか?
地上に降り立つまでの十数秒間、トゥーリーンはこれをどう処理したらいいのか──思考が処理落ちしていた。
────
とりあえず、地上に降り立ったトゥーリーンが、自分を降ろしてくれた『魔のモノ達の王』に携帯食の干し肉を渡すと「ありがてぇ…ありがてぇ…!」と涙を流しながら干し肉を齧り始めた。
その齧る様さえ『様になる』。
こんなこと──かつて冒険者だった頃にはあり得ない光景に
「ごめんなさいね…私たちもちょーっと『王都』からこっちまで逃げ延びてきちゃって。
目的地まですぐそこだったんだけど、お腹空いて我慢できなくってェ…」
蝙蝠の翼を日傘に変えた男がふぅ、と溜息を吐く。
こちらは──よくよく見てみれば、ただの吸血鬼ではない。『不死なりし王』と呼ばれる存在だ。
「こっちだって、玄室内ならまだしもオフの時は穏便に済ませたいのよ~!」
冒険者達から怪訝な顔を向けられて、『不死なりし王』が弁明じみた声を上げる。
穏便に済ますのと、攻撃無く友好的に振る舞うのは必ずしも同義ではなかったあたりが、相入れぬ存在の存在たる所以なのだが。
あまりにも怒涛の情報量で、ツッコミも追いつかない。
「んー…ところでさ、おにーさん?おねーさん?は干し肉とか要らないの?」
ひとまず、今は害意は無いだろうと冷静さを最初に取り戻したハロドが問うと
「アタシは大丈夫よぉ、ちゃあんと『吸えた』感覚あったもの。コレで古巣までは充分よぉ~」
直後の<転移>で吸ったのが(無かった事になっちゃった)けどねェ~と、ぱたぱた手を振って『不死なりし王』が返す。どうやら今の彼?にとっては、吸ったモノの質や量より吸った感覚が大事だったようだ。
────
危険とされる戦闘中の<転移>による強制離脱の狙い 一つはまさにそこなのである。
冒険者達が経験を積むに当たって、極限状態の中で戦闘を一区切り「終了」させるというのは、積んだ経験を体感させるという意味でとても重要だ。それを、逃走を計ったり強制離脱を掛けるなりした場合、脳や身体が「戦闘経験を積んだ」と認識できないという一種の感覚認識阻害が起こる。
そんな脳のバグを利用して、中層部から深層部にいる魔のモノが繰り出す、積んだ経験そのものを溶かして奪う『吸精』による弊害を『無かった事にする』のである。
────
しかし、『不死なりし王』のその言葉を聞いたハロドの表情が、ぱあっと明るくなった。
いそいそと自分が放り出した荷物をあせくり回し、液体の入ったスキットルを『不死なりし王』の手に押し付ける。
「これあげる!ハーフフットの蒸留酒だよ!」
「あらま!ありがと~ぅ!」
ハーフフット族の蒸留酒は、そのまま呑んだら酒をこよなく愛するドワーフ族すら一撃で沈める度数を誇る。割って呑むのが普通だが、どちらで呑んでもえもいえぬ美味さがあるのだ。
ただし、ハーフフット以外が希釈せず呑むと確実に二日酔い待った無し。
「酒を作ろう」などというハーフフットがそもそも少ないので出回らない、とんでもなく貴重な酒だ。
地上でそうなのだから、迷宮内であれば推して知るべし。
────
もとい。
この感覚認識阻害は、実は戦闘がらみでは無い所でも起こり得る話で──例えばごく稀に固有道具に秘められた力で上級職に転職した場合がそれである。
道具に秘められた力を解放するには条件があるのだが、その条件を満たして上級職に転職した場合、冒険者ギルドで転職訓練をするのとは違い、自分が一定の経験を積んだと認識するタイミングが狂ってくるのだ。
特に、認識するタイミングが一番早い盗賊と、一番遅い盗賊の上級職の忍者では、そこに約二倍の差があると言われている。
経験を積みに積んだ、場数を踏んだ盗賊が「うっかり」アイテムを使って忍者に転職した場合、いつまで経っても実力が付いたという認識が来ず、心が折れかねない。
そんな状態になったら、わざと『吸精』を喰らって強制離脱を掛けるという、究極の極限状態の中でバグにバグをぶつける荒療治しか残されていないのだ。
そしてその「うっかり」をやらかし、持ち前の幸運で荒療治のタイミングを尽く逃して今に至ったのがハロドである。ちなみにその「うっかり」から数十年経った今まで一度も経験を積んだ認識を掴んでいない。
だから──自分がちびちび呑む用で持って来ていたとはいえ、高い価値があると分かっているモノを渡したくもなるだろう。
────
「ところでよ」
ハーフフット側で盛り上がっている逆側では、<転移>酔いしたレンがトゥーリーンに介抱されていた。
「そこの君主、背負ってる獲物何だよ?どえらく熱かったんだが」
「ああ、コレだ」
少しは空腹が収まったのだろう、『魔のモノ達の王』の言葉に、トゥーリーンが剣の柄を見せる。
「……あー……うわぁ、『ソレ』か……」
すまん、見なかった事にする、と渋面で言われて、トゥーリーンが柄を布に包み直しながら
「その──なんだ。一目見て分かるモノなのかい?」
「分かっちまうモノさね」
てか分からいでかちくしょう、不意を打ったはずなのに、自分が触れるよりも先に反応できたのも頷ける、と『魔のモノ達の王』が頭をガリガリ掻く。
無駄に美形すぎてその様すら様になる。
『魔のモノ達の王』は、その名に違わぬ強大な力を持ちながらも、ダンジョンマスターにとっては召喚しやすい──呼び声が届きやすいのか、世話好きなのか、はたまた首を突っ込みがちな性質なのか──大抵どこの地下迷宮でも深層部で遭遇する。
なので、深層部で出る貴重な武防具は「見れば識別できる」。それも、その地下迷宮にしかない迷宮固有武具であれば尚更だ──なので、目の前の冒険者達が何者なのかまで分かってしまう。
『魔のモノ達の王』が、トゥーリーンを戦士と言わず君主と呼んだのも、それだ。彼女が戦さ場に立つ際には必ず身につけている軍衣を、『ガーブオブロード』と一目で見抜いたからだ。
そしてトゥーリーンが背負っていた剣は、迷宮固有武具『復讐の炎』。
呪われた遺跡として封印され『学府』監視指定になった為、二度と手に入らない──その上、何もかもがかなりの難物な──武具だ。
「できればお前らとは今後会いたくねぇよ」
「…私もだよ」
自分を斃せる実力を持つ相手と、斃すに命を賭さねばならぬ相入れぬ相手に、『魔のモノ達の王』と歴戦の女君主がぼやいていると
「ソレはムリよぉ、ダンジョンマスターに命じられたら私達は戦闘不可避なんだから」
『魔のモノ達の王』の背後から『不死なりし王』の声がした。
「ホラもう古巣まで戻れる位には回復出来たでショ?行くわよ行くわよ~」
ぐい、と襟首掴まれ立たされて問答無用で引き摺られていく。
「三人さん、ありがとうね。
今回は血湧き肉躍る戦いが期待できるわ~」
「チッ…来るんだったらソレ置いてから来やがれ。楽勝モードなんてすんじゃねえぞ」
ウィンクと共に不穏な期待を残して、悪しき気配が一つ霧散した。同時に、結界が解けるような、風が吹き込み空気が混じるのを肌で感じる。
──B10F1703で、会いまショ。
今までの異様な一時など無かったかのような世界に、意味不明な言葉を残して。
「ああ、そうだ。一つ頼まれてくれ」
残ったもう一体── 『魔のモノ達の王』が、輪郭をぼかしながら言葉を置いていく。
──もしも、もしもだ。『アドロス村のアドル』って奴が来たら、保護してやってくれ。戦士だ。
冒険者達の答えを聞く事なく、悪き気配が完全に霧散した。
ただそこには、もの悲しい風が通り過ぎるのみだった。
トーリボルの二度目の壊滅の時に、知る者は数少ないと言えど、当時の冒険者ギルド上層部の惨劇の場ともなったそこは、静謐さと静寂さが入り混じる、何とも言えない雰囲気があった。
草原といえど、今は見渡す限りの広範囲を焼かれたせいか、焼け焦げて黒々とした中にちらほらと緑が残る程度である。
