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第5話 正道院長イライザ

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 正道院内で最も高い場所は正道院長の執務室、そしてヴェイリスの居住する別棟の最上階だ。そうエレノアが案内された部屋である。
 正道院の門をくぐれば、身分の差に問わず、研修士だと決まっている。
 だが、そんなことは建前となりつつあった。
 そんな正道院長の執務室にグレースは呼ばれた。
 
「それでどうでしたか? コールマン公爵令嬢は?」

 問われたグレースはエレノアのそのままの印象を伝える。
 今までの令嬢とは異なり、正道院の暮らしにも深い共感を寄せてくれたこと、態度も言動も噂とは異なっていたことを嬉しそうに語るグレースに、正道院長である はイライザは指で額を押さえる。

「あなたは純粋過ぎます。言葉では何とでも言えるでしょう。彼女は気難しく高位貴族であることを笠に着ると評判ではないですか」
「ですが、今までのご令嬢方はご案内する以前に正道院にご到着した時点で不機嫌で不平ばかりで……そうです。私はこの度、初めてお会いしたご令嬢に挨拶をして頂きました!」

 それはエレノアがどうこうではなく、今までの令嬢たちに問題があるのではという言葉をイライザ正道院長は飲み込む。
 そんな貴族令嬢ヴェイリスたちに接するのは彼女たちラディリスだ。日頃からヴェイリスたちに注文ばかり付けられているグレースが喜ぶのも無理はない。
 だが、気の緩みは禁物だ。ここに来る貴族令嬢の多くは罪を犯して、謹慎の目的でここ聖リディール正道院へと訪れるのだ。
 
「あなたはコールマン公爵令嬢がなぜここに来たのかを知っているはずです」

 イライザ正道院長のその言葉にグレースの表情が引き締まる。
 エレノア・コールマン公爵令嬢が正道院へと向かうことになった理由は公の場で攻撃魔法を使ったこと、そして不幸なことにその近くに王族がいたことだ。
 エレノアが魔法を使おうとした相手は伯爵令嬢、男爵令息たちである

 だが、エレノアにとって不運なことにその近くには王族である第二王子エドワードがいた。エレノアも令息たちもエドワードの存在に気付いてはいなかったが、そのようなことは理由にはならない。
 令息や令嬢は謹慎処分、エレノアは攻撃魔法を行使しようとしたことが問題視され、正道院へと送られることとなったのだ。

 美しいが気難しいという評判のエレノアだが不必要に力を誇示することはしない。にもかかわらず、このとき魔法の力を見せたのは彼らからの侮辱、それも彼女が大切に思う者へのものだったからだ。
 その理由をエレノアは口にしなかった。自身にとって大事な存在を守るためである。そんな潔癖さも仇となり、彼女は謹慎処分となったのだ。
 
「まったく愚かなことです。罪を犯している者を正道院に置き、魂の浄化を願うなど。彼女たちの日々の過ごし方を見れば、そんな考えは消えるでしょうに。そもそも聖女が現れるかもしれない場に、罪を犯した者を置くべきではないのです」

 この国には聖女が現れると信じられている。
 その多くは神に祈りを捧げ、自らを律している研修士から誕生するだろうとも。
 そのため、国や信仰会は魔力の多い庶民や孤児院からも積極的に研修士を育てる。清らかな魂は清らかな場所から生まれるという考えなのだ。
 聖女へ近付くために信仰会の正道院に通う貴族令嬢は多い。
 貴族令嬢たちの謹慎の場が正道院であるのにも表向きには魂の浄化、裏ではそのような聖女と接点を持てる可能性、あるいは貴族令嬢や使用人から聖女が現れるのではないかという期待からだ。
 
