雨のち君

高翔星

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第2章 六月~June~

第6話 ありがとう

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校舎に入って以来雨は止み、一日中曇り空が続いた。

そしてまたレイは姿を見せなかった。

やはり雨の日にしか現れないのかと思いふけていたら休日が終わっていた。

そして六月になって初めての出勤。

そう言えば美沙香は休みだと言っていた。

久々でも無いが桧山さんと二人だけになった。

「年甲斐もなく昨日美沙香ちゃんと二人きりでちょっとドキドキしたわ。」

上機嫌だったのはそのせいか。

「もうずっと休め!」
「無理言わないでください。」
「昼勤にするとか!」

どこまで本気なのか冗談なのか区別が付かない事を淡々と言う。

「どうでしたか?」
「なにが?」
「仕事のほう。」
「美沙香ちゃん?晴より動き良かった。」
「マジすか…。」

冗談でも少し凹む。が、確かに美沙香は飲み込みが早いと思う。

初日に教えた事は直ぐにこなしていたし応用も利く動きも見せていた。

「女の子なのに率先して動くし、しっかりしただよな。」
「…そうっすね。」

少し悔しかったのか素直に同意できなかった。

この仕事に対して一丁前にプライドが芽生えたのか、単に自分の飲み込みが遅いのを苛立ったのか分からなかった。

そして作業を終えて会社に戻ると所長が何やらプリントを皆に配っている。

「遅くなってすまん。」

渡されたのは新しい交番表だった。七月中旬までの出勤日が載っている。

自分の名前の欄を見ると始めの六月十六日と十七日が連休になっていた。

公休のタイミングは所長に委ねているため異議は無いのだが入社して初めての連休で思わずたたずんだ。

「ん?連休か?」

悟ったかの様に所長が問い質した。

「あ、いえ。初めてだなぁてぐらいです。」
「昨日星野さんがな、晴の公休日を指定してきたけど何かあるのか?」
「……は?」

何故、美沙香の名前が出てくるんだ?と言うか指定しただと?