昼下がりの、少し強い陽光の中、一歩づつゆっくりと歩を進めながら、鎮魂の祝詞をあげる一人のエルフの姿があった。
一線を画す美しさと、特徴的な、大きな尖った耳──寿命の概念の無い、古代種と称される森の民だ。
草原の端、彼女が足を踏み入れ始め場所には、布に包まれた長物を背負った女戦士と、彼女の半分の背丈しかない小さな人がいた。
静かに、風がそよぐ。
流れてくる祝詞が、祈りが、二人の耳を打つ。
「……私一人が祈って、想いを寄せた所で、あの場所に遺されたモノが救われるだなんて思ってないわ。でも、それでも私は、祈りたいの」
祈った所で何になるのか。
それでも祈るエルフの女は、この街の冒険者としては数少ない<司教>だ。
(……トゥーリーン)
(そっとしておいておあげよ、ハロド)
トゥーリーン、と呼ばれた女戦士は、優しい笑みを浮かべて小さな人に返す。
この場のかつての惨劇を、三人は知る事となった。
女である以上、根無草という生き方をしていれば、否が応でも隣り合わせとなる暴力から
命懸けで護られた者と、突き落とされて晒された者とが同じく怒り、同じく悼む──
(……いくらなんでも街から引き離せでココに着くのはあんまりだよ、フェンティス)
「…私の心配かい?ハロド」
静かな声が降って来て、ハロドはトゥーリーンを見上げた。
「故郷から離れてどれだけ経ったと思ってンのかい?
さすがに何十年も離れてたら──」
──そう。
『アーマラットの呪いの迷宮』が攻略されて、既に何十年も経っているというのに、髪に白髪が混ざり、肌に皺は増えたものの、トゥーリーンの出立ちは全盛期とあまり変わらない。
それには、どうしようもない理由があった。
────
『アーマラット』の地下迷宮システムを見つけた男は、起動させる際に、事もあろうに嬰児であった自分の娘をマスターとした。
それがトゥーリーン──白き蛇神『アーマラット』の巫女である『聖女マナヤ』の役割を与えられた彼女だった。
そもそもの『アーマラット』の地下迷宮システムは、攻略・封印対象となる様なものでは無かった。
砂の大地の中、点在するオアシスと結び付いて、訪れ、実力を示した者たちに、その実力に応じた祝福を与える──その程度のものだった。
それが、不慮とはいえ、穢され、無体を強いられ、死ぬ寸前の大怪我を負わされた彼女の、街への怒り、悲しみ、恨みにシステムが呼応し、汚染されてしまったのである。
故に『アーマラット』は白く輝く美しい鱗を闇色に染めた『鱗の女王』と化し──それでも、急速に憎悪に染まりきる直前に、サブシステム『砂の老爺』に最深部の厳重な封印を命じた。
──『砂の老爺』から託されたシステムの記録を読み解いたのは、他ならぬ彼らの仲間。
フェンティセーザ・スリスファーゼ。
そうして彼は、仲間に現実を突きつける。
システムを浄化するには、システムとダンジョンマスターを切り離さなければならない。
しかし、嬰児の頃から紐付けられたソレを切り離すには、最早ダンジョンマスターの死、以外に手段は無かった。
そして、システムをダンジョンマスターと切り離し、浄化した場合、それまでシステムが起動していた期間に築かれたモノは全て──アルマールの街を中心に広がる交易都市アーマラットと、街に縁深き者達自体が砂と化す。
──ハロドは、親は別の場所出身だが、彼自身はアルマール産まれだ。
街の為に、システムの為に、死線を共に抜けて来た仲間二人を切り捨てるなど、メンバーの誰も出来なかった。
故に、迷宮に厳重な封印を施した後、トゥーリーンとハロドは二度と戻らぬつもりで故郷を離れ、本来の目的の為に双子のエルフが街を離れた後、残った二人の仲間が街で生業を立てながら迷宮を見張る事になった。
それから数年──かつての仲間が記した研究書類を持参した『学府』と名乗る組織に、迷宮の管理を譲渡するまで、ギムリとマネラはずっと封印を護り続けていたという。
────
