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第二章:ジュディスの恋
5.エルドレッド =アンブローズ・コベット:その1
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その日の午後、急遽城の庭の一画でお茶の席が設けられた。
エルドレッドからの招待状が届けられる前にアシェルの計らいで開かれたその茶会の参加者は、ジュディスとエルドレッドのふたりのみ。
昼前にあった筈のリリアーヌとの見合いの席とはまるで違っているに違いない。
リリアーヌとラヴィニアは、今日という日の為に国中から高価で珍しい菓子を取り揃え応接室の椅子やテーブルまですべて新調していたのだから。
それに比べて庭のガゼボにお茶とちいさな焼き菓子がふたつずつあるだけの、本当に簡素な設えにジュディスは情けなさに頬が熱くなった。
とても友好国の王子との顔合わせとは思えない質素さである。
ジュディスの服装も『お前はエルドレッド王子の目に留まらないように外回りでもしていなさい』と母に言われて、朝から孤児院への視察に出されていたところを急遽呼び戻されたので、特に大きな汚れがある訳ではないが丈夫で簡素なデイドレスのままだ。
着替える時間さえ貰えなかった。辛うじて髪の乱れを直し、口の紅を差し直したきりだ。焦げ茶の髪には髪飾りひとつ着けていない。
王妃ラヴィニア曰く、「見合いという形式ばったものではなく、というエルドレッドの申し出を立てた形であるから大丈夫」だという。
そういう建前ではあろうが、王妃とリリアーヌによる意趣返しであることは間違いない。
たぶんきっと、いいや間違いなく、エルドレッドから見合い相手の入れ替えを断られたのだろう。
「はじめまして、コベット国第一王子エルドレットです。お会いして頂けて嬉しく思います」
「フリーゼグリーン王国第一王女ジュデスと申します。有名なコベット国の第一王子殿下にお会い出来て光栄です」
堅苦しくないお茶の席をという事だったからだろう。
友好国の王族としての初対面の挨拶にしては簡素過ぎる自己紹介を交わす。
招待状はエルドレットから出されたが、会場はジュデスの住んでいる城だ。
色々ちぐはぐではあったが、ジュデスにとってこれから始まるのは婚約者候補同士の顔合わせというより、見合い相手を入れ替えて欲しいという申し入れだ。
仰々しくなくて良かったとすら思った。
侍女が、ラヴィニアの好きな華やかな花びら入りの紅茶をふたりのカップへと注いで下がる。
そうは言っても開放的な庭ではあっても未婚の王子と王女を本当にふたり切りにはできる筈もなく、少し離れたところに置いてあるティーワゴンの傍に紅茶を淹れてくれた侍女が控えているし、エルドレッドの後ろにもコベット国からついてきた侍従が立っている。
護衛と兼任なのか騎士のような立ち姿だった。そこにふいにかつての自分の護衛騎士の姿が重なって見えてジュディスの胸がツキリと痛んだ。
紅茶が花びら入りなのは、侍女は普段王妃付きの侍女で、この会話の内容はすべてラヴィニアへ報告するというサインだ。ジュディスがこの見合いに後ろ向きだということにアシェル王が言い逃れをしてしまったそうなので口裏を合わせるように言われている。更に『ちゃんとリリアーヌとの婚姻を薦めるのよ』との厳命つきだ。
ジュディスがちゃんと従ったか、それを見届ける為にいるのだろう。
時間を掛けても仕方がない。
今となっては、ジュディスにはこの見合いを断り、リリアーヌとの婚姻を薦める事しか許されていないのだから。
「あの……何故、私なのでしょうか。リリアーヌなら貴方の求婚に喜んで頷くでしょう」
ふたり切りになってすぐに切り込んだジュディスを見返すエルドレッドの視線は、完全に面白がっていた。
その視線から逃れようとジュディスは視線をカップへ落した。
口元へ運ぶと、ふわりと濃厚な花の香りが立ち上り、母の顔が頭に浮かぶ。
「だって私は、美しくありませんのに」
つい本音が零れ落ちた。
「美しくないとは? 私の目からはあなたはとても美しい。王族として磨き抜かれた流れるような所作は、見惚れてしまうほどです」
「そんなの詭弁です。美しさの種類が違うって分かっていらっしゃる癖に」