美沙香の名前の欄に目をやると俺と同じ日に休マークが付いていた。

軽く混乱状態になる。鯉の様に口をパクパクさせていると続けて所長が口を開いた。

「まぁ仲良くするなとは言わない。ただ私情を仕事に持ち込まないように。」

絶対に勘違いをしている…一体どんな言い方をしたのか。

返答に困っていると現場から帰ってくる仲間達が次々と事務所に入って来た。

「お、お疲れ様でした!失礼しますっ」

そそくさとタイムカードを押して外に出る。直ぐ携帯を取り出し美沙香に電話を掛けた。

この時間帯に掛けて良いかなどの配慮の余裕は無かった。

数回のコール音。

『もしもっ-』
「お前なっ!!」

美沙香の声を確認したと同時に喉の奥から怒号が出た。

「どう言うつもりだ!?」
『何をそんなに怒っているんだ?』
「所長に俺の休みを指定したんだって?」

焦りと気恥ずかしさが入り交じり早口になっていた。

『別に変な事は言っていないぞ。』
「なんて言ったんだよ?」
『私と晴の公休日の一部を十六日か十七日、どちらかを希望出しただけだ。』
「私と晴のって…。」

堂々と同じ日に休みを下さいと言っているのと一緒だった。

あまりにも潔過ぎて呆気に取られた。

『交番表、出たのか?』
「…あぁ。十六と十七、連休になっていた。」
『私はっ?』

声が弾んでいた。

「同じ日だよ。」
『良かった。頼んだ甲斐があった!』
「あのなぁ、他にもっと無かったのか?」
『何がだ?』
「頼み方。」

釈然としない自分がまだいた。

『他もなにも、それしか無いだろ?どちらかの日に一緒に行くんだったら。』
「そ、そうだけど。」
『何が不服なんだ?』

そう問われると、今まで沸き上がっていた感情が冷めていく。

そもそも案があると言われ、任せたのは俺自身だったと思い返すと怒鳴っている自分が情けなく思えたからだ。

「いや…まぁそうだよな。」
『うん。実際に上手くいったし連休も取れたんだぞ?』
「…取れてた。」
『晴の都合の合う日で良い。決めておいてくれ。』
「…あぁ。」

そう言うと電話越しから「星野さーん」と呼ぶ声が聞こえた。

『すまない、授業に戻る。』
「あ、悪い。」

わざわざ授業抜けてきたのか、申し訳無い。

『いや構わない。また明日な。』
「あぁ。」

通話を終了すると湿気の籠った熱気が体全体に伝わった。

曇り空なのにも関わらずこんなに暑いのは、恐らく先程までの感情がまだ拭え切れてないからだろう。

ふぅと一息入れる。気を取り直して帰宅する。



風呂上がりのバスタオルがやけに湿っぽい。

最近天候が不安定と言うのもあって完全に生乾き状態だ。

「十六日か十七日か。」

改めて日にちを確認する。正直どちらでも良いのだが、とりあえず十六日に行くことに決めた。

もし天候が優れなかったら翌日でも良いだろうと深く考えず腰を下ろした。

自然とテレビのリモコン共に動画配信アプリを開き、適当に作品を選び朝食の菓子パンを頬張る。

しかしどうも集中出来ない。

紫陽花園の事では無く窓から見える天気を気にしていた。

(雨…降らないな。)

