俺の名前を呼んでください

東院さち

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初めてのキスはイチゴの味でした

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「ごめんなさい。楽しそうだったから、先に帰ってしまったのよ」

 リリアナが泣きそうな顔で謝った。その顔があまりに真剣だったから、もしかして……と気付く。姿が姿だったので、襲われたとか思っているのかもしれない。

「これは庭で転んでしまったんです……」

 暖かい部屋に戻っても体の震えが止まらない。これはヤバイかもしれない。

「リリアナ様、寒くてもしかしたら風邪ひいたかもしれません。移すと大変なので、どこか俺の休める部屋はありませんか?」

 リリアナの部屋と俺の用意してもらった部屋は続き部屋だ。風邪でもひいていたら大変だと思って訊ねるとあまり見たことのない侍女が慌ててリリアナを違う部屋に連れて行ってくれた。

「こちらへ。王妃様に移ると大変ですから申し訳ございませんが」
「ありがとうございます。助かります」

 俺のこの震えがただ寒いだけなのか、風邪の前兆なのかわからなかったから侍女の申し出は有難かった。

 離れた客間を用意され、部屋も寝台も温めてくれた。温かいミルクで浸したパンに蜂蜜をかけたものをもらって食べ、寝間着に着替えて震えながら眠りについた。
 夜中に苦しくて目が醒めた。身体の節々が痛い。

「水……あるかな……」

 看病してくれるという侍女の申し出を大丈夫だと断ったけれど、失敗だったかもしれない。汗をかいたからか喉が渇いていた。
 汗を吸った服が気持ち悪いのに、着替えなんてもってきていなし、部屋まで取りにいく元気なんてない。
 カタ……と椅子が動く音がして、真っ暗な部屋の中に誰かがいることに気がついた。

「だれ!?」

 幽霊とかじゃないといいな……と俺は誰何の声を上げた。幽霊は苦手だ。

「思ったより元気そうだな……」

 実体だったことに俺はホゥッと息を吐いた。それが先ほど気まずく別れたクリストファーだとしても。

「水だ」

 幽霊でないクリストファーが侍女が置いていった水をグラスについで渡してくれた。

「ありがとうございます……」

 気まずいながらもお礼を言って、一息に飲むと違う所に入ってしまって、ゲホッゲホッと咽てしまう。トントンと背中を叩いてくれるクリストファーを見上げると、無表情で少し怖かった。

「何故こんなところで寝てるんだ……」
「……風邪ひいたみたいなので、王妃様の側には近寄らないほうがいいかと。客間を用意してもらったと思うんですが……」

 ここは使ってはいけない部屋だったのだろうかと心配になった。

「そうか。誰も使っていないはずの客間に灯が点いていたから、点検にきたらお前が寝ているから」
「すいません……」

 やはりクリストファーとは会話が弾まない。クラクラしているし、もう寝てもいいだろうか。それとも寝たら失礼になるんだろうか。
 グルグルと周り始めた天井に、気持ち悪くなった。グラスが手から落ち、寝台に転がる。

「大丈夫か?」
「大丈夫です。平気だから……放って置いてください」

 全然平気じゃないけど、さっきの様に置いていかれるのは嫌だ。突き飛ばされて俺自身が否定されたように感じたからだ。

「全然大丈夫じゃないぞ――」

 枕の上なのにどこか知らない場所にゆっくりと沈んでいくような感覚がする。

「おい。ロッティ?」

 俺はロッティじゃない――。ロッティは温泉に……。
 そういいたいのに意識は沈んでいく。焦ったクリストファーの声が、少しだけいい気味だと思ったのを最後に俺の意識は途切れた。



「暑い……」

 暑くて、足で上掛けを蹴っ飛ばした。

「痛いぞ」

 上掛けが文句を言う。いや、上掛けが……文句をいうはずがない。俺は、一瞬で寝ぼけていた頭を覚醒させた。

「な、誰――?」

 起き上がると一瞬でフラリと枕へ戻ってしまったが、事態は把握した。
 俺は俺が十人くらい寝転がれる大きな寝台に移動していた。そして、同じ寝台にクリストファーがいて、俺に蹴られて文句を言ったようだった。

「まだ無理だろう。寝ていろ――」

 クリストファーは起き上がって大きく伸びると、クシャクシャになった髪の毛を撫で付けながら隣の部屋に行ってしまった。

「俺、こんなところにいたっけ?」

 暑いので上掛けを外すと、どうも着ているものも俺のものじゃなかった。大きさからいったらクリストファーのものだろう。上着だけで膝上まであるってどんだけ……。

 顔を洗ってスッキリしたクリストファーが、桶とタオルを持ってきて俺を起こしてくれた。放っておくと倒れそうになるから、クリストファーが背中に回って俺の着ているものを剥ぎ取ると、背中から首からあちこちを拭いてくれた。
 驚きに固まっていると、新しい寝間着を着せてくれて一度戻っていった。
 恥ずかしくてたまらなかったが、クリストファーは丁寧だったし、文句を言う事は出来なかった。

 湯気の立ったものを運んできてくれたので、「ありがとうございます。でも何故こんなに親切なんですか?」と聞くと、クリストファーはしばらく俺の顔を見つめて「私のせいだからな。あんな所に放り出して悪かった。突き飛ばしたことも反省している」と言った。

 クリストファーは客間で意識を失った俺を抱いて、自分の部屋に連れてきて医師に見せたのだそうだ。
 最初は一人で寝かせていたけど、寒い寒いといってカチカチと歯を鳴らす俺が気の毒で一緒に寝台で寝たらしい。

 ご迷惑をおかけしました……。

 汗もたっぷりかいていたから二度ほど着替えさせたというが、全く覚えがなかった。

「ほら、アーン……」

 子供を食べさせるようにスプーンにのせたミルク粥を口元まで運んでくれるので、反射でパクリと食べてしまった。

「あ、自分で食べます」

 無意識に食べてしまったが、王太子様にそんなことをさせる訳にはいかないと言うと、今更だなと却下されてしまった。

「ほら、食べろ」

 次々に運ばれて、結局全部食べてしまった。顔に似合わず、案外世話焼きなのかもしれない。

「風邪が治るまでここにいろ。王妃様も心配している」

 客間に戻して欲しいといっても、クリストファーは許可してくれなかった。まだ頭も痛いし、薬が効いてきたのかぼんやりして、それ以上起きていられなかったので、クリストファーを説得など出来なかった。
 もう一度眠ると、次に目が醒めたのはお昼を過ぎた頃だった。やはりクリストファーがミルク粥を持ってきてくれた。
 ご飯の時間できっちり目覚める俺って……。

「もう大丈夫です」
「お前の大丈夫は聞き飽きたし、全然大丈夫じゃないことも理解している」

 クリストファーは全く聞き入れてくれない。

「そんなことはっモグ……」

 喋ると口に食べ物が入ってくるのだ。

「ミルクがついている」

 口の横にミルクがついたのだろうか。恥ずかしくて慌ててこすると、「そっちじゃない」と言われる。カッ――と恥ずかしくて赤くなった俺は、不意に近寄ったクリストファーの身体に驚く。唇の右側をペロっと舐められた。親猫が子猫を舐めるようないやらしさの全くない行動だった。

「えっ、あ、あの……」
「ん。なんだ? ああ、薬か」

 不味い飲み薬を渡された。変な事をしたのをごまかしている様でもないないので、もしかして王宮では普通の事なのだろうか。ムズムズしてしまうのを隠すように慌てて薬に口をつけた。

「マズ……」

 顔をしかめて飲み干すと、クリストファーが「口直しだ」と、スプーンを再び運んできた。食べると、イチゴのムースだった。昨日、好きだといったのをおぼえていてくれたのかと思うと嬉しかった。
 クリストファーが笑っているので、何かおかしなことでもしたかなと俺は首を傾げた。

「いや、美味そうに食うんだなと思って――」
「美味しいですよ。王太子様も食べていいですよ。風邪がうつるといけないから、綺麗なスプーンで食べてください」

 まるで自分が用意したイチゴムースのような顔で俺は勧めた。
 クリストファーは、「そうか」と言いつつ俺にスプーンを向けるので、食べる気がないのかとガッカリする。
 美味しいのに……。
 口を開けると、ちょっと多いくらいのムースが入れられた。
 粒々が美味しいのになと咀嚼していると、クリストファーの手が俺の首の後ろを掴んだ。
 何だろうと首を傾げる。素早く動ける状態でもないので、そのまま顎を持ち上げられた。
 どうしたのかと尋ねる前に、クリストファーの唇が俺の口を覆う。

「んっ……」

 止めて欲しいと抗議をあげようにも、首筋の手は俺が首を振ったくらいじゃ外れるわけもない。
 顎を掴まれると俺の意思とは関係なく、自然と口が開いた。

「やっ……あ……」

 そこにクリストファーの舌が遠慮なく入り込んでくると、もう閉じる事もできない。そんなことをしたらクリストファーの舌を噛み切ってしまう。

「んんっ!」

 クリストファーの舌が俺の口の中のムースを味わっている。ほんの少しのムースさえ逃さないような執拗な動きに、ゾワッと背中が震えた。鼻から息が漏れて、熱がこもったように舌を絡められた。その熱さで眩暈がした――。

「やぁ……っ!」

 苦しくて力が抜けていた腕を持ち上げ、必死にクリストファーの胸を叩くと、ちゅっと下唇に吸い付いてから、顔が離れていった。
 何とか空気を吸い込んだが、熱が上がったような気がした。震える指には、力が入らない。
 クリストファーは、そっと俺の頬から唇を撫でると、「そうだな、美味しいな」とイチゴムースについて感想を述べた。

「そんな食べ方をしなくても……」

 俺が涙目でジッと非難をしても、俺様な王太子様は特に何も感じないようだった。

「これが一番味わえるとおもったんだが――?」

 どうせ何を言っても、無駄だとわかる顔をしている。
 嫌がらせにしても性質(たち)が悪い――。
 そんなに俺が女の格好をして王太子様のパートナーになったことが許せなかったのかと、少しだけ申し訳なく思う。笑いものにでもなったのだろうか。

「早く元気になれ」

 頭を撫でられると薬のせいか、緊張が緩んだせいか、熱が上がったせいかはわからないが途端に眠気が襲ってきた。
 そんなに怒っているのなら、元気になったら、ちゃんと謝ろう――。

 俺はそう決めて、もう一度眠りの淵に沈んでいった。
 
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