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039 Дмитрий
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まりえを担いで窓から部屋に入った。
風が勢いよく吹き込む。
赤ん坊をあやすように縦に抱いて寝室まで進み、丁寧に寝かせる。昏睡状態だ。下瞼を押し下げ、眼球を診る。どろりと濡れ、白目がもはや赤目。脈拍は落ち着いている。ただ呼吸が異様に浅い。息を確かめようと鼻先に指を当て、顔を近づける。明らかにオーバードーズだ。ぞくりと、背筋が冷えた。
倉庫の薬棚に麻薬拮抗剤があったはずだと思って探ると、確かにあった。アンプルと皮下注射器を出し、手早く準備する。
寝室に戻りまりえの腕をまくりあげた。肘の内側の少し上を親指で圧し、血管を際立たせてくれる。肌は汗ばんでいるせいで嫌に瑞々しく見える。針の痕はない。刺そうというとき、ふと思い出した。
「薬……」
初めて会った夜、まりえは病院から処方された薬の袋を持っていた。鞄を探って見つけ出した。日付、氏名、内服薬1日3回、日本語は得意でなくても書いてある事はわかる。周りの余白には小さな文字がびっしり。毎日、きちんと服用した記録を、袋に書き込んでいる。よくある、病気持ちの習性だ。
中をぶちまける。拮抗剤の副作用は血圧上昇と頻脈、つまり高血圧と心臓病患者を悪化させて最悪、死なせる。それはまずい。でも出てきたのは血圧下降剤でも心疾患系の薬剤でもなかった。日本語しか印刷されていないものもあるからきちんと端末で称号した。抗ヒスタミン剤、解熱剤、副腎皮質ホルモン剤───一般的な、風邪の、処方薬だ。
おかしい。
もう一度、鞄をあさる。華奢なくせにずいぶんな量の荷物だ。でもきちんと整理されていて、半分は大きな革のポーチで占められごつごつしている。探していた物は、すぐ見つかった。手帳が二冊。ひとつは分厚く付箋が飛び出ていて、たぶん仕事用だ。
手帳を開いた。4月始まり、ありがたい。今ちょうど、使い切る月だ。ぎっしり一年分、過去の予定が書き込まれていた。念のため調べながら見ると、2週間から3週間に一度、通院している。裏表紙と透明カバーの間に処方箋が6枚残っていた。もう1枚あって、これは直近に通院したときの領収証だった。印字された名前を調べると、一般の医療施設ではなく、専門診療施設だとわかった。ただ、癌センターではなかった。
マフラーに指を差し込む。焦げ茶のフェルト地に、いろいろな色のドットが散った可愛いマフラー。指で割ると、窪みに白い粉が残っている。パウダーならまだしも、麻薬では、少しとは言い難い量だ。卒中で死んでもおかしくない。倉庫の奥から遠心分離機を引っ張り出し
僕は拮抗剤を投与した。一刻を争うし、他に手はなかった。どうしよう。癌じゃなくても、疼痛は出るかもしれない。意識が、戻ってくれれば。
結果が出た。高純度のデザイナードラッグだ。麻酔に使われるフェンタニルの化学構成式を一部差し替えることで、規制された麻薬とそっくりな薬物を安価で大量生産する。裏社会では有名だ。アジアのものは特に純度が高いと言われ、名前の通り、中国で作られる最高級品、個人で売買できる代物じゃない。
もうひとつの通称は“合成ヘロイン”。これは重大な問題だ。高揚、陶酔感がヘロインに似ていることでそう呼ばれている。そもそも元のフェンタニルがモルヒネの200倍近い効果があり、改造されることで3000倍まで膨れ上がっている。ヘロインはモルヒネの息子みたいなもので、モルヒネが効かない癌患者に投与するのが、フェンタニルだ。
まりえの体に、どう作用してしまうのか。
僕は震える指で翻訳された診療施設の概要ページを読み進める。
「……そんな」
