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婚約破棄

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「リンジー様、サイラス王子殿下がお呼びです」


ある初春の雪の日にリンジーは王宮のサイラスのお付きの者からそう告げられた。

リンジーは既にサイラスと結婚が決まっていたので、王宮の一室に住んでいた。


リンジーはサイラスの元へ出向いた。






お付きの者がリンジーを王宮内へ案内してくれた。



サイラス王子はハミルトン王国の第2王子。一体何の用だというのか? リンジーは何もよくわからないまま、王宮の回廊を歩いている。

王宮の東塔がサイラスの執務室だった。

王宮にはどこまでも青い絨毯が敷かれている。そして、王室の紋章、金龍が描かれている。


回廊には歴代王と王妃の絵が飾られている。


中は静かだ。

自分の足音だけが聞こえる。





サイラス王子の執務室の近くに来た。

何だか話し声がする。

しかも、ソプラノの女性の声。

リンジーは耳をそばだてた。


まさか……とは思ったが、侍女の声かもしれない。

リンジーは息を飲み、事務室のドアをノックした。


「リンジーか?」

このどっしりとしたバリトンの声はサイラスの声だ。

「中に入っていいよ」


サイラスの許可が降りた。

リンジーは恐る恐るノブを捻り、ドアを開けた。


そこには驚くべき光景が!!

リンジーは思わず目を背けたくなった。

なんと、サイラスが黒髪の女性と手を繋いでいたのだ。

しかも、この黒髪の女性はリンジーの学園時代の先輩だった……。

しかし、なぜイベイラ夫人が?

イベイラ夫人はガルシア公爵家に嫁いだ人妻の身。既婚者だ。その既婚女性となぜ手を繋いでいるのか?

それどころか、なぜ部屋に連れ込んでいるのか?


「イベイラ夫人!?」

リンジーは怪訝な顔をしながらイベイラを見た。

イベイラはほくそ笑みを見せた。八重歯がチラリと姿を覗かせた。

まるで敗者を見る勝者のように……。



「あら、リンジー。久しぶりじゃない」

黒いショートボブに黒い瞳。唇の左下にはホクロがある。左右の目が離れていて、吊り目。たまご型の頭。紛れもなくイベイラだ。

「イベイラ夫人、どうしてここにいるんですか?」

「ふふふ。リンジー。あなたに伝えたい事があるの。私は今、サイラス王子殿下と婚約しているの」

「でも、イベイラ夫人は結婚しているではありませんか」

再びほくそ笑む。

「結婚なんて自由なのよ」

「じゃあ、ガルシア公爵ご令息クリストファー様はどうなるんです?」


クリストファーとはイベイラの夫であり、ガルシア公爵のご令息で次期当主。


――まさか離婚を……。


「クリストファーなんてもう知らないわ。あんなハゲ」


ハゲ


よくぞ自分の夫を罵る言葉が言えたものだ。


「まさか不倫を?」

「そうね。そうなるわね。でも、あんな奴、いつか離婚してやるわ」

「ガルシア公爵ご令息クリストファー様が次期公爵家当主なのに、夫人がいなくなったら」

「そうなったら、再婚すれば良いじゃない。夫人候補などなんぼでもいるわ」


イベイラの口調が憤怒に変わってきた。


「というわけだ、リンジー」


隣にいたサイラスがおもむろに口を開いた。


「サイラス王子殿下。どうして不倫を?」

「それは俺がイベイラを気に入ったからさ」

何食わぬ顔をして言うサイラスに怒りが込み上げてきた。

リンジーは両手の拳を握りしめた。

体も熱くなってくるのを感じる。



「それじゃあ私の事は?」

「よくぞ聞いてくれた。リンジー・ダーナ・アボット。お前とは婚約破棄だ!」


婚約破棄?

なぜここに来て!?


「どうしてですか? わたくしは納得がいきません」

「だろうな」

と言ってサイラスはあごひげを触った。

金髪をカールして口髭と顎髭を伸ばしている。その男こそ、サイラスだった。

しかも、サイラスは髭を触る癖がある。


「俺はリンジーに冷めてしまった」

「!?」


「そうだよ。俺は俺よりも背の高い女はやっぱり嫌だ。身長の釣り合いから考えると、イベイラの方が良いんだ。それに俺は芸術は芸術でも音楽が好きだ。それはなぜか。俺が王立交響楽団の演奏を聴いて感動したからだ!!」


余りにも身勝手な。



リンジーは王子妃教育を受けていた。

そして、アボット伯爵家当主であり、父であるウィリアムは王室専属の弁護士。

王室とアボット家は昔より親交があった。


リンジーは幼少期よりサイラスと数え切れない程会ってきた。

将来的にサイラスと結婚する事も決まっていたような感じもした。



リンジーが学園へ行きだした時に初めてサイラスに絵を褒められた。

そして、正式にお見合いしてから、サイラスに「絵の上手なリンジー、君に決めた」などと言われた。

それは今でも忘れない。


それが、掌を返したかのように、音楽の得意なイベイラの方が好みだと言うのだ。


「サイラス王子殿下。自分が何をしているかおわかりですか?」

「ふん。そんな事知ったこっちゃないな」

「人の奥さんと不倫しているんですよ!!」


サイラスはまた顎髭を手櫛でとかすようにして触っている。


「諦めなさいよ。往生際が悪いわよ。もうあんたの事好きじゃないってよ。飽きられたのよ、リンジー」

と、隣に座っているイベイラ。

「しかし……それじゃあガルシア公爵様にはどう弁明するんですか?」


「ふふふ。ガルシア公爵も御夫人もとんだお人好しだから大丈夫。ちょっとやそっとで憤慨するような人たちでは無いから」


「とにかく、お前とは婚約を破棄したんだ。もうこれ以上お前の顔など見たくもない! 王宮から出ていってくれ。馬車は手配しない。汽車に乗って自分の足で帰るんだな」


リンジーは釈然としないまま、サイラスの執務室を出ていった。



なぜ?

なぜサイラスがイベイラ夫人と?

彼がまさかの不倫……。


わたくしは既婚者に負けたの?


イベイラ夫人……しばらく会わないうちに変わってしまった……。


イベイラ夫人には学園時代、音楽を教わった。


その位面倒見がよくてやさしい先輩だった。


一体何が彼女を狂わせたの?


二人共気づいて!! 不倫が家庭を壊す元凶だという事に。




外はなごり雪。

空も泣いているようだ。

そして、涙は凍り、雪になったみたいに。

今年の冬は長そうだ。
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