「ですが、貴族令嬢がいらっしゃらないとその……運営の問題もございますし」
「…………重々承知しております。ですから頭を悩ませているのです」

 グレースの言葉にイライザ正道院長は眉間に皺を寄せる。彼女の言う通り、正道院の運営には貴族令嬢の家からの寄付が必要なのだ。

「噂と違うのかどうか、それは時間がはっきりさせるでしょう。ここでの長い生活の中で嘘は吐き続けられませんからね」

 厳しく突き放すような言い方はイライザ正道院長のヴェイリスへの期待のなさが見られる。それを否定するには先程、グレースが短い時間で得たエレノアの情報では頼りないだろう。
 グレースもまた、エレノアのことを深く知っているわけではないのだ。
 一礼したグレースは執務室を後にする。
 ドアの閉まる音にイライザは深いため息を吐いて立ち上がり、窓の外を見る。
そこにはフェイリスの別棟の最上階が見えた。
 正道院長の執務室と同じ高さにある居住スペースが今日、初めて正道院の門をくぐったエレノアのものだ。
 ヴェイリスであるエレノアと正道院長ではあるもののラディリス出身であるイライザはその差に、再び深いため息を吐くのだった。
 

*****


 同じ時間、同じ高さの部屋でエレノアもまた、ため息を吐いていた。
 
(やはり、この異世界転生は「詰んで」いるのでは? そもそも、私がエレノアさんになったからといって代わりに出来そうなことなんてないよね。エレノアさん、しっかりとした子だったみたいだし)

 記憶にあるエレノアはその地位にふさわしい教養とマナーを身につけ、何よりそのための努力をしていた。公正で柔軟な考えの持ち主で、それがカミラを救うことにも繋がったのだ。
 あまり感情を出さず、周囲からは気難しいとも評されるエレノアだが、家族はもちろん使用人への愛情も深かった。
 その愛情深さがエレノアを正道院へと送られる原因となったのだが、そんな彼女をハルは好もしく思った。

(そうか、私がしっかりしないとエレノアさんの評判も落ちちゃうな、これ。しっかりしよう。とりあえず、状況が把握できるまでエレノア・コールマンであり続けなきゃ!)

 だが、問題はハルに出来そうなことは何もないのだ。
 目の前に広がる第一庭園を見たとき、ハルの心はときめいた。
 広い庭園に広がる瑞々しい野菜や果実、ハーブも種類が豊富で花々も美しく咲く。そのうえ、案内してくれたグレースの言葉ではお菓子作りも行っているという話だったのだ。
 にもかかわらず、貴族令嬢であるエレノアはそれに携わる必要がないという。
 エレノアことハルはまた深いため息を吐いた。

「お嬢さま、お荷物を整理いたしました」
「ありがとう、カミラ」
「もし、お疲れでしたらお休みになられては? 長旅の疲れもございます」

 気遣うカミラの言葉にエレノアは首を振る。
 記憶は両方のものがあるので混乱することはない。
 問題はエレノアの性格とハルの性格の違い、これがどうなのかはハルにはいまいち把握できない。この場合の性格とは他者から見ての印象をいうからだ。
 だが、エレノアの今までの記憶を辿ると賛同できることが多い。
 例えば、カミラとの出会いだ。これに関してはハルも全く同じ行動を取ると言えるし、罪となった攻撃魔法を行使しようとしたことさえ、その行いはさておき、心は理解できるのだ。
 今現在、記憶も人となりにも違和感がなく、疲労もない。
 であれば、エレノアの記憶にない正道院の情報を集める必要があるだろう。

「いえ、正道院の中をご案内頂いたし、まず祈りを捧げに参りましょう」
「それはようございますね。私は神を信じませんが」
「知っているわ」

 そう、カミラは神を信じない。
 瞳や肌の色、見た目で判断され、辛苦を味わってきた彼女は何度も神に祈った。
 だが、その祈りは届くことはなかったのだ。

「私が信じるのはお嬢さまだけですので」

 黒曜石のようなカミラの瞳とエレノアの記憶が、その言葉に嘘がないことを伝えている。
 一瞬、驚いたハルだが、エレノアの記憶ではいつものことらしいのでそういうものだと自分自身に言い聞かせた。
 貴族には貴族の難しさがあるのだ。
 
 
 
 
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