僕は兄に電話をかけた。それから病院のシステムに侵入し、まりえのカルテを盗み出した。
風が勢いよく吹き込む。
赤ん坊をあやすように縦に抱いて寝室まで進み、丁寧に寝かせる。昏睡状態だ。下瞼を押し下げ、眼球を診る。どろりと濡れ、白目がもはや赤目。脈拍は落ち着いている。ただ呼吸が異様に浅い。息を確かめようと鼻先に指を当て、顔を近づける。明らかにオーバードーズだ。ぞくりと、背筋が冷えた。
倉庫の薬棚に麻薬拮抗剤があったはずだと思って探ると、確かにあった。アンプルと皮下注射器を出し、手早く準備する。
寝室に戻りまりえの腕をまくりあげた。肘の内側の少し上を親指で圧し、血管を際立たせてくれる。肌は汗ばんでいるせいで嫌に瑞々しく見える。針の痕はない。刺そうというとき、ふと思い出した。
「薬……」
初めて会った夜、まりえは病院から処方された薬の袋を持っていた。鞄を探って見つけ出した。日付、氏名、内服薬1日3回、日本語は得意でなくても書いてある事はわかる。周りの余白には小さな文字がびっしり。毎日、きちんと服用した記録を、袋に書き込んでいる。よくある、病気持ちの習性だ。
中をぶちまける。拮抗剤の副作用は血圧上昇と頻脈、つまり高血圧と心臓病患者を悪化させて最悪、死なせる。それはまずい。でも出てきたのは血圧下降剤でも心疾患系の薬剤でもなかった。日本語しか印刷されていないものもあるからきちんと端末で称号した。抗ヒスタミン剤、解熱剤、副腎皮質ホルモン剤───一般的な、風邪の、処方薬だ。
おかしい。
もう一度、鞄をあさる。華奢なくせにずいぶんな量の荷物だ。でもきちんと整理されていて、半分は大きな革のポーチで占められごつごつしている。探していた物は、すぐ見つかった。手帳が二冊。ひとつは分厚く付箋が飛び出ていて、たぶん仕事用だ。
手帳を開いた。4月始まり、ありがたい。今ちょうど、使い切る月だ。ぎっしり一年分、過去の予定が書き込まれていた。念のため調べながら見ると、2週間から3週間に一度、通院している。裏表紙と透明カバーの間に処方箋が6枚残っていた。もう1枚あって、これは直近に通院したときの領収証だった。印字された名前を調べると、一般の医療施設ではなく、専門診療施設だとわかった。ただ、癌センターではなかった。
マフラーに指を差し込む。焦げ茶のフェルト地に、いろいろな色のドットが散った可愛いマフラー。指で割ると、窪みに白い粉が残っている。パウダーならまだしも、麻薬では、少しとは言い難い量だ。卒中で死んでもおかしくない。倉庫の奥から遠心分離機を引っ張り出し
僕は拮抗剤を投与した。一刻を争うし、他に手はなかった。どうしよう。癌じゃなくても、疼痛は出るかもしれない。意識が、戻ってくれれば。
結果が出た。高純度のデザイナードラッグだ。麻酔に使われるフェンタニルの化学構成式を一部差し替えることで、規制された麻薬とそっくりな薬物を安価で大量生産する。裏社会では有名だ。アジアのものは特に純度が高いと言われ、名前の通り、中国で作られる最高級品、個人で売買できる代物じゃない。
もうひとつの通称は“合成ヘロイン”。これは重大な問題だ。高揚、陶酔感がヘロインに似ていることでそう呼ばれている。そもそも元のフェンタニルがモルヒネの200倍近い効果があり、改造されることで3000倍まで膨れ上がっている。ヘロインはモルヒネの息子みたいなもので、モルヒネが効かない癌患者に投与するのが、フェンタニルだ。
まりえの体に、どう作用してしまうのか。
僕は震える指で翻訳された診療施設の概要ページを読み進める。
「……そんな」
僕は兄に電話をかけた。それから病院のシステムに侵入し、まりえのカルテを盗み出した。
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