「それでもヒヤヒヤするよ」
トゥーリーンはもう老いて、街や村の片隅でひっそりと余生を過ごしていい位の年齢のはずなのだ。それなのに、ずっと呪いの様にシステムに囚われ続けている。
老化の遅延は、ダンジョンマスターとしてシステムと繋がっている事の証左──どんなに遠く離れていたとしても、厳重な封印が施されたとしても、彼女の怒りが、悲しみが、怒りが、恨みが、どうシステムに作用するかなど、誰も分からない。
「そうだねぇ」
笑い飛ばす事なく、トゥーリーンは視線を伏せる。
死にかけた時も、迷宮を制覇した後も、故郷を離れてずっと、ハロドは自分の側に居た。
どれだけ、彼の陽気さに、心遣いに、救われてきた事だろうか。
──故郷を離れた後は、トーリボルから馬で七日ほどの所にあるハーフフットの集落に、ずっと二人は住まわせて貰っていた。
元々ハーフフットは人間から迫害を受けて来た歴史があるせいか、始めの頃は随分と警戒されていたが、同族として受け入れられたハロドの根回しと、トゥーリーンの努力が徐々に村人達の心を開いて行った。
「この図体が収まる家がいい」と外れに住まうことを申し出、必要以上に踏み込む事なく、しかしながら時折やって来る動物や魔物達から集落を護り続けた事も、彼女が村人達から受け入れられた一因でもあった。
畑を作り、定期的に村人達の分まで街に買い出しに行き、できる力仕事をこなし、脅威を排除する。
のんびりとした隠居生活が、迷宮制覇までで無理をし続けた身体と心を少しづつ、癒やしていった。
このまま命尽きるまで、ここで。
二人とも、そう思っていた。
────
祈りながら、アレンティーナはただただ想う。
自分は、恵まれていただけだ。
森では兄が、婚約者が。
外に出てからは戦友が、友人が──自分を守ってくれる誰かが、ずっと側に居る。
トゥーリーンとの違いはたった、それだけだった。
アーマラットの地下迷宮を攻略する中で、一時期トゥーリーンが堕ちかけた事があった。
皆が寝静まった後、一人、スラム街に出てはならず者達を血祭りに上げ続けていたのだ。
その始まりは、転職だった。
『鱗の女王』を斃す為の武器の一振りが、人間の君主にしか扱えない代物だった。錆だらけでとても使えそうにないその武器を本来の姿に戻す為、トゥーリーンは戦士から君主に転職した。
その時に、記憶の底に押し込めていた記憶が、ドス黒い感情と衝動と共に噴き出したのだ。
トゥーリーンを君主へと導いた、冒険者ギルドの導き手は、その日のうちに自害した。
『復活を望まぬ』と一言、書き残して。
今でなら──導き手は、知った事から導き出される全てを「なかった」事にする為に、命懸けで、醜聞から彼女の心と存在を護ったのだと、推測できる。
遥か永い時を経たのか、それとも単に保存状態が劣悪だったのか──錆だらけの剣は、解放の為に手に取ったトゥーリーンの、怒りや悲しみ、恨み、ソレら全てを焚べたかの様に激しく炎の柱を立てて、刀身諸共彼女を焼き尽くした。
灰の中から現れた一振りの剣は、今まで見たどんな剣よりも冷たく、美しかった。
灰になる程焼き尽くされたトゥーリーンは、しかし、神秘的な輝きを讃えた護り石の力と、大枚を叩いての寺院での祈りで奇跡の復活を遂げる。
再び彼女の手の中に戻ったその刀身からはちろちろと、彼女の抱えたモノに呼応する様に、炎は収まらなかった。
鞘を燃やし溶かし尽くす為、用意されたのは魔力を遮断する布だった。商会が総力を上げて探し出したソレで包む以外に、持ち運ぶ術は無かった。
その剣を手に、彼女は、ならず者を夜な夜な根絶やしにしていったのだ。
その矛先が、スラム街に居る年端もゆかぬ無辜の子供に向くのは──そして、積み重なる睡眠不足から引き起こされる戦線崩壊は時間の問題だった。
トゥーリーンの気持ちは、痛いほど分かった。その痛みすらも、実際本人が受けた痛みの方が想像も付かないほどだという事も。
止められなかった。しかし、どこかで決着を付けなければならない問題だった。
だからマネラと一緒に後を付け「これで最後にしよう」と彼女を後押ししたのだ。
「私は、私たちは、貴女を止められないし止める権利も何もない。私たちでもきっとそうするもの」
「復讐が何も生まないなんてことはありませんよ。
少なくとも、貴女の心はすっきりするばす」
──堕ちかけたトゥーリーンの心が一瞬、自分達の方を向いたその時
更にその後ろから全開の火力がならず者達をアジトごと破壊し尽くし、結果スラム街の約半分が瓦礫と化したのは計算外だったのだけれど。
(……そう)
あの時は既に、自分達の宝を手に入れていて、空から虹の雨が降り注いだのだったかしら。
アレンティーナが息継ぎと共に空を見上げる。
その視界の端に、確かに、虹の雨を捉えた。
────
奇妙な輝きを視界の端に捉え、ハロドが振り向く。
空から、虹色の矢が豪雨の様に着弾した瞬間だった。
「…っ?!何やってんだいフェンティスは!」
街からの轟音と空に残る虹色の輝きの残滓、遠く冒険者ギルドの屋根の上に立つ見慣れた仲間の見慣れない姿で、トゥーリーンが何が起こったかを瞬時に判断する。
「……ンにやってんのよ兄さんっっっ!!!」
流石に祈りを中断して、アレンティーナが二人の所に戻ろうと踵を返した。
その時だった。
アレンティーナの後ろから男の声がした。
「…美味しそ」
アレンティーナが振り向くと同時に、行動を起こせたのはハロドだけだった。
「レン!伏せて!!!」
──瞬時に立ち昇った、拭えぬほどに悪しき気配に、歴戦の冒険者達は不意打ちを喰らった。
────
「少し」
昼の日中、陽の光の元に、在るはずがない存在の気配が
「いただけるかしらぁ?」
動いた。
気づいて動けたハロドがアレンティーナを庇う様に、気配との間に割り込むのが精一杯だった。
腰の短剣を抜く間もなく黒い霧がハロドを包み込む。
「…ひ、」
ごっそりと何かを持って行かれる感覚で、平衡感覚を失い傾いたハロドの身体にアレンティーナが飛びつく。
「───!」
ハロドを抱き込んだ瞬間、呪文を発動させるや否や、二人の姿が霧の中で掻き消え──
その場の遥か上空に現れる。
(ヤバ、しくじった!)
レンが使ったのは、冒険者稼業の魔術師が使う呪文の中でも最高階位の<転移>。普段は簡易結界の中で、地図の座標を頼りに飛ぶものだ。
しかし、危険を伴うが、戦闘時の緊急回避手段としても用いられる。
──座標指定が出来ない状態で飛べば、岩石の壁の中や、遙か上空に放り出される可能性もあるのだ。
「あらら、だぁ~めよぅ~?」
しかし。
「せっかくの命、大事にしなくっちゃ。ね?」
その二人を救ったのは、二人に襲いかかった黒い霧、そのものだった。
落下する二人の少し下で、黒い霧は急速に収束すると、大きな蝙蝠の翼を持つ、漆黒を纏った男の姿を取る。そのまま空中で二人を受け止めるとそのまま羽ばたいて、地上まで降りて来た。
────
「レン!」
霧に包まれかけたハロドに腕を伸ばすアレンティーナの姿を視界の端に捉え、トゥーリーンが声を上げるその後ろから
「すまんが」
別の声が、気配が、背後に迫る。
「少しくれ」
振り向きざまの剣の一突きを躱し、金の光がトゥーリーンに襲いかかる。
金髪、燃える赫い瞳、あまりにも整い過ぎた外観、仰々しい黒い外套、この世には相入れぬ、飢えを孕んだ邪悪で異質なそれは───
(魔のモノ達の王?!)
敵の正体を看破したトゥーリーンの口に、敵の手が触れるのと同時に、ぐらりと浮遊感に襲われる。
気がつくと、トゥーリーンは落下していた
(──どこだ!地上まであとどれだけある!?)
戦闘中の転移離脱の失敗を悟ったトゥーリーンは、目視で高さを確認しようとする。無駄だと分かっていても、できるだけこんな所でこんな形で死にたくはない。
が──
「ッッッ熱───!!!!
てめ、このやろ何背負ってやがる!?!?!」
ぐん、と、落下に急制動が掛かったかと思うと、更に上から汚い罵声が飛んできた。
見ると、自分に襲いかかって来た『魔のモノ達の王』が、必死にトゥーリーンの外套を掴んでいる。
「ちょい、投げるぞ!」
返答も聞かずに、腕力だけで、魔のモノ達の王はトゥーリーンを自分よりも高い位置に放り上げると、そのまま落下してきた身体を真正面から抱き止めた。
落下はしているが、地上に激突する程ではない──<浮遊>だ。
「済まん、頼む、吸わねえから頼むから今暴れないでくれ腹減ってるから何か飯貰えたらそれでいいから頼むから…!」
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地上に降り立つまでの十数秒間、トゥーリーンはこれをどう処理したらいいのか──思考が処理落ちしていた。
────
とりあえず、地上に降り立ったトゥーリーンが、自分を降ろしてくれた『魔のモノ達の王』に携帯食の干し肉を渡すと「ありがてぇ…ありがてぇ…!」と涙を流しながら干し肉を齧り始めた。
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「ごめんなさいね…私たちもちょーっと『王都』からこっちまで逃げ延びてきちゃって。
目的地まですぐそこだったんだけど、お腹空いて我慢できなくってェ…」
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こちらは──よくよく見てみれば、ただの吸血鬼ではない。『不死なりし王』と呼ばれる存在だ。
「こっちだって、玄室内ならまだしもオフの時は穏便に済ませたいのよ~!」
冒険者達から怪訝な顔を向けられて、『不死なりし王』が弁明じみた声を上げる。
穏便に済ますのと、攻撃無く友好的に振る舞うのは必ずしも同義ではなかったあたりが、相入れぬ存在の存在たる所以なのだが。
あまりにも怒涛の情報量で、ツッコミも追いつかない。
「んー…ところでさ、おにーさん?おねーさん?は干し肉とか要らないの?」
ひとまず、今は害意は無いだろうと冷静さを最初に取り戻したハロドが問うと
「アタシは大丈夫よぉ、ちゃあんと『吸えた』感覚あったもの。コレで古巣までは充分よぉ~」
直後の<転移>で吸ったのが(無かった事になっちゃった)けどねェ~と、ぱたぱた手を振って『不死なりし王』が返す。どうやら今の彼?にとっては、吸ったモノの質や量より吸った感覚が大事だったようだ。
────
危険とされる戦闘中の<転移>による強制離脱の狙い 一つはまさにそこなのである。
冒険者達が経験を積むに当たって、極限状態の中で戦闘を一区切り「終了」させるというのは、積んだ経験を体感させるという意味でとても重要だ。それを、逃走を計ったり強制離脱を掛けるなりした場合、脳や身体が「戦闘経験を積んだ」と認識できないという一種の感覚認識阻害が起こる。
そんな脳のバグを利用して、中層部から深層部にいる魔のモノが繰り出す、積んだ経験そのものを溶かして奪う『吸精』による弊害を『無かった事にする』のである。
────
しかし、『不死なりし王』のその言葉を聞いたハロドの表情が、ぱあっと明るくなった。
いそいそと自分が放り出した荷物をあせくり回し、液体の入ったスキットルを『不死なりし王』の手に押し付ける。
「これあげる!ハーフフットの蒸留酒だよ!」
「あらま!ありがと~ぅ!」
ハーフフット族の蒸留酒は、そのまま呑んだら酒をこよなく愛するドワーフ族すら一撃で沈める度数を誇る。割って呑むのが普通だが、どちらで呑んでもえもいえぬ美味さがあるのだ。
ただし、ハーフフット以外が希釈せず呑むと確実に二日酔い待った無し。
「酒を作ろう」などというハーフフットがそもそも少ないので出回らない、とんでもなく貴重な酒だ。
地上でそうなのだから、迷宮内であれば推して知るべし。
────
もとい。
この感覚認識阻害は、実は戦闘がらみでは無い所でも起こり得る話で──例えばごく稀に固有道具に秘められた力で上級職に転職した場合がそれである。
