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伯爵が屋敷を去り静かになった昼前に、漸くベッドから出たクリスティアナは軽いブランチを食べていた。
食欲はあまりなかったが、心配させたくないと無理して咀嚼する。
「お嬢様、無理はいけません、体が受け付けませんよ。紅茶だけでもよろしいのです」
「ええ、気遣いありがとう。元気にしなくちゃね」
用意されたフルーツサラダだけを食べ終えると、赤く腫れた目元を濡れタオルに押し付けた。
「冷たくて気持ちが良いわ。ありがとう」
「はい、盥の水が温くなったらお申し付けください」
世話を終えた侍女とメイドが居室から去ると、クリスティアナは深いため息をゆっくりはいた。
まさかこれほどにヘイデンに恋していたとは己でも驚いていた。
初めて知った嫉妬と焦燥という感情は、大人になり切れていない少女の心にかなり堪えたようだ。
「恋するのはとても辛いのね、知らなかったわ。こんなことなら出会わないほうが楽だったのかも」
ヘイデンと知り合ってから4年、自然に思い合うようになった二人。
いままでが順調過ぎて、思わぬ障壁に気持ちが追い付かないクリスティアナ。
彼の顔を思い浮かべると、茶会の事を思い出して鼻の奥がツンと痛くなる。
「とても綺麗な子だったわ、どこかエキゾチックで……異国の血でも受け継いでいるのかしら?」
自身とは正反対な髪色は緑がかって真っ直ぐで、ツヤツヤと美しかったと思い出す。
気の強そうな印象の黒い眉と、やや釣り気味で大きな瞳が爛々と輝いていた。
自分の波うつ薄色の金髪をひとふさ取り目を顰める。
美しいプラチナブロンドだと身内は褒めてくれるが、実際は親の欲目なのだと彼女は気落ちした。
「あぁ、なにもかも私とは違い過ぎる……ヘイデン。貴方の心は変わってしまったの?あの子のほうが好きなの?……とても苦しいわ、辛いわ。この痛みをとれるのは貴方だけなのに」
再び目頭が熱くなった彼女はハラハラと涙を流し、拭う気力も失って陽が沈むまで泣き続けた。
***
一方、モスリバー伯爵家では怒号が響いていた。
それは、雷鳴かと使用人が飛び上がったほどの大声だった。
公爵家から大恥をかいて戻ってきた伯爵は、昼過ぎまで寝腐っていた息子を寝具から叩き起こして横腹を蹴り上げた。破裂寸前の焙烙玉のような父親の顔を見て、バカ息子ヘイデンはやっと目が覚め肝を冷やす。
「ち、父上、なにをそんなにお怒りなのですか?血圧が上がりますよ、医者に言われてるじゃないですか」
「喧しいわ!誰のせいで血圧が上がっていると思って居る!公爵家へ謝罪に出向くから夜更かしはするなと昨夜言っていたであろうが!それなのに……貴様ときたら!」
「ひっ!だ、だって図鑑が面白くて珍しい植物がたくさん載っていて……」
「愚か者!書物ならいつでも読めるだろうが!人の心、心象は待ってはくれぬ、遅延すればするほど信頼関係は縺れて縁が千切れてしまうのだぞ!」
反省の色も見せずに、ヘイデンは図鑑が面白いことを父親に説いてくる始末だ。
「落ち着いてください、ティアとボクは思い合っていて揺るぎない絆があります。こんな些細なことで彼女が怒るなんてありえないんだ!だって図鑑が何より大好きなことをティアは理解してくれてる」
「まだ言うか!この愚か者!反省しないのなら書物を全部没収だ!覚悟して置け!」
「そんな横暴な!父上!どうかそれだけはやめて」
床に転がされた愚息は、怒鳴り散らす父親の脚に縋って泣き出した。
「あぁ……どうしてこんなバカになったのだ?2歳から文字を覚え、とても聡明な子だと教師に褒められていたのに」
「ぼ、ボクは賢いですよ!東大陸語だって少し読めるようになったんです!これもアラベラという素晴らしい友人のお陰なんだ!」
「その素晴らしい友人のせいで婚約破棄の危機なのだぞ!?いい加減に目を覚ませ!今後、その女と会うことは禁じる!」
ここにきて危機感をわからない息子に、益々激高した伯爵はあまりの怒りに眩暈をおぼえた。
それなのに……
「嫌だ!絶対嫌だ!彼女は博識で素晴らしい人なんだ!ボクの一番の理解者で親友なんだ、それに……図鑑を融通してくれるし」
「この大馬鹿者!」
「ぎひいっ!痛い、痛いです父上ー!」
その後、激しい叱咤を受けた愚息ヘイデンは自室に軟禁されたが、「思い存分図鑑が読める」と親の心を踏みにじる言葉をはいたのだった。
そして、デビュタントの相談をするというクリスティアナのお願いをすっかり忘却して、詫びのカードさえ出さなかったのである。
