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7 逃げられない宿命
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「フローラ」
「!」
懐かしい父の眼差しに、ある種の安堵と高揚感を覚える。
また帰ってきた。
まだやり直せる。
「はい、お父様」
「お前の結婚相手が決まった。ゴッジ伯メルキオッレ・ヴェルガッソラだ」
「……」
驚いたふりをする。
「このアイマーロ地方を先祖から奪った、あの……」
「ああ。妻と死に別れ、目をかけた愛妾も病の床に就いているそうだ」
「それじゃあお父様、私に、この地を取り返せと仰るの?」
父は呻って首を振る。
「そんな荒っぽい事はしなくていい。ただ、後継ぎを産み、我らの民族の血を引く者が統治する未来を……その礎となって欲しい」
「……わかりました。必ず、後継ぎを産みます」
彼は私に、次は来るなと言った。
けれど、神に賜ったこの機会をみすみす逃げ隠れて生きられない。
エリアを愛している。
私は、エリアのもとへ帰る。
しかし、思わぬ事が起きた。
家同士のやり取りが済み、結婚準備に向かって静かな日々を送っていたある夕暮れ、父が書状を机に広げ困惑していた。呼びつけられた私は、新たな展開に緊張と期待を抱いた。
「お父様……?」
「ヴェルガッソラに息子がいた」
「!」
私は父に椅子に座るよう手振りで示された瞬間、机に駆け寄り書状を覗き込んだ。
「……!」
エリアの筆跡。
エリアの、触れた羊皮紙。
震える手で書状に触れると、父が読みやすいように向きを変えてくれた。
「例の病に臥せっていた女の子供だ。ヴェルガッソラはこのエリアという息子を嫡子にした。これが庶子たるべき男の野心か、良心か……見当がつかない」
「……野心?」
「息子は15才だ。お前とたったひとつしか違わん」
「……」
エリアが結婚そのものに介入してきた。
その意味を、私は正確に感じ取ったと思う。嫌な予感が当たった。
書状にはエリアの出自についてと、近年高まる農奴や過激派の反発、そしてあの男自身の病について記されている。
前妻とエリアの母親は、行為を重ねたために発病したと。そうだろうか。私は、最初と特に2回目、何度も体を重ねた。発病する前にエリアの手にかかったのだろうか。違う。これは私を遠ざけるためのエリアの嘘だ。
「この、エリアという人が……相続権を私の子供に取られたくなくて、こんな手紙を?」
「そうならいいが。もし本当に変な病気を持っているなら、お前を死なせてまでやる事じゃない。関係を持ち命を落とした愛妾は、全部で5人と書いてある。前妻を含めれば6人」
「お父様。平気です。お医者様をつけるようにしますし、民族の誇りを取り戻す絶好の機会ではありませんか」
「フローラ……お前、そんな子だったか……?」
私は口を噤んだ。
「私は、お前の使命感が恐いよ。私のせいだ。お前には、妻や家族を大切にする男と結婚させてやりたい」
「お父様」
「ヴェルガッソラは病だけじゃなく、領民の恨みを買っている。過激派なんかにお前を殺されでもしたら……」
私は父の袖を掴んだ。
けれど、父は決断してしまった。
「この話はなかった事にしよう」
「お父様!」
「急いでヴェルガッソラ以上の爵位を持つ誰かを探さないと」
こうして私は、エリアの計らいによって、婚約を破棄した。
エリアは父と何度か手紙をやりとりし、父に私の相手を3人紹介したらしかった。私はエリアが父に決めさせた相手レオンツィオ・タルクウィニオ男爵と結婚した。レオンツィオは侯爵令息だったから、今は男爵でもいずれ爵位を継いで侯爵になる。格上の相手から賠償金が支払われ、ヴェルガッソラは納得したようだった。
「フローラ」
「……レニー」
新しい夫は、8つ年上、朗らかで優しく逞しい男性だった。
その優しさは、エリアを愛しているからといって邪険にできるようなものではなく、私は望まれるままに夫を愛称で呼んだ。
「君の心には、ずっと誰かが住んでいるね」
「……ごめんなさい」
「いいんだ。ゆっくり待つよ。まずは善き友として、君を毎日笑顔にしよう」
優しい夫を私は裏切る事となる。
結婚して1年半、私たちはまだ子供がいなかった。
だから決断できた。
ゴッジ伯メルキオッレ・ヴェルガッソラが嫡子エリアを処刑した。
罪状は、過激派と組み暗殺を企てたというもの。
「……」
父の手紙を握りしめ、私は夫にそれとなく確認した。処刑は、真実だった。
「悲しいよ。彼がいなければ、僕たちは結婚していなかったのに」
「……そうね」
涙が零れた。
私はその夜、夫が眠ったのを確かめ、夫に感謝と友愛の手紙をしたためた。
一瞬たりとも忘れた事のない、吊るされたエリアの生首。冷たい口づけ。私が愛し、私が死に至らしめてしまった高潔な彼。
「生きて欲しかった……」
だから、彼が私たちの愛を諦める決断をするならと、受け入れたのに。
「生きて欲しかった……!」
エリアのいないこの世界に、価値なんてない。
私は屋根裏部屋の木枠にロープを結び、踏み台に乗った。
「お願い、もう一度だけ……」
お願い。
今度こそ、彼を──
「……」
一瞬、揺れる私の体を見つけた時の、夫の悲しみを思った。
だけど、大丈夫。
