54 / 72
待ち伏せ~スタンリー視点~
しおりを挟む
山道で王太子一行を狙った刺客が、なぜ銃ではなく矢で射てきたのか。
砦のある辺境伯領と違い、この辺りで手に入る銃は古い型のものが多く、射程は短いし砲身内に施条のない滑腔砲──照準が安定していないものなのだ。矢の方がまだ狙いが正確なくらいだとか……。
とはいえ、やはり弓矢は弓矢だ。弓隊でなければ恐れるほどではないと、少し気を抜いていたのかもしれない。
その矢じりに、毒が塗ってあると考えるべきだった。
ハートフィールド伯爵の城へ向かう途中、峠を隔てた西側に、ローレンス王子寄りのアルドリッジ子爵領がある。
警戒はしていたが、襲撃の危険性よりも足場の悪さの方が気になっていた。
──雪が降りだしていたのである。
そんなとんでもない時と場所に、いきなりローレッタ嬢……いや、王太子妃殿下が現れたものだから、俺はそれに気を取られてしまった。
「待っていたわ」
先頭で道案内をする伯爵領の兵士らには、相手が誰だか分からない。俺も、あやうく射撃の指示を出すところだった。
「やめろ、王太子妃殿下だ!」
銃を構える兵士らに叫ぶと、ざわっとその場が大騒ぎになる。
紫色の髪と瞳は、俺の真紅の瞳と同じくらいレアだ。見間違えようがない。
殿下が馬車から飛び出してきた。
「ローレッタ、なぜこんなところに! なぜ僕の元から逃げ出したんだ!」
「バッドエンドだからよ、子供ができない悪役令嬢ローレッタは、陛下に暗殺されるエンドなのよ!」
「何を言っているローレッタ!」
戸惑う殿下の隣で、俺も呆れてしまった。被害妄想か。
いや……でも、確かにニーナにした国王陛下の仕打ちを思えば、頷けるかもしれない。もし二人が離婚を承諾しなければ……。
少なくとも粘着質の王太子殿下が、陛下の命令通りに離婚を承諾するとは思えなかった。だからローレッタ様は、次は自分の番だと──。
ローレッタ様は、辺りにキョロキョロ目を配った後、皆に向かって言う。
「私、怖くなって逃げたの。逃げて北方の砦で、伝説の傭兵と年の差恋愛ルートに入ろうと思ったの! だけど私、寒いの苦手だし、オッサンってあまり好きじゃないのよ! だから伯爵領で侍女となって、スローライフするルートにしようと思ったの。でもそれだと、探しに来たクリフォード殿下が暗殺されてしまうことを思い出したの。ちょうどこの峠で!」
本当に何を言っているのか分からない。誰もが狂人を見るような目で、王太子妃殿下を見つめていた。
「信じて! クリフォード様を早く安全なところへ。彼はこの山道で、矢で射られて死ぬのよ!」
俺はその時、山肌の上の方に生えた木の枝に、人がいるのを見つけてしまった。
咄嗟だった。
ローレッタ様の話を信じる信じないではなくて、黒騎士として訓練された体が、傷のほとんど癒えたこの体が、王太子殿下を庇うように突き飛ばしていた。
射手の位置が遠かったため、矢は微かに腕をかすっただけだった。パンッと音がして身構えるも、ルージュが暗殺者を仕留めたマスケット銃の音だったと知り、ほっとする。
ところが、みるみる傷口から痺れが走ってきて、治癒してきたはずの左腕が再び動かなくなった。
「毒よ、カニカブトとかいう猛毒が塗ってあるの!」
ローレッタ様がわめく。
「ああ、なんてことかしら。このルートは分からないわ。黒騎士が射られるルートなんてプレイしたことないもの。黒騎士は脇役だし、隠しルートよこれ」
殿下がローレッタ様をガクガク揺さぶる。
「おい、どういうことだ。ノワー──スタンは助かるのか!?」
意識が遠ざかっていくのを自覚しながら、俺はゆっくり膝を突いた。
死ぬのか。この甘ったれクソ王太子を庇って? 騎士の忠誠契約を切って祖父の元に来たのに、これでは──。
ふと、ニーナの顔を思い出した。
俺が死んだら、悲しんでくれるかな。……別れ際、プイッと顔をそむけた彼女のことだ。
微笑が浮かぶ。むしろ、彼女を痛めつけた男の死を、喜ぶんじゃないかな。
俺が死んでも大丈夫だよ、ニーナ。
エイベルがいてくれるから。
君が生んでくれたから。
ウィンドカスター北方辺境伯領は安泰だ。
「脈が弱い!」
「体温もです、どんどん冷たくなっていく! すぐ伯爵の館に運びましょう!」
真っ暗になっていく目の前。でも最後に俺の耳は、ローレッタ様の叫ぶ声を聞いた。
「だめよ!」
いや、なんで!?
