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しおりを挟む無理にもがくのも、呻くのもやめた。冷静にならなきゃだめ。不思議なことに、息をとめると断然楽になった。そしてじっとしていると、親指と人差し指の付け根の僅かな隙間から、細くゆっくりだけれど呼吸できることに気づいた。咲良が飽きるまで待つつもりはないけれど、落ちついて考えれば絶対に逃げられる。
でも、甘かった。咲良は飽きるどころか、私のお腹をなぐりつけた。何度も、何度も。衝撃と痛みで息があがる。けれど、吐くにも吸うにも、わずかな隙間では足りない。私は羽交い絞めにされたまま、びくびくと跳ねた。苦しくて、痛くて、涙が止まらない。なぜこんなめに遭わなければいけないのだろう。
私が何をしたというの?
地面に投げ出され、喘いだ。あれだけ空気を求めたのに、普通の呼吸ができない。涎が湧き出て、吐き気と頭痛がひどい。地面に蹲り腕で顔を隠した。殴るのも蹴るのも好きにすればいい。ただ、息はしていたい。
肩をつかまれ、仰向けに転がされた。顔の上に腕をつきだし、必死で深い呼吸をくりかえす。咲良が私を跨ぎ、しゃがみ込んでくる。やっぱり、笑っている。
助けて。そう叫ぼうと、息を吸い込んだ。
激痛が走る。鼻孔から目の辺りまで、まるで串刺しにされたようだった。舌に、苦いような甘いような、おかしな味がこびりつく。今度こそ激しく咽た。感情とは関係なく、涙があふれる。異物を吸い込んだことで、心だけでなく、身体が混乱している。
何を、されたの?
私。
「あー、すっきりした」
咲良が立ちあがる。逃げるように横を向いて身体を丸めた私に、咲良はもう手を出してこなかった。ただ、腰の辺りをぐいぐいと押してくる。ポケットに何かをねじ込んでいるようだけれど、深く考える余裕はなかった。痛くないだけ、まし。
「じゃあ、明日からイイコのふり頑張ってぇ?」
「……?」
「欲しくなったらいつでも電話ちょーだい。安くしてあげるかはわかんないけど!」
声を高くゆらし、咲良が笑う。信じられない気持ちで、愕然と見つめた。
「なにを、したの……?」
「えーっ? うっそ、まじめに聞いてる?」
「……たいへん。なんてこと……」
意識が、遠のいていく。
もちろん、聞くまでもなかった。薬物を入れられたのだ。いい子のフリというのは、そいういう意味だろう。私はもう、汚れた。でも、だから、なんだというの。
怖い。
この身体は、耐えられるのだろうか。
近くに転がった鞄を引き寄せ、なかを探り、携帯電話を取り出した。救急車を呼ばないと。
「ばぁーか」
手を蹴られた。携帯がコンクリートの上をざりざりと音を立てて滑る。手を伸ばすけれど、届かない。視界がかすむ。靄がかかる。
気持ちよくなってきたか。そう、咲良が聞いてくる。とんでもない。
どうしよう。どうしたらいいだろう。身体が重くて、起き上がれそうにない。まるで夢みたい。咲良の声が、熱い飴のようにべたつき、歪んだ。
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