食欲はあまりなかったが、心配させたくないと無理して咀嚼する。
「お嬢様、無理はいけません、体が受け付けませんよ。紅茶だけでもよろしいのです」
「ええ、気遣いありがとう。元気にしなくちゃね」
用意されたフルーツサラダだけを食べ終えると、赤く腫れた目元を濡れタオルに押し付けた。
「冷たくて気持ちが良いわ。ありがとう」
「はい、盥の水が温くなったらお申し付けください」
世話を終えた侍女とメイドが居室から去ると、クリスティアナは深いため息をゆっくりはいた。
まさかこれほどにヘイデンに恋していたとは己でも驚いていた。
初めて知った嫉妬と焦燥という感情は、大人になり切れていない少女の心にかなり堪えたようだ。
「恋するのはとても辛いのね、知らなかったわ。こんなことなら出会わないほうが楽だったのかも」
ヘイデンと知り合ってから4年、自然に思い合うようになった二人。
いままでが順調過ぎて、思わぬ障壁に気持ちが追い付かないクリスティアナ。
彼の顔を思い浮かべると、茶会の事を思い出して鼻の奥がツンと痛くなる。
「とても綺麗な子だったわ、どこかエキゾチックで……異国の血でも受け継いでいるのかしら?」
自身とは正反対な髪色は緑がかって真っ直ぐで、ツヤツヤと美しかったと思い出す。
気の強そうな印象の黒い眉と、やや釣り気味で大きな瞳が爛々と輝いていた。
自分の波うつ薄色の金髪をひとふさ取り目を顰める。
美しいプラチナブロンドだと身内は褒めてくれるが、実際は親の欲目なのだと彼女は気落ちした。
「あぁ、なにもかも私とは違い過ぎる……ヘイデン。貴方の心は変わってしまったの?あの子のほうが好きなの?……とても苦しいわ、辛いわ。この痛みをとれるのは貴方だけなのに」
再び目頭が熱くなった彼女はハラハラと涙を流し、拭う気力も失って陽が沈むまで泣き続けた。
***
一方、モスリバー伯爵家では怒号が響いていた。
それは、雷鳴かと使用人が飛び上がったほどの大声だった。
公爵家から大恥をかいて戻ってきた伯爵は、昼過ぎまで寝腐っていた息子を寝具から叩き起こして横腹を蹴り上げた。破裂寸前の焙烙玉のような父親の顔を見て、バカ息子ヘイデンはやっと目が覚め肝を冷やす。
「ち、父上、なにをそんなにお怒りなのですか?血圧が上がりますよ、医者に言われてるじゃないですか」
「喧しいわ!誰のせいで血圧が上がっていると思って居る!公爵家へ謝罪に出向くから夜更かしはするなと昨夜言っていたであろうが!それなのに……貴様ときたら!」
「ひっ!だ、だって図鑑が面白くて珍しい植物がたくさん載っていて……」
「愚か者!書物ならいつでも読めるだろうが!人の心、心象は待ってはくれぬ、遅延すればするほど信頼関係は縺れて縁が千切れてしまうのだぞ!」
反省の色も見せずに、ヘイデンは図鑑が面白いことを父親に説いてくる始末だ。
「落ち着いてください、ティアとボクは思い合っていて揺るぎない絆があります。こんな些細なことで彼女が怒るなんてありえないんだ!だって図鑑が何より大好きなことをティアは理解してくれてる」
「まだ言うか!この愚か者!反省しないのなら書物を全部没収だ!覚悟して置け!」
「そんな横暴な!父上!どうかそれだけはやめて」
床に転がされた愚息は、怒鳴り散らす父親の脚に縋って泣き出した。
「あぁ……どうしてこんなバカになったのだ?2歳から文字を覚え、とても聡明な子だと教師に褒められていたのに」
「ぼ、ボクは賢いですよ!東大陸語だって少し読めるようになったんです!これもアラベラという素晴らしい友人のお陰なんだ!」
「その素晴らしい友人のせいで婚約破棄の危機なのだぞ!?いい加減に目を覚ませ!今後、その女と会うことは禁じる!」
ここにきて危機感をわからない息子に、益々激高した伯爵はあまりの怒りに眩暈をおぼえた。
それなのに……
「嫌だ!絶対嫌だ!彼女は博識で素晴らしい人なんだ!ボクの一番の理解者で親友なんだ、それに……図鑑を融通してくれるし」
「この大馬鹿者!」
「ぎひいっ!痛い、痛いです父上ー!」
その後、激しい叱咤を受けた愚息ヘイデンは自室に軟禁されたが、「思い存分図鑑が読める」と親の心を踏みにじる言葉をはいたのだった。
そして、デビュタントの相談をするというクリスティアナのお願いをすっかり忘却して、詫びのカードさえ出さなかったのである。
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