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第10話 エレノアの願い

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 《エレノア・コールマンが最期に願ったのは家族、そしてカミラのことだ》

 エレノアとしての記憶の中にも家族とカミラの思い出や笑顔がさまざまにある。彼女が彼らを愛し、そして愛されていたことはハルにも伝わる。
 だが、続くシルバーの言葉はハルの予想外のものであった。

《悟ったのだ。今ここで自身が旅立てば、公爵家は王家にすら反発し、国は乱れると――》

 目を瞬かせるハルだが、エレノアの記憶の中を探るとその考えが間違いではないことに気付く。
 エレノアは先々代の王女の血を引いている。聖女とも崇められた象徴的存在、そんな彼女の面影を同じ銀髪のエレノアの中に探す者も多い。
 そして父ダレンと兄カイルは、幼い頃に母レイアを亡くしたエレノアを何よりも案じているのだ。

「エレノアは公爵家の光――それが失われれば、家の動きも変わってくる」

 おそらくエレノア自身はそこまで気付いてはいなかっただろう。
 彼女が案じたのは公爵家と王家との関係の悪化だ。
 だが、ハルの感覚でエレノアの記憶を辿ればそれは事態はそれ以上になると考えられた。

《その推測は正しい。神の示す未来ではエレノア亡きあと、父ダレンは元凶となった家と第二王子エドワードに激しい怒りを抱く。その感情は王家にも向いていく》
 
 権力も資金力もまた人望も十分にある人物が、ひとたび誰かを憎み、その立場を利用していくのだ。ダレンの変化は国にも大きな影響を与えていくだろう。
 だが、ハルは気付く。そんなエレノアの父ダレンを、周囲が止めてくれるのではないかと思いついたのだ。
 
《兄カイルはカミラと共に国の外に出るぞ》
「カミラまで? どうして……」
《この国アスティルスを見切り、父を支援し、国に対抗するためにさらなる人脈、資金力をつけるためにだ》

 その言葉にハルはただ俯く。
 カミラがこの国に留まる理由、それはエレノアがいること――それだけなのだ。

《エレノア・コールマンの最期の願いは純粋なもの、家族とカミラが幸せになってほしい――それだけだ》

 エレノアの死後、起こりうる悲劇と比べ、シンプルで純粋な家族への愛に満ちた願いだ。その比重を考え、神はエレノアの願いを叶えたのだろうかとハルは思う。
 だが、その考えをシルバーは否定する。

《エレノア・コールマンは聖女となり得る力を持っていた。それゆえ彼女の願いが汝の魂を呼び寄せ、自身の身体に引き寄せたのだ》

 神の力ではなく、エレノアの力でハルは今、エレノア・コールマンとしてここにいる。そのことはハルの心の負担を軽くした。
 どこかで自身が新たに生を受けた一方で旅立った命があることに心苦しさを抱いていたのだ。未だに自身が何者なのか、どうあるべきなのかもハルにははっきりしない。
 そんなハルにシルバーは再び語りかける。

《もう一度言う。エレノア・コールマンの願いは家族とカミラが幸せになってほしい、それのみなのだ。汝は汝が思うまま、生きるがいい》

 その言葉にハルはぼろぼろと涙を流す。
 
「私が私でなくなるとか、エレノアさんの生きたかった未来とか考えて行動した方がいいのかなって。でも、私はこんな生活したことないし、魔法も使えないみたいだし、どうしたらいいのかなって思ってて」

 ぐしぐしと子どものように目元を乱暴に拭きながらも、ハルの目からは涙がまた零れ落ちていく。

《あるがまま生きるが良い、奇縁が結んだめぐり合わせなのだ》
「そっか、それでいいんだ……なんか安心しちゃった」
 
 シルバーがしっぽでぽふぽふとベットを叩く。

《清らかな魂の子よ、よく眠ることだ。眠ることで日々、魂と体が馴染む。そのうち魔法も使えるようになるはずだ》

 立ち上がったハルはふらふらとベットへと歩くと倒れ込むように横たわる。
 突然、見知らぬ世界と体で過ごすことになって戸惑う暇もなく、適応し、正しいエレノア・コールマンとして振舞わなければという責任感を抱いていたのだ。
 だが、エレノアが望んでいたのは家族とカミラの幸せ、それとハルがどう生きるかは決して相反するものではない。

 安心したようにすやすやと寝息を立てて眠る銀色の髪を、ふわふわもふもふとした何かがふんわりと撫でるのであった。


*****

  
 王都のコールマン公爵家では未だ眠らず、家族であるエレノアを心より案ずる者たちがいる。エレノアの父ダレンと兄カイルである。
 端正で秀麗な青年と評判のカイルは不快そうに足を汲み、苛立ちを隠そうともしない。そんな息子の様子は目に入っている父のダレンだが、その振る舞いを注意することはない。
 使用人たちはコールマン公爵家に忠実な者たちな上、人払いも済ませている。
 何よりも当主であるダレンもまた、カイル同様に怒りと心痛で感情を乱していたのだ。母レイア亡き後、その膨大な魔力と聡明さを持つ幼いエレノアはコールマン家の希望の光であったのだ。
 だが、その光は今は王都より遥か離れた聖リディール正道院にとある。それも罪を負ったという不名誉な扱いによってだ。