「これは重症だ」と、エルドレットは前に座っているジュディスに聞こえないような小さな声で愚痴た。
「顔の造作に関しても、私にはそれほどあの妹姫とあなたの違いなどないというのが正直な感想ですよ」
「うそよ」
「ふむ。本当に重症だ。私が感じた通りの感想を述べているだけなのに、あなたはそれを否定されるのですね?」
「それは……失礼しました」
「コベット国では、心の在り方は表情に出るようになると言います。心が美しい人はより美しくなり、性根がねじ曲がっている人の口元や目は歪んでくる、と。あなたはきっと、美しい王妃になるでしょう」
「……心の在り方が、表情に?」
思わぬ言葉に、ジュディスの胸がキュッとした。
オウム返ししたジュディスへ鷹揚に頷き返すと、「私はそう信じていますよ」と笑顔で告げたエルドレットは、ゆっくりと、それこそジュディスよりずっと綺麗な所作でカップを持ち上げ口元へと運ぶ。
「これは、独特な味がしますね」
目を白黒させたエルドレットの表情に、ジュディスの視線は引き寄せられた。
熱くなった頬が赤くはなっていないか心配になった。
「これは、母の好きな紅茶なのです」
「あぁ、なるほど」
ちらりと視線を、隅で控えるこの紅茶を淹れた侍女へと動かした。
どうやらジュディスの前にいる異国の王子様は、噂通り与えられたちいさなヒントひとつあれば、正しく答えを導き出せるらしい。
(それにしても、本当に美しいのは、この方だわ)
リリアーヌやラヴィニアのような甘さはまったくない、まるで有名な芸術家が精魂込めて造り上げた彫像のような研ぎ澄まされた男性的な美だ。
ジュディスはこんなにも美しい人の横に立つ勇気などまったく以って持ち合わせていなかった。
(絶対に、断らなくては)
母や妹、そして兄から言い含められたからということも大きいが、自身の未来の為にもそう誓う。
「やはり、私には無理です。どうか妹を」
エルドレッドにとってはこの訪問が終われば忘れてしまえる程度のことでしかないかもしれないが、ジュディスにとってはこの後長く続く母国での生活がどうなるのかが掛かっている。まさに死活問題だ。
エルドレッドはジュディスの必死の要求を前に涼やかな表情を一切崩すことはなかった。
美しい所作でカップを手に取り、温かい紅茶を口に含んで間を取ると、「どうやら建前は必要とされないようですね」と笑顔で応えた。
「我がコベット国の民の為ではなく、自身の為に金を喰い潰すだけの者を、未来の王妃として送り込もうというのですか。なるほど、フリーゼグリーンの王女殿下は我が国の没落をお望みでしたか。最小限の出費と手数で友好国となったばかりの国を潰す方策を選ばれるとは。さすがですね」
「し、失礼ではありませんか!」
確かに。リリアーヌを嫁入りさせた家は破産するだろうと考えたこともある。
だがさすがにコベット国の国庫を食い潰すほどではないだろうし、それこそ優秀な夫に上手く操作して欲しいと願っている。
「エルドレッド殿下なら、リリアーヌのその辺りについても上手く対処して頂けるのではないか、と。その手腕を信頼しているのです」
噂に聞く手腕とカリスマ性が本当ならば、リリアーヌ如きを上手く掌で転がすことも容易だろう。
男性との会話をスムーズに運ぶには、相手の男性を持ち上げることだ。
そうして期待通りに、ジュディスの言葉を受けて、エルドレッドはこれまで見たことも無いような笑顔を浮かべた。そうして、柔らかな声で問う。
「その手間を私が掛けるメリットは?」
あくまでも、声のトーンは柔らかく、静かだった。
しかし、確実にジュディスの言葉の弱点を突いている。
「それはその、リリアーヌは愛らしいですし、きっとエルドレッド殿下の横に立ったらお似合いですわ。ふたりが並べば、まるで絵画の中のようです」
「私の結婚には、絵空事ではなく実利を求めたいですね。そもそも、見目麗しいだけの伴侶なら、わざわざこれほど遠い国まで探しに出なくとも我が国で事足りるこことです」
薄笑いで答えるエルドレッド殿下の表情に、ジュディスは焦った。
(怒っている)
ジュディスの言葉は、リリアーヌの美しさというたった一点でコベット国の令嬢すべての美しさや才覚をも上回るものだと言ったのと同義だった。その事にようやく気が付いた。
