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大きな手が私の腕の外側を撫でた。
「そんなことないよ。とても綺麗だった」
「ダンケ」
「本当だよ、まりえ」
「ダンケ。だけど、自分で踊れるようにならなければ駄目だと思うの。私、あなたに頼りっきりになるのは、よくないわ」
彼の瞳に鋭い閃光が走った。ほんの一瞬、針で穴をあけたように、煌いたのだ。目尻の皺がなくなり、私の意志を確かめるように見つめてくる。逃げたくなかった。彼が眼差しをくれるなら、それはすべて、受け取りたかった。
反発は唐突で、けれど今までの会話の流れを考えると当然とも思えるものだった。
「タツオより僕がいいよ」
張り合っているのだ。ずっと。私は首をふった。
「そうじゃないわ。日高さんのところへ行けってあなた言っていたけれど」
「あれはなし」
「ええ、そうね。初めから行く気はないの。私が言いたいのは、あなたのお荷物やペットになりたくないということ。あなたには感謝してる。だけど役にも立ちたいの。それは、私にはできない事なのかしら」
「君は僕を救った。僕の光だ」
彼の手が伸び、広い胸に抱きこまれた。あたたかい。脳天に長いキスを受ける。
「君は弱くないよ。特別だから、守りたいんだ。ここにいて。ずっと僕の腕のなかにいてよ。僕を照らしていて。僕も、君が笑顔でいられるように、大切にするから。僕は君を傷つけないし、言いつけも守るよ。がんばって日本語も覚える」
私は彼の背中を軽く叩き、幸せに酔い痴れた。
「無理しないで」
これだけ流暢に異国語を話し、私が知る限り兄弟のうち3人は日本語も堪能なのだ。日本語の難易度が問題なのではなく、日本人の義母を殺してしまったという恐怖が根底にあったから、避けてきたのだ、きっと。
克服できたらいいけれど、理想がすべてではない。
私が、彼の言葉を覚えればいい。
「いま会話できているもの、充分よ。ミーチャ、ありがとう。怖くなくなった。おなかも、とてもすいたわ」
「よかった」
お互い、相手の身体に唇をおしつけたまま話している。恋人ではないけれど、確かな深い絆を感じる。このまま、彼とキスをせず、裸にならず、手をつないだまま、微笑みあっていけるのなら最高だ。彼に称された光に相応しく在りたい。
「教えて。これから、どうしたらいいのかしら」
再び食卓につくと、彼がまた私の口に食べ物を運び始めた。もう大丈夫だと伝えても彼の手は止まらず、私も、甘えたい気持ちを認めて口を開けた。私の食欲が戻ったのを試すように、パスタや肉料理を一口分ずつ、真剣な表情で注ぎ込んでくる。その間に、彼は一方的に喋った。
「とにかく、イズルは怪しいから必要以上に傍にいちゃだめだ。でも、僕か兄かレフが見ているから怖がらなくていいよ。セルゲイも帰ったし。君が闘わなければいけないのは、やっぱり病気だ。僕らの症状は、主に再生能力が高まる。君の遺伝子は、僕らが食べるあの飴と同じなんだ。特殊な進化を、留める事ができる」
手首をそっと押さえて、向かってきたフォークを止める。
「疾患でしょう? 私、あなたに舐めてもらうまで治らなかったわ」
「“疾患”が君を人間に留めた。僕らは、ひとに戻りたくてあの飴を食べるんだ」
「どういうこと?」
「君以外、牙が生える」
ぞくりと身体が冷えた。彼は、私に嘘をつかない。
「はじめは怖がらせたくないから言わないつもりでいた。だけどそれじゃだめなんだ。君は闘える。勝てるよ」
「何に?」
「君自身に」
厚切りのハムとチーズが目の前に迫る。口に含み、咀嚼しながら続きを待った。目で訴える。どういう意味なの?
「まりえは、僕が感染させた。だけど君は言ってくれた。まりえにした事で、僕が傷つくのはいけない。そうだよね?」
頷くと、彼も顎を引いた。
「君が僕らにしてくれた事を、まりえも気にしちゃだめだ。いいね? ───ウド・ピータックはあるとき病気の少女に出会い、閃いた。人間に留める、特効薬」
頭が真っ白になった。
「そんなことないよ。とても綺麗だった」
「ダンケ」
「本当だよ、まりえ」
「ダンケ。だけど、自分で踊れるようにならなければ駄目だと思うの。私、あなたに頼りっきりになるのは、よくないわ」
彼の瞳に鋭い閃光が走った。ほんの一瞬、針で穴をあけたように、煌いたのだ。目尻の皺がなくなり、私の意志を確かめるように見つめてくる。逃げたくなかった。彼が眼差しをくれるなら、それはすべて、受け取りたかった。
反発は唐突で、けれど今までの会話の流れを考えると当然とも思えるものだった。
「タツオより僕がいいよ」
張り合っているのだ。ずっと。私は首をふった。
「そうじゃないわ。日高さんのところへ行けってあなた言っていたけれど」
「あれはなし」
「ええ、そうね。初めから行く気はないの。私が言いたいのは、あなたのお荷物やペットになりたくないということ。あなたには感謝してる。だけど役にも立ちたいの。それは、私にはできない事なのかしら」
「君は僕を救った。僕の光だ」
彼の手が伸び、広い胸に抱きこまれた。あたたかい。脳天に長いキスを受ける。
「君は弱くないよ。特別だから、守りたいんだ。ここにいて。ずっと僕の腕のなかにいてよ。僕を照らしていて。僕も、君が笑顔でいられるように、大切にするから。僕は君を傷つけないし、言いつけも守るよ。がんばって日本語も覚える」
私は彼の背中を軽く叩き、幸せに酔い痴れた。
「無理しないで」
これだけ流暢に異国語を話し、私が知る限り兄弟のうち3人は日本語も堪能なのだ。日本語の難易度が問題なのではなく、日本人の義母を殺してしまったという恐怖が根底にあったから、避けてきたのだ、きっと。
克服できたらいいけれど、理想がすべてではない。
私が、彼の言葉を覚えればいい。
「いま会話できているもの、充分よ。ミーチャ、ありがとう。怖くなくなった。おなかも、とてもすいたわ」
「よかった」
お互い、相手の身体に唇をおしつけたまま話している。恋人ではないけれど、確かな深い絆を感じる。このまま、彼とキスをせず、裸にならず、手をつないだまま、微笑みあっていけるのなら最高だ。彼に称された光に相応しく在りたい。
「教えて。これから、どうしたらいいのかしら」
再び食卓につくと、彼がまた私の口に食べ物を運び始めた。もう大丈夫だと伝えても彼の手は止まらず、私も、甘えたい気持ちを認めて口を開けた。私の食欲が戻ったのを試すように、パスタや肉料理を一口分ずつ、真剣な表情で注ぎ込んでくる。その間に、彼は一方的に喋った。
「とにかく、イズルは怪しいから必要以上に傍にいちゃだめだ。でも、僕か兄かレフが見ているから怖がらなくていいよ。セルゲイも帰ったし。君が闘わなければいけないのは、やっぱり病気だ。僕らの症状は、主に再生能力が高まる。君の遺伝子は、僕らが食べるあの飴と同じなんだ。特殊な進化を、留める事ができる」
手首をそっと押さえて、向かってきたフォークを止める。
「疾患でしょう? 私、あなたに舐めてもらうまで治らなかったわ」
「“疾患”が君を人間に留めた。僕らは、ひとに戻りたくてあの飴を食べるんだ」
「どういうこと?」
「君以外、牙が生える」
ぞくりと身体が冷えた。彼は、私に嘘をつかない。
「はじめは怖がらせたくないから言わないつもりでいた。だけどそれじゃだめなんだ。君は闘える。勝てるよ」
「何に?」
「君自身に」
厚切りのハムとチーズが目の前に迫る。口に含み、咀嚼しながら続きを待った。目で訴える。どういう意味なの?
「まりえは、僕が感染させた。だけど君は言ってくれた。まりえにした事で、僕が傷つくのはいけない。そうだよね?」
頷くと、彼も顎を引いた。
「君が僕らにしてくれた事を、まりえも気にしちゃだめだ。いいね? ───ウド・ピータックはあるとき病気の少女に出会い、閃いた。人間に留める、特効薬」
頭が真っ白になった。
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