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しおりを挟む公式な取材や収録があるなら私は専属スタイリストとして同席するけれど、彼の仕事すべてに関わるわけではない。原作者と振付師が来日するのは稽古が始まってからということだった。二人が来る前に徹底的な歌唱指導が行われ、私には就任してすぐの4連休が舞い込んできた。ちなみにこれは、歌唱パートのない長谷も同じはず。
私は定期健診よりずっと早いけれど、かかりつけの病院で検査をして寛解していることを確かめた。多忙をぬって治療するのはとても無理。
彼の復帰、やりがいのある仕事、体調と、嬉しいことが重なった。これからはまた、メディアの一線で働く。プライベートでも怠けるわけにはいかない。美意識は磨き続けなければ忽ちくすんでしまう。それにちょっと、お祝いもしたい。ご褒美もあげたい。
服を買って帰ろう。
病院からの帰り、乗り継ぎをせず改札を出た。駅前の大きなショッピングモールでたっぷり4時間ショッピングを楽しんで、両腕に袋をさげて雑踏を歩く。もう少し待てば冬のクリアランスセールが始まるけれど、きっと今年は忙しくてそれどころではまなくなってしうはずだ。いい買い物ができたと思う。
もうすぐ駅というところで、勢いよく袋をぶつけてしまった。
「すみません」
咄嗟に謝りながら振り向く。私は袋の持ち手を掴まれ、身が竦んだ。
「やっぱり。マリエだ」
「……咲良」
専門学校時代の同期だった。一早く掌を返した友達のひとり。真冬だというのに露出度の高い服の上に毛皮のコートを羽織っている。いい毛皮だ。ちょうどパフと同じサイズの丸いピアスが、にやりとした頬にふれて揺れる。
「元気?」
「離して」
「買い物? リッチじゃん。なに買ったの」
「もう帰るから」
「ニュース見たよ。カレシ復帰だって? てか早くない?」
「からまないでよ」
うんざりして、こちらも力をこめて袋を引っぱる。そのとき、私は咲良がひとりではないことに気づいた。人ごみの一部だと思って気にもとめなかったけれど、4人も若い男の子を連れている。ちぐはぐな左右の髪、唇や顎のピアス、安い革のジャケット、お酒の臭い。まだ未成年かもしれない。
「リナさん友達ですかぁ?」
ひとりが呂律の回らない口で言って近づき、ぞろぞろと取り囲まれた。
「リナ……?」
たぶん、源氏名だ。咲良はどう見てもキャバクラ嬢にしか見えない。
ふいに、咲良は年下好きだと思い出した。
「“レオの女”」
べたっとした嫌な口調で咲良が言う。私は、最初に変な噂を流し始めたのは咲良ではないかと、何度か疑ったことはあった。彼らのテンションが上がった。
「まじで!?」
「え、ちょ、お前ら触っとけ!」
「わー、アゲマン様~!」
「ごりやく、ごりやく。ありがたやー」
ぞっとして身が竦んだ。髪や頬を無遠慮に触られ、マスクを剥ぎ取られた。人の壁に閉じこめられる。知性の欠落した笑い声をあげながら私を囃し立て、逃げようとしてもまるで動けない。いつのまにか咲良の手が袋から離れていた。反対の腕の荷物を抱きこんでいたから、胸は無事だったけれど、コートをまくりあげた手は勝手に私のおしりをつかみ、強引に前へ進んでくる。
吐き気と一緒に、涙がせりあがった。
私は、渾身の力を込めて4人の壁を突破した。
「痛って」
「待てよコラァ!」
マフラーをつかまれ、首が絞まる。
そのとき、事態の悪質さに気づいた人たちの、ひっそりと相談する声が届いた。
「ねえ、警察呼んだほうがいいんじゃない?」
「──」
そんなことさせない。
彼の復帰に、スキャンダルは要らない。
私はマフラーをほどき走り出した。
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