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第3話 静かな準備
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朝の光は、いつもより少しだけ眩しかった。
窓辺のカーテンが揺れ、淡い光が寝台の上を滑っていく。
目を覚ました私は、しばらくその光を眺めたまま動かなかった。
悪夢は、もう見ていない。
それでも胸の奥に、まだ冷たいものが残っている。
——あの終わり方を、私は知っている。
そう思うだけで、心臓が一拍、余計に跳ねた。
「……今日、だっけ」
小さく呟くと、喉が少し乾いた。
今日は五歳の誕生日。
この国で、貴族の子どもが初めて“公に姿を見せる”日だ。
私——エリシアは、今日を迎えるために育てられてきた。
そう言っても、過言じゃない。
ドアの向こうで、控えめなノックが鳴る。
「エリシア様、お目覚めでございますか?」
聞き慣れた声に、私は身体を起こした。
「起きてる」
返事をすると、すぐに扉が開く。
侍女が二人、静かに入ってきた。
湯の準備。
髪を整えるための道具。
淡い色のドレス。
どれもが、今日のためのものだ。
「無理はなさらないでくださいね」
そう言われて、曖昧に笑う。
——無理をしない。
それはこの家で、私が一番よく聞く言葉だった。
湯に浸かりながら、私はぼんやりと天井を見つめる。
まだ、身体に違和感はない。
息も、苦しくない。
この身体は、今はただの子どものものだ。
それなのに。
「……弟は、来られないんだよね」
ぽつりと零れた言葉に、侍女の手が一瞬止まる。
「ええ。エリオス様は、今日もお加減が優れませんので」
変わらない答え。
何度も聞いた、同じ言葉。
それでも私は、その名前を胸の中で転がした。
エリオス。
まだ、誰にも会っていない。
けれど、確かに“いる”存在。
そのことを、私はもう知っている。
湯から上がり、髪を梳かされながら、ふと気づく。
両親は、まだ部屋に来ていない。
いつもなら、母はこの時間には顔を出す。
父も、短い言葉を残していく。
——今日は違う。
胸の奥に、小さな緊張が生まれた。
ドレスに袖を通し、鏡の前に立つ。
そこに映るのは、柔らかな髪と、まだ幼い顔。
「……私、ちゃんとできるかな」
誰に向けたわけでもない問いが、宙に落ちる。
答えは、返ってこなかった。
代わりに、遠くから足音が近づいてくる。
ゆっくりで、重さのある足取り。
扉がノックされる。
「エリシア」
父の声だった。
その低く静かな響きに、胸がきゅっと締まる。
「入ってもいいか」
「……うん」
扉が開き、父が部屋に入ってくる。
その後ろに、母はいない。
父は私の前に膝をつき、視線の高さを合わせた。
その目は、いつもより少しだけ深く、
何かを量るような色をしていた。
「今日は、長い一日になる」
静かな声だった。
「だがその前に、話しておかなければならないことがある」
——来た。
理由もなく、そう思った。
父の視線は、私から逸れない。
まるで、逃がさないように。
「怖い話になるかもしれない」
それでも、と父は続ける。
「お前が知るべきことだ」
私は、小さく息を吸った。
心臓が、少しだけ早くなる。
でも、逃げたいとは思わなかった。
「……聞く」
そう答えると、父の表情がほんのわずか、揺れた。
揺れて、そして、決まる。
その瞬間を、私は見逃さなかった。
この人は、私を守るために、
同時に、私に何かを背負わせようとしている。
そのことだけが、はっきりと分かった。
窓辺のカーテンが揺れ、淡い光が寝台の上を滑っていく。
目を覚ました私は、しばらくその光を眺めたまま動かなかった。
悪夢は、もう見ていない。
それでも胸の奥に、まだ冷たいものが残っている。
——あの終わり方を、私は知っている。
そう思うだけで、心臓が一拍、余計に跳ねた。
「……今日、だっけ」
小さく呟くと、喉が少し乾いた。
今日は五歳の誕生日。
この国で、貴族の子どもが初めて“公に姿を見せる”日だ。
私——エリシアは、今日を迎えるために育てられてきた。
そう言っても、過言じゃない。
ドアの向こうで、控えめなノックが鳴る。
「エリシア様、お目覚めでございますか?」
聞き慣れた声に、私は身体を起こした。
「起きてる」
返事をすると、すぐに扉が開く。
侍女が二人、静かに入ってきた。
湯の準備。
髪を整えるための道具。
淡い色のドレス。
どれもが、今日のためのものだ。
「無理はなさらないでくださいね」
そう言われて、曖昧に笑う。
——無理をしない。
それはこの家で、私が一番よく聞く言葉だった。
湯に浸かりながら、私はぼんやりと天井を見つめる。
まだ、身体に違和感はない。
息も、苦しくない。
この身体は、今はただの子どものものだ。
それなのに。
「……弟は、来られないんだよね」
ぽつりと零れた言葉に、侍女の手が一瞬止まる。
「ええ。エリオス様は、今日もお加減が優れませんので」
変わらない答え。
何度も聞いた、同じ言葉。
それでも私は、その名前を胸の中で転がした。
エリオス。
まだ、誰にも会っていない。
けれど、確かに“いる”存在。
そのことを、私はもう知っている。
湯から上がり、髪を梳かされながら、ふと気づく。
両親は、まだ部屋に来ていない。
いつもなら、母はこの時間には顔を出す。
父も、短い言葉を残していく。
——今日は違う。
胸の奥に、小さな緊張が生まれた。
ドレスに袖を通し、鏡の前に立つ。
そこに映るのは、柔らかな髪と、まだ幼い顔。
「……私、ちゃんとできるかな」
誰に向けたわけでもない問いが、宙に落ちる。
答えは、返ってこなかった。
代わりに、遠くから足音が近づいてくる。
ゆっくりで、重さのある足取り。
扉がノックされる。
「エリシア」
父の声だった。
その低く静かな響きに、胸がきゅっと締まる。
「入ってもいいか」
「……うん」
扉が開き、父が部屋に入ってくる。
その後ろに、母はいない。
父は私の前に膝をつき、視線の高さを合わせた。
その目は、いつもより少しだけ深く、
何かを量るような色をしていた。
「今日は、長い一日になる」
静かな声だった。
「だがその前に、話しておかなければならないことがある」
——来た。
理由もなく、そう思った。
父の視線は、私から逸れない。
まるで、逃がさないように。
「怖い話になるかもしれない」
それでも、と父は続ける。
「お前が知るべきことだ」
私は、小さく息を吸った。
心臓が、少しだけ早くなる。
でも、逃げたいとは思わなかった。
「……聞く」
そう答えると、父の表情がほんのわずか、揺れた。
揺れて、そして、決まる。
その瞬間を、私は見逃さなかった。
この人は、私を守るために、
同時に、私に何かを背負わせようとしている。
そのことだけが、はっきりと分かった。
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