リリアーヌは確かに愛らしいし、美しい。自分の魅せ方を知っている。だが、それだけだと一番よく知っているのはジュディスであるのに。
「失礼しました。決して貴国のご令嬢方を軽く見たつもりではなかったのです。ですが、その、表現の仕方が悪かったようです」
目の前の王子は目を眇めて笑みを作り軽く頷いてくれたけれど、あまり許された気がしない。
自国の令嬢たちの美醜についての発言をするつもりはまったく無かったけれど、そう受け取られても仕方がなかった。迂闊な言葉選びをしたことを悔やむ。
不自然にならない程度に話を逸らすことにする。
「そうですよね。殿下の、幼馴染みの侯爵令嬢も、とてもお美しいと聞いております」
縁談を持ち込まれ急遽集めたエルドレッド殿下周辺の話題で、唯一の女性に関する情報は幼馴染みの侯爵令嬢のものだった。
仲の良い幼馴染みの令嬢との婚約の話題をひと言で切り捨てて大泣きさせた、というものだけ。
もっともそのご令嬢がまだ十にも満たない幼い頃の話で、微笑ましいエピソードとして国では語られているらしい。
少なくとも、留学から帰ってきた者たちから聞いた限り、共通していた。
ジュディスとしては、まだ完璧という評価が固まり切る前のエルドレッドのやらかしを揶揄いつつ、幼馴染みとのほのぼのとしたエピソードで場を和ませ仕切り直すつもりであったのだが。
「ペイター侯爵令嬢のことでしょうか。努力家で、とても愛らしい令嬢ですよ。まだお披露目はしていないので内密にお願いしたいのですが、弟の第二王子ヤミソンとの婚約が決まりました。弟はずっと彼女の事だけを想っていたのを知っている兄としては喜ばしい限りです。彼女は美しいだけでなくとても勉強家で博識なので、輿入れしてきた貴女ともきっと仲良くなれるでしょう」
さらりと内密の話を耳打ちされて、震える。正直、やられたと思う。
なによりジュディスとの婚姻を、まるで決定事項のようにさらりと話を続けられてしまった。
完璧すぎるスマートな会話の運び方に、笑顔の仮面。どちらも、ジュディスでは会話だけで突き崩すことは難しいようだ。いや、無理だ。
「さてあなたの質問は、『何故リリアーヌ王女ではなくジュディス王女殿下なのか』で宜しかったでしょうか?」
「……はい」
脱線させてしまった話題を戻される。
ホッとすると同時に、何故かこれから死刑執行の宣告を受けるような、そんな緊張が身体を走っていく。
自慢ではないが、ジュディスにはリリアーヌのような美貌はない。女性らしい身体のラインをしている訳でもない。どちらかといえば高くなりすぎた身長は男性から疎まれることも多い。
物理的な威圧感はあっても尊敬を含んでいる様なものでは無いから王族としての存在感は薄いし、知識量こそ多いがユーモアに疎いのでウィットに富んだ話術で魅せることもできない。
王女として国を繋ぐ貢ぎ物となること。それこそが王族に生まれた自分の運命だと理解はしていても、あまりにも女性として無いない尽くしすぎて、エルドレッドのように眩しいほどまっすぐに世界のリーダーとしての道を歩んでいる横に立つ自信がまったく持てない。無理だ、と思ってしまうのだ。
勿論、ジュディスだって自分の未来について思い悩んできた。
国内外に関わらず王家に生まれた姫のひとりとして嫁した先で必ずフリーゼグリーン王国の為となれる存在になる覚悟はある。その為に自身を研鑽すべく努めてきたつもりだ。
けれど、そのジュディスの覚悟は別として、もしかしたらたとえば国内の貴族へ下賜品として降嫁することとなったとして、第一王女との婚姻により王族との縁を結ぶことへの喜びはあっても、ジュディスを正妻とすることには喜びどころか嫌悪を持たれてしまうのではないかと。
当然、友好国へ嫁することにでもなったら、嫌がらせの類だと受け取られてしまうのはないか。正妻という地位のみを与えられ、冷遇されるのが関の山だろうと。
ならば兄王子の治世を助け、国の平和と秩序が保たれていると確信できたなら、ひとり静かに修道院に入り、王族として神に祈りを捧げる生活を送る道もあるのではないかと考えてすらいたのだ。
それなのに、今、世界中の独身女性から最高の結婚相手とされているに違いないコベット国エルドレッド第一王子から申し込まれていることが信じられない。