次のあなたは、もう、私の名前さえ知らないから。
「神様」
踏み台を蹴った。
「!」
懐かしい父の眼差しに、ある種の安堵と高揚感を覚える。
また帰ってきた。
まだやり直せる。
「はい、お父様」
「お前の結婚相手が決まった。ゴッジ伯メルキオッレ・ヴェルガッソラだ」
「……」
驚いたふりをする。
「このアイマーロ地方を先祖から奪った、あの……」
「ああ。妻と死に別れ、目をかけた愛妾も病の床に就いているそうだ」
「それじゃあお父様、私に、この地を取り返せと仰るの?」
父は呻って首を振る。
「そんな荒っぽい事はしなくていい。ただ、後継ぎを産み、我らの民族の血を引く者が統治する未来を……その礎となって欲しい」
「……わかりました。必ず、後継ぎを産みます」
彼は私に、次は来るなと言った。
けれど、神に賜ったこの機会をみすみす逃げ隠れて生きられない。
エリアを愛している。
私は、エリアのもとへ帰る。
しかし、思わぬ事が起きた。
家同士のやり取りが済み、結婚準備に向かって静かな日々を送っていたある夕暮れ、父が書状を机に広げ困惑していた。呼びつけられた私は、新たな展開に緊張と期待を抱いた。
「お父様……?」
「ヴェルガッソラに息子がいた」
「!」
私は父に椅子に座るよう手振りで示された瞬間、机に駆け寄り書状を覗き込んだ。
「……!」
エリアの筆跡。
エリアの、触れた羊皮紙。
震える手で書状に触れると、父が読みやすいように向きを変えてくれた。
「例の病に臥せっていた女の子供だ。ヴェルガッソラはこのエリアという息子を嫡子にした。これが庶子たるべき男の野心か、良心か……見当がつかない」
「……野心?」
「息子は15才だ。お前とたったひとつしか違わん」
「……」
エリアが結婚そのものに介入してきた。
その意味を、私は正確に感じ取ったと思う。嫌な予感が当たった。
書状にはエリアの出自についてと、近年高まる農奴や過激派の反発、そしてあの男自身の病について記されている。
前妻とエリアの母親は、行為を重ねたために発病したと。そうだろうか。私は、最初と特に2回目、何度も体を重ねた。発病する前にエリアの手にかかったのだろうか。違う。これは私を遠ざけるためのエリアの嘘だ。
「この、エリアという人が……相続権を私の子供に取られたくなくて、こんな手紙を?」
「そうならいいが。もし本当に変な病気を持っているなら、お前を死なせてまでやる事じゃない。関係を持ち命を落とした愛妾は、全部で5人と書いてある。前妻を含めれば6人」
「お父様。平気です。お医者様をつけるようにしますし、民族の誇りを取り戻す絶好の機会ではありませんか」
「フローラ……お前、そんな子だったか……?」
私は口を噤んだ。
「私は、お前の使命感が恐いよ。私のせいだ。お前には、妻や家族を大切にする男と結婚させてやりたい」
「お父様」
「ヴェルガッソラは病だけじゃなく、領民の恨みを買っている。過激派なんかにお前を殺されでもしたら……」
私は父の袖を掴んだ。
けれど、父は決断してしまった。
「この話はなかった事にしよう」
「お父様!」
「急いでヴェルガッソラ以上の爵位を持つ誰かを探さないと」
こうして私は、エリアの計らいによって、婚約を破棄した。
エリアは父と何度か手紙をやりとりし、父に私の相手を3人紹介したらしかった。私はエリアが父に決めさせた相手レオンツィオ・タルクウィニオ男爵と結婚した。レオンツィオは侯爵令息だったから、今は男爵でもいずれ爵位を継いで侯爵になる。格上の相手から賠償金が支払われ、ヴェルガッソラは納得したようだった。
「フローラ」
「……レニー」
新しい夫は、8つ年上、朗らかで優しく逞しい男性だった。
その優しさは、エリアを愛しているからといって邪険にできるようなものではなく、私は望まれるままに夫を愛称で呼んだ。
「君の心には、ずっと誰かが住んでいるね」
「……ごめんなさい」
「いいんだ。ゆっくり待つよ。まずは善き友として、君を毎日笑顔にしよう」
優しい夫を私は裏切る事となる。
結婚して1年半、私たちはまだ子供がいなかった。
だから決断できた。
ゴッジ伯メルキオッレ・ヴェルガッソラが嫡子エリアを処刑した。
罪状は、過激派と組み暗殺を企てたというもの。
「……」
父の手紙を握りしめ、私は夫にそれとなく確認した。処刑は、真実だった。
「悲しいよ。彼がいなければ、僕たちは結婚していなかったのに」
「……そうね」
涙が零れた。
私はその夜、夫が眠ったのを確かめ、夫に感謝と友愛の手紙をしたためた。
一瞬たりとも忘れた事のない、吊るされたエリアの生首。冷たい口づけ。私が愛し、私が死に至らしめてしまった高潔な彼。
「生きて欲しかった……」
だから、彼が私たちの愛を諦める決断をするならと、受け入れたのに。
「生きて欲しかった……!」
エリアのいないこの世界に、価値なんてない。
私は屋根裏部屋の木枠にロープを結び、踏み台に乗った。
「お願い、もう一度だけ……」
お願い。
今度こそ、彼を──
「……」
一瞬、揺れる私の体を見つけた時の、夫の悲しみを思った。
だけど、大丈夫。
次のあなたは、もう、私の名前さえ知らないから。
「神様」
踏み台を蹴った。
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