「かわいそうな僕のエレノア……いっそ、第二王子ごと全て吹き消してしまえば良かったのに」
「……気持ちはわかるが、そのようなこと他で口にするなよ」
「あれがいなければ、もう少しエレノアの刑期は短かったでしょうに。あぁ、刑期と口にするのも不快だ。僕の可愛いエレノアに一体どれだけの時間、僕は会えないのだろう……」

 正道院は外部との交流を完全に断ち切ってはいない。老若男女問わず地元の民を雇用し、社会へと貢献している。
 だが、罪を犯した貴族令嬢は異なる。厳しい監視の元、会う時間も人間も制限され、正道院の許可も必要だ。
 それは罪を負った処分ゆえのものだが、同時に正道院として預かった貴族令嬢たちを守る意味もある。

「だが、今回の件でエレノアの婚約は消えた。世間体の問題はあるが、周囲がどう言おうともあの子が自由になれたのは幸いだろう。却ってエレノアにとっては良いのかもしれぬな」
「あの子は本来、穏やかで自然を愛する気性ですからね。常に公爵令嬢としての立場を守る必要がなければ、あらぬ誤解を受けることもないのに」

 立場にふさわしい言動がエレノアを気難しいと評される令嬢にしていることは知っていた。だが、エレノアは聡明であり広い視野を持つ少女である。
 異国の民であるカミラを付けていることも異端ではあるが、立場ある者が公の場に席を共にすることで改善する意図があった。
 何より、幼い頃から共に過ごすカミラを信頼してもいた。
 エレノアが思う立場にふさわしい在り方と、他の者たちが考える在り方に大きな差があったのも一因で、彼女は誤解を受けていた。

「聖リディール正道院にはあのクーパー侯爵令嬢もいるんですよ」
「あぁ、あの刃傷事件を起こした令嬢だな」
「そんな危険な場に僕のエレノアがいるなんて、胸が痛みます」
 
 そのとき、白くほんわりとした光が窓を通り抜け、二人のいる部屋へと降り立った。カミラから送られた魔法鳥である。
 重厚な机の上にある止まり木に降りた魔法鳩がぽぅと鳴くと白い手紙が現れた。

「カミラから? それでエレノアはどうしていると?」
「落ち着け、カイル。エレノアは…………は?」

 それまで息子であるカイルを収めていた父ダレンの琥珀色の瞳が驚きで揺れている。その様子に慌ててカイルは父の手にある便箋を奪い取るように読み上げる。

「エレノアの元に白い狐が顕現した? ……つまり、僕たちの聖女がこの国においても聖女だということになりますね。はは、神もなかなかに見る目がありますね」
「カイル……」

 もはや、不敬だと注意する気力すらダレンには残ってはいない。
 最愛の娘が不名誉な形で遠く離れた場所へと引き離され、その正道院にて白い狐を顕現させたというのだ。聖女の証ともいえる白き狐の顕現は名誉ではあるが、愛娘エレノアことを考えれば、その生き方の足枷ともなり得るのだ。

「ただでさえ膨大な魔力を持つエレノアが聖女となったらどうなる……! あの子を利用しようと有象無象が近寄って来るではないか!」

 ダレンの言う有象無象の中には王家や他国の王族も含まれている。年齢を重ね、カイルのように口にはしない分別はあるが、その本音はほぼ変わらない。

「ですが、正道院側がそれを『白い狐』と認めるとも思えません。彼らは扱いやすい平民研修士からの聖女誕生を望んでいますからね」

 カイルの言う通り、公爵家から聖女が誕生しても正道院の管理下に置くことは難しい。高位貴族からの聖女誕生は正道院の上層部は安易に認めないだろう。その意図を知る聖リディール正道院側もそれをすんなりと報告しづらい。

「逆に言えば、会う人物も厳格に管理される場所であればエレノアの安全は保障されます。正道院にいる限り、婚姻も結べませんしね」
「……いずれにせよ、我々もあの子と容易には会えないだろうに」

 今までカイルを抑える立場であった父ダレンからは本音がぽろぽろと零れだす。

「まぁ、公爵家である僕らを無視できぬとは思いますが……寄付を重ね、より存在感を出しておく必要はありますね。神とやらも僕らのエレノアを認めたことですし」

 会えないものの魔法鳥を使った交流があり、エレノアの身の安全や自由は保障されているのだ。エレノアのためには穏やかで自然と共に過ごす時間も悪くはない。

「いざとなれば聖女となったエレノアと共にこの世界を変えればいいのです」

 カイルは嬉しそうに微笑み、嬉しそうに手紙をしまい込む。
 そんな息子に反論はせず、父ダレンは一つだけ確認をする。

「次の手紙からは私が保管するからな」
「これはカミラからですよ?」
「それでもだ」

 白い魔法鳥は役目を終えて、ほわっと溶けるように消えていった。
 
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