なにかジュディスの知らない想像もつかないような裏があるのではないか。
その日の午後、急遽城の庭の一画でお茶の席が設けられた。
エルドレッドからの招待状が届けられる前にアシェルの計らいで開かれたその茶会の参加者は、ジュディスとエルドレッドのふたりのみ。
昼前にあった筈のリリアーヌとの見合いの席とはまるで違っているに違いない。
リリアーヌとラヴィニアは、今日という日の為に国中から高価で珍しい菓子を取り揃え応接室の椅子やテーブルまですべて新調していたのだから。
それに比べて庭のガゼボにお茶とちいさな焼き菓子がふたつずつあるだけの、本当に簡素な設えにジュディスは情けなさに頬が熱くなった。
とても友好国の王子との顔合わせとは思えない質素さである。
ジュディスの服装も『お前はエルドレッド王子の目に留まらないように外回りでもしていなさい』と母に言われて、朝から孤児院への視察に出されていたところを急遽呼び戻されたので、特に大きな汚れがある訳ではないが丈夫で簡素なデイドレスのままだ。
着替える時間さえ貰えなかった。辛うじて髪の乱れを直し、口の紅を差し直したきりだ。焦げ茶の髪には髪飾りひとつ着けていない。
王妃ラヴィニア曰く、「見合いという形式ばったものではなく、というエルドレッドの申し出を立てた形であるから大丈夫」だという。
そういう建前ではあろうが、王妃とリリアーヌによる意趣返しであることは間違いない。
たぶんきっと、いいや間違いなく、エルドレッドから見合い相手の入れ替えを断られたのだろう。
「はじめまして、コベット国第一王子エルドレットです。お会いして頂けて嬉しく思います」
「フリーゼグリーン王国第一王女ジュデスと申します。有名なコベット国の第一王子殿下にお会い出来て光栄です」
堅苦しくないお茶の席をという事だったからだろう。
友好国の王族としての初対面の挨拶にしては簡素過ぎる自己紹介を交わす。
招待状はエルドレットから出されたが、会場はジュデスの住んでいる城だ。
色々ちぐはぐではあったが、ジュデスにとってこれから始まるのは婚約者候補同士の顔合わせというより、見合い相手を入れ替えて欲しいという申し入れだ。
仰々しくなくて良かったとすら思った。
侍女が、ラヴィニアの好きな華やかな花びら入りの紅茶をふたりのカップへと注いで下がる。
そうは言っても開放的な庭ではあっても未婚の王子と王女を本当にふたり切りにはできる筈もなく、少し離れたところに置いてあるティーワゴンの傍に紅茶を淹れてくれた侍女が控えているし、エルドレッドの後ろにもコベット国からついてきた侍従が立っている。
護衛と兼任なのか騎士のような立ち姿だった。そこにふいにかつての自分の護衛騎士の姿が重なって見えてジュディスの胸がツキリと痛んだ。
紅茶が花びら入りなのは、侍女は普段王妃付きの侍女で、この会話の内容はすべてラヴィニアへ報告するというサインだ。ジュディスがこの見合いに後ろ向きだということにアシェル王が言い逃れをしてしまったそうなので口裏を合わせるように言われている。更に『ちゃんとリリアーヌとの婚姻を薦めるのよ』との厳命つきだ。
ジュディスがちゃんと従ったか、それを見届ける為にいるのだろう。
時間を掛けても仕方がない。
今となっては、ジュディスにはこの見合いを断り、リリアーヌとの婚姻を薦める事しか許されていないのだから。
「あの……何故、私なのでしょうか。リリアーヌなら貴方の求婚に喜んで頷くでしょう」
ふたり切りになってすぐに切り込んだジュディスを見返すエルドレッドの視線は、完全に面白がっていた。
その視線から逃れようとジュディスは視線をカップへ落した。
口元へ運ぶと、ふわりと濃厚な花の香りが立ち上り、母の顔が頭に浮かぶ。
「だって私は、美しくありませんのに」
つい本音が零れ落ちた。
「美しくないとは? 私の目からはあなたはとても美しい。王族として磨き抜かれた流れるような所作は、見惚れてしまうほどです」
「そんなの詭弁です。美しさの種類が違うって分かっていらっしゃる癖に」
「これは重症だ」と、エルドレットは前に座っているジュディスに聞こえないような小さな声で愚痴た。
「顔の造作に関しても、私にはそれほどあの妹姫とあなたの違いなどないというのが正直な感想ですよ」
「うそよ」
「ふむ。本当に重症だ。私が感じた通りの感想を述べているだけなのに、あなたはそれを否定されるのですね?」
「それは……失礼しました」
「コベット国では、心の在り方は表情に出るようになると言います。心が美しい人はより美しくなり、性根がねじ曲がっている人の口元や目は歪んでくる、と。あなたはきっと、美しい王妃になるでしょう」
「……心の在り方が、表情に?」
思わぬ言葉に、ジュディスの胸がキュッとした。
オウム返ししたジュディスへ鷹揚に頷き返すと、「私はそう信じていますよ」と笑顔で告げたエルドレットは、ゆっくりと、それこそジュディスよりずっと綺麗な所作でカップを持ち上げ口元へと運ぶ。
「これは、独特な味がしますね」
目を白黒させたエルドレットの表情に、ジュディスの視線は引き寄せられた。
熱くなった頬が赤くはなっていないか心配になった。
「これは、母の好きな紅茶なのです」
「あぁ、なるほど」
ちらりと視線を、隅で控えるこの紅茶を淹れた侍女へと動かした。
どうやらジュディスの前にいる異国の王子様は、噂通り与えられたちいさなヒントひとつあれば、正しく答えを導き出せるらしい。
(それにしても、本当に美しいのは、この方だわ)
リリアーヌやラヴィニアのような甘さはまったくない、まるで有名な芸術家が精魂込めて造り上げた彫像のような研ぎ澄まされた男性的な美だ。
ジュディスはこんなにも美しい人の横に立つ勇気などまったく以って持ち合わせていなかった。
(絶対に、断らなくては)
母や妹、そして兄から言い含められたからということも大きいが、自身の未来の為にもそう誓う。
「やはり、私には無理です。どうか妹を」
エルドレッドにとってはこの訪問が終われば忘れてしまえる程度のことでしかないかもしれないが、ジュディスにとってはこの後長く続く母国での生活がどうなるのかが掛かっている。まさに死活問題だ。
エルドレッドはジュディスの必死の要求を前に涼やかな表情を一切崩すことはなかった。
美しい所作でカップを手に取り、温かい紅茶を口に含んで間を取ると、「どうやら建前は必要とされないようですね」と笑顔で応えた。
「我がコベット国の民の為ではなく、自身の為に金を喰い潰すだけの者を、未来の王妃として送り込もうというのですか。なるほど、フリーゼグリーンの王女殿下は我が国の没落をお望みでしたか。最小限の出費と手数で友好国となったばかりの国を潰す方策を選ばれるとは。さすがですね」
「し、失礼ではありませんか!」
確かに。リリアーヌを嫁入りさせた家は破産するだろうと考えたこともある。
だがさすがにコベット国の国庫を食い潰すほどではないだろうし、それこそ優秀な夫に上手く操作して欲しいと願っている。
「エルドレッド殿下なら、リリアーヌのその辺りについても上手く対処して頂けるのではないか、と。その手腕を信頼しているのです」
噂に聞く手腕とカリスマ性が本当ならば、リリアーヌ如きを上手く掌で転がすことも容易だろう。
男性との会話をスムーズに運ぶには、相手の男性を持ち上げることだ。
そうして期待通りに、ジュディスの言葉を受けて、エルドレッドはこれまで見たことも無いような笑顔を浮かべた。そうして、柔らかな声で問う。
「その手間を私が掛けるメリットは?」
あくまでも、声のトーンは柔らかく、静かだった。
しかし、確実にジュディスの言葉の弱点を突いている。
「それはその、リリアーヌは愛らしいですし、きっとエルドレッド殿下の横に立ったらお似合いですわ。ふたりが並べば、まるで絵画の中のようです」
「私の結婚には、絵空事ではなく実利を求めたいですね。そもそも、見目麗しいだけの伴侶なら、わざわざこれほど遠い国まで探しに出なくとも我が国で事足りるこことです」
薄笑いで答えるエルドレッド殿下の表情に、ジュディスは焦った。
(怒っている)
ジュディスの言葉は、リリアーヌの美しさというたった一点でコベット国の令嬢すべての美しさや才覚をも上回るものだと言ったのと同義だった。その事にようやく気が付いた。
リリアーヌは確かに愛らしいし、美しい。自分の魅せ方を知っている。だが、それだけだと一番よく知っているのはジュディスであるのに。