嫌いだったはずの雨、それを求めているかの様に思った。

堕落に似た時間が過ぎて行く中、恐らく五分に一度は外の様子を伺っていた。

途中で用を足して冷蔵庫からコーヒーを持ち出し部屋に戻る。

「こ、こんにちわ~。」

そこに、普通にレイが座って少し気まずい表情で手を振っていた。

「お前…。」

確認したと同時に窓の外を見ると先程より空が黒く部屋も暗くなっている。

耳を澄ませると小さな雨音が聴こえてきた。

「レイっ!」
「は、はい!!」

何故だが苛立ちに近い感情が腹から沸き上がってきていた。

急に現れて急に居なくなって。そんな繰り返しが凄くもどかしかったのか思わず声を上げてしまった。

「…。」
「な、なに?」
「いや…。悪ぃ、何でもない。」

我に返った途端、非常に恥ずかしい気持ちになって言葉が詰まった。

「う、うん。」

レイは困惑の表情を見せた。そりゃそうだ、いきなり声を荒げられたら誰だって戸惑う。

「どっか行ってたのか?」

話題を変えるため、この際に訊いておきたい事を問いた。

「ううん。」

レイは一言で返事を返した。

「雨の日に、いつも来てない?」

次第に雨音が大きくなってきた気がする。

ゆっくりとした時間がただ流れる。

「私も分からないんだ。でも晴君の言うように雨の日に目が覚めると言うか…。」

途中で口籠もってしまう。何か訊いたらいけない気がしたが続けて俺は問い質した。

「普段は寝てる、とかなのか?」
「ん~~。」

熟考するも最後には「分からないや」と苦笑いを見せる。

「…そうか。」

分からないんだったら仕方ないと自分に言い聞かせる様に納得させた。

「まぁ別に雨の日じゃなくても良いけどな。」
「え?」

自然と口がそう告げていた。

「あ、いや。」

自分でも意外だったのだろう。言った途端に訂正するかの様に後付けした。

「居なくなったらなったらで全然良いけど。」

本当に天の邪鬼だとつくづく思う。

居たら邪険し、居なくなると不安になる、面倒臭い性格な人間だ。

「ゴメンね?私も、なんだろう。何がしたいか分からなくて。迷惑だよね。」

謝らせてしまった。何も自分を卑下する事はない。

「いやそこまでは思わないから。」

居て欲しい…と言う感情とかではない。

言葉で形容するには難しい感情だった。

「はぁ~~。」

深い溜め息が思わず出た。

同じく腰を下ろしレイと目線を合わせた。

「何か分かるまでで良いから、遠慮するな。」

そう言うとレイは目を丸くして口が少し開いた。

「今さらだが、俺にしか見えない聞こえないんだったら迷惑でも何でもない。」

当初より、かなりレイと言う存在が馴染んだのか、俺は饒舌じょうぜつに言葉を並べた。

「笑ってればいいから。」

すると開いていた口元を強く噛み締めていた。俯くと表情が見えなくなってしまった。

「レイ?」

何か気掛かりな事を言ってしまったのかと不安になるも直ぐにレイは顔を上げた。

「ありがとう!!」

まるで一年分の「ありがとう」を言ったかの勢いで笑顔を見せてくれた。

その曇り無い笑顔で俺も思わず口元が緩む。

暖かい…そんな気持ちになったのも束の間、俺は気付いた。

「手…。」

レイの指先が…若干薄れていた。

「え?…わっ!?」

本人も驚いている。

俺は焦って外を見てみると雨が降っていた。

「雨なのに…関係ないのか?」

独り言の様にポツリと呟いた。

「なんでだろう…。」

自分の手を懸念な表情で見つめるレイの姿が痛々しく思えた。

さっきまでの陽気な雰囲気から一転、重く曇った空気に変わった。

それを払拭したいの一心になったのか、俺は腰を上げた。

「ちょっと待ってろ。」

そう言い残し俺は財布を手にし、傘も持たず外に出た。

「晴君!?どこ行くの?」

レイの言葉を尻目に俺は商店街に向かった。

以前にレイと訪れた玩具屋さんの前に居た。

「まだ残ってるな。」

ウィンドウケースに飾られてある熊の縫い包みを確認して店に入る。

「すいません、外に飾られてある…その…熊の縫い包み下さい。」

途中で「熊の縫い包み」と言うワードを人前で言うのに対して気恥ずかしくなった。

「はい。包装は如何いかがなさいましょうか?」
「お、お願いします。」

絶対にいらない…とは言えないか。

何はともあれラッピング無しでコレぬいぐるみを持ち帰るのは流石に抵抗がある。

「メッセージカードはどうしますか?」
「い、いいです。」

会計を済ませる足早に店を出て、雨から守るように商品袋を抱えて家に戻った。

履いてある靴を乱暴に脱ぎ捨てて部屋に戻ると数十分前と変わらずレイが座って待っていた。

「急にどうしたの?びしょびしょじゃん!」

レイは立ち上がり俺の前に立つ。

「はぁ…はぁ…。」

息が上がっている状態で持っている袋を取り出す。

「うん?なに?それ、誰かのプレゼント?」

代わりに包装用紙を雑に開いていく。

「開けちゃうの?ならもって丁寧に-」

次第に先程購入した縫い包みが顔を出す。

「あ!これ…。」

持ち上げてレイの前に出す。

「こいつ居たら、ちょっとは気が紛れるだろ?」

そっと手を伸ばすもレイの薄れた指先が縫い包みをすり抜けた。

「まぁ触れたり出来ないが…。」

そもそも縫い包みの需要がよく分からない。

触って楽しむのか眺めるだけで良いのか。

「そこに置いとくから。」

全く見なくなった漫画の陳列の横に適当に配置した。

レイもそれに釣られたかの様に追いかけた。

「晴君…この子を買いにわざわざ?」

まだ状況を把握出来てないのか縫い包みを見つめていた。

「うん?まぁ給料出たし。」

一時停止されたままの映画を再生させる。

「ありがとう…ありがとう!」

何回目の「ありがとう」だろうか。

安っぽくない、純粋無垢の言葉だと分かる。

それぐらいレイの「ありがとう」が凄く嬉しかった。

それにしても思い切った事をしたと改めて思う。

今日一日、もやが掛かった様に優れない気持ちに嫌気が差したのかも知れない。


たまには…いいかな?


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