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しおりを挟む前奏のあと、すでに録音された日高の歌声にのせ、長谷がセンターに躍り出る。滑り出る、が正しい。裸足だからローラーが付いているわけでもないのに、彼女は踵で2メートルほどスイッと動くのだ。まるで重力を感じさせない。長谷の演じるカルミネの背中を眺め、アグネスの私は悩ましげに髪をかきあげる。
長谷が上手から奥を回り、カーテンをあけ朝陽をひきこむ間、私は寝起きのアグネスを演じる。長谷の掘り下げたアグネスは無邪気な獣だ。センターに戻ってきたカルミネにベッドから飛びかかり、高速リフトへと続く。この辺りは、今の段階では簡略化されていた。
長谷と私では身長差が15センチ弱あるけれど、これが日高と長谷では10センチに満たない。振付が力強く躍動的な分、このナンバーはどちらかがリードし相手がリードされるようなものではなく、対等だった。カルミネとアグネスの愛は、純粋で、血生臭く、人間味を欠いている。単純にふたりの動きが人間離れしているというのもあるけれど、何より、不死を手に入れた恋人たちにとっては相手の血肉を啜ることまでが愛の行為として作り込まれていた。
途中、穏やかに曲調が変わる。このときばかりは優しいワルツを踊る。けれど、ほとんど猟奇的なまでに変調されたラストスパートでこのワルツをまた踊るのだ。スピードも倍近く、ステップの幅があまりに広い。鏡に映る私たちは、床が回転しているか、でなければ羽が生えたようだった。
寝ても覚めても、一日中、ふたりは愛しあう。横たわる私に、始めに剥いだシーツをなびかせ、長谷が飛び乗ってくる。後日談を描いたダンスナンバー《鳥篭》はベッドに始まりベッドで終わった。
熱い息がかかり、汗が降りそそぐ。心臓が飛び出しそう。まるで長谷の恋人になった気分、もっと言えば、彼女と激しくセックスしたような錯覚に陥っていた。曲自体にも魔力があるせいだ。カルミネとアグネスは、既に自分たちが人間ではないことを受け入れている。この愛は、他者の理解を拒んでいる。
長谷は私の頬を撫で、キスのように額をおしつけてきた。本能だった。私は彼女の首に腕を回し、身をまかせ、抱き起こしてもらった。
ベッドで抱きあって座ったまま、彼女は鏡を背に立つ彼の方を向いた。
「ま、こんな感じです」
あっけらかんと言ってのける。基礎体力が、そもそも違うのだ。
日高が両手で顔を覆いながら近づいてきた。困っているようにも見えるけれど、なんとなく、照れているような顔だと思った。長谷がベッドを下りたので、私はまた横になった。アグネス役もきちんといる状態で改めて振り付けをするためにこういう事になっているのだから、当然の流れだった。
けれど、なかなか彼はベッドに乗らない。下から見あげる日高はいつもより大きく、艶かしい気がした。特に、顎の下のラインが。
「はぁ、忍びない。古賀ちゃんがエロい目で俺を見てる」
上ずった声で言う日高を、長谷が冷たい一瞥で促す。私は久しぶりの感覚にすっかり興奮していた。日高はきをつけの姿勢から私に向かって深く折れた。
「いただきます」
「どうぞ」
こうして、私はアグネスの代わりをしたり、二人の前でカルミネのリードをしながら《ケージ》に夢中で取り組んだ。見えない部分だとしても、一部であることにかわりはない。この興奮と喜びは、私の一生を変えた。
ただ楽しかった。
3分半の意味を、何も、知らなかった。
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