「失礼しました。決して貴国のご令嬢方を軽く見たつもりではなかったのです。ですが、その、表現の仕方が悪かったようです」
目の前の王子は目を眇めて笑みを作り軽く頷いてくれたけれど、あまり許された気がしない。
自国の令嬢たちの美醜についての発言をするつもりはまったく無かったけれど、そう受け取られても仕方がなかった。迂闊な言葉選びをしたことを悔やむ。
不自然にならない程度に話を逸らすことにする。
「そうですよね。殿下の、幼馴染みの侯爵令嬢も、とてもお美しいと聞いております」
縁談を持ち込まれ急遽集めたエルドレッド殿下周辺の話題で、唯一の女性に関する情報は幼馴染みの侯爵令嬢のものだった。
仲の良い幼馴染みの令嬢との婚約の話題をひと言で切り捨てて大泣きさせた、というものだけ。
もっともそのご令嬢がまだ十にも満たない幼い頃の話で、微笑ましいエピソードとして国では語られているらしい。
少なくとも、留学から帰ってきた者たちから聞いた限り、共通していた。
ジュディスとしては、まだ完璧という評価が固まり切る前のエルドレッドのやらかしを揶揄いつつ、幼馴染みとのほのぼのとしたエピソードで場を和ませ仕切り直すつもりであったのだが。
「ペイター侯爵令嬢のことでしょうか。努力家で、とても愛らしい令嬢ですよ。まだお披露目はしていないので内密にお願いしたいのですが、弟の第二王子ヤミソンとの婚約が決まりました。弟はずっと彼女の事だけを想っていたのを知っている兄としては喜ばしい限りです。彼女は美しいだけでなくとても勉強家で博識なので、輿入れしてきた貴女ともきっと仲良くなれるでしょう」
さらりと内密の話を耳打ちされて、震える。正直、やられたと思う。
なによりジュディスとの婚姻を、まるで決定事項のようにさらりと話を続けられてしまった。
完璧すぎるスマートな会話の運び方に、笑顔の仮面。どちらも、ジュディスでは会話だけで突き崩すことは難しいようだ。いや、無理だ。
「さてあなたの質問は、『何故リリアーヌ王女ではなくジュディス王女殿下なのか』で宜しかったでしょうか?」
「……はい」
脱線させてしまった話題を戻される。
ホッとすると同時に、何故かこれから死刑執行の宣告を受けるような、そんな緊張が身体を走っていく。
自慢ではないが、ジュディスにはリリアーヌのような美貌はない。女性らしい身体のラインをしている訳でもない。どちらかといえば高くなりすぎた身長は男性から疎まれることも多い。
物理的な威圧感はあっても尊敬を含んでいる様なものでは無いから王族としての存在感は薄いし、知識量こそ多いがユーモアに疎いのでウィットに富んだ話術で魅せることもできない。
王女として国を繋ぐ貢ぎ物となること。それこそが王族に生まれた自分の運命だと理解はしていても、あまりにも女性として無いない尽くしすぎて、エルドレッドのように眩しいほどまっすぐに世界のリーダーとしての道を歩んでいる横に立つ自信がまったく持てない。無理だ、と思ってしまうのだ。
勿論、ジュディスだって自分の未来について思い悩んできた。
国内外に関わらず王家に生まれた姫のひとりとして嫁した先で必ずフリーゼグリーン王国の為となれる存在になる覚悟はある。その為に自身を研鑽すべく努めてきたつもりだ。
けれど、そのジュディスの覚悟は別として、もしかしたらたとえば国内の貴族へ下賜品として降嫁することとなったとして、第一王女との婚姻により王族との縁を結ぶことへの喜びはあっても、ジュディスを正妻とすることには喜びどころか嫌悪を持たれてしまうのではないかと。
当然、友好国へ嫁することにでもなったら、嫌がらせの類だと受け取られてしまうのはないか。正妻という地位のみを与えられ、冷遇されるのが関の山だろうと。
ならば兄王子の治世を助け、国の平和と秩序が保たれていると確信できたなら、ひとり静かに修道院に入り、王族として神に祈りを捧げる生活を送る道もあるのではないかと考えてすらいたのだ。
それなのに、今、世界中の独身女性から最高の結婚相手とされているに違いないコベット国エルドレッド第一王子から申し込まれていることが信じられない。
なにかジュディスの知らない想像もつかないような裏があるのではないか。
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