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第五章 | 樽廻船の女船長、商人の町へ行く

樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ拾肆

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その日もよく晴れた朝だった。
空は突き抜けるように青く、それを映しこむように冴え冴えとした海。

「今日も暑くなりそうだなぁ」

なおは寝起きのまま、甲板で握り飯を齧っていた。甲板はお気に入りの場所だ。ぎいぎいと音を立てる船首や、はためく帆の音。そして波をかき分け真っすぐに突き進んでいく様子がとても気持ちいい。

船は順調に進んでおり、もうあと数日もすれば堺に到着するだろうとのことだったが、今はまだどこまで目を凝らしても深い青がただただ広がるだけだった。

「おはよう」

なおが2つ目の握り飯にかぶりついていると、ねねが甲板にやってくる。いつものようににこにことした笑みを浮かべてはいたが、その声はなんだかいつもよりも固くこわばっているようだった。

ねねはそのまま真っすぐ船首へと向かうと、水平線にじっと目を凝らす。なおもつられて前方を見たが、もくもくと白い雲が立ち上っているだけで、ねねが何をそんなに熱心に眺めているのかまったく見当もつかなかった。

「なにかいるのか?」

なおが船主の方に向かおうとすると、突然生ぬるい風が猛烈な勢いで吹き抜けていった。びょお、とかごうっといった音と共に足元をすくわれる。

「……あっぶね!泳げない俺が海に落ちたら、確実に死ぬっつーの」

船べりにしがみつき、なおがぜいぜいと息をしていると、ねねが大きな声で叫んだ。

「全員招集!全員招集!みんな今すぐに甲板に集まりな!」

指笛を鳴らすその顔は、血の気が引いて青ざめている。

「おい、なんだ?!一体どうしたってんだ?まさか海賊か?海賊が出たのか?!」
どう見てもただごとではない。なおが慌てて駆け寄ると、ねねは真っすぐに前を向いたまま言った。

「嵐だ。嵐が来るよ。それも相当でかいやつが」


樽廻船の乗組員はすぐに全員が甲板に集まった。朝飯の途中だったものも多いのだろう。口に米粒をつけたまま、足音を鳴らしながら走ってくる。何ごとか、とざわめく男たちを前に、ねねが声を張り上げた。

「皆そろったかい?残念な知らせだ。嵐がくる」

一瞬のざわめきの後、男たちの表情が変わった。不安をぐっと飲みこむようにして、口を強く結ぶ。船乗りの気持ちはわからないが、「覚悟」のようなものがその身体にまとわれるのが見てとれるようだった。

なおは喜兵寿と顔を見合わせる。

「……でも今すごいいい天気だぞ?嵐といってもそんなに大きなものじゃないんじゃ……」

なおがぼそりというと、甚五平にぎろりと睨みつけられた。

「ねねの姉貴は風読みの達人だイ。姉貴が『嵐がくる』っつーなら、間違いなく来るに違いねぇ」

「まじか……」

「まじも、まじだ。うかうかしてっとやられっぞイ。それで、姉貴!嵐の大きさはどんな感じですかイ?」

ねねは風を掴むようにして手を上げると、まっすぐ進行方向を指さした。

「嵐は恐らく南西の方向から来る。規模は……そうだね、かつてわたしたちが出会ったこともない大きさ、とでも言っておこうか」

ねねの言葉に男たちが息を飲む。
「それって……3年前の大風よりも……でかいやつってことですかイ?」

甚五平の顔から血の気が引いていく。真っ黒に日焼けした顔は、どす黒く沈み込んでいくように見えた。

「ああ。残念ながらね」

ねねはふうっと息をつくと、再び声を張り上げた。

「お前ら、嵐ごときにビビんじゃないよ!気合入れな!」

強い光を携えた強い眼差し、そして怒声。そこには「恐怖」というものはひとかけらも溶け込んではいなかった。

「わが船は、この先にある避難港へと向かう。西向きの港だ、南西からの大嵐からはしっかり守ってくれるだろうよ。そこまでの数里は嵐さまとの競争だ。負けんじゃないよ!!!」

ねねの言葉に男たちは「うおおおおおおおおお」と呼応する。

「さあ、朝飯が済んだやつから配置につきな!船乗りとしての本気を見せてやろうじゃないか」
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