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第三十六話

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 ――翌日。
 授業を終えたおれは、さっそくルーカスとの約束をした宿屋へと向かうことにした。

 学院の前にある待合所から馬車に乗り、宿屋<金の酒亭>がある、東区の宿屋街へと向かってもらう。
 なお、両親が泊まっているのは大通り近くにある高級宿屋であり、今からおれが向かう宿屋街はもう少し庶民的な価格の宿が集まっている。大通りと東区は場所も離れているため、両親にばったり出くわす心配もない。

「はぁ、結局見つからなかったな……」

 思わず、重苦しい溜息を吐く。
 その理由は、おれの妖精鳥である金の鷹が、どこかに行ってしまったからだ。

 昨日、寮の共同浴場から帰ってきた時には、部屋にはちゃんと妖精鳥がいた。しかし、朝、目が覚めたら妖精鳥は部屋のどこにもおらず、なおかつ部屋の窓が開いていたのだ。
 どうやら昨夜、ルーカスの妖精鳥を見送った際に、窓の鍵をかけるのを忘れてしまったらしい。おれの妖精鳥は、夜から朝の間にそこから外へと飛び出していったようだった。
 昨日、指輪に戻すのが面倒になって、鳥の姿のままにしておいたのが失敗だった。しかし、妖精鳥は普通の鳥ではなく、あくまでも鳥の形をした魔術道具に過ぎない。そんな妖精鳥が勝手に逃げ出したなんて聞いたことはないが……

「はぁ、もしも戻ってこなかったら、父さんになんて言おう……昨日、ちゃんと指輪に戻しておくべきだったな」

 今日一日、教授や同じ学科の生徒たちにも尋ねてみたのだが、誰もおれの妖精鳥を見たものはいなかった。
 ……レックスがおれの元を尋ねてきたら、彼にも聞いてみようと思ったのだが……この三日間、彼はおれのところには来なかった。
 まぁ、レックスに聞いたところで結果は同じだったかもしれない。なにせ、おれの妖精鳥はかなり派手だ。あんな派手な鳥があっちこっちを飛行していたら、すぐに騒ぎになっているだろう。そんな騒ぎが聞こえてこないということは、学院内にいない可能性が高い。

「もしも今日中に戻ってこなかったら、遺失届でも出すか……」

 再び溜息を吐くと同時に、乗っていた馬車が停止した。馬車を降りて、御者に礼を言って代金を渡す。
 東区の宿屋街に来るのは初めてだが、やはり、大通りとはいささか雰囲気が違った。石畳の道を歩けばかすかな酒気が鼻を突く。また、おれのような学院の生徒がこのあたりを歩いているのは珍しいらしく、すれ違う大人たちは無遠慮な視線でじろじろとおれを眺め回した。

 いつも胸につけている校章のブローチは馬車の中で外しておいたが、それで正解だったようだ。見るものが見れば、ブローチの色でおれがオメガだと分かってしまうからな。余計なトラブルは避けたい。

 道をしばらく歩き、手紙にあった住所のあたりまで来ると、三階建ての石造建築の宿屋を見つけた。店の前には、黄色の塗料でジョッキの絵が描いてある木製の看板が出されている。どうやらここが宿屋<金の酒亭>でいいらしい。
 木製の扉を押し開けて宿屋へ入ると、一階は食堂になっていた。中は年季を感じこそすれ、意外ときれいに片付けられていた。食堂にはちらほらと客が入っているが、彼らはおれをちらりと見ただけで、無遠慮な視線を向けてくることもない。
 薄暗い店内を物珍しく眺めていると、店の奥から妙齢の女性が出てきた。どうやら彼女が宿屋<金の酒亭>の主のようだ。

「泊まりかい? それとも飯かい?」

「すみません。この宿にル……おれの連れが泊まっていると思うんです。彼に言われてここに来たのですが」

 ルーカスの名前を出そうとしたが、新聞で彼の名前が連日報道されていることを思い出して、途中で止めた。もしかすると、彼は本名ではなく、偽名や他人の名前などを使って部屋をとったかもしれないと思ったのだ。
 ちなみに、今日の朝刊の一面も、連日に引き続いてルーカスの話題で持ち切りだった。

「ああ、聞いているよ。その坊やなら二階の四号室にいるよ。そこの階段を上がって、左に進んで突き当りの部屋だ」

「ありがとうございます」

 すると、女性が無言で掌を突き出してきた。
 おれはポケットから銅貨を取り出し、その掌の上におそるおそる置く。女性は銅貨をちらりと見てから、おれに頷いてみせた。よかった、チップは今の額で良かったらしい。
 おれは会釈をしてから、女性に背を向けてゆっくりと階段を上がった。かなり古い建物らしく、足をかけるたびにぎぃぎぃと軋んだ音が響いた。
 言われた通り、階段を上がって左に進み、突き当りの部屋へと向かう。部屋のドアの前に立つと、心臓の鼓動が少しずつ早くなるのが自分でわかった。

 ゆっくりと深呼吸をしてから、静かにドアをノックする。すると、間髪入れずにドアが開いた。扉の前で待ち構えていたのかと思うほどの早さだ。
 ドアを開けたのはルーカスだったが、彼はすぐさまおれの腕を掴むと部屋の中へと引きずり込んだ。その強引さにあっけにとられている内に、すぐに部屋のドアが閉められる。
 部屋の中は、わずかな明かりしかなく薄暗い。窓が閉め切られているようで、湿気が籠もっている。