「北方辺境伯領にすぐ引き返して! そこにしか、この毒に効く薬は無いのよ!」
砦のある辺境伯領と違い、この辺りで手に入る銃は古い型のものが多く、射程は短いし砲身内に施条のない滑腔砲──照準が安定していないものなのだ。矢の方がまだ狙いが正確なくらいだとか……。
とはいえ、やはり弓矢は弓矢だ。弓隊でなければ恐れるほどではないと、少し気を抜いていたのかもしれない。
その矢じりに、毒が塗ってあると考えるべきだった。
ハートフィールド伯爵の城へ向かう途中、峠を隔てた西側に、ローレンス王子寄りのアルドリッジ子爵領がある。
警戒はしていたが、襲撃の危険性よりも足場の悪さの方が気になっていた。
──雪が降りだしていたのである。
そんなとんでもない時と場所に、いきなりローレッタ嬢……いや、王太子妃殿下が現れたものだから、俺はそれに気を取られてしまった。
「待っていたわ」
先頭で道案内をする伯爵領の兵士らには、相手が誰だか分からない。俺も、あやうく射撃の指示を出すところだった。
「やめろ、王太子妃殿下だ!」
銃を構える兵士らに叫ぶと、ざわっとその場が大騒ぎになる。
紫色の髪と瞳は、俺の真紅の瞳と同じくらいレアだ。見間違えようがない。
殿下が馬車から飛び出してきた。
「ローレッタ、なぜこんなところに! なぜ僕の元から逃げ出したんだ!」
「バッドエンドだからよ、子供ができない悪役令嬢ローレッタは、陛下に暗殺されるエンドなのよ!」
「何を言っているローレッタ!」
戸惑う殿下の隣で、俺も呆れてしまった。被害妄想か。
いや……でも、確かにニーナにした国王陛下の仕打ちを思えば、頷けるかもしれない。もし二人が離婚を承諾しなければ……。
少なくとも粘着質の王太子殿下が、陛下の命令通りに離婚を承諾するとは思えなかった。だからローレッタ様は、次は自分の番だと──。
ローレッタ様は、辺りにキョロキョロ目を配った後、皆に向かって言う。
「私、怖くなって逃げたの。逃げて北方の砦で、伝説の傭兵と年の差恋愛ルートに入ろうと思ったの! だけど私、寒いの苦手だし、オッサンってあまり好きじゃないのよ! だから伯爵領で侍女となって、スローライフするルートにしようと思ったの。でもそれだと、探しに来たクリフォード殿下が暗殺されてしまうことを思い出したの。ちょうどこの峠で!」
本当に何を言っているのか分からない。誰もが狂人を見るような目で、王太子妃殿下を見つめていた。
「信じて! クリフォード様を早く安全なところへ。彼はこの山道で、矢で射られて死ぬのよ!」
俺はその時、山肌の上の方に生えた木の枝に、人がいるのを見つけてしまった。
咄嗟だった。
ローレッタ様の話を信じる信じないではなくて、黒騎士として訓練された体が、傷のほとんど癒えたこの体が、王太子殿下を庇うように突き飛ばしていた。
射手の位置が遠かったため、矢は微かに腕をかすっただけだった。パンッと音がして身構えるも、ルージュが暗殺者を仕留めたマスケット銃の音だったと知り、ほっとする。
ところが、みるみる傷口から痺れが走ってきて、治癒してきたはずの左腕が再び動かなくなった。
「毒よ、カニカブトとかいう猛毒が塗ってあるの!」
ローレッタ様がわめく。
「ああ、なんてことかしら。このルートは分からないわ。黒騎士が射られるルートなんてプレイしたことないもの。黒騎士は脇役だし、隠しルートよこれ」
殿下がローレッタ様をガクガク揺さぶる。
「おい、どういうことだ。ノワー──スタンは助かるのか!?」
意識が遠ざかっていくのを自覚しながら、俺はゆっくり膝を突いた。
死ぬのか。この甘ったれクソ王太子を庇って? 騎士の忠誠契約を切って祖父の元に来たのに、これでは──。
ふと、ニーナの顔を思い出した。
俺が死んだら、悲しんでくれるかな。……別れ際、プイッと顔をそむけた彼女のことだ。
微笑が浮かぶ。むしろ、彼女を痛めつけた男の死を、喜ぶんじゃないかな。
俺が死んでも大丈夫だよ、ニーナ。
エイベルがいてくれるから。
君が生んでくれたから。
ウィンドカスター北方辺境伯領は安泰だ。
「脈が弱い!」
「体温もです、どんどん冷たくなっていく! すぐ伯爵の館に運びましょう!」
真っ暗になっていく目の前。でも最後に俺の耳は、ローレッタ様の叫ぶ声を聞いた。
「だめよ!」
いや、なんで!?
「北方辺境伯領にすぐ引き返して! そこにしか、この毒に効く薬は無いのよ!」
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
1,582
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる