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番外編 第三話
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そう、キースの言ったとおりだ。
今まで順風満帆だった俺とウェルの関係だったのだがーー、
今回、エルシュバーグ伯爵家の先代ご当主……ひいては俺の祖父君であるエルドン・フォンツ・エルシュバーグ殿がいらん気をきかせてくれたおかげで、非常にややこしいものになっていた。
「平民身分との召使いとの間にできた、庶子で第二子のロスト様。けれど、そんな生まれのことを差っ引いても、アンタの積み上げた功績っつーのは大きいんだよなァ。ソロで大型モンスターの討伐数一位、冒険者だとしたらランクSS確定の大英雄の『剣星』サマだもんな」
俺とキースは店を出て、店の脇にある人目につかない小さな路地に入り、壁に背を預けて立っていた。
伯爵家の話題となるとあまり余人に聞かれたくないこともあるので、店を出たのだ。ちょうどキリよく頼んだ料理はほとんど食べ終わっていた。それに、この話題では酔えるものも酔えない。
「で、伯爵家の先代ご当主……エルドン・フォンツ・エルシュバーグ殿っつーのは、若い頃は王国の国防部門を任されてたお人で、根っからの軍人気質ときた。その先代ご当主様はもともと、文化人であるアンタの兄上サマより、『剣星』と呼ばれていたアンタの方を気に入ってたんだよな?」
キースの言葉に、俺は苦々しい気持ちで頷く。
しかし、そうは言ってもエルシュバーグ家のお祖父様とは、立場上、片手で数えられるほどの回数しか会ったことのない人だった。
確かに、お祖父様からは会う度にお下がりの剣をもらったりとか、若い頃の戦いの話を聞かせてもらったりはしたが……表立って兄上と比較されたことなんて一度もなかったから、そう言われても、ほとんど他人の話を聞いているような気分だった。
「で、そのお祖父様がなんと水面下でエルシュバーグ家の分家のヤツらをとりまとめてロスト様派閥を作って、アンタの父上サマと兄上サマと対立する構図を作っちまった、っていうのが今回のお家騒動の原因なんだってな」
そうなんだよ……!
なんかさ、エルシュバーグ家の跡継ぎ選定するうちの血族会議でさ、まぁ弟は生まれがアレだし兄の方が跡取りだよね、っていうなぁなぁの雰囲気の所に、なんでかうちのお祖父様が特大級の爆弾を落としてくれやがったのだ。
いやもう、誰が一番ビックリしたかって、俺が一番ビックリだったよ。
お祖父様がいつの間にか武功重視な感じの分家の連中をうまいことまとめて俺を跡取りに推す派閥を作ってたんだけどさ……。
なんと、動きが水面下すぎて、本家の人間は誰も知らなかったどころか、当の本人である俺が派閥の存在すら知らなかったからね。
俺はうちの血族会議には出席してなかったから、後で話を聞いたんだけどさ、もう目が点よ。
それがあってからは、父上からはほとんど腫れ物を触るみたいに完全無視状態だし!
兄上は兄上で「そんなにロストが伯爵家の跡継ぎを切望していたとは知らなかった」「気がつかなくてすまなかった」とか意味不明な謝罪をしてくるし! 気がつかなかったも何も、俺は別に跡継ぎとか全然切望してないからね!
……本当、跡継ぎの座も、伯爵家の称号は俺には不要なものなのだ。
俺が欲しいと思ったのは、昔からたった一つ、たった一人だけだ。
「その顔を見る限り、ロスト様は跡継ぎの座は別に欲しいってワケじゃなさそうだなァ?」
「……武功を重視しての跡継ぎなんて、時代遅れもいいところだ。国防の危機というわけでもなく、諸外国との仲も良好なこの時代に、俺のような剣が取り柄なだけの男を跡継ぎにするなんて馬鹿げている」
「はは、自分で言うかよ」
「しかしキース……よく、エルシュバーグのお家騒動をそこまで知っているな?」
「これぐらいの情報なら、金さえありゃすぐに収集できるぜ。アンタが思っている以上に、ロスト様の跡継ぎ騒動はいろんな連中が注文してるのよ。なにせ、エルシュバーグ家が真っ二つになるかどうかがかかってるからなァ」
「……まったく、暇な人間が多いことだ」
やれやれ。そんなに暇なら、災いの森にでも言ってモンスター討伐に精を出してくれればいいのになぁ。
「しかし、ロスト様の血筋の問題がある。アンタのお祖父様が分家の連中を派閥に引き入れた理由もそこにあるんだよな?」
「……ふん」
そ、そこまで知ってるの?
すごいな、キースがどういう情報網でうちのお家騒動を把握したのかは分からないが、まさかそこまで把握しているとは……。
むしろ俺よりもキースの方がうちのお家騒動に詳しいレベルなんじゃないだろうか?
「ロスト様にエルシュバーグの分家筋の女性を娶せ血を濃くする……。分家は自分たちの筋の娘を本家にいれるとこができる。それにエルシュバーグ家にとっても、メリットがある。他家から女を娶るとその家の伯爵家に対する発言力が強まっちまうし、領地を分与する必要もでてきちまう。長期的な視野で見ればロスト様が跡継ぎになることはメリットが高いよな」
「…………」
「難を言うと、近親婚に近いから倫理的にちょいマズいのかもしれねーけど。まぁ、庶子であるロスト様が跡継ぎになるとなりゃ、むしろそれぐらいする必要があるってことかね」
「ふっ……よく本当に、そこまで調べあげたものだ」
とかカッコつけてキースを流し目で見るおれだが、内心は「そういうことだったのか。すげぇ頭いいなコイツ」と感心しきりだった。
いや、だってお祖父様も兄上も、最近、ぜんっぜん詳しいこと説明してくれないんだよ……。
兄上はずっと「お前の気持ちに気づかずすまなかったロスト」ばっかりだし、お祖父様に直談判しにいっても「ワシにすべて任せておけ」しか言わないし。執事のセバスチャンにも聞いてみたけど、セバスチャンはみなまで言わなくてもロスト様なら分かってるだろうみたいな感じで、何が起きてるのか詳細な説明は全然してくれないし……。
俺は今の今まで「なんで分家のお嬢さんと結婚すると俺が跡継ぎになれるんだ?」と思っていたのだが、まさかそういう訳だったとは。勉強になったな。
「で。そういう話は、ロスト様の護衛騎士であるウェルにだって嫌でも耳に入るわな。なにせ、同じ屋敷にいるんだしよ」
「…………」
「当ててやろうか、ロスト様?」
キースが片方しかない瞳をすがめると、にやりと口角を上げて嫌な笑みを浮かべた。
「ウェルのことだ。アンタに、別れ話をもちかけてきたんだろ?」
「……っ、」
キースの言葉に、俺はぎり、と歯ぎしりをしていた。
そうだ。キースのまったく言う通りだ。
……血族会議の後、お祖父様たちと分家の人たちから派閥や跡継ぎの話を初めて知らされた俺は、何が起こっているか、何が起きているのか分からず、彼らと別れて部屋に戻ると、いの一番にウェルを部屋に呼び寄せた。
今回の件については、ウェルにもきちんと説明をしなければならないと感じたし、俺は跡継ぎの地位なんてまったく欲しくないことを伝えなければいけないと感じたのだ。
それに、怒涛の展開すぎて色々と気疲れしていたから、ウェルの顔を見て癒やされたかったっていうのもある。
だが、ウェルは俺の顔を見るなり、こう言ったのだ。
『ーーロスト様。今までご寵愛を頂き、誠にありがとうございました。私にはもう十分でございます。私共の関係は解消いたしましょう』
と。
「ウェルは真面目ちゃんだもんなァ。愛しのロスト様が跡継ぎになれる機会が巡ってきたんだ。自分の存在が邪魔をするような真似は嫌だって言ったんだろ?」
「……その通りだよ」
キースの見透かしたような言葉はまったく的中していて、俺は苦笑いを返した。
……そうなのだ。
ウェルはおれがどんなに言っても、俺が伯爵家の跡継ぎになれる機会を、俺の未来を自分のせいで狭めたくないとくり返すばかりだった。まずかったのが、あまりにもウェルが頑なであったから、俺もついつい言葉を荒げてしまい、ウェルに怒りをぶつけてしまったのだ。
その後、ウェルは屋敷内で俺を避けるようになってしまい、俺の部屋に来ることもなくなってしまった。俺とウェルの部屋の間には、鍵がかけられている状態だ。その鍵も簡単な施錠なので、外そうと思えばすぐに外せるのだが、そんな気持ちにもなれなかった。
はぁ……なんでこんなことになるんだよ。
元はといえば、お祖父様だよなぁ。
いらない気をきかせやがって! 俺は別に、伯爵家の地位とか全然いらないんだよ! 跡継ぎになりたいなんて思ったこともなければ言ったこともないし……!