「ルーカス?」

「あ……ああ、すまない、リオ。驚かせてしまったね。最近、記者共がウロウロしているから、あまり人に見られたくなくて……」

「いや、大丈夫だ。それより手、離してもらえるか?」

「あ、ああ、そうだね。悪かったよ」

 そう言うと、ルーカスはすぐに手を離してくれた。
 おれは立ったまま、目の前に立つルーカスの姿をしげしげと眺めた。

 なんというか……たった数日で、ずいぶんとやつれたものだ。

 いつもは自信に溢れたオーラを纏っていたルーカスだが、今の彼は肌や髪から艶が失われて、目の下には青黒いクマがくっきりと刻まれていた。
 普段、彼は白百合学院エルパーサの制服を着用していたが、今日は自分の私服と思しき服を着ていた。だが、その服もシワだらけだし、上は冬物なのに、下は薄手の春物というチグハグさだ。

 まぁ、新聞記者の追っかけ取材って、前世でも度々、問題になるほどだったからな……この世界のこの時代には、報道被害の防止なんていう概念もまだないから、ルーカスへの取材はそうとうなものなのだろう。

 であれば、ここへの長居は無用だ。
 数分後に、ルーカスを追いかけている新聞記者たちが宿へ押し寄せないとも限らない。記者たちに見つかれば、おれが件の「研究を盗まれたルーカスの元婚約者」だとバレて取材されるかもしれない。そんなことになる前に、早いところルーカスとの話を終わらせて、学院へ帰ろう。

「で、ルーカス。おれに話があるんだろう?」

「あ、ああ……そこにテーブルがあるから座って話そう」

ルーカスの言葉に、おれは首を横に振った。

「いや、立ったままで結構だ。長居をする気はないからな」

 おれの強い言葉に、ルーカスは一瞬、鼻白んだ表情になった。だが、すぐに気を取り直したように、曖昧な笑みを浮かべてみせた。

「そ、そうか、そうだね……その、今日は来てくれてありがとう。もしかすると、来てくれないんじゃないかと思っていたから、すごく嬉しいよ」

「まぁ、これで最後だからな。それで、話って?」

「その前に……聞きたいんだが、以前、君が一緒にいたのはスカルベークの代表生徒だったレックス・ウォーカーだろう? 彼とは親しい仲なのかい?」

「同じ学院の後輩だからな、それなりには」

「この前見かけた時は、学院の先輩と後輩、というだけではないように見えたけれど……それに、君のご両親ともずいぶん親しい様子だったじゃないか。以前から親交が?」

「……はぁ。ルーカス、さっきから何を言いたいんだ?」

 だんだん苛ついてきた。
 おれは今日、ルーカスが『謝罪をしたい』というからこの宿に来たのだ。

 だが来てみれば一向に謝罪の言葉はなく、一方的に質問ばかりされている。
 こんなことならここに来なければよかった、いなくなった妖精鳥を探しに行けばよかったとさえ思ってしまう。

「おれは今日、ルーカスが『最後に直接会って謝罪をしたい』っていうから、わざわざ来たんだぞ。それなのに、いったいなんなんだ? また、おれを騙したのか?」

「そ、そうじゃないんだ! ごめん、ただ、少し気になって……」

 おれの苛立ち混じりの言葉に、ルーカスは顔を青ざめさせ、慌てたように首を横に振った。そして、素早く頭を下げる。

「本当にすまなかった! 君に謝りたいという気持ちは嘘じゃないんだ! その、君の研究があまりにも素晴らしいものだったから、つい魔が差してしまった……僕が馬鹿だったんだ。とても軽率で、愚かな真似をしたと今は思っている」

「…………」

「こんな言葉では許してもらえるとは思っていないが……本当にすまなかった。君にもひどい言葉ばかり言ってしまった。すごく、反省しているんだ」

 おれは少しだけ、呆気にとられてしまった。
 ルーカスの声は震えていた。こんな彼の姿は初めて見る。

 その声音を聞く限り、謝罪の言葉に嘘はないように感じた。
 おれはしばらくの間、頭を下げ続けるルーカスの後頭部を見つめていた。そして、ゆっくりと唇を開いた。

「……分かった、謝罪を受け入れるよ」

「ほ、本当かい!?」

 ルーカスが弾かれたように顔を上げた。おれはそんな彼に頷いてみせる。

「ルーカスがやったことを許すわけじゃない。でも、今の言葉は嘘じゃないって信じるよ」

「あ、ありがとう、リオ……!」

 最近の新聞の報道や、白百合学院エルパーサが彼に下した処分を見聞きして、おれはもう充分だと感じていた。
 ルーカスがやったことは悪いことだけれど……今度のことを思えば、彼はもう充分な罰を受けたと思うのだ。だから、今の謝罪の言葉を素直に信じてみようと思った。

「リオ、ありがとう、本当に……」

 ルーカスは大粒の涙を流しながら、唇を歪めて笑顔を浮かべた。
 そして、手を伸ばしておれの右手をがっちりと掴んでくる。やけに強い力だ。

「ありがとう、リオ……本当にありがとう」

「いや別に。じゃあ、もう帰っていいよな?」

「ああ、そうだね! 戻って、君のご両親に早く報告に行かないと! もう一度、僕と君が婚約するんだってね!」

「――――は?」
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