道具に秘められた力を解放するには条件があるのだが、その条件を満たして上級職に転職した場合、冒険者ギルドで転職訓練をするのとは違い、自分が一定の経験を積んだと認識するタイミングが狂ってくるのだ。
特に、認識するタイミングが一番早い盗賊と、一番遅い盗賊の上級職の忍者では、そこに約二倍の差があると言われている。
経験を積みに積んだ、場数を踏んだ盗賊が「うっかり」アイテムを使って忍者に転職した場合、いつまで経っても実力が付いたという認識が来ず、心が折れかねない。
そんな状態になったら、わざと『吸精』を喰らって強制離脱を掛けるという、究極の極限状態の中でバグにバグをぶつける荒療治しか残されていないのだ。
そしてその「うっかり」をやらかし、持ち前の幸運で荒療治のタイミングを尽く逃して今に至ったのがハロドである。ちなみにその「うっかり」から数十年経った今まで一度も経験を積んだ認識を掴んでいない。
だから──自分がちびちび呑む用で持って来ていたとはいえ、高い価値があると分かっているモノを渡したくもなるだろう。
────
「ところでよ」
ハーフフット側で盛り上がっている逆側では、<転移>酔いしたレンがトゥーリーンに介抱されていた。
「そこの君主、背負ってる獲物何だよ?どえらく熱かったんだが」
「ああ、コレだ」
少しは空腹が収まったのだろう、『魔のモノ達の王』の言葉に、トゥーリーンが剣の柄を見せる。
「……あー……うわぁ、『ソレ』か……」
すまん、見なかった事にする、と渋面で言われて、トゥーリーンが柄を布に包み直しながら
「その──なんだ。一目見て分かるモノなのかい?」
「分かっちまうモノさね」
てか分からいでかちくしょう、不意を打ったはずなのに、自分が触れるよりも先に反応できたのも頷ける、と『魔のモノ達の王』が頭をガリガリ掻く。
無駄に美形すぎてその様すら様になる。
『魔のモノ達の王』は、その名に違わぬ強大な力を持ちながらも、ダンジョンマスターにとっては召喚しやすい──呼び声が届きやすいのか、世話好きなのか、はたまた首を突っ込みがちな性質なのか──大抵どこの地下迷宮でも深層部で遭遇する。
なので、深層部で出る貴重な武防具は「見れば識別できる」。それも、その地下迷宮にしかない迷宮固有武具であれば尚更だ──なので、目の前の冒険者達が何者なのかまで分かってしまう。
『魔のモノ達の王』が、トゥーリーンを戦士と言わず君主と呼んだのも、それだ。彼女が戦さ場に立つ際には必ず身につけている軍衣を、『ガーブオブロード』と一目で見抜いたからだ。
そしてトゥーリーンが背負っていた剣は、迷宮固有武具『復讐の炎』。
呪われた遺跡として封印され『学府』監視指定になった為、二度と手に入らない──その上、何もかもがかなりの難物な──武具だ。
「できればお前らとは今後会いたくねぇよ」
「…私もだよ」
自分を斃せる実力を持つ相手と、斃すに命を賭さねばならぬ相入れぬ相手に、『魔のモノ達の王』と歴戦の女君主がぼやいていると
「ソレはムリよぉ、ダンジョンマスターに命じられたら私達は戦闘不可避なんだから」
『魔のモノ達の王』の背後から『不死なりし王』の声がした。
「ホラもう古巣まで戻れる位には回復出来たでショ?行くわよ行くわよ~」
ぐい、と襟首掴まれ立たされて問答無用で引き摺られていく。
「三人さん、ありがとうね。
今回は血湧き肉躍る戦いが期待できるわ~」
「チッ…来るんだったらソレ置いてから来やがれ。楽勝モードなんてすんじゃねえぞ」
ウィンクと共に不穏な期待を残して、悪しき気配が一つ霧散した。同時に、結界が解けるような、風が吹き込み空気が混じるのを肌で感じる。
──B10F1703で、会いまショ。
今までの異様な一時など無かったかのような世界に、意味不明な言葉を残して。
「ああ、そうだ。一つ頼まれてくれ」
残ったもう一体── 『魔のモノ達の王』が、輪郭をぼかしながら言葉を置いていく。
──もしも、もしもだ。『アドロス村のアドル』って奴が来たら、保護してやってくれ。戦士だ。
冒険者達の答えを聞く事なく、悪き気配が完全に霧散した。
ただそこには、もの悲しい風が通り過ぎるのみだった。
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