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038(※) Дмитрий
しおりを挟むぶちん。頭の後ろで、音がした。
これは、建物の東南、従業員専用の出入り口がある道だ。12分割された画面の右下に映し出されたふたりを見て、僕は走った。
さんざん迷った挙句、僕の監視カメラを劇場内に設置し終えたところだった。だって、戦争もテロもない国の警備に何ができる? この1時間、回線を弄くり、数日間録画した平和な映像を映して警備員の目を欺いていた。それがまずかった。確認のために電源を入れてまず目に入ったのは、羽交い絞めにされてもがく女の子だった。
屋上から下を覗く。顔を隠した奴が、弾む足取りで去っていく。映像があるし、あいつは後でどうとでもできる。
夜闇に焦点を絞る。
まさかと思っていた。そうじゃなければいいと思った。
まりえだ。
ワイヤーで腰を固定し、外壁に沿って下へ降りる。まりえが動く様子はない。駆け寄り、傍に膝をついた。ひどい。ぐったりと横たわり、口を半開きにして、目もとは泣きじゃくったあとがある。頬が染まり、うっとりと夢を見ているような表情には騙されなかった。これは、中毒症状だ。目を走らせると、上半身の周りで細かく粉が散っていた。マフラーの結び目に、少しまとまって量がある。指でつまみ、舐めてみた。やっぱり、麻薬だ。
携帯電話が少しはなれた場所に転がっていた。かわいそうに。襲われて、むりやり摂取させられたんだ。鼻を寄せ口元の匂いを確かめても、そうとしか思えなかった。頬にふれる。微熱なのに、この汗。親指で下瞼を押し下げたが、眼球は上にまわり、起きる気配もない。
どうする。医者を呼んで、説明できるか?
いや、僕のほうが速い。
鞄を掴み、華奢な身体を抱きあげる。羽のように軽かった。こんなにか弱くて、優しい、物静かな子が、路地裏で痛めつけられて置き去りにされるなんて、地獄かここは。胸が潰れるくらい痛い。肩も腰も膝も、骨が暴れた。頭にきたせいで、身体が勝手に変形し始めている。
まりえ。もう少しがんばれ。すぐ、楽になるよ。
角を曲がった。これでもう、誰の目にもふれない。まりえをそっと下ろし、外壁にもたせかける。万が一の時に備え、僕は破れる前にニットを脱いでまりえの頭に巻きつけた。僕の姿を見せるわけにはいかない。夜風が肌をすべる。そうだ、僕も、人の姿に戻らなきゃいけないじゃないか。飴は、たぶん七つくらい、ポケットに入っている。足りなければ、まりえを預けて逃げればいい。
「……嫌だ」
やっぱり、置いていけない。
肉の翼が生えていく。背中が蠢いて気持ち悪い。悲鳴をあげながら必死でズボンを脱ぎ、ぐるぐると丸めてまりえの鞄に押し込んだ。靴と下着が引き裂かれて弾け、感覚が研ぎ澄まされていく。ああ、これで僕は裸だ。しかも、まりえを抱きあげる手は、すっかり化け物に変わっている。
でも、と思った。女の子をさらうとき鞄まで運ぶ悪魔は、なかなかいない。世界初。史上初。僕だけだ。
地面を蹴り空へ昇った。三日月の舳先、翼を広げ、風を統べる。
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