つくづく、兄上がもうちょっとお祖父様に強く出てくれればなぁ。
ふっつーに「妾腹の子供が伯爵家の跡継ぎなんてありえない、伯爵家の跡継ぎになるのはこの私だ!」って言ってくれればいいじゃん。何を「今までロストには肩身の狭い思いをさせた。ロストの補佐としてやっていくことに私は異存はない」ってあっさり引いてくれちゃってんだよ! お願いだから、もうちょっと権力に貪欲になろうよ!
「……まったく。皆、人の気も知らないで勝手ばっかりだ」
叫び出したい気持ちを押さえてどうにか罵倒を飲み込むと、おれは俯いて地面を見つめた。
……どうして分かってくれないんだろう。
俺は本当に、伯爵家の地位なんて求めたこともないし、欲しいと思ったことなんて一度もない。だって、そんなものよりもずっといいものを手に入れてるんだ。
他の誰も、分かってくれなくてもいい。
たった一人にさえ分かってもらえればいいのに――言葉が届かない。
俯いていた俺の耳に、じゃり、と地面を踏む音が間近で聞こえた。
やけに近い音に顔をあげると、いつの間にか、キースが俺の目の前に立っていた。キースは片手を俺の背にしている壁について、俺の顔を覗き込んでくる。
「なァ、ロスト様。ウェルの奴と別れたんならオレにも目があるってことだろ?」
「なに?」
「オレは別にアンタに本妻がいようと気にしないぜ?」
い、いや、そこは気にしないとダメなのでは?
「オレなら割り切った付き合いは心得てる。愛人枠でも別に不満はねェよ。ウェルの奴は根が真面目だから、『自分のためにそんな不義理な関係をロスト様に強いたくないー』とか言うだろうけどさ」
……つくづく、こいつはやっぱりウェルの友人なんだなぁ。
ウェルの言葉をよくそこまで見てきたように推測できるものだ。しかし、それこそ長年来の友人だからこそ出来ることなんだろう。
どうしてこの二人が友人なんだろうと、毎度毎度、不思議に思ってるんだが、水と油みたいにバランスが取れてるんだよなぁ……。
そんなことを思っていたら、ふと、やけにキースの顔が近いことに気がついた。
肉食獣めいた金色の瞳が、ぎらぎらとした光を湛えて俺を見つめている。
あと一呼吸で、キースの唇が重なる――その時だった。
突然、キースの身体が大きく後ろに引き下がったのだ。引き下がったというよりは、強制的に引きずられた、と言うべきか。
誰かがキースの服のハイネック部分の襟を掴んで、後ろに思い切り引き戻したのである。必然的に首が締まる形になったキースが「ぐぇっ」とカエルの潰れたような声を上げたのが聞こえた。
「ぁ……、」
あまりのことに、そして思いがけない人物に、呆けた声がこぼれる。
その人物は若草色の瞳に剣呑な光を宿し、襟首を掴んだままのキースを覗き込むと、地の底に響くような低音で囁いた。
「おれは言ったはずだな、キース?」
「……チッ。本当に、いつもいい所で来るんだよなァ、ウェル」
「次にこの御方に不埒な真似をした時は――容赦しないと!」
吠えるような怒声と共に、その人物――俺の護衛騎士であるウェルスナー・ラヴィッツが振り上げた拳をキースの顔面に叩き込んだ。
そして、キースの身体は大きく後方へと吹っ飛び、路地の奥に積み上がっていた木箱に思いっきり突っ込んだ。ついで、何かが壊れるような大きな音が狭い路地裏に響く。
って、ええええええぇーー!?
ちょっ、待っ、えっ!!??
ウェ、ウェルがキースを思いっきり殴ったーー!?
それはまぁ個人的にウェルにはグッジョブを俺からあげるとして……! いやでもさすがにキースが心配だな。だ、大丈夫だよね? 死んでないよね?
いや、そもそもなんでウェルがここにいるんだ!?
ご、ごめん、今、何が起きてるの!?
誰か俺に説明してー!!
今まで順風満帆だった俺とウェルの関係だったのだがーー、
今回、エルシュバーグ伯爵家の先代ご当主……ひいては俺の祖父君であるエルドン・フォンツ・エルシュバーグ殿がいらん気をきかせてくれたおかげで、非常にややこしいものになっていた。
「平民身分との召使いとの間にできた、庶子で第二子のロスト様。けれど、そんな生まれのことを差っ引いても、アンタの積み上げた功績っつーのは大きいんだよなァ。ソロで大型モンスターの討伐数一位、冒険者だとしたらランクSS確定の大英雄の『剣星』サマだもんな」
俺とキースは店を出て、店の脇にある人目につかない小さな路地に入り、壁に背を預けて立っていた。
伯爵家の話題となるとあまり余人に聞かれたくないこともあるので、店を出たのだ。ちょうどキリよく頼んだ料理はほとんど食べ終わっていた。それに、この話題では酔えるものも酔えない。
「で、伯爵家の先代ご当主……エルドン・フォンツ・エルシュバーグ殿っつーのは、若い頃は王国の国防部門を任されてたお人で、根っからの軍人気質ときた。その先代ご当主様はもともと、文化人であるアンタの兄上サマより、『剣星』と呼ばれていたアンタの方を気に入ってたんだよな?」
キースの言葉に、俺は苦々しい気持ちで頷く。
しかし、そうは言ってもエルシュバーグ家のお祖父様とは、立場上、片手で数えられるほどの回数しか会ったことのない人だった。
確かに、お祖父様からは会う度にお下がりの剣をもらったりとか、若い頃の戦いの話を聞かせてもらったりはしたが……表立って兄上と比較されたことなんて一度もなかったから、そう言われても、ほとんど他人の話を聞いているような気分だった。
「で、そのお祖父様がなんと水面下でエルシュバーグ家の分家のヤツらをとりまとめてロスト様派閥を作って、アンタの父上サマと兄上サマと対立する構図を作っちまった、っていうのが今回のお家騒動の原因なんだってな」
そうなんだよ……!
なんかさ、エルシュバーグ家の跡継ぎ選定するうちの血族会議でさ、まぁ弟は生まれがアレだし兄の方が跡取りだよね、っていうなぁなぁの雰囲気の所に、なんでかうちのお祖父様が特大級の爆弾を落としてくれやがったのだ。
いやもう、誰が一番ビックリしたかって、俺が一番ビックリだったよ。
お祖父様がいつの間にか武功重視な感じの分家の連中をうまいことまとめて俺を跡取りに推す派閥を作ってたんだけどさ……。
なんと、動きが水面下すぎて、本家の人間は誰も知らなかったどころか、当の本人である俺が派閥の存在すら知らなかったからね。
俺はうちの血族会議には出席してなかったから、後で話を聞いたんだけどさ、もう目が点よ。
それがあってからは、父上からはほとんど腫れ物を触るみたいに完全無視状態だし!
兄上は兄上で「そんなにロストが伯爵家の跡継ぎを切望していたとは知らなかった」「気がつかなくてすまなかった」とか意味不明な謝罪をしてくるし! 気がつかなかったも何も、俺は別に跡継ぎとか全然切望してないからね!
……本当、跡継ぎの座も、伯爵家の称号は俺には不要なものなのだ。
俺が欲しいと思ったのは、昔からたった一つ、たった一人だけだ。
「その顔を見る限り、ロスト様は跡継ぎの座は別に欲しいってワケじゃなさそうだなァ?」
「……武功を重視しての跡継ぎなんて、時代遅れもいいところだ。国防の危機というわけでもなく、諸外国との仲も良好なこの時代に、俺のような剣が取り柄なだけの男を跡継ぎにするなんて馬鹿げている」
「はは、自分で言うかよ」
「しかしキース……よく、エルシュバーグのお家騒動をそこまで知っているな?」
「これぐらいの情報なら、金さえありゃすぐに収集できるぜ。アンタが思っている以上に、ロスト様の跡継ぎ騒動はいろんな連中が注文してるのよ。なにせ、エルシュバーグ家が真っ二つになるかどうかがかかってるからなァ」
「……まったく、暇な人間が多いことだ」
やれやれ。そんなに暇なら、災いの森にでも言ってモンスター討伐に精を出してくれればいいのになぁ。
「しかし、ロスト様の血筋の問題がある。アンタのお祖父様が分家の連中を派閥に引き入れた理由もそこにあるんだよな?」
「……ふん」
そ、そこまで知ってるの?
すごいな、キースがどういう情報網でうちのお家騒動を把握したのかは分からないが、まさかそこまで把握しているとは……。
むしろ俺よりもキースの方がうちのお家騒動に詳しいレベルなんじゃないだろうか?
「ロスト様にエルシュバーグの分家筋の女性を娶せ血を濃くする……。分家は自分たちの筋の娘を本家にいれるとこができる。それにエルシュバーグ家にとっても、メリットがある。他家から女を娶るとその家の伯爵家に対する発言力が強まっちまうし、領地を分与する必要もでてきちまう。長期的な視野で見ればロスト様が跡継ぎになることはメリットが高いよな」
「…………」
「難を言うと、近親婚に近いから倫理的にちょいマズいのかもしれねーけど。まぁ、庶子であるロスト様が跡継ぎになるとなりゃ、むしろそれぐらいする必要があるってことかね」
「ふっ……よく本当に、そこまで調べあげたものだ」
とかカッコつけてキースを流し目で見るおれだが、内心は「そういうことだったのか。すげぇ頭いいなコイツ」と感心しきりだった。
いや、だってお祖父様も兄上も、最近、ぜんっぜん詳しいこと説明してくれないんだよ……。
兄上はずっと「お前の気持ちに気づかずすまなかったロスト」ばっかりだし、お祖父様に直談判しにいっても「ワシにすべて任せておけ」しか言わないし。執事のセバスチャンにも聞いてみたけど、セバスチャンはみなまで言わなくてもロスト様なら分かってるだろうみたいな感じで、何が起きてるのか詳細な説明は全然してくれないし……。
俺は今の今まで「なんで分家のお嬢さんと結婚すると俺が跡継ぎになれるんだ?」と思っていたのだが、まさかそういう訳だったとは。勉強になったな。
「で。そういう話は、ロスト様の護衛騎士であるウェルにだって嫌でも耳に入るわな。なにせ、同じ屋敷にいるんだしよ」
「…………」
「当ててやろうか、ロスト様?」
キースが片方しかない瞳をすがめると、にやりと口角を上げて嫌な笑みを浮かべた。
「ウェルのことだ。アンタに、別れ話をもちかけてきたんだろ?」
「……っ、」
キースの言葉に、俺はぎり、と歯ぎしりをしていた。
そうだ。キースのまったく言う通りだ。
……血族会議の後、お祖父様たちと分家の人たちから派閥や跡継ぎの話を初めて知らされた俺は、何が起こっているか、何が起きているのか分からず、彼らと別れて部屋に戻ると、いの一番にウェルを部屋に呼び寄せた。
今回の件については、ウェルにもきちんと説明をしなければならないと感じたし、俺は跡継ぎの地位なんてまったく欲しくないことを伝えなければいけないと感じたのだ。
それに、怒涛の展開すぎて色々と気疲れしていたから、ウェルの顔を見て癒やされたかったっていうのもある。
だが、ウェルは俺の顔を見るなり、こう言ったのだ。
『ーーロスト様。今までご寵愛を頂き、誠にありがとうございました。私にはもう十分でございます。私共の関係は解消いたしましょう』
と。
「ウェルは真面目ちゃんだもんなァ。愛しのロスト様が跡継ぎになれる機会が巡ってきたんだ。自分の存在が邪魔をするような真似は嫌だって言ったんだろ?」
「……その通りだよ」
キースの見透かしたような言葉はまったく的中していて、俺は苦笑いを返した。
……そうなのだ。
ウェルはおれがどんなに言っても、俺が伯爵家の跡継ぎになれる機会を、俺の未来を自分のせいで狭めたくないとくり返すばかりだった。まずかったのが、あまりにもウェルが頑なであったから、俺もついつい言葉を荒げてしまい、ウェルに怒りをぶつけてしまったのだ。
その後、ウェルは屋敷内で俺を避けるようになってしまい、俺の部屋に来ることもなくなってしまった。俺とウェルの部屋の間には、鍵がかけられている状態だ。その鍵も簡単な施錠なので、外そうと思えばすぐに外せるのだが、そんな気持ちにもなれなかった。
はぁ……なんでこんなことになるんだよ。
元はといえば、お祖父様だよなぁ。
いらない気をきかせやがって! 俺は別に、伯爵家の地位とか全然いらないんだよ! 跡継ぎになりたいなんて思ったこともなければ言ったこともないし……!
つくづく、兄上がもうちょっとお祖父様に強く出てくれればなぁ。
ふっつーに「妾腹の子供が伯爵家の跡継ぎなんてありえない、伯爵家の跡継ぎになるのはこの私だ!」って言ってくれればいいじゃん。何を「今までロストには肩身の狭い思いをさせた。ロストの補佐としてやっていくことに私は異存はない」ってあっさり引いてくれちゃってんだよ! お願いだから、もうちょっと権力に貪欲になろうよ!
「……まったく。皆、人の気も知らないで勝手ばっかりだ」
叫び出したい気持ちを押さえてどうにか罵倒を飲み込むと、おれは俯いて地面を見つめた。
……どうして分かってくれないんだろう。
俺は本当に、伯爵家の地位なんて求めたこともないし、欲しいと思ったことなんて一度もない。だって、そんなものよりもずっといいものを手に入れてるんだ。
他の誰も、分かってくれなくてもいい。
たった一人にさえ分かってもらえればいいのに――言葉が届かない。
俯いていた俺の耳に、じゃり、と地面を踏む音が間近で聞こえた。
やけに近い音に顔をあげると、いつの間にか、キースが俺の目の前に立っていた。キースは片手を俺の背にしている壁について、俺の顔を覗き込んでくる。
「なァ、ロスト様。ウェルの奴と別れたんならオレにも目があるってことだろ?」
「なに?」
「オレは別にアンタに本妻がいようと気にしないぜ?」
い、いや、そこは気にしないとダメなのでは?
「オレなら割り切った付き合いは心得てる。愛人枠でも別に不満はねェよ。ウェルの奴は根が真面目だから、『自分のためにそんな不義理な関係をロスト様に強いたくないー』とか言うだろうけどさ」
……つくづく、こいつはやっぱりウェルの友人なんだなぁ。
ウェルの言葉をよくそこまで見てきたように推測できるものだ。しかし、それこそ長年来の友人だからこそ出来ることなんだろう。
どうしてこの二人が友人なんだろうと、毎度毎度、不思議に思ってるんだが、水と油みたいにバランスが取れてるんだよなぁ……。
そんなことを思っていたら、ふと、やけにキースの顔が近いことに気がついた。
肉食獣めいた金色の瞳が、ぎらぎらとした光を湛えて俺を見つめている。
あと一呼吸で、キースの唇が重なる――その時だった。
突然、キースの身体が大きく後ろに引き下がったのだ。引き下がったというよりは、強制的に引きずられた、と言うべきか。
誰かがキースの服のハイネック部分の襟を掴んで、後ろに思い切り引き戻したのである。必然的に首が締まる形になったキースが「ぐぇっ」とカエルの潰れたような声を上げたのが聞こえた。
「ぁ……、」
あまりのことに、そして思いがけない人物に、呆けた声がこぼれる。
その人物は若草色の瞳に剣呑な光を宿し、襟首を掴んだままのキースを覗き込むと、地の底に響くような低音で囁いた。
「おれは言ったはずだな、キース?」
「……チッ。本当に、いつもいい所で来るんだよなァ、ウェル」
「次にこの御方に不埒な真似をした時は――容赦しないと!」
吠えるような怒声と共に、その人物――俺の護衛騎士であるウェルスナー・ラヴィッツが振り上げた拳をキースの顔面に叩き込んだ。
そして、キースの身体は大きく後方へと吹っ飛び、路地の奥に積み上がっていた木箱に思いっきり突っ込んだ。ついで、何かが壊れるような大きな音が狭い路地裏に響く。
って、ええええええぇーー!?
ちょっ、待っ、えっ!!??
ウェ、ウェルがキースを思いっきり殴ったーー!?
それはまぁ個人的にウェルにはグッジョブを俺からあげるとして……! いやでもさすがにキースが心配だな。だ、大丈夫だよね? 死んでないよね?
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