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しおりを挟む午前中に一つ取材を終え、日高について稽古場に入る。
立ち稽古まで歌唱指導は休みで、これから1週間、集中的にダンスパートの稽古とのことだった。今日は原作・演出のポルトノフ氏に先駆け、振付師が来日し、彼との初対面がメイキング映像として収録される。私たちは稽古場で待機し、カメラと一緒にドアの方を向いていた。
廊下が騒がしくなり、先に製作スタッフが入ってくる。日高の顔に最終チェックを入れ、私は壁際に下がった。出演者は、ダンスシーンが多い作品だけにほとんどが二十代から三十代前後で、振付師の要請に従い既に着替えを済ませている。
「ドミトリー・マクシモーヴィッチさんです!」
スタッフの紹介に、拍手があがった。
背の高い白人男性が、満面の笑みで入ってくる。糸のように目を細め、少し照れ笑いに見える表情は本当に嬉しそうだ。
けれど、私はあんぐり、口を開けた。
昨夜の……!
日高と振付師の握手にフラッシュが焚かれる。礼儀正しい彼は、緊張をうまくかくして誠実な笑みで応えている。秋月レオの頃より彼は素敵な男性に見えた。セックスアピールがなくても、きっと抱かれたい歌手の首位は不動だ。本名で歌うという気持ちが、彼の芯の強さを磨いたのかもしれない。
冷静に彼の人柄に感動しているけれど、心臓はばくばくいっていた。
振付師は出演者ひとりひとりと握手を交わし、若い兼ね役のダンサーとも通訳を通ししっかり挨拶している。長谷が広く開いた背中に汗をかいて、そわそわしていた。私も、そわそわしていた。私はちょうど、長谷の背後に隠れるような位置だった。
「すばるぅ~!」
ふしぎなことに、振付師は長谷とだけ、抱き合った。
名前も知っている。
名前を呼んだあとは母国語で話しかけているけれど、通訳の男性は口を閉ざしたままだ。長谷は何度か頷いたり、ムニャムニャ言葉を返した。
振付師はロシア出身のタンゴダンサーと日高から聞いていた。私はロシア人に英語でまくし立てた、とても失礼な女というわけだ。
目があった。
「…………クトー?」
たっぷり5秒見つめあったあと、振付師が長谷の体に腕を回したまま、顔を覗き込んでくる。
「古賀毬依さん。日高さんの専属スタイリスト」
彼女が日本語で言ったので、通訳の男性がすかさず訳した。
長谷を離し、昨夜の彼はゆったりと私の前に立った。あとで、お礼を言わなくては。そんな理性が一度頭を過ったけれど、彼の視線に頬が熱くなる。だって、仕方がない。焼き尽くすような色の瞳が、私を探っているのだもの。きっと、体調を気遣ってくれているのだ。
彼はくしゃっと笑った。
「まーりーえ」
その笑顔が、すべてを奪った。
大きな手が差し出される。私は握手を返し、初めて彼にふれた。彼の手が離れ、長谷の肩へ戻ってゆく。みんなが長谷を見るなかで日高だけはじっと私を見つめていた。信じられない、という顔をしている。なぜかは知らないけれど、気持ちはわかる。
私も、信じられない。
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