12 / 127
011
しおりを挟む「叩いて。深く。足を広げて。ゆらして、入れる」
「ちょっと」
通訳の男性に日高が声をかける。笑いは、こらえきれなかったみたい。日高につられて、ディーノ役の雲田が笑った。
「言わないで。見ればわかる」
振付は群舞から始まった。ミュージカルの最後、物語の終わったあとソロのバルトロメア以外全員で魅せるダンスナンバーだ。曲は激しいラテン調で、淫靡だけれど明るく、生命の息吹、情熱を感じさせる。顔の横で手をうちならすポーズから始まるのだけれど、通訳の男性が極真面目に一言ごとマイクで訳すので、男性陣でニヤニヤが伝染し、待ったがかかったのだった。
マクシモーヴィッチは笑顔で様子を見ている。
黒のぴったりしたダンスウェアで中心に立つ彼は、まるで神様を模った彫刻のようだった。猛々しく、美しい。それに、顔立ちは野性的なのに、目をくしゃっと細めて笑うのが可愛くてたまらない。鏡越しに指導する真剣な眼差しにドキッとなる。彼も人が好きなのだろう。稽古場はエネルギーに満ちて、いい雰囲気だった。
あれだけ緊張していた長谷はレッスンが始まると人が変わった。見違えるほどリラックスして、全身で楽しんでいる。最前列の下手の端、助手の位置だ。台詞のない彼女は、ダンスと仕草が言葉となる。
ショーガール、と、偏見をもっていたのは否めない。
彼女をなぜか、自分より劣った、汚れた人種だと、本能的に思い込んだ。なんて恥ずかしいのだろう。
けれど、反省しても、彼女を好きになれそうにはなかった。
──でも。
一通りの振付がすんで、曲がかかる。全員が踊ってみる中で長谷は群を抜いていた。みんな正確に、忠実に踊ることしかできない。長谷は違った。煌めいていた。
パッション。
スタイル。
テクニック。
完璧だった。
感動した。
残念なことに、いちばん覚えが遅いのは日高だ。彼は本来、踊り手ではない。隣の雲田はオペラ歌手だけれど、舞台慣れしているのか日高よりはこなしている。
くりかえし曲を流すと、マクシモーヴィッチはすぐ群を離れ鏡の前で全体を見渡した。お手本をなくした日高が、明らかに足並みを乱す。背中を見るのと鏡の中のお手本を見るのとでは、視覚から体に伝わる速度が違う。日高は必死についていっているという感じだ。一生懸命に取り組む姿は見ていて胸うたれるものがあった。
三度目になると、通訳の男性がマイクを通して代弁を始める。
「笑って。楽しんで。もうショーは始まっているよ」
心の伴わない声は雑音のようなもので、みんな気が散らされないようスルーしていた。
実際、高度な振付だった。もう踊れなくなって10年経つけれど、あの頃の自分がこなせるかと言われると難しい。それでもマクシモーヴィッチが吹き込み全員が個々の色で放ち始めたパッションに、体が反応する。魂ごと連れて行かれそうになる。躍動感は同時に、儀式のような高揚感を呼んだ。ここに加納の歌が入ったらきっと凄まじいことになる。
タンゴダンサーと聞いて、もっと古典的な振付を想像していた。けれどモダンジャズやコンテンポラリーとしても異彩を放つ、幻想的な魔力がある。バレエの世界では、彼のように完全な閉じた世界を作り上げる踊り手をよく、陶酔型と呼んだ。魅力的で決して貶しているわけではないけれど、育ち方を間違えると舞台には立てなくなる。
「すごい」
憧れ。
私が授からなかった才能。
けれど、私には諦める理性があってよかったのだと思う。
私が陶酔型だったなら、きっと、舞台で死ぬために踊り続けた。
彼のようなダンサーに出会ったのが、今でよかった。
休憩を挟み、この日はあと2曲の振付がされた。逃亡劇であるオープニングと、陽気な最初のナンバー。グループごとに細かい指導が入るため、ここからの通訳の男性は大活躍だった。
私は日高付きのスタッフとともに、取材のため稽古場をあとにした。
「ヌ、パカー!」
振り向くとマクシモーヴィッチが無邪気な笑顔で手をふっていた。もう片方の手が長谷の腰にあるのを見て、私は目をそらした。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
55
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる