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 可愛い二重顎と、丸めがねを思い出す。けれど彼は、回想に浸る時間を許さなかった。水のコップが目の前にコンと置かれる。

「ピータックは飴を作った。だけど、もっと悪い奴は、生きた薬を作った。君と同じような症状の子どもを、遺伝子操作で生ませたんだ。その子の血を身体に入れると人間に戻れる。つまり、君を食べると人間に戻れるんだ。君は僕が守るから怖がらなくていい。わかってもらいたいのは、まりえ、犠牲も献身も必要ないってことだ。君は僕らを救える。だけど、それを始めたら、君の血の最後の一滴を搾り取るまで終わらなくなる。君はいいひとだ。優しいから、きっと僕らを救いたくなる。僕は外から君を守る。でも君は、まりえから君を守るんだ」
「献血と何が違うの?」

 驚いた事に、つるんとそんな疑問が飛び出した。彼は渋く溜め息をついて、首をふった。それが駄目なんだと言いたそうな顔で、少し肩を落とした。

「全然違う。君がパックされて吊るされちゃうよ。絶対だめだ」

 言ったとたん彼が真っ青になってしまい、焦る。取り繕うように頷き、彼の腕にふれた。

「わかったわ。管理されてしまうということね」
「ダー……」
「気をつける。迂闊な事は言わないし、しないって約束するわ」
「僕から離れないで」
「そうね。そうする」

 けれど、そんなことがあるだろうか。非現実的すぎて、すべて私の妄想かもしれないという懸念は拭えない。ただ重要なのは、目の前で彼が傷ついているということ。たとえこれが妄想でも何でも、彼をこのままにしておけなかった。

「でも、薬があるのでしょう? とても───驚いたけれど、あのピータック先生が作った薬を、私も食べたわ。わざわざ、私を襲うかしら。面倒よ」

 蒼ざめた頬に血の気が戻ったのは、たぶん、苛立ちのせいだった。私は何か、的外れなことを言ってしまったのだと気づいた。けれど、彼は私を責めなかった。そのかわり、哀しみに似た眼差しで私の胸を抉り、頬を包んだ。

「昨日、弟が来たね」
「ええ」

 とても“弟”には見えなかったけれど。

 アレクセイと名乗った赤毛の女性は、透きとおる琥珀色の瞳に、炎のような情熱を湛えたとても魅力的なひとだった。少なくとも私には女性にしか見えなかったのだけれど、流暢な日本語で自分のことを“僕”と称していた。声が低いのは、東洋人にはない女性の魅力のひとつだし、そもそも女性の恰好をしていたのだ。
 兄弟が話し合う間、私は体を洗うように言われ、従った。不注意と好奇心で負った傷のために、ミーチャと私は局地的に血まみれだったから。

「弟は僕らのために薬を奪った。ピータックは仲間じゃない。分裂した。もう、溝を埋めることはできない」

 豪華なバスルームから出ると、大量の飴を置いてアレクセイは消えていた。彼は、昨夜うけた報告をそのまま私に話しているのだ。

「どうして?」

 親指に頬を撫でられ、うっとりとする。けれど、彼の吐息はふるえている。さっき、私を怖がらせたくないと言っていた彼の方が、よほど怯えているように思えた。

「大丈夫よ。言って」

 痛みをこらえるように細めた瞼の奥、赤い瞳がゆれる。

「ピータックは姉の部下だ。姉は、悪い奴らに生み出された生物兵器を保護して、部下に薬を作らせた。理由はふたつある。実際、人間に留まる薬は必要だ。だけど、保護した人々のなかに既に薬はあった。そのために生み出された命だ。その子を生贄にさせないためにも、充分な薬が必要だったんだ」

 たぶん、と曖昧に言葉を濁す。
 何か、おかしい。彼のお姉さんがしたことは立派だ。やろうと思い立ってできることでもない。けれど、ではなぜ、彼と私も同じ症状のために薬が必要なのだろう。空気感染するのだろうか。もしそうなら、彼は人前に出ない。

「ピータック先生が裏切ったということ?」

 彼はまた首をふった。

「違う。でも、もっと悪いよ。姉の傍にいた奴らが今、子どもを狙っている。薬として食べる気なんだ」

 それは大変な事だ。
 だけど、私にとって大切な人の事がどうしても気になった。

「訊いてもいい?」
「なに?」

 以前の、船の事故のときもそうだ。お姉さんの関わる話は、どこか歪んでいる。

「お姉さんは、不幸な人々を助けたのよね? その時に、みんな感染してしまったの?」

 少し間を置いて、彼は答えた。

「そうだと思う」
「じゃあ、あなたは?」
「─────」

 そうなのだ。彼は、弟さんから聞いたあらましを私に話している。つまり部外者だ。
 彼は目を潤ませ、かすかに笑った。

「わからないんだ」
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